6 救うのも、助けるのも、守るのも
リリンが入っている試着室の目の前で、俺はまた唸り声を上げていた。湊は仕事に戻っており、今は俺とリリン二人だけだ。
「背中開きの服って、まあまああるんだな……」
やはりまた、頭を抱える。どれもが可愛く、そしてまた高額であった。仕送りの金額で考えても、俺が充分で暮らしていけるほどの金額プラスしか貰ってないのだから、そう何枚も買ってあげられない。
なのに、
「全部可愛いから選べない……」
もちろん、全部買うという選択肢もある。正直言って自分の事にしかお金を使わないケチ野郎だから(遊びに行く友達がいないから使わないだけだが)、買えって言われたら買える。そして、それで救える人がいるなら、遠慮なく金を渡そう。
「みてみて」
シャカっとカーテンを開けるリリン。召している服は、もちろん今から買う予定の一つ。背中が開いてるワンピース? と呼ばれる服だった。
「うん、いいと思う」
「ほんと、どこが?」
「どこがって、そりゃ全部って言いたいけど……まあ、服の黄色と肌の白が、絶妙な対称を作っているというか……」
総評するなら、可愛い、と言ったところか?
「じゃ、ほかのふくもまたきる」
「了解、まあ待ってるよここで」
またシャカっとカーテンの音を立てて着替えるリリン。手持ち無沙汰な俺は、スマートフォンで時間を確認する。
「二時半過ぎってところか……もうそろそろ帰るべきか?」
わからない。何がって、多分何も。何度も、何度も自問自答は繰り返される。善い答えを導き出すために、一人の会話は紡がれていく。
フェルナーグの超常能力──あれを超常能力の括りに入れるべきか分からないが──であれば、この人だかりにいるのはいささか危険になるかもしれない。
当たる存在を簡単に取捨選択出来るのだとしたら、不意打ちされて勝ち目など無いだろう。それに、ここにいる、ということが昨日の襲撃者にバレていないのであれば、今日は家に帰ることさえ厳しくなってくる。
襲撃者が一人とは限らない。というか、一人では無い。彼女が「こちら側」と言っていたことも気になる。こちら側が何なのか、魔法とは何なのか。分からないが、ハッタリでは無いことも確かだ。『屠龍ノ技』と、黒いもやがかかったリリンは言っていた。それを信じるなら、あれはただの超常能力では無いということだ。
俺的には超常能力で言う『念能力』、に近しいものだと推測している。だがあれほどまでの単調さに、掠っただけで血が出るほどの鋭利さ。基本的に超常能力は強ければ強いほど、扱い易く鋭くなっていく。いつでも、例外はあるが。
そんな、平和的思考は、轟音によってかき消された。
バリバリバリッッッ!!!!
突如、このショッピングセンター全体に、等しく沈黙を告げる、弦楽器のような謎の音が大音量で押し寄せたからだ。
スシャーっと試着室のカーテンを開ける。中にいる子の状態も分かっていながら。
「おい、リリン!」
「れい、いまの、おと!」
「っ、早く服着ろ! 何か起こってる!」
リリンに早く服を着させる。だけど、少し怖くなってくる。ああ、多分。誇大妄想で、被害妄想なのかもしれないけれど、けれど。
ならどうして、俺たち以外の人間は、今の大きな音になんの反応もしていないのだろう。あんな大きな音、耳垢が溜まっていても関係なく耳の中に届くだろう。だから、絶対聞こえていたはずだ。
だけど聞こえていたという言葉には語弊があると思う。だって、巨大な音で殴られたんだ。その光景は確かにあった。あったはずなのに……!
「如何なさいましたか?」
「おいあんた、今の大きな音聞こえてたよな!? どうしてそう、平然……と──」
大きな声で捲し立てる俺を、女性店員は怪訝そうに窺う。
「大きな……音ですか? いえ、私にはその様な……」
「は!? え、今だって大きな……いや、そうか。分かった」
俺と、リリンには聞こえていて、他の客やにはまったくもってその事実を覚えていない。
「ごめんなさい、変なこと言って」
「いえ……その服でお決まりですか?」
もしかして、と思考が巡る。目の前の店員さんの声なんて一切頭に入って来ない。ふざけるな、と怒りの感情がこみ上げているから。
「リリンを狙ってる奴らが、ここで仕掛けてきた……ってことか?」
わざわざこんな人だかりができるところにリリンを連れてきたのは、服を買うだけでなく、客に天然の監視カメラになってもらおうと思ったからだ。だけど、こんなのずるだろ。
『テステス、聞こえているかなー?』
突如だった。ノイズのかかった音が、スピーカーから生まれていた。それを誰かの声と認識するのに、少し時間がかかってしまう。
「誰だっ!」
天井に向かって声を放つ。もちろん、店員はやばい奴への眼差しを俺に向けてきている。
『やほ、こんにちは。リリンを匿っているニューエイジ、それとリリン。ボクの名前は……そうだな、ブロックとでも語っておく? ちなみにこれ本名だから、気軽にブロックって呼び捨てでいいよ?』
「ブロック、お前は昨日のチャイナドレス、フェルナーグの仲間なのか?」
『ご名答。──あとチャイナドレスって言うのやめてよね。あの子結構、自分のエッチな服装気にしてるんだから』
ちくしょう、こいつはどこから放送してきている? スピーカーを遠隔でジャックしているのか、はたまたインフォメーションカウンターとやらを、物理的に制圧して使っているのか。
『考え込んでいるのかな? まあ、どっちにしろ君たち以外のここの人々は皆、ボクの支配下にあるんだけど』
まったく、うざったらしい声だ。頭にくる。
「俺は、どこに行けばいい?」
吐き捨てた。絡まった痰を道端に棄てるように。
『決まってるよ?』
その声は、しっかりと、ゆっくりと。
『一階、インフォメーション広場。そこで雌雄を、ね? もちろん、リリンも一緒に』
☆
走っていた。リリンを抱っこして、目指すのはインフォメーション広場。そこに、声の主がいる。
「……ああ、待ち伏せの罠だろうよ」
わかってる。こちらが向かっている時点で、こっちは最初から不利な立場にある。
「大衆の目があるところで、無闇矢鱈に攻撃なんてしてこない、か。……大衆の目を逸らせば、その心配は無くなる」
声の主は言っていた。『ここの人々は皆、ボクの支配下にある』と。つまり、まあ。逃げれば良かったのかもしれない。でも無理だ。俺には無理だ。客も店員も、俺とは無関係だろう。顔も名前も知らない、今日すれ違ったこともない、そんな完全な他人なんて、気にしないでいいはずなんだろう。
……は? 無関係とか関係ないだろ。関係なくても助けるべきだろう。
関係あるとかないとか。そんなのもう、意味さえ為してない。助けることが善いことだ。
それに、ここで声の主と戦える。つまり、リリンを脅かす存在に、もう一度刻む事だって出来る。
俺が救ってやるってことを。俺がリリンを守っているってことを。
気付いたらもう、広場に着いていた。が、そこには誰もいなかった。不自然に、ポッカリと穴の開いた空間は、誰がどうみても歪だった。そこを避けて通るように、人間が歩いていく。
「どうなって、やがる」
人が見えないので、俺は今までの情報から敵のことを分析する。ブロックと言っていた敵の超常能力は精神操作系、音と関係している。ただし、俺とリリンには効果なし。
どうしてだろうか? リリンを連れ帰るだけなら、俺を洗脳して連れて来させればいいだろう。わざわざこんな面倒くさいことするはずがない。
いや、精神操作だけではない。あの時、四階の服売り場にいた俺の独白と声と、スピーカーを介して会話していた。だったら、音に関する能力だと考えた方が良いのかもしれない。精神に作用する音、というところは絶対に合っているだろう。だが、本当にそれだけだろうか? 魔法というものを使用している可能性もある。
考えたくもないが、音に関する『創造能力』、なんてやばい奴かもしれない。
そしてその杞憂が天地が崩れて本当のことになってしまった。
「そうだよ。よくそこまでたどり着いたね、『王冠』の所有者。そしてリリン」
それだけでは、天地は崩れない。
「あなた……!」
リリンの驚愕した表情を見た後。すかさず俺も声の主を見た。
「久しぶり、お二方」
放送スペースから可愛らしく、そしてどこか恐怖を覚えさせる様な登場をした目の前の少年。ブロックは歯を見せて顔を歪めた。
そして、俺は。
「よりによってあんたかよ、ギターの少年」
俺は、不思議と理不尽に思える世界に、くそったれと睨みつけていた。
☆
「さて」
少年が、下に置いてあった黒い袋から、歪な楽器を取り出す。
「ってそれギターか? だとしたら、弦……何本だよそれ」
「22本。5弦のネックが二本に、6弦のネックが二本。本場スペインお墨付き、力作22弦アコースティックギター。ボクはかっこいいと思ってるんだけどね、仲間内では奇妙な目で見られちゃう。全く、芸術が分からない人間にだけはなりたくなかったよ」
間違いなく、異質だった。何本もの弦が、一つの大きな穴の上を通っていた。異様だった。四つの首が、禍々しく光沢を帯びていた。奇態で、異常で、珍妙で、オカルトで、それでとても、笑えるほどに奇妙だった。
「さて、さて、さて」
少年は笑っていた。笑ってしまっていた。そのどちらも、歯を見せることなく。そのどちらも、意識を切らすことなく。
「……大舞台。ってさ、もしかしてこれのことか?」
「うん、これのことだよ昭城くん。あの時やっていれば良かっただなんて、そんな無粋な事は言わないでね? それはとても、これから消えゆく、物に失礼だと思うから」
物。その単語に引っかかる。者、つまり障害である俺を消す。と、言っているわけではない。
ならば、こいつが思う物とは、やはり。
「合ってますよ、リリンのことです」
言葉は理解した。心は拒絶している。体はまだ動かない。
「それは、連れ戻すって事でいいのか? ……俺は、お前がリリンを物扱いした時点で、もう優しく微笑めなくなっちまったけどな」
「連れ戻す、か。オルペウス教のような、輪廻転生的思考が昭城くんにあるのであれば、その発言は皮肉が混じっていると言えちゃうね。宗教ジョークとしては完璧の滑りだ」
輪廻転生的、つまりは。連れ戻す、戻すというのなら。
そして、アーティストを夢見ていたはずの、夢を語っていたはずの口から、泥が溢れた。溢れて溢れて、最後には。
「ボクのする事はただ一つ。リリンを、ここで殺す」
☆
「ふざけんなよ」
怒った。当たり前だ。後ろの子が、さっきまで笑っていた子が、その顔を雲で覆わせているのだ。
「リリン、本当に、覚えていないんだね」
リリンは首を縦に振る。ブロックは目を落とし、そして決心したかのように俺を睨みつけた。
声など、とうに届かなかった。耳には聞こえた。ただ、不満が爆発するときのような、苛々が募る苦しい感覚がそれの邪魔をする。
「ふざ……けんなよ。お前が、この子のことを知っているお前が、何でこの子を殺そうとするんだ!」
「理由なんて」と呆れたように肩を落とす。凍った目の少年は、言葉を並べて置いていく。
「この子を殺すことで、物語が無事に終わるから。とでも言えば分かりやすい?」
無事に……終わる? 冗談じゃない、本気で、こいつは言っているのか?
「無事になんか、終わんないだろ! リリンは、リリンはどうすんだよ。なんだよ、リリンを犠牲にしてハッピーエンドではい終わり、みんな笑顔で笑ってまた明日ってそんなの見過ごせるわけがねーだろ! リリンは笑ってないと思うぞ。俺はそれは、完全なハッピーエンドじゃないと思うけどな!」
「やっぱり君は、何も知らない無関係な人間だ。……最後の提案になるだろうから、最後の言葉にならないように気をつけて、ボクに返す言葉を選んでね。返答次第で君も殺すから」
ブロックは本当に優しい目で、鋭く切れ味抜群のナイフを突きつけてきた。
「昭城くんは、それ守り切れるつもりなの? 彼女の、全てを」
当たり前だろ、そんなの。守る必要がある相手を、投げ出して得た平穏なんて、何の価値もないんだから。そんなクソみたいな平穏の中、何か引きずって生きるのなら。今ここで、救った方が絶対にいい。
「ああ、俺は一人の人間であるリリンを守る」
答えはイエス。反応は刹那。当たり前のことを、当たり前のように返す。俺の中にあるのはそれだけだった。たとえ目の前の敵に理解されなくとも、守ったという証があれば、誰かが必ず理解を示してくれる。だから、悪いことじゃない。
「そんなにボクを、殺したいの?」
「できれば、したくないよ」
これは本心だ。例え相手が罪人だろうと、俺は手を下せない。
だけど、
「でも、この子のためなら、助けるためならどんな大義名分の前でも拳を振る!」
魂が抜けるほどの大きなため息をついた、歪なギタリストは投げつける。
「事情だって、何も知らないくせに」
吹っ切れた訳じゃない。諦めた訳じゃない。かと言って、勝利を確信した訳でもない。
自分の無力を嘆いている訳じゃない。傲慢だろうか。いや、そうではない。
「ああ知らない。知る余地も、知っても多分何も変わらない。だから、知った風に言うよ。言わせてもらうよ!」
大きく息を吸って、吐いた。準備はできた。未だ脆弱かもしれないが、覚悟はできた。そして、それを言う勇気も出た。傲慢で、愚かで、汚い考えでも、仕方がない。人を助くとはそんなものだ。それ故に、人助けは楽しいのだ。最後に守るべき人が笑っていれば、それでいい。
「お前に、お前らに、他の誰かに! この子を任せたら、この子の物語は救われない──!」
だから、そう言って最後に付け加える。
「──この子を救うのは、俺だ。この子を助けるのも、俺だ。だから、この子を守るのも、俺だ!」
またもや大きなため息。その後に、苛立ち。そして最後に、怒り。
「傲慢だね、本当に。なら、先に君をいたぶってからにしようか? ボクはそれでも別にいい。君が気を失った後に、あれを殺せば同じ事だ」
リリンの目の前に、守るように立ち塞がる。
「やれるもんならやってみろよ。俺は全力でリリンを守る」
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