4 可愛い名前の子は可愛い
「俺はこの子を守るよ、チャイナドレス。理由は今、俺が決めた。だから、どっからでもかかってきやがれ!」
「そうですか、残念です」
チャイナドレスが腕を振る。竜の首が禍々しく姿を現す。
「おまえ、少し下がってろ。離れんなよ」
「うん、ありがと。たすかった!」
神経を集中させるために、大きく息を吸った。
そして、竜が放たれる。
「『操竜之技』!」
今度は、不可避。絶対的中のその竜頭。覚悟はもう決まっているんだ。なら、だったら王冠の力だって、使わざるを得ない。
対象は竜の首。透明な、空気の塊に向けて。
「『分散』ッ!!」
でかい竜の首をを、右手で押さえ込む。その竜は、集中していた質量を全部分散させられて、自然に消えていく。
「な……これほど、までとは」
「そっちだって大概だろ。この竜、今までにないほどの重さを感じたぞ」
消しきれなかった、俺はそう思う。衝撃や切られるなどといった直接的な攻撃ではなかったが、何かがあった。
そしてその何かが、竜の首に集中していたことはわかった。だからその要素の逆である分散で、全部飛ばした。
と思っていたが、どうやらそれだけでは無さそうだ。それに、相手の能力がまだ分かっていないことが厳しい。ただニューエイジなら、何かを質量に変換して、竜を作っているはずだ。俺の予測なら空気の塊そのものだが……本当に、それらしく無い。
けれど、そんな素振りを女は見せていない。腕を振るという発動条件があるものの、それが竜の構成に直接関与しているかと言われたら、胸を張ってそうとは言い切れない。
だが結局、今は、王冠の力で無効化できるのであれば、どんな構成をしていてもいい。この子を守れるのであれば。
俺はもう一度腕を回した。
「一つ、質問です」
沢山の竜を分散させていく。その合間合間で、チャイナドレスは言葉を挟む。
「その力……もしかして、“魔法”ではないのですか?」
「……は?」
困惑、竜への対処が一瞬遅れる。右の掌に衝撃、そして少しだけ流血。しかし、そのことよりも、王冠の力がどんなものかと目の前の女は気になっているということを、今の言葉で理解した。
しかしその意味が、中身の方が理解できない。同じ言語を使っているはずなのに、どこか意味が違う。
「えっと、いってる意味がわからないんだけど……でも、魔法? とかじゃないと思う。王冠って言うらしいんだけどさ、俺もまだ分かってないことも──」
女は続ける、自分の考えに確信を持ってはいないようだが、それ故に着実と考察らしきものを進めていっている……ように感じる。
でも魔法って……さあ、そんな非科学的なものがこんな街にあるわけが。
「王、冠? もしかして生命の樹……それも思考と創造の白? だとしたら対義への変換は副産物……左右の差ではなく、樹の上昇と下降を利用している?」
彼女は目を見開いてブツブツと何かを言っている。
「でも、ならその力は紛れもなくこちら側だ。欠陥だらけの数式や、卓上の愚かな理論などで解き明かせるはずがない!」
彼女は大きく声を荒げた。
「あんた、言ってることがニューエイジ反対派みたいだな。そんな力を使ってんのに」
「……それにその力が王冠だとしたら、どうしてその子を庇う? 普通、あんな子見つけたら、即刻処分なはずなのに! そんなの、そんなの彼女に都合が良すぎる! そんな、そんなはずがっ!!」
俺の言葉など無視しているかのように、彼女は頭を抱えている。
「えっと……上手く理解できないんだけどさ、なんか地雷踏んじゃった? でも、確かにこの力がどっから来るとか分かんない。だってほら、俺ってニューエイジだし……でも理系教科点数よくないんだよなぁ……あれ?」
大きな地雷、どうやら本当に踏んでしまったようだ。手を握る力が強くなっているように思える。俺なんか、変なこと言った?
「そうですか、ならいいです。同業のもので無いのなら、手加減する義理も理由も、消えましたから」
「いや、ちょっと待ってくれ。ほら……」
「愚かで忌々しい力を持ったニューエイジ……!! 貴方の声と言葉と答えはもう、必要などありません……!」
チャイナドレスが両腕を振った。今までは片腕の振られた回数分、竜の首を生み出していた。それが両腕ということはつまり……。
二つの竜の首が、襲いかかってくるということ。
「分散ッ! チッ、二本目まで届かねぇ!」
二つ分の竜の首、一度に分散させることは不可能だ。竜の首二つは独立している。そして、その間から出てくる影。
チャイナドレス。睨むような目つきで拳を引く。
「竜はデコイ!? なら!」
拳は受ける。近づいてきてくれたのはありがたい。幼女から離れるのは危険だけど、こちらが動かなくても間合いに入って来てくれる。
と、思っていた。
実際、そんな甘くなかった。
「『屠龍之技』!!」
チャイナドレスの拳が、竜の首と同じような力を帯びた。本能的に悟った。これはヤバい。身体だけで受け切れるほどの力じゃない。
でも、その力を受ける瞬間に、自分に与えられる力を変えることができたなら?
「これで終わりです、ニューエイジッ!」
腹目掛けて拳が飛ぶ。タイミング、タイミングだ。タイミングを合わせて、王冠の力を使う!
「ここだ……『吸収』!」
振るった暴力で与えられる『衝撃』というものは、なにも相手だけで処理される訳ではない。身体が受けて、初めてその『衝撃』は意味をなす。
自分の身体から、相手の拳に加えられる力を『吸収』に変える。この変化は、自分が殴られなければ意味をなさない。つまり、完璧なタイミングで変化させるか──。
「吸収っ、かはっ……!」
──もう一つ、一度殴られてから王冠の力を使うか。今回は後者、なので一瞬だけものすごい痛みが俺の全身を襲う。
「な……屠龍之技を、受けた!?」
正確には、屠龍之技ってやつだけを吸収できた、みたいな感じか。生の拳は完全に俺の腹に入っている。と、喋らず心に留めておくことで、言葉も出ない俺の喉を労る。
「いくぜ」
近づいて、完全に間合いの中に入ったチャイナドレスを見据える。そして、思いっきりチャイナドレスの……。
「ぽん、と」
「……え?」
胸に手を置いた。
「な……何の、つもりですか」
チャイナドレスは、わざわざ近づいたまま喋る。
「そうだね。あんた、名前は?」
「名前は……フェルナーグ」
「そっか、じゃフェルナーグは空、好きか?」
たわいもない日常会話とも取れるその言葉。
「え……うーん、って何呑気に会話してるの!?」
言葉に詰まるフェルナーグ。目の前の人間が突然妄言を吐いてしまって、茫然唖然としているような目をしている。
「まあ、いいや。空の旅、痛かったら悪いよ──」
手を置く、つまり密着。この状況の要素である近い状態を、王冠の力で離れている状態に変化させる。放出、というより撃ち出すような。
「──射出!」
「だなっ、まっ──!!」
向いている方向と逆の方向に、空高く打ち上げられたフェルナーグは、かなり遠くまで飛行を続けていった。
「はぁ……はあ、終わったか」
殴られた腹がズキズキと痛む。気づかなかったが、デコイと思っていた竜の首に頰を切られて血が出ていた。痛い。
「だいじょうぶ?」
そう、幼女が首を傾げる。
もう、限界そうだ。意識を保っているのがギリギリだ。とはこの子には言えない。
だから。
「だい、じょう──ぶ」
保つことが厳しくなった意識とともに、視界が黒く染まった。そんな気がした。
☆
目が覚めた理由は、枕がむず痒さを感じて動いたからだろう。枕が、動く? 自分から? どうして?
分からない。だって目を開けてないから。起きてないから。でも、この状況でもわかることが一つある。
「……おきた」
目の前に、幼女の顔がある。そして俺は、幼女に見下されていた。
「えっ……と? これ、どういう状況なの?」
いや、見下されている、というのには語弊があるのかもしれない。後頭部に、柔らかい生足の感覚。
つまりは、そう。
「膝、枕? ……じゃない」
膝枕、つまり太腿を枕にしているのではなかった。より的確に表すのであれば、脛枕と言ったほうがいいのか?
気がつくと幼女が脛枕してくれてましたー! ……うん、何があったの? 本当にあの後、何があったの?
「あのね、おまえはぶたれてたおれたの。だから、わたしがここまではこんだんだよ?」
「いや、運んだってどうやって? ここ四階だぜ?」
そう言うと、幼女は羽をピクピクさせる。
「すげーなその翼。俺を持って飛べるんだ……力持ちだな。って、感心してる場合じゃない!」
脛枕から慌てて飛び起きる。外はもう暗くなっており、テレビの上にある壁掛け時計は6時を過ぎていた。
そう、夕飯の時間である。俺はキッチンへと入り、冷蔵庫を漁る。今日買ってきた食材たちは全部、交戦前に冷蔵庫に入れておいた。本当によかった。だって冷蔵庫に入れるのを先送りにしていたら、俺は食材の損失を生み出していたところだった。豚肉と……安いもやし。よし、今日の夕飯は決まった。
「もやし炒めだけどいいか?」
俺の声に、幼女はビックリしたように首を傾げる。
「わたしのせいで、おまえはたおれた。どうしてわたしにやさしくできる?」
無垢な瞳で、そう呟いた。
「どうしてやさしくする? なにがもくてき? おまえはなにがしたい?」
「どうしたいって……そりゃ、まだ分かんないよ」
でもさ、と。噛み締めるように、俺は言葉を続ける。どうして助けたかなんて分からない。でも。
「でも、襲われてるってことは、なんか理由があるんじゃないの? だから、そんな感じだよ。理由とか……別に、教えてくれなくてもいい。ただ単に俺は、おまえを助けたい。守りたいって、そう思っただけだから」
「やさしいな、おまえは」
目的なんて、目の前の人が笑ってくれると思ったから。それだけでいい、それだけで十分だ。
「俺は優しい。だから飯ぐらいは作るよ。だっておまえ、お腹へってるでしょ?」
「……ん、そう。おなかすいた」
「なら、食え! 俺のもやし炒めは旨いぞ! 料理屋の息子の料理センス、存分に見せてやるから!」
「もやしなのに?」
「……もやしで悪かったな!!」
☆
料理を作り終えてほおづえをつく俺と、座ってテレビを見ている幼女。半分がっつり食べて、今はちまちま口に入れてる。
そういえばと、言いそびれていたことを思い出した。
名前。この子の名前を聞いていなかった。どんな名前なんだろう。見るからにアジア系ではないことは確かだけど、違うとも言い切れない。
第二管理都市は日本の領土に造られた開発都市で、ほぼ一国家として機能している。壁で囲まれ、出入りを完全に監視される状況だ。
それに海に面してもいないので、この街の夏の娯楽に海は無い。そこは別にいいのだ。
しかし、ここが日本の領土であっても、人口が日本人に偏っているという訳でもない。そこには色んな人が住んでいるし、ハーフも多い。実際俺は四分の一ドイツの血が入ってるし。
吸血鬼……って決まった訳じゃ無いけど、吸血鬼ってことはルーマニア? ほら、串刺し公ってルーマニアじゃん?
安易すぎるか? ってかルーマニアの人の名前とか一切知らないし、てか場所すら知らない。
名前……吸血鬼的に直球な奴で行くと、なんだろ? 吸血鬼の名前なんて知るかよ。外見で考えたら……いや、分からん。やっぱ、実際聞いてみるのが一番か。
「なあ、ご飯中に悪いんだけど──」
「はむはむ、あに?」
「口に入れたもんくらい食ってから話せ! って今のは俺が悪かったな、すまん」
俺が作ったもやし炒めとお米を全力で食いまくる幼女。とっても美味しそうに食べるその顔は、料理した自分の心を癒してくれる。幼女は口に入っているものを全部を飲み込んで、腰に手をあてた。
「なまえ、のこと?」
「ん。まあ、そうだ。……名前、なんて言うんだ?」
すると幼女は立ち上がり、自分の無い胸に手を当て、高らかに宣言する。
「わたしのなまえは──りりん。よろしくな」
「……リリン、でいいのか?」
うん、と首を縦に振ったリリン。
「名前は人を冠す、って言うだろ? 名前知れば、その人のこともっと知れた感じがするんだ。まあ、そりゃ当たり前のことなんだけどね? ……えっと、リリン?」
俯いているリリン。大丈夫かと近づくけれど、少しゆっくりと顔を上げていく。
「うん、りりんだよ。わたしはりりん」
「あっと……俺の名前は嶺。れ、い。よろしくな!」
リリンは満面の笑みを見せた。
「よろしく、れい!」
リリン、リリンか。うん、いい名前だ。とっても、いい名前だ。
少しだけ考える。リリンは、何者かに追われている。帰るところは、この街には無さそうだ。だから、この子をここにおいて、調べよう。それは心にそう決めた。
赤い目と、長い犬歯。艶の薄い金色の髪。異質、と呼べるようなその風貌。もしかしたら、知らず知らずに虜にされているのかも知れない。
けれど。だとしても、だ。
これはきっと俺の気持ちだ。誰かに決められた、そんな後ろ向きな想いなどでは、絶対に無い。
だから、助ける。だから、救う。
「なあ、リリン──って寝てる」
気付いたら寝てるリリン。少し微笑ましい。
だけど、俺はどこで寝ようか。
さすがに同じ布団で寝るのはまずい。いや、別に俺から手を出すことは絶対に無いんだけど(てかそんな勇気も何も無いが)、同じ布団で寝ると言うことがアウトだろう、倫理的に。
「……あー、どうしよ」
結局、リリンを布団で寝かせる。俺は、座布団を枕にして突っ伏した。
☆
びゅうびゅう夜風の鳴く夜に、二人の男女が背を向けていた。
「ごめんなさい。あの子を連れ戻すことは出来ませんでした。任務失敗ですね、ブロック」
「いや、仕方ないよフェルちゃん。王冠なんてイレギュラー、ボクも想定できてなかったから」
落ち込む男女。ブロックと呼ばれた少年と、フェルちゃんと呼ばれた女。そこにはネガティブな風が吹いていた。しかし、それでも優しく、二人の会話は弾む。
「でも、王冠の性質は分かったんでしょ?」
「はい、あれは間違いなく『生命の樹』関連の能力でしょう。──しかし」
「しかし、なに?」
女は確信が持てていない考察を言っていく。そこには自信の持てない女の性格が現れていた。
「王冠──つまりケテルの司るのは思考や創造。でもあれは要素の変化。創造というのは少し厳しいかと」
「要素を変える……変えると言うか、上昇と下降を行っているのだとしたら、それはもう『王冠』と呼ばれる必要は無いはずなんだけど……知識がないなら、受け継いだ前の所有者の呼称、ってところなのかな」
でも、と男は一人納得する。王冠、倒すべき相手の分析を中断して、ゆっくりと口を開いた。
「『いかなる存在も、被造物である限り、その本性に達することができない』か。いいや、明日はボクが出る。あの約束の日も、もう随分と近い」
「ブロック、あの子への命令は……やっぱり、リリンのこと殺さなきゃいけないんだよね。でも、私は──」
「理解できてるよ、フェルちゃん。──いや、フェルナーグ=ナレンジ。ボクはしっかりしてる。公私の混同はしてないつもり……多分な」
男──いや、少年と呼ぶべき背丈の彼、ブロックは立ち上がり、後ろの柱にかかっていた、大きく異形なギターを担ぐ。
ピックを一枚懐から出して、二弦を解放して音を鳴らした。そして、街の明かりで星見えない夜の空を仰いぐように上を向いて名前を告げる。
「己の為の芸術を。あの子を必ず、殺すから。殺さなきゃ、もうダメなんだよ。だから、覚悟は決まってる。それに覚悟なんて、ボクにとっては楽なもんだよ」
そして呟いた。
「君のために生きることが、あの子の犠牲だけで達成できるのなら──」
その声は、風とともに死に、誰の耳にも届かなかった。
「──悪魔にだって、牙を剥いてやるよ」
誰にも、どこにも、届くことがなかった思いの叫びは、夜とともに消えていった。
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