14 誰かを助けて気持ちよくなってみんな仲良く万々歳
まだ日が落ちる前に、嶺達は寝ているリリンを見つけた。彼女は草の上で寝転がり、ぼんやりと空を見上げていた。
「リリンっ!」
嶺はリリンに走って駆け寄る。一日ぶりの再開に、彼は涙さえ流しそうだった。
「れい? どうして!」
リリンはびっくりとした顔で嶺を見つめる。その顔は優しく綻んでおり、とても幸せそうだった。
「やっと、リリンを助けられる。やっと、おまえと最初に交わした約束を果たせる!」
「やくそく……したね」
「『たすけて』って、そう言ってくれたから。だから、助けられる」
嶺の目には、本当に涙が浮かんできていた。感極まって、そして、やっと約束を果たせると思って。
「今から、リリンの中の悪魔をやっつける。だから、少し待っててね」
「うん……わかった」
リリンは目をつぶって、その時を待つ。嶺は静かに、フェルナーグへと合図を送る。
「わかりました。では、『操竜之技』」
ゆっくりと、優しい竜が嶺に纏わる。嶺は王冠の力を行使して、固定するための準備を進める。
「操竜之技、『発散』」
何重にも折り重なった力が剥がれ、沢山の小さな竜になっていく。
「『凝縮』、『凝固』──」
多くの工程が積み重なり、やがて固定へと辿り着く。
そんなこと、そんな簡単な救いが、救いから一番遠い少年が、行使しているような代物ではない。
「リリン、どうしたの?」
リリンの手が、嶺の手を握る。まるで、恐怖を抑える子供のように。
「ねえ、れい」
「何、リリン?」
「ほんとうに、助けてくれるの?」
何気ない会話だった。
「ああ、必ず。思い出を作れるようにする」
何事もなく終わるはずだった。
「そう、なんだ……」
だってまだ、悪魔は目覚めていないのだから。悪魔は、日が落ちなければ目覚めないはずだったから。
「──昭城嶺! リリンから離れろっ!」
ブロックの咆哮が、嶺の耳をつんざく。嶺はリリンの顔を見た。手を繋いでくること自体がおかしいと思った。どうして、彼女は手を離さないのか。それは。
「れい、あは! はははは!!!!」
声が、変わった。天使のような優しい声から、どす黒い死の声に。同じ声だった、しかし決定的に持っている要素が違っていた。
「まずっ──」
気づいた時には遅かった。日は落ちていなかったが、彼女の羽から黒い渦が飛び出してきていた。勢いよく手を離したが、それでも避けられない。嶺の能力、電波警戒は攻撃を予知した。しかし、避けられる場所が無かった。
「11弦を解放せよっ!!」
「ブロックッ!」
嶺の右脇腹に衝撃が走った。それはブロックの巨人の腕が、嶺を吹き飛ばしたからだった。攻撃の対象を失った黒い渦が、巨人の腕を巻き込んで消える。
「おい、リリン!」
その声も、もう届かない。いや、届いていない。
ブロックは、半狂乱の嶺を諫めるために大声で叫んだ。
「今のあいつはリリンじゃない! 今のあいつは……最低最悪の大悪魔、サタンだ!」
高笑いが、響いた。
「ご名答、ブロック=ハイウェイ。いかにも、我がその大悪魔サタン!」
日が落ち、街は陰を見せ始める。一瞬一瞬光は消えていき、目の前の少女──悪魔が力を取り戻す。
「さて、どこから話そうかなぁ」
「操──」
「遅い」
フェルナーグの攻撃が、一瞬で掻き消される。彼女自身に傷はなかった。ただしそれは、最高の力加減で攻撃を相殺しただけであって、同じ力しか持ち合わせてないというわけではない。
「どうすれば、お前達の心を折ることが出来るか……」
「ボク達は折れない、そう誓ってここまで来た!」
ブロックの咆哮も虚しかった。背中の巨人は瞬間的に解体され、楽譜さえも地面に落ちずに消失した。
「っ、まだ予備の楽譜はある。まだボクは戦える!」
「うるさいな羽虫が……我の邪魔をするな!」
その言葉で、ブロックの手が止まった。このままではまたやられてしまうと、悟ってしまった。
「まずは、ブロック=ハイウェイとフェルナーグ=ナレンジを潰すか」
悪魔はニヤリと顔を歪め、彼ら二人の一番大切な人間の貌を使って、一番最悪なことを言う。
「まず知っておいてほしいが、リリンという少女は、もう存在しない。そして昭城嶺、今までお前が助けようとしていた少女、そして助けようとしていた少女は、この我だ」
「……な、は? おい、まて嘘だ。ブロック、フェルナーグ、騙されんな。悪魔なんか趣味悪い嘘しかつかないだ──ろ?」
嶺の必死の声が、届かなかった。ブロックは困惑して行動を止め、フェルナーグは今にも目の前の悪魔に向かって走り出そうとしていた。
「二人とも落ち着け、これはあいつの性悪な嘘──」
「言っただろ嶺。悪魔は、嘘つかないって」
「じゃあどうして、どうして黙ってられるんだ! たとえ本当のことだとしても、否定して突き進めよ!」
「計画は?」
その呟きに、ハッと嶺は気付く。
「リリンがいなかったら、成功しない。救える道が、ボク達で救えた道が一つ無くなった」
「一つじゃない」
フェルナーグも、唇を噛み締めて声を張り上げる。
「リリンがいないなら、今までの私たちの道が、意味のないものになってしまう。それに、リリンを救うほかの道さえ消えていく!」
「お前ら……もっと悪魔なんか疑えよ!!」
「疑っても良いぞ、昭城嶺。まあもっとも、最初から我がリリンで、その我を守ってくれていたのは紛れもなくお前なのだからな」
嶺は知らない。嶺は、目の前の悪魔が嘘をつかない存在だと理解できない。だって、だって。
「どうして記憶を失っていたはずのリリンが、自分の名前を覚えていたのだと思う?」
もし、リリンという存在がいなくて、初めから全てサタンと共にいたとしたら。リリンがいないとしたら。
「それは、初めから我がリリンだったからだ」
「そん、な。そんなこと!」
初めて会った家のベッドも。少し意識してしまったあの昼間の道も。裸を見てしまった先輩の家でも。彼女と共に眠った夜も。
全てが、リリンではなくサタンだった。
そして彼女は嘘をつかない。なら、すべての言動はリリンの心ではなく、サタンの心のものになってしまう。
「嘘だ。そんなもの嘘だ! お前が、リリンから奪ったはずのお前が……暗い、じめじめした場所にいて、そこで泣いているのはお前ってことになるんだ! そんなはずが、あるわけねーだろぉが!!」
「そうねぇ、確かに嘘は言ってない」
けれど、と言葉を繋いでいる。嶺も薄々理解してきた。そこに嘘は無く、本当のことしか言われていないのだと。
「ならどうする昭城嶺。我を、助けるか? 我を守るか?」
否定しても、しきれない。それはきっと嘘だから。嶺の頭の中は洪水状態。もうこれ以上、考えを受け付けないくらいに混乱していた。
救うか、否か。
助ける理由はなんなのか。嶺のリリンへの想いは、最初はそうだった。だったら、なにも変わらないはずだ。リリンを助けることも、サタンを救うことも。
「俺は、どうしたい……?」
嶺は頭を抱え塞ぎ込む。そのせいで、目の前の悪魔の攻撃に気がつかなかった。
黒い渦が大量に嶺に向かって押し寄せる。
「嘘じゃないなら、俺は!」
その黒が、止まる。
二人の仲間が、友が、同じ心を持った者が、嶺を守って吹き飛ばされる。
「選べ、嶺! お前が助けようとしたサタンを!」
「……は? どういう!」
困惑が声に出た。
「あなたの思いで、私たちは動きます。それが、私の思い。そう選んだのは、紛れもなく私たちだ!」
フェルナーグとブロック、二人の声が理解できなかった。嶺には分からなかった。いや、分かろうとしなかった。
「どうして! そんなことをしたら、お前らのリリンへの想いは!」
分からせるための言葉じゃなくて、自分自身の本心を吐き出す。
「言わせんなよ、リリンはもう居ないってことさ。リリンは帰ってこないって」
「もう分かっています、そんなことは。分かったつもりでも目を逸らしてきた。絶望した。ですが、希望がそこにあることが分かったのです!」
二人の願いは、二つある。当たり前だ、違う人には違う願いがある。けれど共通して貫かれているものは、確かにあるのだ。
「だから、ボク達だけでは辿り着けない」
「ブロック、だから俺に託すって言うのかよ! 殴り合った時に言ってた八年間はどうすんだよ!」
「そんな正論をボクに言わせるな! ボクだって諦めたくないんだ! だから、諦めないことを教えてくれたお前に、託すって言ってんだ!」
嶺の顔が歪む。あと一歩で踏み出せそうなのに、その言葉が出てこない。いや、出せない。そうすると、二人の気持ちを踏みにじってしまうかもしれないから。そして、自分に嘘をつくかもしれないから。
「自分を見せろ! 昭城嶺を見せてみろ! あなたの、何も知らないあなたの、最高の可能性を!」
「フェルナーグ。お前まで自分を曲げる気か!」
息が吸われた。吐くための、自分を曲げるほどの気持ちを、なよなよして自分になり切れない少年に向けて、本気を言い放つための準備。
「何も知らないあなたに、リリンを救う理由はない! 意味も必要もないし、手段も知識もまるでない! だから、どうやって救うかだってとても疑問だった。今の昭城嶺はどれもこれも、これっぽっちも持ち合わせてない!」
彼女の、フェルナーグ目には涙が浮かんでいた。彼女もまたリリンが大切で、そして悪魔に裏切られた。だけど、それでもなお、彼女には自分の意思がある。
「……っ、それは!」
「でも意地はあった、意思があった! 今はそれも、これっぽっちもないじゃない!」
あの夜、フェルナーグは感じたのだ。この少年には何も無いと、この少年には言い返す気力さえ無いと。ただ救いたい、助けたいという空っぽな意地しかなかった。
今は、何もない。彼からは何も感じない。車の中でだって、彼の目と言葉には意思が無かった。流されるままここにきた。それじゃ足りない。リリンを救うにはそれでは足りない。
「私にも、ブロックにもリリンは救えない。だから、気持ち良くなってください」
「フェル……ナーグ!」
「誰かを助けて快感得てみんな仲良く万々歳でいいですよ。早く決めてください」
意を決して、彼女は最大級の暴言を放つ。
「ああもう言うよ、言うからね! この……クソ雑魚ハートの優柔不断野郎が! 意地で自分正当化して、偽善と嘘で固めまくったゴリゴリの都合良すぎる王冠で! あなたの気持ちで! あの大悪魔をびっくり仰天吹っ飛ばせ!!」
風が吹いた。そこに、嶺に真正面から向かう風が。
「俺は──俺はぁッ!」
思いがあった。リリンを助ける、救うという思いが。それは全部、嶺の独りよがりだった。
そうなって全部消えたとしても、それでも嶺は拳を握る。
「やっと分かったよ、俺のやりたいこと。どうしてリリンを助けるかってこと。理由なんて簡単だ。……助けた時が一番生を感じるからだ、一番楽しいからだ、世界で一番人助けを楽しんでいるからだ!」
少年は、自分の心を理解する。どうすれば、いるはずのないリリンを助けることができるのか。
いや、違う。少年は、いるはずのないものを、リリンを助けることは出来ないと理解できた。だから、目にかかっていたフィルターは全て破壊する。
「俺は嘘つきで、腐ってて、どうしようもないクズで、何も守れない弱い人間で、救いようの無い偽善者だよ。そんなのが、ヒーローなんかになれるわけないってな。でも、それでもな」
心は決まっていた。
少年は──俺は、もう一度ヒーローになる。
「やっと分かったんだよ、俺の思いが。俺の本心が!」
俺のために体はった二人のことを、別にもう考えない。
「俺は、リリンのことが好きだったよ。多分な。あんなちっちゃな体でもときめいたし、本気で命かけて助けたいって思った」
だって、これが俺の想いだから。
「下心で動いてても、自分を優しさで飾ってても、最後に見返りが欲しくて欲しくてたまらなくても。でも、俺はそれでも!」
それでも前に進むと決めた。それが、嘘だとしても。
「たとえ嘘でも、虚偽でも、欺瞞でも! 俺はすべてを利用して、必ず助ける」
「お前には無理だ、昭城嶺。一度リリンを捨てたお前には!」
サタンも黙ってはいなかった。黙ったままではいられなかった。
「……もっと、欲望にまみれた言い方をしようか。俺が、リリンの物語を! いや……サタンの、お前の物語をここから始めさせる。もしお前が、『やめて、もう終わりたい』って言っても関係ない。……俺がやりたいからやるんだ。だから、俺の偽善を盾にして、言い訳にしてでも認めさせてやる!」
──やっと分かったよ、リリン。俺は、サタンを助け出す。暗くてじめじめした場所から、引き摺り出す。
「だからここで幕引きだぜ大悪魔。さっきまではお前の悪意が。今はここにいる全員の信念が! そしてこっからは、俺の王冠が支配する!」
気分がいい。自分のしたいことが、明確に分かって楽しい。こんな状況も、とても楽しく思えてくる。
「お前は、世界を破壊し尽くす悪役でも、人造悪魔を護るヒーローでも無い。お前が破壊する世界を背負って戦う、俺の引き立て役だよ!」
「我は、我こんなところで終わるわけにはいかない! だからここで、お前を潰す!」
「お前から世界を救うために戦うなんて、きっとこの戦いに勝ったら俺は、最高に気持ちいいんだろうな。……お前に負けたら世界が消えて、俺が勝ったらハッピーエンド。最高な気分だ!」
終わるわけにはいかない、救われる訳にはいかない。
なんて、言われても気にしない。傲慢で、不遜で、そうやって嘘の善を振りかざす。それが、俺のやりたいことであり、俺がやりたいことにつながる。
「そしてそのあと、ちゃんとお前に罪償わせる。リリンの心を消した罪とか、ブロックとフェルナーグ泣かした罪とか」
ちゃんと罪を償って、その後に、きっと分かり合えると思えるから。
「それが終わったら、俺は必ずお前を守る。だって俺は、リリンじゃなくて、サタンのことが!」
俺は、大声で叫んだ。俺の、一番大切にしたい想いを!
「サタンのことが、好きだからだ!」
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