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12 ぶつけ合い、殴りあい

ちょっと長めです

間章 【7→9】


 少年は手を離した。少年は目を離した。少年は心を離した。

 けれど元から、少女は悪魔だった。

 簡単なことだったんだ。それを少年は見落とした。


 笑えない。つくづく笑えない。そして救えない。


 少年は選んだ。自分を選んだ。

 だから、少女は悪魔のまま。


 少女のことを分かろうとしていた。そんな風を装って、実際は自分のことしか考えていない。


 あの時は違った。『王冠』の力を手に入れたあの日は違った。独りよがりで人助けをするような、そんな脆弱な人間には見えなかった。


 力が、少年の思いも全て砕いたのだとしたら。そしてその力を、自分のために振るっていたことを自覚したら。その力が、誰かを救うに足り得ないと悟ってしまったら。

 彼はもう、自分のためでしか力を使うことはないだろう。


 『王冠』の力は、そんなもののためにあるわけではない。少年は覚悟をしていない。本当に欲しいものを理解していない。……ずっと目を逸らし続け、最終的に何も得ずに死んでいく。


 私はそんな人間に、『王冠』の力を授けたのだろうか。


 ──いや違う。彼はそんな人間では無いはずだ。

 だから、もう少し玉座の横で見守らせてもらおう。そして、代理人の瞳で見定めよう。


 これからの戦いで少年が掴むもの、少年が欲することがどれだけ美しいのか、どれだけの光が見えるのか。

 その光を、どのように切り拓いて手に入れるのか。


 無数の目を持つ天使の私に、その光はどう見えるのだろう?




    ☆


 いつもと変わらない朝だった。


 変わらないと言っても空は黒く、雨の音が家の中にまで響いている。その音を聞くだけで、気分が乗らない。


 雨は嫌いだ。まあ雨の日が好きと言う人は、雨の日が嫌いだと思っている人より少ないと、自分の中で思っている。だからこの感情は普通のことだろう。だって嫌じゃん、濡れるのって。気分がだるくなるというか、なんというか。


 悪い感覚。

 特に水たまりに足を入れてしまった時の「やってしまった」感が嫌だ。

「天気予報だと一週間晴れだったはずだよな」


 天気予報で思い出す。今日が月曜日だということを。


「もう、9時か」

 学校なんて別にいいや、という感情が湧き出てくる。

 それに、今日はリリンと話し合う予定だったから。少しくらい休んでも何も言わないだろう。どうせ一学期も結構休んだんだし。


 お腹が空いていたので、布団から出てキッチンへ急ぐ。


「これでいいかな」

 冷蔵庫に入っていた卵を取り出す。


「リリン、今日の朝ごはんはスクランブルエッグな」

 卵を割って中身だけ取り出し、それをかき混ぜていく。牛乳と塩を適量加えてまだまだ混ぜる。


「リリン、声しなかったけど……起きてるよな?」

 フライパンを取り出して、コンロの上に置く。


「リリン?」

 火をつける前、違和感に気付いた。



 リリンが、どこにもいないことに。



「リリン、どこだ?」

 返事なんてない。俺以外、この家に誰もいない。気付いた時にはもう、外は不穏な雨が降っていた。


 驚いた。いや、驚くことしかできなかったと言う方が正しいか。理解するのに時間がかかった。


 他の感情を呼び出さなかった。頭を回せば回すほど、今、自分に置かれた状況を理解してしまうから。

 そして、不意に恐怖が現れる。


「嘘だ。嘘だろ。嘘と言ってくれ。どうして、だってリリンは!」

 俺は家の隅から隅まで探そうとした。


 だけどそんな俺を、一枚の紙があざ笑う。


「『ありがとう、さようなら』……っ」

 その一語だけだった。それだけで、俺は。


 そこで、終わった。そこで俺は終わった。考えが飛んだ。崩れた。目の色が変わった。 

 自分にフィルターがかかった。


 最後に、その少年は少女を救うことを諦めた。



 だから少年は、ヒーローでは無くなった。

 彼は本当に成り下がった。語ることも無い存在に。

 だから、ここからの物語は何も無い少年の悪あがきに過ぎない。


 語り手から落ちた少年は、雨の街へと駆け出していく。

 もちろん、リリンの分の傘など持たずに。


 ──彼が投げ捨てた紙の裏に、小さく文字が書かれていた。


「また、あとで」


 それが彼女の──悪魔の本心だった。


    ☆


 昭城嶺は雨降る街を走っていた。行くあてはないのだろう。リリンは、昨日のように道に現れることもないだろう。

 彼はそのことを、きちんと理解しているはずだ。


「くそっ」

 理解していても、ただ走ることしか出来ない。


「どうして、リリンは俺を信じてくれなかったんだ……!」

 彼は息が切れ、歩みを止めた。歩道橋の上、どれだけの時間を走ってきたのかを確認している。


「もうすぐ、11時か」

 本格的にまずいと思っているのだろうか。スマートフォンを操作して、誰かに電話をかける。


『……なに』


「悪いな小雨(こさめ)、お前に頼みたいことがあるんだ」

 細波(さざなみ)小雨(こさめ)。彼の親友であるクラスメイトに電話をかけた。


『……私、学校なんだけど。まあ、本当は嶺も、それに湊もだけどね』

 もちろん嶺は学校に休む連絡などしていない。無断欠席だ。


「分かってるよそんなこと! だけど、これはお前にしか頼めないんだ。だからお願いだ!!」


『……はぁ。まあ良いけれど、ちゃんと学校に来ないと湊が泣いちゃうから、明日は来てね』


「いや、湊も来てないんだろ?」


『……それはそれ、これはこれね』


 必死の懇願を受け入れられてホッとしたのか、嶺は雨で濡れた手すりにもたれる。背中の湿りを感じている様子はない。


「ありがとう。早速本題なんだけど」


『……吸血鬼のことでしょ?』

 彼と彼女は出会ってからもう7年以上の月日が経っている。嶺の考えることもお見通しなようだ。


「ああ、そのことだ」


『……吸血鬼って言っても、私はそんな知識ないよ。吸血鬼の女王と人間のメイドの主従百合なら読んだことあるけど』


「いや、今回貸してもらうのは知識じゃないんだ。──厳しく言うけど、お前の百合事情は別に聞いてないからな言ってもいいけど」

 細波小雨はただの百合好き文学少女、ではないということだ。


 彼女の超常能力の名前は『爆炎砲』。そして、通り名は緋色の大雨フレイティア。発火能力系統の超常能力の成功例であり、だからこの街の中でも地位が高い。


 例えば、彼女は嶺の三倍以上の支給金を貰っている。それだけでなく、彼女には特権のようなものもある。研究価値のある人間には、人間的な価値がある。研究による精神的、肉体的苦痛を特権で回避しようとする、この街の悪い癖だ。


 でもそれが、嶺の欲しがっている彼女の力。


「監視カメラの情報から、吸血鬼の居場所を突き止めて欲しい。なるべく早く……場所は大まかでいいから」

 彼女はこの街の情報を、少しだけだが手に入れることができる。


『……いいよ。その子の容姿とか服とか特徴とか教えて』

 少し溜めた後に、彼女は嶺にうなづいた。

 容姿を教え、約束をして通話を終える。


『……その子、傘を持ってないんだよね』


「多分、な。家の傘は無くなってなかった」


『……分かった、こっちも早く見つける。だから嶺、健闘を祈る』


「ありがと、そっちもよろしく頼む。見つかったらまた連絡してくれ。健闘を祈る」

 濡れた背中を触った嶺は、もう一度走り出した。


「でもリリンは、どこに行ったんだ?」


 そのあと嶺は蓮堂みゆうに連絡をした。理由は嶺が知っている人の中で、リリンが一番世話になった人物だからだ。


『ごめんね、家には来てないの』


「そうですか。ありがとうございます」

 12時。未だ小雨からの連絡は無く、まだ何の手掛かりも得られていない。雨は勢いを弱めており、ビニール傘から覗く空の色は明るくなっていた。にも関わらず、嶺の心は曇ったまま。

 少年は焦燥感に駆られながらも、ドリンクゼリーを胃の中に流し込んでいく。


「リリン……どうして、いなくなったんだよ」

 悔しいというよりも、苦しいという気持ちが大きかった。嶺は手を離したつもりはなかった。ずっと抱きしめていたはずだった。それなのに、彼の前から消えていった。そのことにとても胸を痛めていた。


「俺はリリンのこと、信じていたのに……っ!」

 リリンが嘘をついていたと、彼は思っているのだろうか。けれど彼は、リリンは嶺に嘘をついていないと思っているように見える。


 嘘なはずがない。自分の大切にしていたリリンが嘘をついているはずがないと、少年の思考は足音と共に加速していく。


「違う、違う! 違うんだ! 俺は! 俺は嘘なんてついていない! それなのに、どうして! 俺は、救われない!」

 走る、何も考えずに。走る、どこかに向かって。


    ☆


 高架下、少年は足を止めた。暑さの残る陽の光が雨を落とし終えた雲と橋脚の隙間から差し込まれる。夕方と昼の間の光は、地面と二人の超常能力者を明るく照らしていた。


「──待てよ」

 嶺はすれ違い様に少年に手を掴まれた。


 彼の目に戸惑いはなかった。憤り、と呼ぶべきだろうか。いや、そんな言葉では表せないくらいの、焦りと怒りの混ぜられた感情。


 彼は、大きく息を吐いた。そしてもう一度息を吸って。


「手を離せ、ブロック!」

 背中に黒い物を背負った少年、ブロックが嶺の手を仕方なく離す。しかし歩き始めようとした嶺を、少年の鋭い眼光が貫く。


「待てッ!」


「どうしてお前を待たなきゃいけない。お前はもう、リリンのことを棄てたんだろ」

 その言葉に、ブロックは地面に目を向ける。昼下がりの陽光がアスファルトにあたり、白く書かれた標示が目を焼くように反射させる。


「……ああ、棄てたよ。ボクはリリンを棄てた」


「だったら、お前は黙ってろよ」

 嶺はもう一度足を進めた。決意、というよりかは意地に近かった。どうして目の前に彼が現れたのか。どうして今目の前にいる奴が、棄てたリリンに執着するのか。とても苛立ちを感じている表情を見せた。


「もう、無理だよ」

 ただし、ブロックのその言葉でまた止まる。

 意地だった。感情だった。理屈なんてもう生まれてこなかった。言葉で飾れなかった。だから、思ったことだけ口にした。


「そう、かもしれない。だとしても、俺の想いは絶対に無駄じゃない」


「全部、無駄なんだよ! どんだけ頑張ったってもう無理なんだ! リリンが……悪魔が目覚めた時点で、もう終わりなんだ」


 悪魔。その言葉に嶺は憤慨する。ふざけるな、と。どうしてなんだ、と。


「悪魔だったら、なんでそんな!」


「半分は、悪魔崇拝が基盤の研究組織の仕業だ」


「は?」

 ブロックは自分の服を脱ぐように、ゆっくりとベールを剥がしていく。呟かれる言葉に、嶺は困惑と不安と怒りをもう一度持つ。


「ボクの、ボクたちの所属だ……お前もどっかの研究所に所属してんだろ」


「まあほぼ名前だけだけど、所属はある」


「……ボクたちの所属は、ドイツとデンマークの国境。第五管理都市フータに本拠を構える、悪魔崇拝が基盤の魔法研究組織『ダンド』」


「悪魔、崇拝?」

 悪魔崇拝という言葉を聞いて、嶺がはじめに出てくるものは、フィクションの中の異常者集団。


「なら……その、リリンはお前らが崇めている対象ってことなのか? それならなんで殺そうとなんか」


「リリンを、崇めているわけじゃない。それと、悪魔崇拝という言葉だけで、絶対的な悪だと結びつけないでくれるかな。ボクたちの研究所は、『悪を以って悪を制す』がモットーなんだ。魔法研究もその一環」


 少年の、目の色が変わった。


「だったらお前は、それを制せてないだろ」


「……なんだと?」


「確かに、魔法って奴──あれだろ? ギター使う奴。それ()()()すごく強かった」

 だけど、と嶺は言葉を重ねる。畳み掛けるように正論のようなものを吹っかけていく。それは怒りで考えることも忘れた、心だけの言葉の拳だ。


「だけどそれだけだったら、お前は悪を使うことも、それを打ち倒すことも出来ていない! リリンを諦めて、簡単な方に歩いていってる! それに、リリンとお前とフェルナーグはみんなお前の仲間ってことだよな!」


 ブロックは小さくうなづいた。不服そうに、苛立ちの募った目を向けながら。

 しかしその目が、嶺の言葉でただの怒りに変わっていく。


「なら、どうしてお前は何もしない? どうしてお前は邪魔をする! フェルナーグが家に来た。知っていたか?」


「フェルナーグが、そんなことを」


「あいつにはあったぞ、リリンを殺さないで救う方法を見つけようとする思いが。どうにかしてリリンを助けようとする意思が! ──お前はどうなんだよブロック! お前には、その意思があるのかよ!」


 嶺はブロックから、リリンを助けようとする意思を感じていなかった。初めて敵として対峙した時、嶺はブロックがリリンの仲間だということは一切考えなかった。それはリリンが襲われているからというわけではない。


 ブロックから、リリンを思う気持ちは感じられなかったから。初めから負けていたから。


「あるさ」

 それでもブロックは吐き続ける。


「ある……あるんだよ!」

 自分は諦めていた、目の前の嫌な奴はまだ足掻いている。そんな状況に、何もできない自分に、彼は怒っていた。


 拳を握った、心臓を掴んだ、唇を裂いた。ブロックにとってはそのはずなのに、嶺はそれを否定した。足掻いてきた結果を、吐きながら下した決断を、何も知らない赤の他人に否定された。


 悔しい、ふざけるな、お前に何がわかる。気持ちは、爆発した。


「あるに決まっている! そのために、ボクは本部の命令蹴ってリリンを殺さなかった! そのために、療養で来てたはずのこの街に残ってリリンを探していた! あいつが小さくなってもう四日。異常事態で、そして非常事態なんだよ!」


 今度は彼の番だ。吐くのはブロックだけではない。……考えてもいない正論を、美しい言葉を振りまく少年。


「それなのに、ボクは君を信じて預けていたのに! お前はリリンから手を離した!」


「それ、は! そんな、信じてたなんて言われたくねぇ!」

 彼の声が、嶺にはグサリと刺さる。


「お前も、ボクと同じだ。結局何も助けられない、お前には誰も救えない! そうだろ!」

 お前も同じだ。その言葉は、そして今までの嶺の発言は、全部嶺にも言えることだった。それを悟った嶺の表情は、言葉とは裏腹に引きつっていた。


 助けようとする意思はある。だが、その理由と方法は見つからない。嶺の心の中にも『リリンは殺さないといけない存在なのかもしれない』という考えは出てきていた。だけど、それを否定し続けた。


 違う、そんなはずがない、必ず道はあるはずだ。今までもそうやって人を助けてきた。そして今回も、自分なら助けられると、自分に嘘のようなもので守ってきた。そうしないと、走る足も動かないから。


 そうやって、ただ、ずっと。


「そんなはずない! 俺は救える、俺はリリンを助けられる!」


「根拠もない自信だなぁ! 昭城嶺! どうしてそんなにお前を信じることができるんだ!」

 嘘でも、言わなければいけない。それになんの裏付けもなくても、今は声を荒げて戦わなければいけない。そうやって自分に言い聞かせる。リリンを助けるために……いや、自分の力でリリンを助けるために、と。


「それが、リリンのためになると信じているから! そして! 誰かを助けることに、きっと意味があるって信じているからだ!」

 拳を握りしめる音が聞こえる。ブロックは力強く自分の手を握る。


「昭城嶺、本当に狂っているよ、お前は! リリンと会ってまだ四日、どうしてお前は命を懸けられる!」


「一度、守りたいって思ったからだ。ずっと、護るって想い続けていたからだ!」


「……そうかよふざけんなよ。たった四日で、たった四日であいつのことを想ってるなんて言うな! ボクはもう八年もあいつのことをどうにかしてやりたいって思ってんだよ!」


 ブロックは目を見開いて語勢を強め、さらに嶺に自分の思いをぶつける。



「お前には分かるか? 昔からの最高の友人が、ある日突然悪魔に奪われるなんて。お前には分かるか? 元の人間みたいになるには、その友の記憶が消えないといけないなんて。元の記憶が戻る保証もない、実例もない、信用できない! それなのに、いつか治るなんていう一抹の希望に縋るしかない! だからボクが、それをぶっ壊さなきゃいけなかった!」



 嶺はだんだんと、自分が言っていたことに気付いてきていた。ブロックの言うことは、確かに最良のことを行った結果なのかもしれないと。


 だけど、それでも考えを曲げられなかった。ブロックを倒して先に行く。ブロックに勝って先を急ぐ。頭から追い出そうとしても、そのことが頭から離れない。


「さっきまで笑い合っていた友が記憶をなくして、自分のこと綺麗さっぱり忘れるなんて! お前に、理解できるか?」

 だからその言葉は、今の嶺には届かなかった。


「俺はお前の気持ちが分からない。だって、思い出はまた一から作り直せばいいだろ! 別に、俺たちみたいに最初から敵だったわけじゃないんだろ! ならそれを、その思いをしっかり話して、ちゃんと面と向かって話をしてやれよ!そうすれば少しは──!」


「理解できない? 話せばわかる?」

 嶺は、理解した。自分が地雷を踏み抜いてしまったと。それも対戦車レベルの巨大な威力の地雷。一番言われたくない奥の奥。自分はそこに裸足で足跡をつけてしまったのだと。

 もう遅かった。ブロックはもう抑えられなかった。



「もう何回もやった! それに思い出なんてもう何度も何度も作った! リリンが記憶失くしたのはこれでもう何回かも忘れた! リリンは全部忘れる。ボクも、フェルナーグも、ダンドのみんなも! その度違う思い出で埋め尽くした! 消えるたびにそれ以上の優しさを渡した! なのに、その思い出は消えていく。来年かもしれない、来週かもしれない、明日かもしれない、一秒先の未来かもしれない。ボクはもう、そんな思いで生きるなんて無理だ! そんな生活ずっと続けてたら、いずれこっちがすり減って、俺たちが死ぬ!」



「俺が優しさで押し潰してやれるくらいの愛を、与えられるなんて思ってない。それでもリリンは、今のお前らじゃ救えない! だから俺がリリンを助ける、俺がお前らの代わりにリリンを理解する!」


「そんな、ちっぽけな思い……そんなもので! ボクの前で! お前がリリンへの想いを語るなんてふざけんじゃない! そんな気持ちで、ボクの前に! 立つなーッ!!」


 ギターの音が地面に反響した。ブロックの背中から無数の楽譜が撒き散らされる。


 ブロックは懐から一枚のピックを取り出して、それを空へ掲げる。そしてそのまま、ピックは自分から宙に浮き始める。


「巨人か、また会ったな!」


「──11弦を解放せよッ!」

 楽譜が音を立てて舞い、宙に身体を形成していく。背中に巨人が現れ、それが嶺に向けて拳を振り抜く。


「避けるか、昭城嶺!」

 嶺は王冠の力は使わないで、自分の体だけで攻撃をいなす。もう一歩前に足を出し、ブロックへだんだんと近づいていく。


「あいつのところに行く。どいてくれ!」

 無造作に振るわれる腕を、本気で避けて前に進もうとしている。その姿を見てブロックは心と頭、そして身体の痛みを感じていた。精神からすり減って、目の前の諦めを感じさせない少年が視界から離れない。


「リリンは! 今のリリンは、リリンじゃないんだよ!」

 ブロックは勢いで吐露した。その言葉を聞いても嶺の足が、そして心が止まることはなかった。


「今のリリン……それって、悪魔のことなのか?」


「ああそうだ、それの事だよ!」

 嶺は腕をもう一度避ける。しかし、今度は巨大な腕が非力な左上に擦れた。怪我ギリギリの場所をさすった嶺は、少しだけ安堵するとともに言葉を続けていく。


「だから俺は、それをいま取り除こうと──」


「そう思うだろ。取り除けば今からでもどうにかなると思うだろ、違うんだよ。もうリリンは、あの悪魔の手に完全に堕ちているんだよ!」


 その事実は、嶺の頭の中をぐちゃぐちゃにして飛び去っていく。助けるために何かをしてきたはずなのに、そういう気持ちが高まってしまう。


「っ、なら今のリリンは!」


「リリンという存在は、もういない。君の守っていたリリンには、あの時の面影すら残っていなかった。だけど、ここに療養に来たリリンには、僕と同い年のリリンには! まだ、彼女の面影があったんだ!!れ


 嶺とリリンが初めて会った時、リリンは昨日よりもっと大人びていた。そのはずだったが、嶺の王冠の力がそれを妨げた。


 嶺は何かを大人リリンから隔離した。


「なら、どうしてリリンがもういないって思ってんだ! なら、中で眠ってるリリンは顔を出せるはずだ!」


「リリンという存在はもういないよ。少なくとも、ボクの中にはもう、ね」


 そこで、嶺はハッと気がついた。それは目の前の少年が、自分に嘘をついているということだった。嶺は分かってしまった。だから、自分が迷っていても退かない。迷いを正す人間が、迷っていけない道理は無い。


「なんにも、想って無いじゃねーか、おまえはリリンから逃げてんじゃねーか! ブロック、お前の心にリリンは残っていない。それを分かっているくせに、お前は自分から変わろうとしてない! 頭にくる!」

 歯軋りの音が嶺にまで聞こえた。怒りと、怒りがぶつかって大きな力を作った。


「ッ、黙れ。うるさい、鬱陶しい、頭にくる! お前もう黙れ、昭城嶺ッ!」

 巨人の腕が振られる。嶺はそれを左手だけで受け止めた。


「なに、が!!」


「俺、非力だからさ、強くなりたかったんだ」


「まさか王冠で、『非力』を『剛力』か何かに……!?」

 嶺は首を横に振った。左手が悲鳴を通り越して断末魔を叫び、骨が折れるギリギリの状態になっていた。さあれども、右の拳は握られていた。力強く、けれど迷いもある、背反した二つの思いを混ぜて。


「俺も、欲しかったよ。そんな、なんでも助けられるような力がさ……俺には、そこまで考える余裕なかったよ。でも、でもな。力を使わなかったのは、忘れてたからじゃない!」


 力を込めた左手は、能力も何も発動していなかった。

 

「こんな借り物の力で、王冠の力で、お前を殴ることなんて絶対に違う! そんなことをしたら、お前の選ぶものが霞んでしまうからな! だからこれも、俺の本気だ!」

 巨腕が地面を抉る。全ての力を受けた左腕が変な方向へと曲がった。嶺はそれに見向きもせず、ただ一回のチャンスに懸ける。


「俺が選んで、お前が欲しかったものってのはッ!!」

 だから飛んだ。足を一歩前に踏み出し、大地を蹴り、拳を引いた。


「一歩踏み出す、勇気だろうがッ!!!!」

 嶺の想いは爆発して、拳が少年の顔面を殴打した。その勢いでブロックは後ろへと飛ばされる。巨人は制御を失って崩れ落ち、辺りには黒い線の入った紙がバラバラで無造作に撒き散らかされた。




「俺はお前じゃない! だから、お前が何をするのかなんて分からない!! 何を見てきて、何を考えて、何を守ろうとして、何を失ったかなんて分かるわけないだろうがッ!! でも、俺はあいつを救いに行くぞ。損得とか、理由とかは二の次だ!!」


「何がそんなに、お前を突き動かす!」


「俺は、リリンを助けたい! だから、助けに行くんだよ!! ──ブロック、お前はリリンを助けたいんだよな!! なら、やることはもう決まってんだろ!」



 嶺はブロックの服を掴んで引っ張り上げる。


「少しだけ気づいたよ、少しだけ分かったよ。ブロックのこと殴ったら、お前の言ったことを、分かろうって思ったよ。きっとリリンは、俺だけじゃ救えないんだろうな」

 目を、見据える。


「だけど、お前だけでも救えないんだろ!」




 バチンッ! と何かを叩く音が響いた。


「俺だって──俺にだって勇気が欲しいよ!」

 嶺は、ブロックに殴られていた。拳は勢いよく顔面に突き刺さっていた。彼は思わず、吹き飛ばされそうになる。


「手は、命よりも重いって……」

 ブロックは言っていた。ミュージシャンは手が命だと。だから、前に戦った時も足を使って嶺の拳をいなしていた。しかし今はその命よりも大切な拳が、命よりも大切なものを守るために振るわれる。


「ボクはもう迷っちゃいけないんだよな、昭城嶺! だから今ボクは、命より重いものを懸けたんだ!! ……懸ける価値が分かった、気がするだけだけど」


「ブロック……」


「昭城嶺、お前だけじゃリリンは救えないよ。というかボクは、救うなんて無理だと思ってる」


 念押しをして、自分は力を持っていないと話す少年。しかしその目には、今までになかった輝きがあった。年相応……と言えばいいのだろうか。その年代で普通、らしくない思いの少年から、らしい自信と勇気が湧き出てきていた。


 嶺はその言葉に心が揺らいだ。ブロックは本気でリリンのことを思っているのだと知ったからだ。そして、自分はまだ答えを決めていないことに気が付いたからだ。彼の顔は明るかったが、彼の目の中はまだ暗いままだった。


 でも、少しだけ希望も持っていた。


「だけど俺と一緒なら。俺たちが一緒なら、出来るかもしれない!」


「うん、ボクも同じさ。だけどボクは、そんな希望的な保証はできない。できる、と無責任に声に出せない。だから……代わりに彼女が言ってくれるかもしれないな」


「──彼女、ってまさか?」


「そう、彼女だよ」

 橋脚から顔出して、こちらを見ている影があった。その顔を見て、嶺は少しだけ顔を明るくする。


「だから、見てないで早く助けてよ。フェルちゃん」


「──しっかりと決めましたか、ブロック」

 二人のところに歩いてきたのはチャイナドレスの女。つまり、フェルナーグ=ナレンジだった。


「フェルナーグ、どうして?」


「私だって、リリンのことを思っています。あなたとブロックの喧嘩を見て、もう一度それに気がつきました。2人とも、ありがとうございます」

 フェルナーグは嶺に向けて深く頭を下げる。


「いや、そんなありがとうなんて……」

 たじろぐ嶺を見て少し目を細めた後、彼女は真剣な声色で二人に話しかける。


「もう時間がありません、リリンの……いや悪魔が目覚める時間まであと一時間と少し」


「車の手配は」

 同じ所属の二人はすぐに事務的で切羽詰まった会話に戻れるが、横にいる嶺はついていけない。


「車って、それに悪魔が目覚めるって!」


「話は後だ、昭城嶺。悪いが説明は後になる」


「わかった、後でしっかり聞くよ」

 ブロックの問いに、フェルナーグは即座に反応する。


「フェル、車は?」


「そこに停めてあります」


「流石だ。用意がいいな」


「まあ、当然です。……なんですが、わたしは行き先がわかりません。なのでそこまで流石ではないですね」


 嶺はそこで顔を上げ、自分も仲間だということを再確認させる。


「小雨からのメッセージはもう来てる。リリンの大体の居場所は、位置的には三十分前程度だけど、多分わかる」

 得意げに、スマホの画面を見せた。


「ありがとう昭城嶺。それじゃ、行こうか」

 三人の心は、きっと同じだ。


 リリンを、悪魔の手から助けに行こう。

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