表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/16

11 悪魔は嘘をつかない


 目が覚めても、やはりここは蓮堂先輩の家に変わりは無かった。


「あれ、蓮堂先輩?」

 目が覚めても、頭が膝の上にあることなんて一億回に一度レベルで無いことだ。同様に、俺は床の上で目を覚ました。


「やっと起きたかぁ」

 さっきまで全裸だったはずの蓮堂先輩が、昼来た時と同じジャージを着ていた。


「先輩、やっぱ全裸の方が可愛いですよ」


「嶺くん、もう一回頭打つ? それとも一回死んでみる?」

 冗談ですよ、と笑って立ち上がる。もちろん、真っ先に探したのはリリンだ。


「おきた?」

 リリンは椅子に座ってくつろいでいた。何事も無かったかのように。服も今日は昨日買ったあの少し焦げた服。もう模様やダメージ加工にしか見えないが、あれは本当に燃やされているのだと思うと、ブロックに対しての悔しさがこみ上げてくる。


 なので、その考えを消そうとせっせと無言で台所へと足を運ぶ。

 二人とも、俺がご飯作るの当たり前って思ってるんだろうなと、少し寂しい気持ちもある。

 淡々と用意は進み、そのまま食卓へ。気絶する前の喧騒が嘘みたいに、リリンと蓮堂先輩は静かに飯を待っていた。……そこまで飯が食いたいか二人とも。


 それは飯を食べた後も続いていた。無言……とは言わないが、どこかよそよそしい二人。それを見てたら、俺もここにいるのが少し辛くなってきた。


    ☆


「蓮堂先輩、お風呂借りますよ!」

 笑いながら風呂場にに入っていく。服を脱いで風呂のドアを開ける。シャワーを頭の上からザーッと体全体に行き渡らせていく。

 汗が流れ落ちていくのを感じた。思わず感嘆の声が出てくる。切り傷は殆ど塞がっているが、ヒリヒリと痛みを感じてしまう。

 その残痛が嫌な気を放っている。耐える痛みより、内から湧き出る苦が不安を煽る。


 だけどそれ以上に期待もあった。先輩はリリンから何か聞いたのかもしれない。あんだけ戯れあってたんだし、多分俺より仲良くなってない!? なんか嫉妬ーっ。



 彼女がもし……もし、リリンを殺さないといけないような何かに気づいたら? 彼女のカンに、助けられたこともあった。もしかしたら、もしかしたらだ。



 でも、嫌だな。

 リリンを救うのは俺だと、あの時俺は、俺に向かって啖呵を切った。その思いを、無かったことにはできない。それでは自分に、嘘をつくことになる。


 シャワーから水が規則的に落ちていく。垂れているその水は、心を落ち着かせるのにちょうどいい。落ちて落ちて、ゆっくりとフロアに溶けていく。


「ふぅ……」

 落ち着いてきた。何聞いてももう大丈夫だ、隣にリリンもいることだし。

 着替えは無いので、朝着てきたものと同じ服を着る。不衛生かもしれないけど、この家には女物の下着しか無いし仕方ない。……流石に着られない、俺はそこまで変態じゃないし、そもそも変態以前に犯罪だろ。




 家の中は静かだった。やけに、とても。


「おーい、二人ともいるだろ?」



 ダイニングに、一人の少女が座っていた。


「嶺くん」

 蓮堂先輩だ。慈愛と呼ぶような感情を想起させるその瞳が、俺の足を止めさせる。


「──蓮堂先輩。リリンはどこにいますか?」

 返事がなかった。……あの顔だ、リリンが何処かに隠れて潜んでいるとは思えない。


「先輩、リリンは」


「少し、話をしよっか」

 答えになってなかった。少し、憤りの感情が湧いてくる。


「リリンは」


「出てった」

 簡単に、吐いた。簡単に、その言葉を言ってきた。


「嶺くん?」


「探しにいく」

 玄関に向けて歩き出す。

 その腕を、蓮堂先輩は掴んだ。


「離してください」

 離さなかった。とても静かだった。早くリリンを見つけないといけないのに。こんな夜に、家から出すなんてダメなのに。


「離して」


「話を聞いて」

 ウザったらしかった。蓮堂先輩が、俺とリリンのことを離しているように見えて、怒りが込み上げてくる。


「──離せよ!」

 掴まれていた腕を投げ離す。その勢いで、蓮堂先輩は飛ばされるように倒れ込む。


「あ……ごめん、先輩」

 先輩は優しく微笑みかける。その顔が、俺の足をまた止めてしまった。


「リリンちゃんのこと、分かったよ」

 少しだけ聞いていってと、ジャージの先輩は口を開く。


「あの子から沢山の『闇』を感じた」

 言葉はまだ続く。俺は理解も出来ないまま、動くことも出来ない。


 彼女の能力は、精神の感応を増大化させる力。それは、他人にも有効だ。


「彼女は……リリンは、人間じゃ無い何かなんだ。そして、人間だった何かなんだ」


「人間だった……何か」

 そこでふと思い出す。


「悪魔……」

 ゾッとした。


「リリンちゃんが、言っていたよ。……君に、本当のことを話すのだけは、やめてって言ってた」


「教えてくれ、先輩」

 先輩は首を振った。ただまっすぐと見つめてくる。


「──リリンちゃんが答えたのは、一つだけ」


 彼女に託されたことは一つ。それは簡単なことで、そしてとても悔しかった。


「リリンちゃんは嶺くんと、明日の夜まで会わない」

 簡単なことだった。だけどそれを行っても、この問題に収集がつくというわけでは無い。


「時間が、君たちの……リリンちゃんの気持ちを、落ち着けられるのかもしれない」

 それに従っても、今現時点での結果しか得られない。


「だけど、俺は!」

 決めたじゃないか。リリンの物語を、しっかりと救うと。


「探しに行くんだよね? わかってる。だってこれは、私の出した最適解だから」


「ああ、先輩を助けた時みたいに、今回もきっと長くなるかもしれない。また、思うようには行かなそうだな」


「分かった……うん、分かったよ」


 ──だったら、大丈夫だね。

 そんな言葉を言いたそうな顔をしている先輩を横目に、俺はもう一度歩き出す。


「リリンちゃんのこと、よろしくね」

 彼女の言葉が耳の中に入ってくる。俺はその言葉を無限に等しく咀嚼して、蓮堂先輩の家から出て行く。


「ありがとう。────ごめんね」


    ☆


 蓮堂みゆうは泣いていた。彼女は、大切な人の力になれなかったことを悔いていた。


「ごめんね、嶺くん……っ」


 あの子は、あまりにも大きなものを背負っていた。それを一介の、それもまだ勉強中の身では何もできない。精神なんてもんじゃない。教科書にも、参考書にも、ましてや講義にさえ無い。論文にすらなってない。──ここまで大きな闇に、どう声をかけたらいいかなんてわからない。


 ただ彼女が『人間ではない何か』であることはわかった。それは……悪魔。


「あまりにも、大きすぎる──」


 遠すぎた、わたしには。でも嶺くん、君は。



「君なら、大丈夫」


 明確な思いがあった。きっと大丈夫だ。


 わたしも、彼に救われたから。



    ☆


 リリンがすぐに見つかるとは思っていなかった。

 俺が風呂に入っていたのは約十五分、蓮堂先輩と話して約七分。おおよそ、二十分ほどリリンは先に出ていった。


 どこにいるかなんて分からない。


 右に行ったか、左に行ったかも分からない。


 もしかしたら飛んで上に行っていることだってあり得る。

 どこに行ったとか、どこへ向かっているとか、そんなのは分からない。

 だけど、一つだけ分かることがある。


 リリンは、自分の意思で俺から離れていったということ。


 走った。そんな考えを吹き飛ばしたくて走った。どこに居るとか、どこに行ったとか。そんなことよりも先にこの考えを吹き飛ばしたかった。


 嫌だ。リリンに気を使わせたことがとても嫌だった。別にいいんだ、俺のことなんて。リリンが……あの子が笑えるようにできれば、それでいいのに!


 声が、聞こえた。


「本当に?」

 そこに、『何か』があった。黒い渦を巻く、『何か』が。

 道端とは言えない。だけどここはただの道路だった。そのはずなのに、どこか別の世界という感覚だった。


「本当に、それだけなのか?」

 響いた声だ。ガンガンと、バクバクと。


「ああ、それだけでいい。あの子が笑えるような、そんな物語を作る!」


「嘘だ」

 言葉は冷酷だ。


「嘘じゃない、本気だ!」

 『何か』の声は止まない。畳み掛けるように俺を潰していく。


「ならどうしてあの時、フェルナーグ=ナレンジを殺さなかった?」


「────っ!」

 フェルナーグ=ナレンジ。今日の夜の問答の話だ。目の前の『何か』は、そこさえ知っている。俺の心を、全て見透かされているかのようだった。


 目の前の渦に何者か、ということを切り出す暇もなかった。何者でも、俺の答えは変わらない。


「本当か?」


「ああ、俺の気持ちは変わらない。リリンを救うために、俺はここにいる!」


「では、お前の心には無いのか?」

 そんなことお構いなしに、その『何か』は言葉を続けていく。


「お前の心に欲はないのか?」

 欲。その言葉が、俺を大きく動揺させる。


「無条件に誰かを救いたいという感情は、お前には重すぎる欲ではないのか?」


「重、すぎる?」

 『何か』の言葉はナイフというより、包丁のように太かった。一言一句が俺をえぐり取り、捨てていく。


「お前はどうして()()を救いたい?」


「それは、救いたいって思ったからだ。だけど!」


「ほんとうにそれだけか?」

 アレという言い方に憤るが、目の前の『何か』が強大すぎて見ることもままならない。何かが渦を巻いていることだけは分かるが、それでも殴りに行ったりもすることができない。


「ああ、それだけで十分だ」


「ほかにないのか? もっとこう、助けた後に願いを聞いて欲しいとか……例えば、アレと姦淫したいとか」


「そんなものは、ないよ」

 笑った。『何か』は笑っていた。この世全ての嘲笑を煮詰めたような、世界さえあざ笑うような黒い声で。


「ふはは! お前は、本当に救えないな!」

 目の前の渦が霧散する。低次の存在になったかのように、急に目の前の『何か』の輪郭が現れてくる。


「救えないなら、お前に教えてやる」


 その『何か』には羽があった、蝙蝠のような禍々しい翼が。その『何か』には牙があった。地獄の外殻に、穴を開けるためにあるように。その『何か』の頭には、突起したツノが生えていた。不吉なものを呼び寄せるような禍々しさが、辺り一面に渦巻いていく。『何か』は宙に、だらしなく枝垂れていた。


 それは、この街のオカルトから外れた、超常的怪異。

 頭に浮かんできた言葉は一つ。




 『悪魔』。




「なっ、リリン!?」

 目の前の『何か』は、リリンの形をしていた。


「形ではない。これが、我なのだから」

 リリンの声と、何者かの声が重なる。


「い、いや違う。リリンは──リリンをどこにした!」

 怒っていた。だけど、足が動かなかった。


 金縛りではない。目の前の奴が何かしているわけではなかった。だけれども、動かすことは出来なかった。


「リリン……か。もちろんそれはここにいるではないか」


「違う! お前はリリンじゃない。お前は……悪魔だ」

 その言葉に、もう一度笑いだす。それが本当に頭にきた。それが本当に心にきた。


「悪魔! お前は我を、そのように認識するか!」

 息が荒くなるのを感じる。怒りが込み上げてくるのを感じる。我を忘れて飛びかかりたい。我を忘れて殴り込みたい。だけど、できない。


「できない理由は簡単だろう? それはお前が、お前のために戦っているからだ」



 保身。──ただの自己満足。



 俺は言い返せなかった。確かにそうかもしれないと、一度思ってしまったから。


 でも、言いたいことはあった。脈絡とか無視して、とりあえず目の前の野郎に言いたいことがあった。


「そろそろリリンから出てけよ」


「──救えないねぇ、我でも」

 飄々とした声が、意識のないリリンから発せられる。


「何がしたいんだよ……! リリンを乗っ取って何がしたいんだよ!」


「のっとる? 馬鹿馬鹿しいな。そもそもリリンは、我のために生まれ出できた命。それをどうこうしようと、我の勝手だろ?」


「んなことが通ってたまるかよ! リリンは、リリンの気持ちは! リリンは、お前のことなんて少しも思ってない!」

 そんな言葉も、全て引き裂かれる。


「確かにそうだな。ああ、お前と同じだ。お前と同じでアレのことなんか、これっぽっちも考えてない」

 それは嘘だ。それは間違いだ。それは紛い物だと。


 悔しかった。言い返しても、その全てが真でないと見透かされている。

 いや、それが悔しいんじゃない。


 ────心から反論できないこと。反論することのできない自分が、ものすごく悔しかった。


「そうだろ? お前も我と同じで」


「悪魔と一緒にするな」

 本題とは別のことに反論することで、どうにか心を保っている。

 俺はそれでしか、リリンを助けているという感覚になれないから。


「そんな脆弱な覚悟で、悪魔なんかを救おうだなんて……やはり、お前は救えないよ」

 それでも。


「リリン! リリン! いやぁ、この身体はいいなぁ! 人間でないのだから、悪魔と呼ぶべき我でも自由に扱える!」

 脆弱だからこそ。


「お前には感謝してるよ。ブロックとフェルナーグから守ってくれてありがとう」

 存在を否定したい。目の前の存在の言葉を、ぶっ壊したい。その考えを、その口を、その言葉を。


「こんな! 悪魔のために──」






「リリンは、悪魔なんかじゃない」




「リリンは、悪魔なんかじゃない。お前はお前だ。だけど、リリンはリリンで、ちゃんとそこにいる」


「──そうか。気付いたか?」

 目の前にいるのはリリンだ。そして、今俺が話しているのは、リリンの周りにある渦。


「お前はリリンなんかじゃない」

 だって、後一言を、噛み締めるように添える。


「リリンは、人間だ! 悪魔でも、吸血鬼でもない。あの子は俺と同じ人間なんだろ!」


 ──我は、嘘はつかない。


 そんな言葉が聞こえて、黒い渦は消えていく。どこへ行ったかはわからない。リリンの中に入っているのかもしれない。

 それでも今は。


「リリン、大丈夫かリリン!」

 宙から落ちたリリンをすんでのところで抱っこする。

 返事はすぐにはなかった。


 揺する、触る、問いかける。数分でリリンの意識が回復していく。


「れ、い?」

 ──ごめん。

 そんな言葉、聞きたくなかった。だけど今は。


「どうやら、俺とお前は近くにいちゃいけないらしいけど。これから、リリンはどうする?」


 よく言えたなと自分でも思う。今までなら、問答無用で連れ帰っていたと思う。

 リリンは、はにかむように呟いた。


「かえろう、れいのおうちに」


    ☆


 疲れが急に押し寄せてきた。

 だけど、リリンのことしか考えていられなかった。


「へ?」

 俺はリリンに抱きついた。ベッドの中、落ちゆくまぶたに抗いながら。


「リリン。俺、必ずリリンを──」


「うん」


「リリンを、絶対に助け出す。悪魔なんか、俺がぶっ潰してやる……!」


 目の前に迫る無意識を殴りつけるように、歯を食いしばって宣言する。


「……ありがと」

 リリンの言葉は、今の俺には甘過ぎた。すごく痛かった。心というか、なんというか。少なくとも、楽に聞き流していい言葉ではなかった。


 俺の中にあるこのクソでかい感情を、どう処理すればいいんだろう。

 分からない、けど。


「リリン、俺……嘘ついてないよな」

 こんなことを言うくらいにはテンパってしまっていた。



「うん、れいはそんなことしない。だって、わたしのことたすけてくれたから」



 月明かりが差し込み、彼女の表情があらわになる。リリンは笑っていた。


「リリン」


「ん、なに?」





 ──リリンは、嘘ついてないよな。

 そんな言葉を心の中に仕舞う。そんな考えを頭から追い出す。


 結局、言えない。結局、分からない。考えても出てこない。

 リリンが嘘なんかついているはずがない。分かっている、そんなこと。分かっているはずなのに、どうしても彼女のことを疑ってしまう。


 この子は悪魔だ。いや、悪魔なのはこの子の中に潜んでいるものの方だ。

 リリンが悪魔だという考えを払拭しきれない。だってその容姿は、今思えば明らかに悪魔そのものだから。


「れい?」


「ああ。今日はもう、おやすみ」

 俺は睡魔に身を委ねた。忘れるように、逃げるように。


 朝起きたら、リリンと一緒にこれからのこととか決めよう。そう思って、明日に想いを馳せながらまぶたを閉じて、ゆっくり、ゆっくりと眠りに落ちていく。


 深く深く、狭く狭く。下層一点に向かうように。一つの終わりに触るように。


 明日も、()()が続くとも知らずに。



 明日まで会ってはいけない理由が、大変なものとも知らないで。


 リリンが、本物の悪魔であるとも理解しないで。

よろしければブックマーク、評価よろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ