11 悪魔は嘘をつかない
目が覚めても、やはりここは蓮堂先輩の家に変わりは無かった。
「あれ、蓮堂先輩?」
目が覚めても、頭が膝の上にあることなんて一億回に一度レベルで無いことだ。同様に、俺は床の上で目を覚ました。
「やっと起きたかぁ」
さっきまで全裸だったはずの蓮堂先輩が、昼来た時と同じジャージを着ていた。
「先輩、やっぱ全裸の方が可愛いですよ」
「嶺くん、もう一回頭打つ? それとも一回死んでみる?」
冗談ですよ、と笑って立ち上がる。もちろん、真っ先に探したのはリリンだ。
「おきた?」
リリンは椅子に座ってくつろいでいた。何事も無かったかのように。服も今日は昨日買ったあの少し焦げた服。もう模様やダメージ加工にしか見えないが、あれは本当に燃やされているのだと思うと、ブロックに対しての悔しさがこみ上げてくる。
なので、その考えを消そうとせっせと無言で台所へと足を運ぶ。
二人とも、俺がご飯作るの当たり前って思ってるんだろうなと、少し寂しい気持ちもある。
淡々と用意は進み、そのまま食卓へ。気絶する前の喧騒が嘘みたいに、リリンと蓮堂先輩は静かに飯を待っていた。……そこまで飯が食いたいか二人とも。
それは飯を食べた後も続いていた。無言……とは言わないが、どこかよそよそしい二人。それを見てたら、俺もここにいるのが少し辛くなってきた。
☆
「蓮堂先輩、お風呂借りますよ!」
笑いながら風呂場にに入っていく。服を脱いで風呂のドアを開ける。シャワーを頭の上からザーッと体全体に行き渡らせていく。
汗が流れ落ちていくのを感じた。思わず感嘆の声が出てくる。切り傷は殆ど塞がっているが、ヒリヒリと痛みを感じてしまう。
その残痛が嫌な気を放っている。耐える痛みより、内から湧き出る苦が不安を煽る。
だけどそれ以上に期待もあった。先輩はリリンから何か聞いたのかもしれない。あんだけ戯れあってたんだし、多分俺より仲良くなってない!? なんか嫉妬ーっ。
彼女がもし……もし、リリンを殺さないといけないような何かに気づいたら? 彼女のカンに、助けられたこともあった。もしかしたら、もしかしたらだ。
でも、嫌だな。
リリンを救うのは俺だと、あの時俺は、俺に向かって啖呵を切った。その思いを、無かったことにはできない。それでは自分に、嘘をつくことになる。
シャワーから水が規則的に落ちていく。垂れているその水は、心を落ち着かせるのにちょうどいい。落ちて落ちて、ゆっくりとフロアに溶けていく。
「ふぅ……」
落ち着いてきた。何聞いてももう大丈夫だ、隣にリリンもいることだし。
着替えは無いので、朝着てきたものと同じ服を着る。不衛生かもしれないけど、この家には女物の下着しか無いし仕方ない。……流石に着られない、俺はそこまで変態じゃないし、そもそも変態以前に犯罪だろ。
家の中は静かだった。やけに、とても。
「おーい、二人ともいるだろ?」
ダイニングに、一人の少女が座っていた。
「嶺くん」
蓮堂先輩だ。慈愛と呼ぶような感情を想起させるその瞳が、俺の足を止めさせる。
「──蓮堂先輩。リリンはどこにいますか?」
返事がなかった。……あの顔だ、リリンが何処かに隠れて潜んでいるとは思えない。
「先輩、リリンは」
「少し、話をしよっか」
答えになってなかった。少し、憤りの感情が湧いてくる。
「リリンは」
「出てった」
簡単に、吐いた。簡単に、その言葉を言ってきた。
「嶺くん?」
「探しにいく」
玄関に向けて歩き出す。
その腕を、蓮堂先輩は掴んだ。
「離してください」
離さなかった。とても静かだった。早くリリンを見つけないといけないのに。こんな夜に、家から出すなんてダメなのに。
「離して」
「話を聞いて」
ウザったらしかった。蓮堂先輩が、俺とリリンのことを離しているように見えて、怒りが込み上げてくる。
「──離せよ!」
掴まれていた腕を投げ離す。その勢いで、蓮堂先輩は飛ばされるように倒れ込む。
「あ……ごめん、先輩」
先輩は優しく微笑みかける。その顔が、俺の足をまた止めてしまった。
「リリンちゃんのこと、分かったよ」
少しだけ聞いていってと、ジャージの先輩は口を開く。
「あの子から沢山の『闇』を感じた」
言葉はまだ続く。俺は理解も出来ないまま、動くことも出来ない。
彼女の能力は、精神の感応を増大化させる力。それは、他人にも有効だ。
「彼女は……リリンは、人間じゃ無い何かなんだ。そして、人間だった何かなんだ」
「人間だった……何か」
そこでふと思い出す。
「悪魔……」
ゾッとした。
「リリンちゃんが、言っていたよ。……君に、本当のことを話すのだけは、やめてって言ってた」
「教えてくれ、先輩」
先輩は首を振った。ただまっすぐと見つめてくる。
「──リリンちゃんが答えたのは、一つだけ」
彼女に託されたことは一つ。それは簡単なことで、そしてとても悔しかった。
「リリンちゃんは嶺くんと、明日の夜まで会わない」
簡単なことだった。だけどそれを行っても、この問題に収集がつくというわけでは無い。
「時間が、君たちの……リリンちゃんの気持ちを、落ち着けられるのかもしれない」
それに従っても、今現時点での結果しか得られない。
「だけど、俺は!」
決めたじゃないか。リリンの物語を、しっかりと救うと。
「探しに行くんだよね? わかってる。だってこれは、私の出した最適解だから」
「ああ、先輩を助けた時みたいに、今回もきっと長くなるかもしれない。また、思うようには行かなそうだな」
「分かった……うん、分かったよ」
──だったら、大丈夫だね。
そんな言葉を言いたそうな顔をしている先輩を横目に、俺はもう一度歩き出す。
「リリンちゃんのこと、よろしくね」
彼女の言葉が耳の中に入ってくる。俺はその言葉を無限に等しく咀嚼して、蓮堂先輩の家から出て行く。
「ありがとう。────ごめんね」
☆
蓮堂みゆうは泣いていた。彼女は、大切な人の力になれなかったことを悔いていた。
「ごめんね、嶺くん……っ」
あの子は、あまりにも大きなものを背負っていた。それを一介の、それもまだ勉強中の身では何もできない。精神なんてもんじゃない。教科書にも、参考書にも、ましてや講義にさえ無い。論文にすらなってない。──ここまで大きな闇に、どう声をかけたらいいかなんてわからない。
ただ彼女が『人間ではない何か』であることはわかった。それは……悪魔。
「あまりにも、大きすぎる──」
遠すぎた、わたしには。でも嶺くん、君は。
「君なら、大丈夫」
明確な思いがあった。きっと大丈夫だ。
わたしも、彼に救われたから。
☆
リリンがすぐに見つかるとは思っていなかった。
俺が風呂に入っていたのは約十五分、蓮堂先輩と話して約七分。おおよそ、二十分ほどリリンは先に出ていった。
どこにいるかなんて分からない。
右に行ったか、左に行ったかも分からない。
もしかしたら飛んで上に行っていることだってあり得る。
どこに行ったとか、どこへ向かっているとか、そんなのは分からない。
だけど、一つだけ分かることがある。
リリンは、自分の意思で俺から離れていったということ。
走った。そんな考えを吹き飛ばしたくて走った。どこに居るとか、どこに行ったとか。そんなことよりも先にこの考えを吹き飛ばしたかった。
嫌だ。リリンに気を使わせたことがとても嫌だった。別にいいんだ、俺のことなんて。リリンが……あの子が笑えるようにできれば、それでいいのに!
声が、聞こえた。
「本当に?」
そこに、『何か』があった。黒い渦を巻く、『何か』が。
道端とは言えない。だけどここはただの道路だった。そのはずなのに、どこか別の世界という感覚だった。
「本当に、それだけなのか?」
響いた声だ。ガンガンと、バクバクと。
「ああ、それだけでいい。あの子が笑えるような、そんな物語を作る!」
「嘘だ」
言葉は冷酷だ。
「嘘じゃない、本気だ!」
『何か』の声は止まない。畳み掛けるように俺を潰していく。
「ならどうしてあの時、フェルナーグ=ナレンジを殺さなかった?」
「────っ!」
フェルナーグ=ナレンジ。今日の夜の問答の話だ。目の前の『何か』は、そこさえ知っている。俺の心を、全て見透かされているかのようだった。
目の前の渦に何者か、ということを切り出す暇もなかった。何者でも、俺の答えは変わらない。
「本当か?」
「ああ、俺の気持ちは変わらない。リリンを救うために、俺はここにいる!」
「では、お前の心には無いのか?」
そんなことお構いなしに、その『何か』は言葉を続けていく。
「お前の心に欲はないのか?」
欲。その言葉が、俺を大きく動揺させる。
「無条件に誰かを救いたいという感情は、お前には重すぎる欲ではないのか?」
「重、すぎる?」
『何か』の言葉はナイフというより、包丁のように太かった。一言一句が俺をえぐり取り、捨てていく。
「お前はどうしてアレを救いたい?」
「それは、救いたいって思ったからだ。だけど!」
「ほんとうにそれだけか?」
アレという言い方に憤るが、目の前の『何か』が強大すぎて見ることもままならない。何かが渦を巻いていることだけは分かるが、それでも殴りに行ったりもすることができない。
「ああ、それだけで十分だ」
「ほかにないのか? もっとこう、助けた後に願いを聞いて欲しいとか……例えば、アレと姦淫したいとか」
「そんなものは、ないよ」
笑った。『何か』は笑っていた。この世全ての嘲笑を煮詰めたような、世界さえあざ笑うような黒い声で。
「ふはは! お前は、本当に救えないな!」
目の前の渦が霧散する。低次の存在になったかのように、急に目の前の『何か』の輪郭が現れてくる。
「救えないなら、お前に教えてやる」
その『何か』には羽があった、蝙蝠のような禍々しい翼が。その『何か』には牙があった。地獄の外殻に、穴を開けるためにあるように。その『何か』の頭には、突起したツノが生えていた。不吉なものを呼び寄せるような禍々しさが、辺り一面に渦巻いていく。『何か』は宙に、だらしなく枝垂れていた。
それは、この街のオカルトから外れた、超常的怪異。
頭に浮かんできた言葉は一つ。
『悪魔』。
「なっ、リリン!?」
目の前の『何か』は、リリンの形をしていた。
「形ではない。これが、我なのだから」
リリンの声と、何者かの声が重なる。
「い、いや違う。リリンは──リリンをどこにした!」
怒っていた。だけど、足が動かなかった。
金縛りではない。目の前の奴が何かしているわけではなかった。だけれども、動かすことは出来なかった。
「リリン……か。もちろんそれはここにいるではないか」
「違う! お前はリリンじゃない。お前は……悪魔だ」
その言葉に、もう一度笑いだす。それが本当に頭にきた。それが本当に心にきた。
「悪魔! お前は我を、そのように認識するか!」
息が荒くなるのを感じる。怒りが込み上げてくるのを感じる。我を忘れて飛びかかりたい。我を忘れて殴り込みたい。だけど、できない。
「できない理由は簡単だろう? それはお前が、お前のために戦っているからだ」
保身。──ただの自己満足。
俺は言い返せなかった。確かにそうかもしれないと、一度思ってしまったから。
でも、言いたいことはあった。脈絡とか無視して、とりあえず目の前の野郎に言いたいことがあった。
「そろそろリリンから出てけよ」
「──救えないねぇ、我でも」
飄々とした声が、意識のないリリンから発せられる。
「何がしたいんだよ……! リリンを乗っ取って何がしたいんだよ!」
「のっとる? 馬鹿馬鹿しいな。そもそもリリンは、我のために生まれ出できた命。それをどうこうしようと、我の勝手だろ?」
「んなことが通ってたまるかよ! リリンは、リリンの気持ちは! リリンは、お前のことなんて少しも思ってない!」
そんな言葉も、全て引き裂かれる。
「確かにそうだな。ああ、お前と同じだ。お前と同じでアレのことなんか、これっぽっちも考えてない」
それは嘘だ。それは間違いだ。それは紛い物だと。
悔しかった。言い返しても、その全てが真でないと見透かされている。
いや、それが悔しいんじゃない。
────心から反論できないこと。反論することのできない自分が、ものすごく悔しかった。
「そうだろ? お前も我と同じで」
「悪魔と一緒にするな」
本題とは別のことに反論することで、どうにか心を保っている。
俺はそれでしか、リリンを助けているという感覚になれないから。
「そんな脆弱な覚悟で、悪魔なんかを救おうだなんて……やはり、お前は救えないよ」
それでも。
「リリン! リリン! いやぁ、この身体はいいなぁ! 人間でないのだから、悪魔と呼ぶべき我でも自由に扱える!」
脆弱だからこそ。
「お前には感謝してるよ。ブロックとフェルナーグから守ってくれてありがとう」
存在を否定したい。目の前の存在の言葉を、ぶっ壊したい。その考えを、その口を、その言葉を。
「こんな! 悪魔のために──」
「リリンは、悪魔なんかじゃない」
「リリンは、悪魔なんかじゃない。お前はお前だ。だけど、リリンはリリンで、ちゃんとそこにいる」
「──そうか。気付いたか?」
目の前にいるのはリリンだ。そして、今俺が話しているのは、リリンの周りにある渦。
「お前はリリンなんかじゃない」
だって、後一言を、噛み締めるように添える。
「リリンは、人間だ! 悪魔でも、吸血鬼でもない。あの子は俺と同じ人間なんだろ!」
──我は、嘘はつかない。
そんな言葉が聞こえて、黒い渦は消えていく。どこへ行ったかはわからない。リリンの中に入っているのかもしれない。
それでも今は。
「リリン、大丈夫かリリン!」
宙から落ちたリリンをすんでのところで抱っこする。
返事はすぐにはなかった。
揺する、触る、問いかける。数分でリリンの意識が回復していく。
「れ、い?」
──ごめん。
そんな言葉、聞きたくなかった。だけど今は。
「どうやら、俺とお前は近くにいちゃいけないらしいけど。これから、リリンはどうする?」
よく言えたなと自分でも思う。今までなら、問答無用で連れ帰っていたと思う。
リリンは、はにかむように呟いた。
「かえろう、れいのおうちに」
☆
疲れが急に押し寄せてきた。
だけど、リリンのことしか考えていられなかった。
「へ?」
俺はリリンに抱きついた。ベッドの中、落ちゆくまぶたに抗いながら。
「リリン。俺、必ずリリンを──」
「うん」
「リリンを、絶対に助け出す。悪魔なんか、俺がぶっ潰してやる……!」
目の前に迫る無意識を殴りつけるように、歯を食いしばって宣言する。
「……ありがと」
リリンの言葉は、今の俺には甘過ぎた。すごく痛かった。心というか、なんというか。少なくとも、楽に聞き流していい言葉ではなかった。
俺の中にあるこのクソでかい感情を、どう処理すればいいんだろう。
分からない、けど。
「リリン、俺……嘘ついてないよな」
こんなことを言うくらいにはテンパってしまっていた。
「うん、れいはそんなことしない。だって、わたしのことたすけてくれたから」
月明かりが差し込み、彼女の表情があらわになる。リリンは笑っていた。
「リリン」
「ん、なに?」
──リリンは、嘘ついてないよな。
そんな言葉を心の中に仕舞う。そんな考えを頭から追い出す。
結局、言えない。結局、分からない。考えても出てこない。
リリンが嘘なんかついているはずがない。分かっている、そんなこと。分かっているはずなのに、どうしても彼女のことを疑ってしまう。
この子は悪魔だ。いや、悪魔なのはこの子の中に潜んでいるものの方だ。
リリンが悪魔だという考えを払拭しきれない。だってその容姿は、今思えば明らかに悪魔そのものだから。
「れい?」
「ああ。今日はもう、おやすみ」
俺は睡魔に身を委ねた。忘れるように、逃げるように。
朝起きたら、リリンと一緒にこれからのこととか決めよう。そう思って、明日に想いを馳せながらまぶたを閉じて、ゆっくり、ゆっくりと眠りに落ちていく。
深く深く、狭く狭く。下層一点に向かうように。一つの終わりに触るように。
明日も、これが続くとも知らずに。
明日まで会ってはいけない理由が、大変なものとも知らないで。
リリンが、本物の悪魔であるとも理解しないで。
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