10 ラッキースケベのほとんどは天国からのおくりもの
間章【6→8】
少年が力を得た日は、滝のような雨が降っていた。
空が泣いていた……と言えば詩的で美しいのかもしれない。けれど、力との出会いに涙なんか必要なかった。
授けられた力はただ一つ。『王冠』と呼ぶ異質な力。それは超常能力でも、魔法と呼ばれるものともまた違う。
『対象の要素を反転させる』。神様の力を限定的に行使できるような、そんなズルのような力だった。
しかし少年は、自分の力に喜んだ。
当たり前だ。これで助けられる人が増えるのだから。非力な自分が、今では剛力を得たように感じていたのだろう。
全能感……そういうものが、彼の中に巣食う『偽善』の正体の一つ、なのかもしれない。
しかし実際には全能でもなんでもなかった。穴はどこにでもあり、その穴を塞ぐことを忘れるほどの負の感情が、余計に穴を広げていた。
力を手に入れてからの一ヶ月間。その力で満たされなかった欲を穴に埋め続けた。それでも、その穴は一つも埋まっていない。
守っても、戦っても、それで傷を負っても。どれだけ人を救っても、残るものはなかった。
そもそも、自分を救うために他人を救って快楽を得る異常者に残るものなど、気だるさや虚無感のみだろう。
満たす器に穴が開いていれば、そこから溢れていくことは当然のことだ。その穴が塞がらなければ、欲しいものが手に入らない。穴を塞ぐためには、欲しいもので満たさなければならない。
その矛盾は、少年を優しく蝕んでいくようだった。
得られるものなど、最初から皆無に等しいはずなのに。どうして手を伸ばすのだろうか。
──もう、決めた方が良い。
本当に欲しいものは何だ?
☆
俺の住んでいる青島から、徒歩バス合わせて三十分。俺とリリンは隣町のようなところである、赤山六区へと足を運んでいた。
結局昨日は一睡も出来なかった。と、元々俺の住んでいた町を眺めて歩いていく。小学校の時に遊んだ公園。今はもう閉まっている、時代錯誤の駄菓子屋。真新しいコンクリートのビルと、未だにひび割れているアスファルト。
と言っても、この街には三週間ほど前に来たばかりで、あまり目新しさというものは無かった。
日曜日。リリンと出会ってから三日、俺は彼女のことを全然知ることができていない。
彼女自身、彼女のことをあまり知ってはいなかった。それに、根掘り葉掘り聞くのも、あまり俺の好きなことではない。好き嫌いで選択の幅を狭めるのはいけない事だと分かっていながら、それでもまだ自分は楽な方向へと進んでいく。
それに、
「れい、ねむたそう。だいじょうぶ?」
「ああ、ありがと。リリンの顔見たら、眠気とか吹っ飛んだよ! だから、大丈夫大丈夫!」
俺の笑顔も、いつまで続くか分からない。ブロックに負けたこと、チャイナドレスに過去を掘られたこと。その二つのせいで、すでに精神は指数関数的に疲弊の速度を増していた。
それに精神に加えて、身体の方もまずいかもしれない。
ブロックの巨人にやられた腹の傷、そして吹き飛ばされた時の背の傷。特に背の傷が少し痛む。歩行や走行に異常は無さそうだけど、痛いものは痛い。これ以上の戦闘の傷は、軽ーく人生に響いてくる奴になるかもしれない。……いやだよ俺、十代でぎっくり腰なんて。
「リリン、そこの路地を右にね」
俺たち二人は、路地のかなり奥へと入っていく。
「でも、どうしてくらいとこに?」
リリンは戸惑っているのかのように質問してきた。まあ、仕方ないところはある。
俺たちは今日、人に会いに来た。リリンのことを手助けできるであろう、そんな人。
「暗いところ……ね。本人は、そんな場所に居たいとは思ってないんだろうけど」
「だったら──」
リリンはもっと戸惑っていた。
いや、戸惑っていなかったのかもしれない。彼女のものは、より純度の高い疑問だった。
「──どうして、ひろいところにでないの? そのひとが、くらいじめじめしたばしょにいたくないなら、そっちのほうがたのしいのに……」
「っ、それは」
答え難い質問だった。今から会う人は、表の世界で生きている人ではない。……だからと言って、悪にどっぷりと染まった人間ではないことも確かだ。
「それは……まあ、そこにいないと危ないから、かな」
少々強引だが、自分なりの考えを捻り出す。
「へんなの」
少女は満足したかのように、少しだけ笑みを浮かべていた。
☆
「ここだよ」
路地を抜け、開けたところに出る。路地に入る前の住宅街にあった家と、あまり変わらない一軒家。
「ここにすんでるの?」
コクリと首を縦に振って、一軒家のインターホンを鳴らす。
「えっと?」
返事がない。
「……おっかしいなぁ? 今日は昼すぎから家に行くって連絡したはずなんだけど」
そう思いスマートフォンをひらく。午後二時過ぎ。先輩との約束の時間に少し遅れているが、彼女はそれで怒るような人ではない。
「れい、かぎあいてるよ?」
あら? この家、電子式のオートロックドアだったはずなんだけど……どうして開いてるんだ?
別に入っても構わないかな。
「蓮堂先輩ー! 勝手に入りますよ!」
「おじゃまします!」
靴を脱いで玄関に置く。浮いているリリンはもちろん裸足だ。
家の中の電気は消えていた。
俺は電気を付けようとスイッチに歩くが。
「痛っ」
足に分厚い本がぶつかる。
「ほんがいっぱいだね……」
三週間前に来た時に掃除をしたはずなんだけど……また先輩は散乱させてるのかよ。
「あれ? ……ねえ、れい。へんなおときこえなかった?」
「音?」
リリンの声が家の中を回る。耳を澄ますが、リリンの声以外聞こえない。
「音なんて聞こえなくない?」
「ガサガサ」
……と思っていたが、台所の方から音が妙な音が聞こえてくる。
「……先輩?」
台所には干からびた女性が、ジャージ姿でぶっ倒れていた。
その女性は起き上がろうとするが。
「お、お腹すいた……ガクッ」
「先輩ーっ!」
☆
「悪かったねぇリリンちゃん」
優しい言葉遣いでリリンに声をかける。ダイニングチェアに腰掛けた俺とリリン。目の前の彼女は、俺が持っていたお菓子を貪っている。あげるつもりなかったのに。
今日は、目の前に座るこの家の主に用があってきた。
蓮堂みゆう、17歳の高校二年生。書類上は青島第三高校……つまり俺と同じ学校に通う先輩にあたる。が、実際は不登校で、いつもこの家で本を読んでいる出不精で私生活はダラダラ。
御多分に漏れずニューエイジであり、希有な超常能力の使い手である。緋色の大雨の細波小雨より、価値の低い能力であるため、強力な超常能力者とは言えど、それに見合った権力を持ち合わせていない。
しかし今日は、彼女の知識や地位は借りない。彼女のその希少な超常能力も借りない。
ただ、この人の精神性が、今の彼女、と俺に効くと思ったからだ。
蓮堂先輩の家の冷蔵庫の中には、食材は殆ど入っていなかった。
それもそのはず、彼女は極度のぐうたら人間なのだ。何かを知ることが気力だが、そのために外に出ることを嫌う。飯は俺の作り置きか、近くのコンビニの出来上がりか、インスタントや冷凍食品。それでよく身体を壊さないな、と少しだけ感心する。
近くのスーパーで野菜と挽肉を買って来た。リリンの服を買った直後だったので、お金に余裕はない。なので、なるべく安くて栄養があり、それでいて食べ応えのあるもの。
「ハンバーグでも作るか」という思いで、豚挽肉という選択だ。牛は無理。
色々と思考を巡らせることで落ち着かせているのだが、スーパーからの帰り道を一人で歩いていると、やはり少し心細い。
人通りのない道だと、警戒心を強めてしまう。
だけど今日、俺はフェルナーグにああ言われた。「私たちはリリンから手を引きます」と。それはつまりフェルナーグも、その仲間であるはずのブロックも、もうリリンを殺しに来ないということだと思う。そう言って、警戒心を解かさせる作戦だったとは思えない。それなら彼女は自分の一番痛い過去を、部外者である俺の前でさらけ出さなかっただろう。
──天使に愛された人間。彼女は俺のことをそう評した。それはどういう意味なのだろうか。『王冠』の力のことを指していたのだろうか? 確かにこの力は、超常能力を遥かに上回るものを持っている。それこそ、人知を超えるようなものだ。
王冠の力は、世界の法則をねじ曲げていると言っても過言ではないと俺は思う。ただ、それを神様や天使に愛された、とまで過大に考えることは、やはり抵抗がある。そもそも、神様なんていたら、俺がこんな能力を持たなくても別にいい。
この力は、誰かを助けるための力。
だが、どちらかと言うと、この力には呪いのようなところもあるかもしれない。
「それにしても、天使やら悪魔やら、少々リアリティに欠けるっていうか……まあリリンの羽は、言っちゃえば悪魔の翼みたいに見えるけど」
でも悪魔なんかより、吸血鬼とかそっちの方がイメージしやすい。悪魔って神様とかと同列みたいなところあるけど、吸血鬼ってあくまでも人の範疇にいるじゃん? 不老不死とか肉体変化とか……あとはコウモリ化?
俺の知っている吸血鬼像はこんな感じだ。
その中でも肉体変化はリリンの性質に当てはまっている。王冠の力を使ったとはいえ、最初に出会ったリリンは巨乳と呼ばれる類のものだった筈だ。それが何故か、離れさせるための『隔離』で小さくなった。
何かの危機を察知しての咄嗟の変化だとしたら、吸血鬼説がより現実性を帯びてくる。
ただ、俺はそうは思えない。もちろん、リリンに何かあるからこそ彼女は小さくなったのだろう。
だけどそれだと、彼女には王冠の力は機能していないことになる。
……おっぱいを触った時に能力は発動した。だけどリリンは俺の目の前から飛ばされて行ったりしなかった。白い煙が撒き散らされ、その中に腹ぺこの幼女が座っていた。
リリンに王冠の力が効かないというのは考えづらい。本当ならリリンは俺から隔離されるはずなのに。リリンにあった何らかが隔離され、それは今も何処かにある。
思考を張り巡らしながら歩いていく。気付いたら俺は蓮堂先輩の家の前まで来ていた。
「ただいま、夕飯買って来たよー」
返事はなかったのでそのまま家にあがる。腰痛めているにも関わらずの荷物だったので、筋肉にも疲れの色が見えている。
「きゃ! もーやてめよー!」
「うり! リリンちゃんは可愛いなぁ!」
ドアの奥から聞こえて来たのは、蓮堂先輩とリリンのはしゃぎ声。それだけでもう疲れも癒されていく。
そして、吸い込まれるようにドアを開けると、
「二人ともただいまーーーーっは?」
この状況を詳細に述べることに抵抗はあった。それでも、頭の中にディスクライブされていた景色は、明るいピンク色へと染め上げられていく。
「え……嶺、くんっ!?」
「あれ、れい? そんなとこでかたまってどうしたの?」
肌色のダラダラボディーが光る。引き締まっているとは言えないが、それだからこそ彼女の身体はくるものがあった。お風呂上がりの肌の湿りが、うんエロい。
……そもそも裸なんだからそりゃどっからどう見てもエロなんだろうけど。もうさっきまで考えてたことがバカらしくなるほどピンクなんだ。
逆に白っぽくて柔らかそうな肌は、もう全面露出もいいとこだった。まず恥じらいというものが、彼女には完全に欠如していた。そこに後ろの真っ黒な羽。そのコントラストは俺の目からこびり付いて、絶対に離そうとしない。曝け出されたそ肢体は、スレンダーと言うよりは少し痩せ気味で胸もない。だけど、だからこそのアレがある。
まあ、なんていうか、その。
単刀直乳に言おう。二人は全裸だった。下着ひとつ付けずはしゃぎ声を出してじゃれあっていた。
理性は保っていられなかった。かと言って本能で動くこともできなかった。
「あれ? ここって、天国でした?」
気づくと視線は裸体からその上を向いていた。正面に天井が見えてくる。
ヤバイと本能が察することもない。頭の中では体勢を整えようとはするものの、衝撃が過ぎて足が動かない。
「れい、あぶない!」
そしてそのまま床へ、逆さまに落ちた。
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