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これが……悪役令嬢……だと? 7

 もちろんリリーナは死んでいるわけじゃない。

 ただ、ゲームの強制力という運命の糸を失った今、彼女はぼんやりとした目を宙に向けて、およそ生気というものをすっかり失っている様子だった。


 俺は不安になって、さらに強く彼女の肩を揺する。


「おい、しっかりしろ、ほんとマジで大丈夫かよ」


 俺の言葉はようやく、リリーナの意識に届いたらしい。

 完全に生気を失ってどんよりと曇っていた彼女の瞳に、すうっと色が戻ってきた。


「あ……私、いったい……」


 ゆっくりと視線をあげた彼女が最初に目にしたのは、俺――ではなく、言い争うチヒロとアインザッハの姿。


「たとえ婚約者であろうとも、この国の高位貴族令嬢であるリリーナさまを公然と呼び捨てにし、あまつさえ罵り倒すのは、あまりにも驕傲きょうごうであると申し上げたのですわ」



「不敬! 不敬だぞ!」


「ならばどういたします? 聖女としてこの世界に召喚された私を、牢獄にでもつなごうと?」


「くぅ、この……口の減らない女だな」


 それを見たリリーナは、俺の手を振りほどいて舞台から駆け下りた。

 そしてアインザッハの前にひれ伏す。

 あまりに深く身を伏せるものだから、それは土下座というよりは『伏せ』のように見えるほどだった。

 そのままのども張り裂けよというくらいに声を張り上げて謝罪の言葉を。


「アインザッハ第一皇子殿下様、すべて……すべては私の不徳の致すところでございますっ! どうぞ、この場は私めに免じて、なにとぞご容赦をっ!」


 アインザッハ皇子の方は、Sっ気の強そうな、ひどく暗い笑みを浮かべた。


 少女小説や乙女ゲームでは『どS』や『俺様』や『腹黒』という言葉は好ましいものとして扱われることが多い。

 つまり『愛の言葉をささやいてウブな女の子を腰砕けにするのが趣味』とか、『自由にふるまって許されるだけのカリスマ性がある』とか、『裏で画策できるほど頭がいい』みたいな、あくまでも魅力の一つとして使われる言葉なのだが……。


 しかしアインザッハが表情に浮かべたそれは、そういった褒め言葉としての『どS』ではなく、本来的な加虐に快感を覚える人間特有のそれであった。


「よい心がけだな、リリーナ」


 彼は床に伏しているリリーナの後頭部に足を置いた。


「お前はこの国の高位貴族であるというのに、簡単に人に頭をさげるのか」


「簡単ではございません、私がこうして頭をさげる相手は、この国で一番高位におわせられるあなた様に対してだけにございます」


「良い心がけだな、リリーナ」


 目の前で繰り広げられるこれが、どSとどMによる合意の上でのプレイだというのなら、俺が口を差し挟む余地などない。

 だがしかしリリーナの声は震えてか細く、DV夫に耐える妻みたいな、暴力によって支配されている女に特有の怯えが見て取れた。


 俺は彼女を助けるべきなんだろう。

 いや、助けたいと思う。

 そうはいっても前世も、そして今の生を合わせたって、こんな状況に出っくわしたことなどないのだから、どう動けばいいのかわからない。

 悩む俺に助け舟を出してくれたのはチヒロだ。


「ふうん、これは……ダレス、あんた、あの皇子を口説いておいで」


「口説く!?」


「そんな顔しないでよ、別に恋愛的に口説けって言ってるわけじゃないから。たださ、リリーナたんをゲームの強制力から解き放ったあんたならさ、皇子に働きかければ、もしかして何か起きるんじゃないかなって思うのよね」


「あの、ブツンって音! やっぱりそうなの?」


「ああ、あんたは『音』として認識したのね。まあ、それはどうでもいいんだけど……あんな感じで、そこの皇子のことも、さっさとゲームの強制力から解放してやってよ」


「そういう意味でいうならさ、俺、さっきから、ゲームの通りじゃない行動ってのをかなりしてると思うんだけど?」


「うん、それはわかってるんだけどさ……たぶん、何らかの条件があると思うんだよね、それを確かめたいから、いろんなパターンで皇子に話しかけてみてよ」


「無茶ぶりっすね」


「いいから、行って来い!」


 俺は舞台から這い降りた。

 皇子は未だにリリーナの頭を踏みつけて笑っている。

 これ、例えば街中で見かけたら、見なかったふりをして足早に立ち去るのが正解だと思う。


 確かに頭を踏まれて平伏しているリリーナはかわいそうだが、王子の表情が正気じゃなさすぎてやばいのだ。

 目は真っ赤に充血して瞳孔がかっぴらいているし、口元は笑いの形に歪んでハアハアと息を吐いているし、ともかく犯罪者の顔なのだ。


 それでも俺は、勇気を振り絞って皇子に話しかけた。


「あのー、そのくらいでやめませんか?」


 皇子は俺に視線を向けた。

 が、まるで知らない国の言葉で話しかけられたかのように首を傾げた。


 めげずにさらに。


「仮にも一国の王になろうという人が、婚約者に暴力を振るうとか、醜聞スキャンダルになると思うんですよ」


 皇子の方も負けじとさらに「何言ってんだ、こいつ」風に首を傾げた。


 豆腐並みに脆い俺のメンタルは、すでに臨界点。

 それでも頑張って次の言葉を。


「ボウリョクヤメル、オーケー?」


 あ、だめだ。

 全く理解できないって顔してる。

 リリーナを本気で助けるつもりなら、言葉の説得だけでは無理だ。

 体を張るしかない。


 だが、それって少しハードルが高い。

 そもそもが俺、ダレスは温和なキャラとして設定されている。

 魔法実技や剣技よりも座学が得意、童顔がウリの癒しキャラ枠なのだから、体格も当然華奢で小柄である。


 対する皇子は全てにおいてパーフェクト、運動もお勉強もできる万能タイプで体格も良い。

 身長はダレスよりも頭ひとつ大きく、肩幅も広くてがっしりした筋肉質なのだから、取っ組み合いの喧嘩になんかなったら、まず間違いなく勝てない。


 おまけに今の皇子は狂気に満ちている。

 ギラギラと血走った目を見開き、自分の婚約者に肉体的な苦痛を与えることを至上の快楽としているようなサイコパス野郎だ。

 マジでコレと関わりたくない。


 しかしそれすなわち、彼の足に後頭部を踏まれて震えているリリーナを見捨てるということで……


「あー、くそっ!」


 俺は右手を突き出し、一瞬だけ強く握る。

 それからパッと開いて、パーの形にした手を高く掲げる。

 俺くらい体内魔力量があれば、これが簡易な魔法陣として十分に機能するのだ。


「"風精霊の吐息(ブリーズ)"!」


 俺の足元を中心に、強い風が吹き上がる。

 どのぐらい強いかというと、少し離れた舞台の上で、重たい緞帳がはためくくらい。

 皇子はその強風を至近距離でまともに食らったのだから、当然よろめいて数歩後ろに下がる。


 俺はその隙にリリーナに飛び付き、彼女を庇うように抱え込んだ。

 サイコパス皇子に対して無防備な背中を晒す形ではあるが、いかにダレスの体躯が華奢であろうとも女であるリリーナよりは丈夫であるはず。

 蹴りの一つや二つ……では済まないかもしれないが、少なくとも死ぬことはない……と信じたい。


 ふと腕の中のリリーナを見ると、彼女は突然のことによほど驚いたのか、両目を見開いて俺を見上げている。

 その唇は何か言いたそうにぱくぱくと動くが、怯えからくる震えに封じられて言葉は出ない。

 少し青ざめた頬も、眉間の間にうっすらと寄った皺も、何から何まで果てしなく庇護欲をくすぐる表情だ。

 つまり、可愛い。


 たったそれだけのことで俺は、サイコパス皇子から殴るけるの暴行をうけようとも、このおびえる小動物のような麗しの令嬢を守り抜こうと覚悟してしまった。

 げに男とは単純な生き物なのである。


 俺はリリーナが怯えないようににっこりと笑った。


「大丈夫だよ、怖いなら目を閉じていなよ」


 そのままリリーナを強く抱きしめて……俺はサイコパス皇子の蹴りの衝撃に備えて身構えた。

 ところが、予想した痛みも、衝撃も、それどころか怒声すら一向に飛んでこない。

 その代わりに俺の耳が聞いたのは、なにか太いものがちぎれる「ブツン」という音だった。


 ――これはまさか、ゲームの強制力から解き放たれる音?


 バッと顔をあげてチヒロを見れば、彼女は強く頷いてくれる。

 俺はそのまま振り向いて、俺を蹴りつけようとしているはずの皇子を見た。

 ゲームの強制力から解き放たれた彼がどんな行動をするのかを、この目で確かめたかったのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] ダレスの能力は、ジャッジメントではなく、強制力の大切断だったのか。リリーナを抱えている姿は、爆発しろリア充と思わせるようなかっこよさです。
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