これが……悪役令嬢……だと? 3
チヒロが最初に行ったのは、『悪役令嬢発声練習』である。
場所は学園の一番大きな講堂を借り切って。
余談だが、この学園には講堂が三つ、聖堂が二つある。
これについてはチヒロが解説してくれた。
『ミララキ』では恋物語の舞台に講堂や聖堂が使われることが多い。
その時のスチル絵の背景が統一されていないのだと……つまり、イベントの数だけ講堂があるということになる。
例えば中学校の体育館みたいな、だだっ広いだけでそっけない小さな建物に素朴な木椅子を並べただけの第一講堂では、サレス先生とヒロインの『秘密の放課後』イベントがあるんだそうな。
これは悪役令嬢の取り巻きに追いかけられて第一講堂に閉じ込められたヒロインを、たまたま鍵当番として校舎の見回りをしていたサレス先生が見つけてくれるという、チヒロ曰く『ミララキ』最高に美しいスチルがあるのだとか。
「無機質な扉が開かれると、その向こうには扉を開けてくれたサレス先生、彼の背後には扉の開く音に驚いて飛び立った蛍が二つ三つ……最高にロマンチックなのよ!」
ちなみに第一講堂、外観は全く中学校の体育館みたいな作りをしているくせに、その裏手にたっぷりと緑を抱えた森が広がっている。
もちろん蛍が余裕で生息できるような小さな清流が森のあちこちに流れている。
まあ俺も『ゲームの設定』の矛盾や合理性を突っつくことは愚かだと心得ているのだが……それが実在の『世界』として再現されると、こういった不具合も起きるんだよってことで、まあ、納得はしている。
さて、俺たちが借りたのは、そんな三つある講堂のうちの一つ――第三講堂と呼ばれている一番大きな講堂だ。
赤いベルベットで張った椅子を据え付けた観客席は三階まである。
あれだ、ファンタジー小説でお貴族様が音楽鑑賞とかするような、あの劇場を思い浮かべてもらえれば早いだろう。
もちろん舞台も大きく、ドレープたっぷり高級感もりもりの緋色の緞帳がかけられている。
いま、その緞帳は開かれて、大きな舞台の真ん中には俺とリリーナが並んで立たされている。
俺たちをここに立たせたのは、もちろんチヒロである。
彼女は誰もいない観客席のど真ん中にデーンとふんぞり返って座っている。
「悪役令嬢たるもの、声は凛と響くべし! いい、まずはここまで聞こえるように、大きな声を出す練習!」
チヒロの声はびりびりと空気を震わせて劇場の隅々にまで届く。
しかし、舞台の真ん中に立つリリーナの方は、すでに半べそだ。
「そんな……大きな声を出すなんて、はしたないですわ」
もぐもぐと歯切れの悪い反駁に、チヒロがすぱっと言い返す。
「聞こえない! ちゃんと胸を張って!」
むしろチヒロの方が悪役令嬢向きなのでは、と思うけれども、さすがにそれを口にすることは憚られた。
代わりに、率直な疑問を口にしてみる。
「あの~、なんで俺はここにいるんですかね」
「『俺』じゃなくて『僕』! あんた、ダレスさまなんだから!」
「あ、そこは気を付けるんで、その~」
「あ゛? なんでそこに立ってるかって?」
「はい」
「あんたもキャラブレひどいのよ! なに『あの~』だの、『その~』だの、甘ったれた声出してんのよ! ダレスさまはねえ、そういうキャラじゃないでしょ!」
つまり俺も一緒に特訓しろと。
「リリーナ! まずはあんたから! ほら! 声出して!」
リリーナが精一杯に声を張る。
「あめんぼあかいな、あいうえおー!」
「ちっがーう! お腹で声を出して! 喉声で張らない! あと、口調は悪役令嬢っぽく!」
「あめんぼあかいですわー! あいうえおでしてよー!」
なんだこの特訓……いや、この場であの状態のチヒロに逆らう勇気はないけど……
「次、ダレス! あんたはイケメン三大用語を!」
「い、イケメ……?」
「知らないの? 『俺だけをみていろよ、今夜は帰さない、おもしれー女』の三つ! はい、言って!」
「おれだけをみていろよこんやはかえさないおもしれーおんな」
「何その棒読みっ!」
チヒロがヒュッと右手を振る。
と、同時にその手の内から何かが放たれ、それは確かな勢いと質感を持って俺の眉間にパコーンと当たった。
まあ、モノは軽いペコペコしたプラスチック、別に怪我をするわけでもないし、なんなら痛みもほとんどない。
何故ならチヒロの魔法によって生成されたそれは、黄色いプラスチックのメガホンだったのだから。
ここで、この世界での『魔法』について少し解説しておこう。
とはいっても、「火・水・土・風・金の五大元素からなる……」とかって難しい話はあっちこっちで散々出尽くしているので省く。
この世界、ここが魔法学園という設定からもわかるように、『魔法が存在する世界』である。
が、チヒロに言わせると「設定がガバガバ」だそうで。
この世界の人間には生まれつき魔法属性が備わっている。
それは遺伝によるものが大きく、俺の今の生家であるエーリア家は代々風の属性を受け継いでいる。
それを魔法としてはなったときの効果は、個人の資質である体内魔力量によって決まるものらしい。
つまりエーリア家で例えれば、誰もが『風神の刃』を使うことができるけれど、それが全く役に立たないそよ風が吹く程度なのか、刃レベルで相手を切り裂く研ぎ澄ませた強風なのかは個人差がありますよってことだ。
実際にエーリア家の、俺以外の兄妹は少し強いつむじ風を吹かせることしかできない。
攻略対象である俺だけは魔力量が多いという設定がつけられているから攻撃効果のある風の刃を顕現させることができるけれど。
今のチヒロの『中身』は周回ガチ勢であり、重課金勢であり、この世界の設定の隙を知り尽くした女である。
しかもチヒロは『すべての魔法が操れる上に体内に生成する魔力量が膨大である』という設定がつけられているのだから、この設定の隙をついて『生命以外のすべてを生成する魔法』というものを編み出してしまった。
その魔法を使ってまで具現化したものが、安っぽいペコペコ音を立てそうな薄いプラスチックのメガホンというのがなんともアレだが。
おそらくチヒロは今、どこぞの映画監督気分なのだろう。
彼女はさらに手の中に台本を生成して俺に向かって投げつけてきた。
「お前っ! 何年役者やってんだ!」
「いや、役者なんてやったこともないけど……」
「口答えするんじゃない! 魂のこもっていないセリフなんか、雑音と一緒だ! 丁寧に! 心を込めて! 一言入魂!」
チヒロは手の中に『カチンコ』を握っている。
映画の撮影で「3,2,1、スタート!」でカチンと鳴らすあれだ。
もちろん、チヒロが魔法で具現化させたものだろう。
「よーし、ダレス、テイク2、いってみようか!」
しかしチヒロのカチンコが音を立てることはなかった。
ちょうど講堂のドアがばあああああん!と開かれたからだ。
「おい、お前たち、何をしている!」
凛とした怒声とともに入ってきたのは、あの俺様皇子――アインザッハ皇子だ。
その威厳ある声は講堂の隅々にまで響き渡り、いかにも王者らしく肩を怒らせた立ち姿は見とれるくらいに美しい。
スチル絵の風情ってやつだ。
チヒロがボソッとつぶやいた。
「ふっ、始まったわね」
それを聞いて俺は、これがチヒロによって仕組まれた『イベント』なのだと気づいた。
恐らく本来の『ミララキ』では、この第三講堂で皇子の好感度を上げるためのイベントが発生することになっているのだろう。
そして、そこにリリーナがいるということは――彼女には『悪役令嬢』という役が割り当てられているということに他ならない。
恐らく何らかの『ゲームの強制力』というものが働いて、リリーナは悪役らしくふるまわざるを得ないだろう。
「ふふふふふ、リリーナ、見せてごらんなさい、あなたの悪役令嬢というものを……おーほっほっほっほ! ふーはっはっは!」
高笑いするチヒロは、もはや映画監督というよりは○影先生みたいだった。
こうして、第三講堂における『皇子がヒロインのことを悪役令嬢からかばうイベント』は幕を開けた。