婚約破棄を言い渡しますわ! 5
「だ、だめだ、そんなことをされたら、俺が父上に怒られる!」
「そうでしょうね、陛下はシュタインベルク家の価値をよくご存知ですからね」
「価値? そんなもの、お前にあるわけがないだろう!」
「ふふふ、おうじちゃん、陛下のお話をちゃんと聞いてなかったんでちゅかー? 私、シュタインベルク家の娘であるという価値がありますのよ?」
「うそつけ、シュタインベルク家にはすでに家を継ぐための養子がいるんだから、お前はいらない子だろ!」
「それも『周りのみんな』が言った話ですか? ご自分のまわりに置く者を、もう少し選んだ方がよろしいですわよ」
「うるさいうるさい、お前ごときが俺に意見するな! そうだ、俺は皇子だぞ、臣下であるお前からの婚約破棄など無効だ!」
「それはどうでしょうね、そもそもこの婚約は王家からの要請によるものでしたから、決定権はシュタインベルク家のほうにありますのよ?」
「そんなバカな! ぱ、パパに確かめてくる! ウソだったら承知しないからな!」
「あらあら、うふふ、パパですって」
悠然と笑いながらボンクラ皇子を見送るリリーナ……つまり完全勝利である。
だけど王子の姿が見えなくなった途端、リリーナがガクッと膝から崩れ落ちた。
「ど、どうしましょう、やってしまいましたわ……」
私を見上げる顔は青ざめていて、目には涙が浮かんでいる。
「これが元でダレス様の身に危険が及ぶようなことがあったら……」
私はリリーナの肩を抱いてやった。
こぼれ落ちる彼女の涙を隠すために。
「大丈夫、大丈夫だよ、リリーナ、あいつなら、大丈夫、根拠はないけど、なんか、そんな気がする」
「不思議ですわ、チヒロさんが言うと、なんだか、本当に大丈夫な気がしてきますわ」
まあ、私の場合、このルートがループしていることを知っているからこその自信なんだけど。
リリーナの『ハッピーエンド』にはダレスが不可欠だ。
だからこそダレスに何かあれば、このルートはもう一度巻き戻されるはず。
たぶん。
「うん、大丈夫、絶対大丈夫、私が保証するよ」
力強く言ってやれば、リリーナが涙を拭って顔を上げた。
「ええ、大丈夫、ダレス様は、見た目ほどやわな男じゃありませんわ……」
その頃、俺--ダレス=エーリアは……ちっぽけなスプーンを壁に向かって投げつけていた。
側から見たら捨鉢になってスプーンに八つ当たりしているだけ……に見えるだろう。
しかし、これこそが俺の作戦だ。
風魔法というものの本質は大気の流れを操る術であり、それはすなわち大気を操作することができるということ。
俺は大気中の成分をいじって、ドアの周りだけが高濃度の酸素で満たされた状態になるように調整した。
ドアは木製、つまり酸素の支燃性を利用してこれを燃やしてしまおうというわけだ。
もちろんいかに酸素があろうとも『燃えしろ』がなくちゃ火はつかないわけで、俺の上着はすでに破いてボロ布状にしてドアの下に置いてある。
その近くめがけて金属のスプーンを投げつけ、壁の石材との間に起きる火花でこれに着火しようという……仕掛けの割には運任せみたいな作戦だ。
以前の--転生前の俺だったら、こんな雑な作戦に手を出そうとはしなかっただろう。
俺はどちらかというと慎重派で、石橋は三度くらい叩いてから渡る性格だった。
仕事の上でも、間違いなく成果が出ると決定しているものしかやらなかった。
そのせいで出世レースに出遅れたりもしたけれど、平穏な暮らしさえできれば満足な俺は、それでも一向に構わなかった。
プライベートでも、自分から女に告白するなんて絶対にしなかった。
付き合うのはいつも向こうから告白してきた女だけ、だからまあ……痛い目に会うことの方が多かったのだけれど……
自分から告白してフラれるなんてリスクが高いこと、絶対にしなかったし、それが正しいと思い込んでいた。
つまり勝てる勝負しかしなかったあの頃の俺--それがこんな『理屈としては可能』ってだけの、成功するかしないかわからない作戦に必死に頼っているなんて。
「あの頃の俺が見たら、笑うだろうな」
俺はスプーンを拾いに行き、ドアとは反対側の壁際に立った。
大気の調整のついでに部屋のこちら側には薄く風を流して火を防ぐ工夫がしてあるが、それだって『理屈上』の安全策であって、絶対じゃない。
全てが賭けだ。
転生前の自分なら、こんな勝てる確証のない賭けをするなんて、絶対にしない。
だが……
「リリーナ……」
彼女が泣いているかもしれないと思うだけで、この勝負に全人生をベットするのも惜しくはないような気分になる。
「リリーナ、いま……いま、帰るから……」
俺はドアぎわの壁に向けてスプーンを投げつけた。




