婚約破棄を言い渡しますわ! 2
その日は朝から不幸続きだった。
まずは起きてすぐ、箪笥の角に小指をぶつけた。
痛みを堪えて身支度を整えている最中、靴下が片方、どうしても見つからないという不幸に見舞われた。
さらに極め付けは、部屋を出ようとしたところで、ブチッと音を立てて靴紐が切れた。
しかしまさか、学生である俺が、その程度のことで学校をサボるわけにはいかない。
なんとか家を出て学校へと向かったが、その通学途中で3回も黒猫に横切られた。
2回は馬車に轢かれかけたし、一回は不良に絡まれた。
その後も花屋の前で水をかけられたり、パン屋の前で開店待ちをするおばちゃんの群れに巻き込まれたり、ともかく散々だった。
まるで俺が学校へ行くのを止めようとしているような、そんな不幸の連続だったのだ。
しかし、往々にして人はそれがフラグ回収の前振りだったと事前に知ることはない。
全く今更になってだが、この不幸の連続のいずれかに心折れて寮へと引き返していれば、あんなことにはならなかった……
だが、その時の俺は始業の鐘がなる前に教室に入ることで頭がいっぱいだった。
不幸の連続をなんとか乗り越え、始業ギリギリ前に教室に飛び込んだ時には、サレス先生がすでに教壇に立っていたのだけれど、彼は俺をチラリとみて、言った。
「まだ鐘は鳴っていない、セーフだな。それにしても、君がこんなにギリギリだなんて、珍しいじゃないか」
ここで怒られたりしないのは普段が優等生である役得というもの。
俺は素早く、自分の席に座った。
サレス先生はそれ以上は何も言わなかった。
そのあとも便所に行けば個室が全部使用中だったり、昼定食のおかずが俺だけ盛りが少なかったり……地味な不幸がいくつもあった。
唯一の幸運は、午後のサレス先生の授業が休講になったことだろうか。
サレス先生の担当は『魔法理論』なのだが、これが程よく午後の授業としてはとてつもなく眠たい。
これはサレス先生が悪いわけじゃない。
なにしろこちとら昼食で程よく腹を膨らました後なので、普通にしていても眠い。
そのうえ『魔法理論』は完全に座学で、魔法に関する用語を延々と解説するような、ともかく眠たい頭で聞いていると途中で意識が途切れるくらいに安眠効果抜群な学問なのだ。
その眠たい授業が休講になったのだから、どの生徒も浮かれて、教室のあちこちでは寄り道の相談をする声が聞かれた。
俺にも声がかかる。
「ダレスくん、僕たちと一緒に、新しくできた菓子屋に行ってみないか」
声をかけてくれたのは中位貴族の子息たち。
どうやらいつの間にか、クラスの大半--家が厳しい高位貴族や用事のあるもの以外全員で、新しくできた菓子屋を冷やかしに行こうという話になったらしい。
この中位貴族の少年は百パーセント善意から俺に声をかけてくれたに違いない。
つまり俺だけを仲間外れにするようなことがあってはいけないと。
だが俺は今現在、護衛がついている身だ。
急な予定変更はリスクを伴う。
「ごめん、今日はちょっと都合が悪いんだ。また誘ってよ」
いかにも乙女ゲームのキャラらしくそつなく上品に断る。
それを見ていたチヒロが、会話に乱入してきた。
「えー、行こうよー、護衛なら私がしてあげるからさー」
俺は慌ててチヒロの口を塞ぐ。
「バカっ! 俺に護衛がついていることは極秘だろう!」
小声で叱りつければ、チヒロが小さく首をすくめた。
「あ、ごめん」
「ごめんじゃないよ! そういう小さなミスが大きな失敗につながるんだぞ」
「そこまで言わなくても良くない? あんた、今日はずっと不機嫌よね」
「あたりまえだろ、お前みたいに規格外のチート持ちにはわかんないかもしれないけど、俺は普通の人間だから、わざわざ自分から危険を呼び込むような真似はできないんだよ!」
完全に八つ当たりだ。
朝から地味に不幸が続いたせいで、心がささくれ立っていただけだ。
だが、そんなこちらの事情をチヒロが知っているはずなどない。
彼女はぷくーっと頬を膨らませて鼻を鳴らした。
「なにガチで怒ってんのよ、ちゃんと謝ったじゃん!」
「『あ、ごめん』って、あれが謝罪か?」
「謝罪でしょ」
「間違って足踏んだ時だって、もう少し真剣に謝るぞ」
「あ~! はいはい! 誠に申し訳ありませんでしたぁ! これでいい?」
「なんだよ、その態度!」
「もういい、今日のアンタ、めんどくさい!」
チヒロは俺に背中を向けると、のっしのっしと肩を怒らせながら去っていった。
取り残された俺は読みかけの本を取り出した。
今になって考えてみれば……あれはおそらく、チヒロなりの気遣いだったのだ。
何しろ今回の休講はあまりにも急で、予定外だった。
どうしても警備が手薄になり、隙ができる。
だからその間だけ警護として俺の側についていようと、チヒロは、そう考えたに違いない。
ところが、俺は失言を都合よく八つ当たりの材料にして、チヒロの好意を踏みにじった。
結果……俺は誰もいなくなった教室で『何者か』に後頭部を殴られた。
「ぐうっ!」
うめき声しか出ないほどの衝撃。
読んでいた本がバサリと床に落ちる音。
俺が覚えているのはそこまでだ。
俺の意識は、そこで途切れた。




