一周目、二周目、八周目 4
チヒロは腕の中のリリーナを見つめ、甘い声で囁く。
「怪我はない?」
リリーナはうっとりとろりんとした目つきでチヒロを見つめ返す。
「はい……」
百合咲き誇る美しい光景に、誰もが息を呑む……って、俺の立場なくない?
「チヒロ! お前がリリーナたんを口説いてどうするんだよ!」
「あ、そかそか、そうだったわね」
チヒロはリリーナをそっと降ろす。
「危ないから、下がってなさい」
「でも、チヒロさんが……」
「私? 私があんなのに負けると思う?」
チヒロはユーテスを顎で指す。
彼は先ほどの爆風で少し吹き飛ばされたのか、頭を振りながら起き上がろうとしているところだった。
それでも目つきだけは鋭く、チヒロをにらみつけている。
「面白い……君は面白いよ、あんなボンクラ皇子に渡すには惜しい女だ」
アレサが「ふむ」と唸る。
「イベントがスキップしたっスね。これ、ゲーム後半になってからしか起きないイベントっス」
ミララキ未プレイの俺にはよくわからない。
「どゆこと?」
「ユーテスは最初っから好感度が高い低難易度キャラなんすけど、最初は主君である皇子の想い人に恋心を抱いたことに悩むっス。でも、好感度が上がるにつれて、皇子のことを本当はボンクラだと思っているとか、皇子にヒロインを渡すくらいなら殺してしまえとか、そういう暗黒面が強くなってくる、そういうキャラなんス」
「でも、所詮乙女ゲームだ、本当に殺しちゃったりは……」
「するっスよ。ユーテスルートのバッドエンドは、ヒロインの死っス」
「そんな、ヤバいじゃないか……おい、チヒロ、バッドエンド回避しろ! お前ならできるんだろ!」
俺の叫びもむなしく、チヒロは余裕の笑みを浮かべて言った。
「じょーだんきついっつーの、バッドエンドごとフラグを叩き折ってやるわ」
「おい、バカ! 失敗したら死ぬんだぞ!」
「心配ないし。全属性の魔法使える私が負けるわけないし。それよりアンタ、ちゃんとリリーナたんを守ってなさいよね」
とん、と軽く突き飛ばされたリリーナが俺の腕の中に落ちてくる。
俺はその体を抱き留めようと手を伸ばして、ほんの一瞬、チヒロから目を離した。
時間にしたら瞬きする程度の短い間――しかし、次に目をあげた俺が見たものは、すでにこぶしを固めてユーテスの懐に踏み込んだチヒロの姿だった。
「チェストーッ!」
気合の声とともに突き上げられたチヒロの拳は過たずにユーテスのみぞおちをえぐった。
しかし相手は武道の心得がある様子で、腹の前に腕を組んでその拳を受け止める。
「ふふふ、いい拳だ、面白い、本当に面白いよ、君は」
にたーりと大きく微笑む表情は、すでに正気を失っているようにも見える。
「ああ、本当に君が欲しい、いいよね、殺しちゃっても、そうしたら君は永遠に僕だけのものだ」
こんどはユーテスの拳がチヒロのみぞおちを狙う。
「くっ!」
彼女は後ろに飛びのこうとしたけれど、その拳はぎゅうっと軌道を変えてチヒロの顔面に食い込んだ。
「ごめんね、僕は卑怯者だから、フェイントが得意でさ」
「くはっ!」
チヒロが大きく後ろに倒れ込む。
俺の腕の中で、リリーナが悲鳴を上げる。
「チヒロさん!」
俺は腕の中から抜け出そうともがくリリーナを強く抱きしめた。
「だめだ、君は、チヒロの足手まといになりたいのか!」
「でもっ!」
「わかってやれよ、あいつは、君を守るために戦っているんだ、なのにここで君が出て行って傷ついたりしたら、本末転倒じゃないか!」
「わかっていますわ! でも!」
「わかっているなら、頼む、リリーナ! 本当は俺が強ければチヒロも守ってやれるんだろうけど、俺は、君を守るだけで精いっぱいなんだ」
リリーナがハッとした顔で俺を見た。
「私を……守ってくださるのですか?」
俺は狂気じみた争いから隠すようにリリーナを抱え込んだ。
つまり、チヒロとユーテスの戦いに背を向けた。
「ああ、君だけは、なにものにかえても必ず守る。弱っちい俺だけど、それだけは誓うよ」
リリーナがうるんだ瞳で俺を見つめる。
「あなたは弱っちくなどありませんわ、いつだって私を待ってくださるじゃありませんか」
「リリーナ……」
「ダレスさま……」
目をそらさず、ただくちびるの距離が近づいてゆく……と、その時、まったく唐突に、ブツンと大きな音がした。
「は? 今、ゲームの強制力が切れた? なんで?」
わからないが、俺のスキルの発動条件が満たされたらしい。
俺は慌てて振り向く。
そこには脱力して両腕をだらんと垂らして立つユーテスの姿があった。
アレサが俺に聞く。
「アンタ、今、なにしたっスか」
そんなの、俺だってわからない。
ただ、ゲームの強制力から解き放たれたユーテスはぼんやりと空を見つめて立ち尽くしている、それだけは事実だ。
「ともかく、よくやったっス」
アレサはビン底メガネを外してユーテスを凝視した。
つまり、彼を『鑑定』しているのだろう。
「なるほどっス」
「何かわかったんですか?」
「少なくともこの男は、革命派じゃないっス」
「ええ、せっかくの鑑定能力で、最初にチェックするのがそれ?」
「それが一番大事なんスよ、とりあえず、説明してあげるっすから、撤収してほしいっス」
「え、あ、はい、撤収~!」
ユーテスは俺の声で意識を取り戻した。
「くっ、興がそがれました、しかし、次は命まですべて、君を手に入れるので、覚悟してくださいね」
そう言い残して去ってゆくユーテスは……ゲームの強制力だの設定だの関係なく、素がヤンデレなのだろう。
ともかく、三人のご令嬢も帰らせて、部室には俺とリリーナとチヒロと、そしてアレサの四人だけが残った。




