これが……悪役令嬢……だと? 9
§リリーナの憂鬱(SIDE リリーナ)§
11歳のリリーナは馬車の中、向かいに座る従者のモニカに少し興奮した声で言った。
「本当に、相手は『皇子さま』なのね?」
屋敷を出てから、この質問を何度聞いただろうか、モニカはうんざりという表情で答えた。
「ですから、間違いなく『皇子さま』ですよ、この国の皇位継承権第一位であらせられるアインザッハ皇子殿下がお相手なのですから」
「つまり私、未来の皇后さまってことね!」
リリーナは幼い頬を興奮で桃色に染めた。
いま、この馬車は、その『皇子さま』との顔合わせのために皇宮に向かっている。
今日のこの日がリリーナと婚約者であるアインザッハ皇子との初顔合わせなのだが……。
リリーナは年の割にませている。
いや、公爵家令嬢としてしっかり教育された結果、同じ年頃の子供達よりも少しだけしっかり者になってしまった、というだけなのだが。
だからこそリリーナは、幼いながらもこれが政略結婚であるということを正しく理解していた。
シュタインベルグ家はこの国で最も古い公爵家とも言われており、その歴史は長い。
政治手腕に対しての評価も高く、領民のみならず他の領にも名が知られて人気は高い。
問題なのは、その人気ゆえに国内で皇家と比肩するほどの--いや、皇家を凌ぐほどの人気があるということだ。
それゆえにシュタインベルク家を取り込み、その国民人気を利用しようと企むものも少なくはない。
つまり皇家を滅し新たな世を作る革命の旗印に担ぎ上げようと、そのためにシュタインベルク家と友好的な関係を結びたいと願う輩はいくらでもいる、ということだ。
此度の婚約はつまり、そうした輩にシュタインベルクの姫を渡さぬように、早いうちに皇子の婚約者として囲ってしまおうという、完全なる政治的意図による政略結婚である。
そこにリリーナの意思は汲まれない。
でも、リリーナだって女の子なんだから、頭では政略結婚だと理解していても、心の中では少しくらい夢だって見る。
(絵本に出てくる皇子さまみたいにかっこいい人だといいのだけれど)
彼女のその願い『だけ』は叶った。
皇宮について馬車を降りたリリーナは、自分を出迎えてくれた皇子の見た目にドキドキと胸をときめかせた。
(わあ、カッコいい……)
アインザッハ皇子は見た目だけならキリリと引き締まった美少年である。
男らしく短く刈り上げた髪は磨き抜かれたオニキスのように美しい。
やたらと整った顔立ちをよりくっきりみせるのは黒檀色の、意志の強そうな瞳。
それが子供用サイズに作られたミニチュアみたいな正装を着ているのだから、まるっきり絵本の中の皇子様のミニチュアみたいで……リリーナはすぐに彼に夢中になった。
しかし、彼女の初恋は短かった。
時間にしておよそ数十分の恋であった。
一通りの挨拶を済ませると、「あとはお若い二人で」という流れになる。
幼いリリーナと皇子のために温室の真ん中に小さなガーデンテーブルを置いたささやかなお茶会がセッティングされていたのだ。
絵本でしか見たことがないような異国の花が咲き乱れる温室で、絵本から抜け出したような皇子さまとのお茶会という絵本的なシチュエーションに、リリーナの胸はときめいた。
いつもより気取って、紅茶のカップを静かに口元に寄せる。
テーブルの上にはリリーナ好みの菓子が山ほど用意されていたが、皇子の前で口を開けるのが恥ずかしくて、手を出す気にはなれなかった。
アインザッハの方は、小さな椅子にデーンとふんぞりかえってモシャモシャと菓子を頬張る。
そんな行儀悪さも彼の美貌をいささかも損なうことはなく、むしろ鷹揚ともいえる皇者の風格が感じられた。
そんなアインザッハは、あたりをキョロキョロと警戒して、自分たちが本当に二人きりであることを確かめてから、口を開いた。
「お前がリリーナか」
「左様にございます、アインザッハ皇子殿下」
「何その口のききかた、馬鹿じゃない?」
リリーナは何か粗相があっただろうかと不安になり、わずかに肩を震わせた。
しかし、そういうわけではないらしい。
「なんでさあ、そんな礼儀作法の先生みたいな話し方なんだよ、お前、大人の言うことを聞くしか能のない馬鹿だろ」
アインザッハ少年は、食べかけていた菓子をリリーナに向かって投げつけた。
菓子はリリーナの胸元に当たって砕けて床に落ちた。
もちろん柔らかい菓子くらいで怪我をしたりはしないが、この日まで蝶よ花よと育てられてきて他人からの蔑みに慣れていないリリーナのプライドは傷ついた。
「恐れながら殿下、私は本日、一切無礼のないようにと父から厳しく申しつかっております」
「あー、ファザコンか。パパ大好きーか、ガキだな」
皇子は「ふふん」と鼻で笑う。
「だいたいさあ、親に結婚相手を決められるとか、あんた、それでいいわけ? 何でも親の言いなり? 自分ってもんはないの?」
「あの、恐れながら、ちょっと……皇子殿下はこの縁組が国家の秩序を守るものだと聞かされてはいないのですか?」
「あー、なんか、聞いたかも。何だったっけ? 革命の危険性がどうとかこうとか?」
「革命派に対し、シュタインベルク家には皇家に叛逆する意思がないことを示すためのもの、です」
「そんな大人の言ったことを鵜呑みにしてさあ、馬鹿なんじゃない? だいたい、大袈裟すぎんだろ、国家の秩序とか」
その瞬間、リリーナは理解した。
あ、この皇子、馬鹿なんだな--と。
皇家とシュタインベルク家が最も警戒しているのは、革命派と呼ばれる民間の地下組織である。
国民の安寧と正義を理念とする彼らは、シュタインベルク家の権力を取り込もうとする貴族達よりも厄介な相手だ。
民間であるがゆえに貴族の常識が通じず、正義を信じているがゆえに容赦ない。
もしも革命軍が内乱起こせば、国内のあちこちで戦火があがり、無関係な民達が巻き込まれるのは目に見えている。
つまりシュタインベルク家は皇家に忠誠を誓っており、革命派に手を貸すつもりはないということを広く知らしめておく必要がある。
これは、そのための婚約なのだ。
リリーナはこのことを家庭教師からきちんと教えられ、理解してここにきたのだが……皇子は教えられはしても理解はできなかったらしい。
彼はリリーナに対してさらなる無礼を働いた。
「なんていうの、お前みたいに冷たそうな女、俺の好みじゃないわけよ。父上に言って、婚約破棄してもらうから」
そのままシッシッと犬でも追いやるような手つきをする。
つまり、下がれということだ。
「皇子殿下のお気持ちは理解いたしましたが……お父様も国皇陛下も、この婚約を解消なさることはないと思いますよ」
「じゃあ、母上に頼むさ」
リリーナはもう、返事をする気力もなくして、ただ早々にその場を去った。
この城に入るまで感じていたような浮かれた気持ちはすっかり消えていた。
あの皇子がどれほど泣き喚こうとも、この婚約が覆ることがない。
ならば自分は、あの馬鹿皇子を支えられるだけの教養と、知識と、そして胆力を身につけねばならないだろう。
小さな恋が去って、リリーナの胸に訪れたのは
諦めと義務感であった。




