これが……悪役令嬢……だと? 8
アインザッハ皇子は無表情で、棒きれみたいにただ立ち尽くしていた。
さっきまで猛る嵐のように感情むき出しで暴れていたのに、今はまるで……魂を抜かれたみたいにただ、立っている。
俺はリリーナを抱えて舞台の上に上がり、蹴りの届かぬよう十分な距離を開けてから、皇子に声をかけた。
「あの~、殿下?」
とたんに、皇子がばね仕掛けみたいにぴょこんと飛び上がった。
「な、なんだ?」
「恐れながら殿下、大丈夫ですか?」
「だいじょう……ぶ……?」
状況がつかめないのか、皇子があたりをきょろきょろと見回す。
しかしそんな彼の瞳が、俺の背中に隠れるように張り付いているリリーナを見つけた瞬間に、狂気をはらんで血走った。
「リリーナ、またお前か」
俺の背後で、リリーナが「ひいっ」とひめいを上げた。
どうやらゲームの強制力から解き放たれても、この二人の関係性が変わるわけではなさそうだ。
リリーナはすっかりおびえきっている。
「またって何ですの! 私、何もしていませんわよ!」
おびえきっているくせに口調が令嬢風なのだから、言葉だけを聞けば偉そうにも聞こえるだろう。
だが、俺の上着の肘のあたりをつかむ彼女の手はブルブルと震えて、その怯えの深いことを俺に伝えている。
布地を通して染み込んでくるじっとりと湿った感触は手汗だろうか。
皇子の方は鷹揚自若、うっすらと微笑みまで浮かべているのがまた、そこが知れなくて怖い。
「いいか、リリーナ、君の悪事の証拠は必ず掴んでみせる。そして……君を断頭台に送るその日が楽しみだよ、ははははは、はーはっはっは!」
それだけを言うと、皇子は踵を返して大劇場をあとにした。
後に耳障りな高笑いと、怯えきったリリーナだけを残して。
皇子がいなくなるのを見送った後で、俺は振り向いた。
「大丈夫ですか、シュタインベルク公爵令嬢……」
あくまでもダレスっぽく、かっこよくキメようとしたのだが……いまだ怯えを残したまま俺を見上げるリリーナの顔を見た途端、そんな建前や上辺の言葉などすっかり吹っ飛んでしまった。
「か、可愛いすぎんだろ」
俺の呟きに、チヒロが同意する。
「わかる、マジ可愛すぎ」
リリーナは女性としては身長が高く、いわゆるモデル体型というやつだ。
男なのに小柄な俺、ダレスよりもタッパがある。
なのに、俺の背中に隠れようと背中を丸め、手足をぎゅっと縮めた姿からは、そんなモデル並みの高身長感はなくて、気の弱い小型犬みたいな憐れを感じる。
チヒロがリリーナの頭をふわっと撫でた。
「あー、うん、こういうリリーナたんも悪くない。ていうか、可愛い」
リリーナがキャンっと吠える。
「気安く撫でないでくださいませ!」
それが可愛くて、俺もつい、リリーナの頭を撫でてしまう。
「わかる。ほんと可愛い」
リリーナがキャンキャンと吠えた。
「あのっ! 私これでも、あなた達より上級生なんですけど!」
「やばい、可愛いわ、この気の強さも可愛い」
俺とチヒロはリリーナのかわいらしさを心ゆくまで堪能した。
やがて、満足し切った大きなため息とともにリリーナの髪を手放したチヒロは、まず俺に話しかけた。
「あんたのスキル、すごいわね」
「前世で犬を飼っていたので」
「撫で撫でのスキルじゃないわよ、ゲームの強制力をぶった斬る、あれよ」
「あー、あれ、スキルなんですか?」
「立派なスキルでしょうよ」
リリーナだけが一人、話題についていけずにいる。
彼女は見知らぬ場所に放り出された子犬みたいに不安そうな顔をして、俺とチヒロを見上げた。
「すきる? げーむ? それは何ですの?」
チヒロがひらひらと手を振ってリリーナの言葉を遮る。
「あー、あー、リリーナたんは知らなくていい言葉だから」
流石に公爵令嬢本人に面と向かって『リリーナたん』は失礼じゃないかとは思ったが……なにしろリリーナはこの状況についていけずに目をパチパチさせるばかりで、気づいていない様子だ。
それをいいことにチヒロはさらに畳みかける。
「それより、私、リリーナたんのキャラブレの理由、わかっちゃったかも」
「きゃら……ごめんなさい、なんですって?」
「ん~ん、気にしないで、それよりさあ、リリーナたん、本当は悪役令嬢なんかじゃないでしょ、わざと悪く振舞ってるだけよね」
「あく……? ごめんなさい、私、庶民言葉に疎いもので……」
これはダメだ、と俺は判じた。
チヒロに任せていては、まったく会話がすすまない。
そもそも、俺たちが二人とも転生者だということは伏せていた方が良くないか?
いや、話してもいいけれど、『転生者』という概念を説明するだけでも大した手間だ。
俺は咳払いしながらチヒロを押しのけた。
「おそれながらシュタインベルク公爵令嬢、ここから先は僕が説明させていただきます」
チヒロがチャチャを入れてくる。
「『僕』だって、なに気取ってんのよ」
「『ダレス』の一人称は『僕』なんだよ!」
チヒロを完全に押しのけて、俺はざっくりと事の次第をリリーナに話して聞かせた。
もちろんすべてが真実なわけではなく、リリーナにもわかるように、ちょいちょいアレンジを加えて。
つまり、俺とチヒロはリリーナの不幸な未来を予知夢で見た、ということにしておいた。
魔法のあるこの世界では、稀にではあるが予知夢を見るということはあるのだから、それ自体は不審に思われはしない。
そしてチヒロはお人よしゆえに、リリーナの不幸な未来を変えようと奔走しているのだ、ということにしておいた。
その後の会話はとてもスムーズだった。
「あなたたちの見た予知夢では、私は断頭台に送られることになると、そういうことですのね」
舞台の上に車座に座って……すっかり落ち着いたリリーナは、静かにつぶやいた。
その言葉を、チヒロが即座に拾って答える。
「そんなことはさせない! そのために私たちがいるんだから!」
「ふふ、頼もしいわ。でも、どうして他人である私にそこまで?」
「そりゃあもちろん、リリーナたんが尊いから!」
「つまり、公爵家に対する敬意ってことですわね」
「うん、ちょっと違うけど、そんな感じ!」
どうやら会話のキャッチボールというのが上手く成立したみたいだ。
と思いきや、ろくな考えもなしに直球を放るのがチヒロという女。
「で、リリーナたん、あんた、自分がわざと悪者になるようにふるまってるでしょ」
リリーナは、あまりに直球剛速球なチヒロの言葉を、ふんわりとした笑顔で受け止めた。
「そう……あなたたちには隠してもわかってしまうのね」
「だいたい、あんなDV皇子相手じゃ、わざと悪く振舞って婚約破棄に持ち込んでやろうって思っちゃうのも当然よね。女の子を足げにするとか、マジでさいてー」
「ふふっ、それだけじゃないんだけどね」
「え、他に理由があるの? くわしく」
「そうね、あなた、いまの国情をご存じかしら……」
「それ、それをさ、ネット小説とかで見る『SIDEリリーナ』で語って!」
「えええええ? よ、よく解りませんけど、こういうことかしら」




