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婚約破棄された悪役令嬢は冒険者を目指す……?

作者: 佐藤山猫

ふと思いついたネタを消化させてみました。

みなさんの暇つぶしになれば幸いです。

「マリー、君との婚約を破棄させてもらう」

「どうしてですか!?」


 ユナ王国の貴族子弟が集まる王立学園のパーティー会場。パーティーの名目は王子にして王位継承権第一位、その名をレイ・リュエリオ・フォン・ド・ユナの誕生日祝い。だが、そのレイ王子が自身の婚約者でもあるマリー・フォン・ゴア公爵令嬢に対して婚約破棄を宣言した。まさに青天の霹靂、寝耳に水の話。王子が突き付けた婚約破棄は、列席者に多大なる衝撃をもたらした。


 何故か。それは王命にも等しい婚約破棄を当人の一存のみで一方的に破棄し、ましてやそれを衆目に晒す形で行うというのが常識外だからだ。


 王子の傍らにはしなだれかかるようにひとりの令嬢が佇み、マリー嬢に対して分かりやすく怯えのこもった視線を投げかけていた。


「どうしてだと? とぼけるな。貴様がアンに行っていた非道の数々、もはや許し難い。恥を知れ!」


 マリー公爵令嬢はその華やかなブラウンの腰まで届く髪を振り乱さんとばかりに取り乱していた。外に出ないため透き通るような白皙の肌も、気品を演出するための白いドレスも、取り乱すマリーに乗算されると途端にホラー物の幽霊のようになってしまい、そこはかとなく不気味だ。マリー自身、懸命に冷静になろうとしているのだろうが動揺が表に出てしまっていてどうしようもない、といった様子だ。

 相対するマリー嬢がそんな様子だから、レイ王子はますます得意になっているご様子だ。王子に抱き着くアン・ジュペリン男爵令嬢の腰に手を回し、ふたりはますます密接する。清楚な黒髪が背中になびいた。


 ちなみに非道とは、アンの持ち物が隠されていた(無事10分後に発見された)だとか、背中を押され階段から突き落とされた(ただし床まで二段しかなかったのでけがはなかった)であるとかの、ごく子どもじみたもので、それをマリーがやったという証拠も満足に提出されないという杜撰極まりないもの。詳細が明らかになるにつれ、驚愕が呆れに、呆れが嘲笑に変わっていく。

 当事者で一方的な糾弾を受けているマリー公爵令嬢にしても、俯き肩を振る合わせその表情を窺い知ることはできないものの、聴衆と同じような心境で居ることは明白だ。


「そもそも貴様のようなボンクラは我が妻としてふさわしくない! 聡明なアンこそふさわしい!」


 ついに人格批判まで始めた。


 と、マリー付きの侍女長でマリーの異母姉(但し当人たちは知らない)のラナは会場の外、列席者の邪魔にならぬ位置で待機しながらこの呆れたイベントを眺めていた。

 従者としてはこの事態、憂慮すべきか怒るべきか。当事者になってしまった以上、何らかの風評被害に遭うことは避けられない。


「……レイ様……なんということを……」


 レイの侍従だろうか、ロマンスグレーの髪を丁寧に撫でつけた男性が頭を抱えている。完全なやらかし案件である。主人の未来が見えた。それどころか、「どうして王子を止めなかったのか」等々、どんなに責められ処断されても文句は言えない。

 気の毒なことだ、とラナは思った。


 そんなラナに近づく影。

 同じく侍女のスーだ。ラナの部下に当たる。マリーとは最も歳が近く、また趣味嗜好が似ている。フィクションを愛し、夢想癖があり、浮世離れした雰囲気を持つスーはラナの袖を引いて使用人の控える輪のさらに場外にラナを導いた。


「ラナ様」

「どうしました」


 耳元で囁くスーはなんだか泣きそうな表情をしていた。


「実は……」


 ずっともじもじして、手遊びを繰り返している。

 ラナはあまり辛抱強い性格ではない。早く言いなさい、とスーをせっついた。


「実は……レイ王子の糾弾の内容は全て事実なんです」

「はっ?」


 ラナの思考はフリーズした。


「な、なにを言っているの?」

「も、申し訳ありません」

「ちょっと詳しく話しなさい? ね? 怒らないから」

「はい……」


 そして、スーがぽつぽつと、時折嗚咽を交えながら長々と、話した内容は非常にあっさりとしたものだった。

 馬鹿王子(レイ)浮気相手(アン)ができたことに嫉妬した婚約者(マリー)が、アンに対する注意だけには飽き足らず「ちょっと嫌がらせしてやれ」とちょっかいをかけていた。今日この場で婚約破棄をされようとは微塵も想定しておらず、大事になって焦りに焦っている。それだけだ。


「そんな……子どもじゃあるまいし……」


 マリーは今年で15歳。確かに幼いと言えば幼い上に、性格も相まってかなり挙動を警戒されていた。

 絶句したラナに、レイの侍従へ向けた感想が反射してくる。いまならあの人の心境がよく分かるというものだ。


「……取り敢えず旦那様に報告を」

「はっ」


 スーが駆けていく。

 どうせ遅かれ早かれ事実関係ははっきりするのだ。

 開き直ったラナはただ姿勢を正した。






















 報告を受けてからずっと、マリーの父でゴア公爵家当主であるゲールは難しい顔をしていた。娘のマリーがあどけない容姿である一方で、父親のゲールは武闘派の貴族と言っても通じるほどの隆隆とした体格と強面を特徴とする。髪色のブラウンと、菫色のアメシストに比肩する瞳がかろうじて血縁を想起させていた。


 ゲールの周りには明らかな疲労感と緊張感が漂っていた。

 それだけで集められた使用人は委縮し始める。実娘のマリーとて例外ではない。執事とラナだけが平然としていたが、立場上おくびに出さなかった。

 分かり切った質問をゲールは発する。


「……して、婚約破棄は全くの濡れ衣なのか?」

(とてもじゃないけど言い出せない)

(いや、もう報告はしてあるはずなんだけど)

(旦那様の顔、怖すぎてまともに見れねえよ)


 俯き続ける当事者たち。

 ゲールは娘に水を向けた。


「マリー、どうなんだ」

(こっ、怖っ……)

「……もうしわけありませんっ!」


 生まれたての小鹿のようにプルプル震えていたマリーは、堰が切れたような勢いで謝罪した。


「レイ様の仰っていた罪状は、ほぼすべて真実です!」 

「……なんだって? マリー?」


 いっそ清々しいくらいのトーンだった。

 事前に聞いていたゲールを含め、全員が「何言ってんだこいつ?」という目でマリーを見る。


「ですから、私はアン様の持ち物を隠したり、階段におられるアン様の背中を押したり、他にも……」

「いや、もういい」


 手を広げて皆まで言わせないゲール。


「……ラナ?」

「申し訳ありません。旦那様」

「分かっているな? これはお前の責任だ」

「はい」

「侍女の仕事は単に身の回りの世話をするだけではない。監視し、適切な振る舞いが成せるよう、また敵を作らせぬよう躾けるのが役目であったはず。ましてマリーは悪ガキだ! それが婚約破棄! 嫌がらせは冤罪ですらないだと……! 見損なったぞラナ! 一体どうなっているのだ! 処分は……」

「お待ちくださいお父様! ラナは悪くありません!」


 マリーが意気込む。

 いや、お前が百のうちの百も悪いのは自明なことなのだが、とこの場に居る誰もが思った。


「ラナが知ったら止められて叱られると思って……。だから私、ラナに叱られないようにこっそりと……」

「ダメだこいつ」


 誰かの呟きに、総員同意するように溜息を吐いた。


「……良いかマリー。公爵令嬢ともあろう者が、そのような幼稚で低俗な振る舞いをして醜聞に晒されるなど、ゴア公爵家の看板に泥を塗りよって。この大馬鹿者め。お前はもはやゴア公爵家の娘では無い! マリー・フォン・ゴアを名乗ることも許さん!」


 発言の途中で冷静ではいられなくなっていったゲールが雷を落とした。マリーがひぃ、と身を竦める。


「出ていけ」

「お父様……そんな……」

「出ていけ」


 摘まみだされたマリーに同情するものは誰もいなかった。


「……教育を誤ったか……」


 重厚な声色でゲールは呟いてワイングラスを傾け、そして目の前に跪く侍女のラナを見つめた。


「ラナ」

「は。旦那様。全ては私の不徳の致すところ。いかなるお咎めも覚悟しております」

「ああ。ならばお主は今日をもって屋敷の侍女としての任を解く」


 ラナは黙って頭を垂れた。


「……そして、あの馬鹿の監視を任命する。どうせやらかすぞ、あいつは」

「はっ。旦那様の仰せのままに」


 ラナが退室する。

 執事のセバスチャンがゲールへのワインを注ぎながら尋ねた。


「よろしかったのですか?」

「よい。いかに優秀なラナと言えど、24時間365日の監視は不可能であったということだ」

「はっ。しかし処分が甘いのでは……」

「ラナに対してか? マリーに対してか」

「……」


 ワインを呷って、ゲールは自嘲するような笑みを浮かべた。


「全く。私も人の親。娘たちには甘くならざるを得ないということか……。どんなバカ娘でもな」


 妾腹のラナは手のかからない子で、引き取って侍女長を命じてからも突飛な思考回路の他は問題の無い子だった。

 対してマリーは問題の多い子どもだった。

 魔力が生まれつき多かったせいで幼くして魔法に憧れ、貴族教育の傍らで隙を見ては魔法を所構わずぶっ放した。

 適性があったのは氷魔法。

 部屋を銀世界にすることは茶飯事。夏の暑い日は特に頻繁にやらかし、何度注意してもこっそり行っていた。

 庭の噴水にはいつの間にか氷が浮かび、寒い地域に棲息するという太った白黒の水鳥がいつの間にか住み着いていた。水鳥は繁殖を重ね、現在4世代目を迎える。

 雪が降れば外に出て氷像を作った。雪だるまと称して作った像は優に屋敷の屋根を超えた高さであった上に、春になっても溶けはしなかった。


 質の悪いことに、これらはかなり頻繁にあったことで、何度注意しても隙を見ては実行に移していた。悪戯感覚だったのだろう。凍る寸前のキンキンに冷やした紅茶を何度も飲まされたゲールは、顔をしかめるたびにマリーが嬉しそうに笑っていたことを思い出す。


 王子との婚約が決まってからは躾に余念無く、而して比較的大人しくなったと思っていたのに。


 ゲールは回想に耽りながらワインのお代わりを要求する。

 注いでもらっていると、部屋の扉が控え目にノックされた。


「失礼します。マリーお嬢様が屋敷を抜け出しました」

「……」

「ラナ様がこれより監視につくということです」


 見張りの兵士の報告に、ゲールは眉根を揉んだ。


「……何考えているんだ……」


 その場にいる誰もが、ゲールが心労で倒れてしまわないかを心配した。





 


















 純白の透き通るようなローブに身を包んだ小柄な少女は、氷漬けにした魔物の死体を手元の受注書の絵と見比べると、満足そうに頷いた。

 肩までに短く切られたライトブラウンの髪。日焼けを知らない白皙の肌にアメシストの色の目。マリー・フォン・ゴアその人である。その名を名乗ることを禁じられて以来、モルナと名前を変えて冒険者をやっているのだ。駆け出しだが、魔力には秀でていたため期待のルーキー魔術師的な扱いを受けている、と本人は思っている。


「うん。これで依頼達成ね」

「マリーおじょ……いや、モルナ。どうして冒険者を始めたのですか?」


 侍女の制服ではなく冒険者用の鎖帷子を着込み、その上に動きやすい服を纏ったラナが尋ねた。

 ゲール・フォン・ゴア公爵の命を受け、冒険者としてモルナの傍で動向を監視している。名前もラナのままだが、大して珍しくもない名前なうえにこちらは素性がばれる心配が薄い。盗賊職として罠の探知や宝箱の開錠などを手掛けていた。


「私ね、考えたのよ」


 氷漬けにした魔物の死体をズルズル引きずりながらマリーは言う。


「私の何が問題だったのか」

(全てでは?)

「貴族の中でも指折りの美貌。豊富な魔力量。こんなにカタログスペックは優秀なのに」

(自分で言うなよ)

「そう。性格よ。嫌いなものがあると気に入らないと手を出すなんて、子どもっぽい。まともじゃないわ」

(自覚はあったのか)


 ラナは心の中のツッコミをすべて脇に置いて尋ねる。


「それで、どうして冒険者なのですか?」

「どうしてって、お父様が言っていたじゃない」


 キョトンとした顔をラナに向けるマリー。確かに容姿は恵まれているが、可愛い系の顔立ちで、自称する指折りの美貌というのは大いに過言を含んでいる。


「『出ていけ』『もはやゴア公爵家の娘では無い』『マリー・フォン・ゴアを名乗るな』と。だから出ていって偽名を名乗って冒険者をやっているんじゃない」

(確かに、旦那様は『どうせなにかやらかす』と仰っていました。まさか冒険者になるとまで想定されていたのでしょうか)

「どうせ部屋に籠っていたら良くて修道院送り、悪くて死刑になるわよ。王子に対する反逆罪とか無礼を働いた罪だとかで」

「でしょうね」

「そうでしょ」


 我が意を得たりとばかり頷いて、


「それは嫌だったもの。反省するだけじゃダメ。修道院に閉じ込めたって人は更生しないわよ。まずは身体を鍛えないと。健全な精神は健全な肉体に宿るものよ。冒険者(これ)で立派な淑女になるわ!」

(なるほど、考え無しでは無かったのですね)


 ラナは純粋に感心して息を吐いた。


「スーも誘えばよかったかな。いま何をしているんだろう」

 

 同じく冒険小説を好んでいた従者の名前をマリーは呟く。「元気かなー」と呑気なものだ。自分の振舞いのために何人もが頭を抱えたり職を失ったりした自覚がとんと無いようだ。

 スーは「マリーが嫌がらせ(バカなこと)をやっているのに知っていて止めなかった」として解雇され、実家の八百屋に帰ったと聞く。確実に人生を狂わされたスー。ラナは一切の同情心を持ち合わせていないが、なるほど確かに不憫かもしれない。


(スーのは自業自得です)


 そんなラナの心境など知らぬ存ぜぬで、マリーは溌溂と鼻歌を口ずさんでいる。

 街が遠くに見えてきた。


「じゃあ、とっととギルドに提出するわよ」


 街外れの冒険者ギルドに氷漬けした魔物を出し、マリーはふうっと額の汗を拭う所作をした。


「疲れたわね」

(あんたのお守りがね)

「でも、随分ランクが上がったわ。一か月で始めのFランクから今はBランクだもの。あとAとSね。早くSランクに上がりたいわ」

(そんな簡単になれやしないでしょう)

「Sランクになればきっといまの生活から変われるわ」

(冒険者になりたかったんじゃないのかよ)

「冒険者って不安定なうえに報酬も安いし、それだと豪華できないもの。安宿は嫌。フカフカのベッドが恋しいわ」

(我儘だな)

「公爵家での生活って恵まれていたのね」

(本当に我儘)

「馬鹿なことをしたわ」

「本当ですね」


 罵倒の大半は口に出さず、黙ってマリーに()くラナ。そんなラナに構わず、マリーは話を続ける。人が聞いていようがいまいが気にする素振りが無いのがマリーらしいことだ。


 と、目の前から男が三名ほど近付いてきた。全員服の上からでもガタイが良く見える上に、人相も悪くいかにもガラが悪そうだ。

 ラナはそう判断して無視をしようとさりげなくマリーの袖を引こうとした。


「へえ。上玉じゃねぇか」

「姉妹か? あんま似てねぇけど」

「なあお嬢ちゃんたち。ちょっと俺らと遊んでいかねぇか?」


 間に合わなかった。

 男の野卑な笑いに、上機嫌だったマリーはたちまちムッとした表情に変わった。


「遊ぶ? 嫌よ」

「まあそう言わないで」

「失礼するわ」

「……」


 脇をすり抜けようとするマリーとラナ。

 

「おいおい、つれない嬢ちゃんたちだなぁ。あ゛ぁ?」

「無視してんじゃねぇよ」

「……」


 マリーが振り返って冷然とした視線を向ける。

 その視線だけで相手を凍てつかせることができそうな目だ。実に元貴族らしいと言える。

 こういう目ができるのも家系故だろうか、とラナは思った。


「あ゛ぁ?」

「なんだぁ女ぁ。生意気な目だなぁ」

「ひっひっひ。こういう女をぶち壊すのが愉しいんだよなぁ」


 下品な会話に、マリーがキレた。

 短く速く、呪文を詠唱する。


「凍り付け!」


 マリーの言葉と同時に、男たちの靴が地面と接着する。


(お嬢様、その……感情を即行動に反映させてしまう性格を直そうと冒険者を志されたのでは? 全く成っていませんが)

「くそっ! どうなっていやがる!」

「てめぇ!」

「魔術師か! 魔術を解きやがれ!」

「ふふん」


 得意げな顔をするマリー。

 ラナは騒ぎになる前にとマリーの袖を引いて、人気(ひとけ)のない場所まで連れ出した。


「お嬢様」

「何? 真剣な顔をして。あと外ではモルナって呼んでね」

「失礼しました。ではモルナ、改めて聞きますが、冒険者になった理由は?」

「だから心身を鍛えてどこに出ても恥ずかしくない淑女になるためよ」

「なるほどなるほど。ご立派です」


 ラナはマリーの肩に手を置いた。


「で、本音は?」

「ええ。修道院送りになるくらいなら好きなことをして生きてやろうって。冒険者。究極に自由な稼業よ! 憧れるじゃない!」

(そういえば、お嬢様は小説──それも冒険もの──が大好物でしたね)


 ラナはただ呆れて息を吐いた。


「……結局、お嬢様はこちらの方があっているのかもしれません」

「ん? 何か言った?」

「いえ」


 ラナは首を振って、そして言い忘れたことを思い出した。


「モルナ、いくら狼藉者とはいえ問答無用で魔術を使ってはいけません。ましてや街中で。それは血の気の多いゴロツキのやることじゃありませんか」


 血の気が多い=淑女では無い、暗にラナはそう伝えようとした。


「そうね。街の住民の方々にも迷惑よね」


 マリーは果たしてラナの考えが伝わったか怪しい様子で頷いた。


「さ、この街にはもう飽きたわ。行きましょう?」

「分かりました。ですがモルナ、どうやら私たちは何者かに包囲されたようです」

「包囲?」


 マリーたちは路地の中にいた。左右の通りへの出口が塞がれると挟み撃ちの形になってしまう。


「出口の陰にふたりずつ居ますね」

「あら。困ったわね」


 マリーは何でもない風にラナに背を向け二、三歩歩き、そして振り向いた。


「どう? 氷魔法の使い手としてはやっぱりクールでないといけないと思って、そんな雰囲気で言ってみたんだけど」

「ダメですね。全くクールではありませんし、そもそも状況を考えてください」

「凍らせる?」

「街の住民の目も気になりますが……まあ仕方がないですね」


 元はと言えば自分が路地のような人の来ない場所へ引っ張ったのが原因だ、ラナは渋々頷こうとして


「じゃあ街の人にも迷惑が掛からないようにしましょうか」


 耳を疑った。

 そして、数秒後、今度は目を疑った。


「痛っ! なんだぁ?」

「……雪か?」

「いや、氷だ! 氷が降ってきているぞ!」


 空から大量の降雹。見上げれば、厚い雲が街の上空を覆い、大粒の、蜜柑の果実ほどの大きさの雹がそこから降りだしていた。


「……どう? まだ囲まれてる?」

「……いいえ。え、あ、あの、これはお嬢様が?」

「モルナって呼んでくれなくちゃお父様に叱られちゃうわ」

「モルナが?」


 天候を変える魔法など聞いたことがない。


「初めてやってみたけど、案外できるものね」


 さすがに疲労の色は漂わせているものの、マリーは割合に平然とした様子だ。


「本当は雪も降らせた方が良かったんだけど。雹と雪を降り分けるのはまだ難しいわね」

「……」


 ラナもゲール同様、マリーの幼いころの数々の魔法(いたずら)を目の当たりにしてきたが、それらは全て「まあお嬢様だからこんなこともあるだろう」と深刻に考えないでいた。天候を変えるという法外な事象を起こされて、初めて「あれ、このお嬢様ってやばいんじゃね」と痛感した。


 バタバタと駆け足が近付いてくる。「魔力源から見て……このあたりのはず」と声が聞こえて、ラナはこれがマリーの仕業であることが早々にばれることを覚悟した。

 現れたのはふたり。どちらもギルドの制服を着た一見普通の男女だった。しかし、その姿が何らかの魔法で装われた姿であることをラナは一瞬で看破していた。


「これをやったのは君たちか?」


 尋ねられ、ラナは観念したようにゆるゆると、マリーは得意げに胸を張って、それぞれの方法で肯定を表した。


「……なあ、うちで働かないか?」































 ユナ王国第一王子レイ・リュエリオ・フォン・ド・ユナは不満であった。


 婚約破棄は正当であった。アンは確かに元婚約者であるマリー・フォン・ゴアにいじめられていた。

 それを指摘し糾弾し、婚約破棄を宣言したが、その件を知った両親は今までに一度も見せたことのない剣幕でレイを叱りつけた。将来は王位に就かせず、臣籍に落とすに値する愚行だとかなんとか。

 結局、ゴア公爵の意向もあり、この件はうやむやに処理され、アンとの婚姻もなんやかんやで(側妻という形ではあるが)認められた。

 そして、正妻であるが、いくら探しても見つからない。どの貴族も全力で拒否するか、とっとと婚姻の既成事実を作ってしまっているのだ。原因はもちろん王子の評判にあり、国王とて事情が事情。拒む貴族に対して強くも出ることはできなかった。

 だからと言って、あまりに身分が異なると問題がある。アンが正妻になれない理由もこれなのだ。


 うまくいかない。

 それが自分の所為であると家中の者から白眼視されていることには、さすがのレイも気付いていた。


「……もうこの際、ゴア公爵に頭を下げる他なかろう、と」

「なるほど。始めから壮大な演出であったと狂言を打つわけですね」

「うむ。まあ誰も信じてはくれまいがな」

「ゴア公爵としても、嫁ぎ先の無くなった娘が無事に嫁ぐことができるのですから、喜んで受け入れるでしょう」

「早速ゴア公爵を呼んでまいれ」


 王の言葉に、従者が急いで部屋を退室した。

 国王(おやじ)が宰相ら信頼できる者数人で行っている相談の席に呼ばれたレイは、父からの鋭い横目に怯えた。その目は「まさか断るとは言うまいな」と言っていた。


 レイは本心では気が進まなかった。

 最愛の女性(アン)を傷つけた女を正妻に? 冗談ではない。

 しかし、断れる雰囲気ではなかった。


「国王陛下。ちょうどこちらから参上しようと思っていたところです」

「うむ。ご苦労であった」


 やって来たゴア公爵はやはり立派な体躯を誇っていたが、レイには、今日は心なしか縮こまって見えた。


「足労願ったのは他でもない。実はな……」


 説明を受けた公爵は頭を下げた。


「勿体ないお言葉ではございますが、お受けすることはできかねましょう」


 思わぬ言葉に、ざわめきが起こった。


「実は、娘は現在屋敷に居りません」

「修道院か。連れ戻して還俗(げんぞく)させれば良かろう」

「いえ、それが……」


 沈痛な面持ちの公爵は「実は……」と声を落とした。


「ここ数か月、国境付近で、魔王軍と我が国の軍の争いが頻発しているのはご存じでしょうか?」

「ああ。魔王軍の侵攻は我が国の長年の課題じゃ。頭を抱えておる」

「冒険者たちも協力して魔王討伐に意欲を燃やしていると聞きます」


 ゴア公爵と目が合ったレイは自分の知っている情報を付加した。


「はい。王子の仰った通りです。そして実は例の騒動の直後、娘は冒険者になると言って家出をしております」


 ざわめきがより広がった。


「……それで?」


 国王は続きを促す。


「娘はどうやら、その魔王軍に雇われて冒険者たちと戦っているそうなのです」

「……いまなんと?」

「はい。娘は魔王軍に幹部として雇われ、我が国の軍や冒険者たちを蹴散らしているそうです」


 ゲール・フォン・ゴア公爵自身も報告を受けた際、目を剥いたものだ。

 子どもに力を与えるとどうなるかのお手本のような振る舞い。ラナはこう記していた。


『……かくして魔王軍に勧誘されたお嬢様は、その高給と待遇に非常に満足され、即座に魔王軍への加入を決意されました。確かに、生活水準は公爵家にいた頃と遜色なく、貴族教育も煩い躾も無し。週の半分の労働で、部屋はフカフカの天蓋ベッドが付き、三食豪華絢爛です。魔王軍の料理人は素晴らしい技術を持っており、ゴア公爵家もこの点ではハッキリと劣っています。どこでも魔法を使っていいということでお嬢様は歓喜され、毎日のように雪だるまを作っておいでです。屋敷にいた白黒の水鳥を覚えておられるでしょうか。お嬢様はかの鳥をペンギンと名付け、毎日のように可愛がっておられます。

 直接人を殺すのは気が引けるのか、現在お嬢様は人の住めないほど寒い気候に変えることで征服を進めておられます。人的被害は少なく、お嬢様は『このまま王都まで凍らせてやるわ』と意気込んでおられます。正直私にはお嬢様の熱意が理解できませんが、私もここでの生活に染まり切っており、最早戻ることはできかねます。旦那様におかれましては、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。かしこ』


 公爵が(マリー)の監視につけていた侍女(ラナ)から受け取ったという手紙を読み上げている途中から、国王を筆頭にみな表情を引き攣らせていた。

 レイも何も言えず、ただ唖然として大口を開けたままの間抜け面を晒していた。


馬鹿娘ども(マリーとラナ)が大変なことを起こしてしまい誠に面目次第もございません」

「うむ」


 国王は心を落ち着けるように大きく深呼吸し、厳かに告げた。


「色々と言いたいことはあるが、その馬鹿令嬢(マリー)についての対応をまず優先することにしよう。諸侯、それでよいか?」


 青ざめたレイはすっかり現実逃避の気分になって、あの時婚約破棄をしなければな、などとぼんやり考えてしまっていた。



お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 国王や父親達は子供な馬鹿娘がやらかしたから頭が痛いという雰囲気になってますが、マリー側から見ると王子に浮気され父親からは何故そんな事をするに至ったかという経緯も聞かず公爵家の見栄を理由に家名…
[一言] まあ、本人が幸せならイインジャネ?
[気になる点] 関係無いけど、この手の世界観だと盗賊は奴隷落ちとか多いけど、なんで街の外の盗賊は即適用で街の中だと(実質)誘拐の目撃者が居てもそこまでスムーズじゃ無いんだろうね? [一言] 最後、どっ…
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