出会い
今、私はお母さんの出身国であるリムドの隣の国、ラオネルカにいる。
王宮に長い間閉じ込められていた私には王宮の外に知り合いなど一人もいない。王宮を追放されても、いくあてなどなかった。目的地もなくただダラダラと過ごすなんて時間の無駄だ。
そこで私は悩みに悩んだ挙句、お母さんが昔暮らしていたというリムドに向かうことにした。幸い、お母さんが踊り子時代に大陸で集めたお金がある。まだ元気だった頃に、いつか必要になるかもしれないから、と言って持たせてくれたものだった。
このお金を旅費にしてリムドに向かい、そこでお母さんの骨を埋め、そして自分の死に場所も見つけるつもりである。
そう、私は、この世界に生きる意味を見いだせないのだ。
心の奥深くでお母さんのいないこの世界に絶望しているのだと思う。私を愛してくれた人はもういない。愛したいと思う人もいない。一体どうして私に生きる意味があるというのか?
今の私を動かす感情はただ一つ、海が見たいという想いだけだ。
ただ、ラオネルカからリムドに向かうには、厄介なことがあった。
リムドに続くたった一本の峠道にはタチの悪い山賊が蔓延っている。ここを越える以外には、リムドに向かう方法はない。
私自身剣に関してはからっきしなため、誰か護衛を雇わなくてはいけなかった。
市街地の中心にあるギルドを訪れれば、護衛を引き受けてくれる人がいるだろうが、いかんせんギルドは人の出入りが多すぎる。
今の私は髪を後ろで括って、薄汚れたフードを被り一目見れば少年と見間違われるような見た目をしているが、この青を基調とする瞳だけは隠せない。青い瞳は王族だけに伝わるものであり、庶民には表れない系統なのだ。
護衛を雇えば、私が只者ではないことがバレるのは避けられない。
「さて、どうしたものかしら。」
結局どうするか決めあぐねたまま市街地の大通りの隅を歩いていると、視界の隅で横に入っていく細い道があることに気づいた。
薄暗く、人通りも少ない。ただなにかの店先でガラの悪そうな男が「今なら獣人を....」と客引きをしていた。
「奴隷、ね.....」
私は足の向きを変え、フードを深くかぶり直すとその男に近寄っていった。
コツコツとブーツが石畳みを蹴る音がなる。
「ねぇ、旦那。護衛が欲しいんだけど、誰か見繕ってくれない?」
「これはこれはお嬢さん、護衛ですか。一体どれほどお持ちで?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて男が予算を尋ねる。顔を軽くしかめて私は答えた。
「金額はそこまで高くない方がいいわ。そうね、50アランが限界。」
「でしたら、こちらなんて如何ですか?一昨日入ったばっかりの牙狼族の少年です。見目も良くて、腕も立つ。きっとお嬢さんを楽しませてもくれますよ。」
「そういうのは求めてないの。それで?彼はいくら?」
「100アランです。」
「高すぎる。50アランが限界って言ったわよね?聞いてなかったの?」
「だってお嬢さん、それ以上の金額をお持ちですよね?さっき袋が見えましたが、300アランは裕にあるでしょう?わたくし、そういうのを見分けるのは得意なんですよ?」
ヒヒヒと笑いながら男が続ける。
「それにこの時期は奴隷をお求めになる貴族が多くて、腕のたつものや見目が良いものはすぐに売れてしまうんですよ。お買い求めにならないならそれで結構。他の奴隷商を見てみてはいかがですか?どうせどこにもいないでしょうけど。戻ってくる頃には、彼も売れてしまっているかもしれませんねぇー。」
わざとらしく視線を外し口笛を吹く。全く、汚いやり方だ。
「.......わかったわ、ただし90アランよ。それ以上は無理。この先の旅費だって含まれてるんだから。」
「ヒヒヒ、仕方ありませんね。では交渉成立、ということで。ただ今商品をお出ししますので。」
男は牙狼族の少年が入った檻の鍵を開けると、奥に向かって「おい、出てこい」と声をかけた。
ある意味ずっと深窓の令嬢のような生活を送っていたので、獣人というものを見る機会はなかったわけだが、初めて見る獣人
かれ
は確かに男の言う通り、綺麗な見た目をしていた。
銀色の髪に、オレンジがかった赤色をした瞳。形のいい耳が髪の毛の間から覗いている。そんな見た目とは裏腹にどこか危険そうな雰囲気がするのは、纏っている私へ殺気のせいだろう。思わず後ずさろうとしたところで男の声がかかった。
「お嬢さん、何があってもこいつの首輪は取っちゃあいけませんよ。牙狼族は特に戦闘に向いてる種族ですから主人を殺して自由になろうとする奴も多いんです。こいつだって捕まえるのに仲間3人犠牲になったんですから。」
そういうのは早く言ってくれ、という目で男を睨むと、ニヤニヤしながら続けた。
「まぁそうは言っても、この首輪を外さない限り、こいつがお嬢さんを殺めることはできないのでご安心を。それじゃあお代はきっちり頂きましたよ。ほら、お前も行け。」
男に見送られながら、獣人と一緒に奴隷商を出た。ちらりと後ろを見やると一応ついてはくるらしい。さっきあれだけ殺気を飛ばしてきたのに。
主人を殺して自由になる、ねぇ。
「ねぇ貴方、名前はなんていうの?」
「....あんたなんかに教えるわけないだろ。」
「そう、でもないと不便だわ。....じゃあハクって呼ぶわね。古代リムドの言葉で白って意味。」
「.......だっさ。」
「とりあえず、なんか食べる?あなたの服も買わないといけないわね。あぁだから50アランまでが限界だって言ったのに、あのハゲ、」
「俺に媚をうってどうするつもりだ?」
「媚?なんのこと?」
「奴隷なら奴隷らしく扱えよ。」
「奴隷らしくって何?この世の中に基準なんてないわ。私は私のやり方であなたに接する。何か文句ある?」
「.........」
後ろから訝しげな視線は気にも留めず、大通りを歩く。
次の目的地はすぐに見つかった。外に出ていた男性にお金を払い、商品を受け取る。
「はい、これ食べて。」
「....なんだ、これ。」
「さあ?私も知らないわ。」
ハクに差し出したのは、通りにある出店で買ったサンドイッチのようなもの。正式名称は分からない。モチモチした大きめのパンを二つに折って、間に厚めのベーコンとトマト、チーズをはさみ、玉ねぎのソースをかけている。ベーコンの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
私は自分の分をソースがこぼれないように大きく口を開けて頰張った。
美味しい。
王宮での食事は冷めていて味付けも薄く、味わう要素はどこにもなかった。
今、少々行儀が悪いのは許してほしい。
ハクも無言で食べている。目が爛々と輝いているのと耳がピョコっと動いているから、気に入ってくれたのだと思う。
「よーし、おなかもふくれたし、買い物いくわよ。まずはやっぱり着る物よね。ハクは好きな色とかないの?」
「......」
「ねぇってば!無視しないでよ!」
ずっとこんな調子で、結局その日はハクのものをいろいろ買うのに時間がかかってしまい、泊まる宿に着いたのは夜遅くになってからだった。
◆
「ハク、お風呂先に使っていいわよ。とりあえずその体の汚れ落としてきて。」
「.......」
どうやらハクは私とコミュニケーションを取る気はないらしい。
買い物の間もいろいろ尋ねてみたが、まともな返事は返ってこなかった。こんなことでリムドまで無事に辿り着けるのだろうか。
というかそもそも、私のことを守ってくれるのだろうか。
今日はなんだかひどく疲れた。
私は靴だけ脱ぐと、二つ並んだベッドの手前に仰向けにダイブして両腕を投げ出す。小さい頃は眠れない夜にはお母さんが唄を歌ってくれた。
どれも古代リムドの唄ばかりで、最初は何を言っているのかわからなかったが、ずっと聴いているうちに少しずつわかるようになっていった。1日の始まりを喜ぶ唄、秋の収穫に感謝する唄、夜空の星に願う唄、愛する人を想う唄。「まだ、眠れないの?」と、私の頭を優しくなでながら困ったように笑っていたいつかの姿が脳裏に浮かぶ。
一緒にリムドの地を歩こうと約束したのに。
「お母さん......」
目を瞑ったまま涙がこぼれていた。
はっと、目を開けた瞬間、私を組み敷いて首筋に刃を突き立てているハクと目があった。
「気配を消すのが随分うまいのね。....私を殺して、自由とやらになりたいの?」
「ああ、自由になって、人間どもに復讐するんだ。里を襲った奴隷商ら、皆殺しにしてやる。」
「そう、ハクには生きる理由があるのね。羨ましいわ。」
「は?」
怪訝そうな紅に私の顔が映る。刃は首筋に当てられたままだ。首輪があれば殺すことができないというのは本当なのだろう。つまりこれはただの脅し。
「私ね、お母さんが死んじゃったの。たったひとりの私の大切な人だった。この世界は私には残酷すぎる。愛したいと想う人も、愛してくれる人もいないこの世界に、私の生きる意味なんてないの。」
「......」
じっと見つめる瞳はその真意を探ろうとしている。
「だからね、私は最高の死に場所を求めてる。私にも一応プライドがあるから、その辺で野垂れ死ぬわけにはいかないのよ。これさえ叶えられれば、あとはハクが何をしようと知らないわ。あなたを自由にしてあげる。報酬も、私が今持っているお金の残った分は全部あなたにあげるわ。......だからお願い、ハク。私のリムドまでの護衛だけは引き受けて欲しいの。あなたの不利になることは何もないはずよ。」
これが私の願い。
「.....どうしてリムドなんだ。」
「お母さんの生まれ故郷なの。海を見てみたい。」
「.................わかった。」
長い沈黙のあとハクは首筋から刃を離すと、そのまま隣のベッドに横になった。
「あんた、その瞳の色といい見た目といい、王族だろ。なんか訳ありだな。」
「そういうことよ。ハクだってあそこにいたってことは色々あったんでしょ。お互いさまじゃない。まぁ、深く干渉し合わないってことで。」
「ああ」
心なしかハクの声が軽い。そのことに幾らかの喜びを感じつつ私は口を尖らせる。
「それから、私の名前はスターリアよ。あんたじゃないわ。」
「........」
「ねえ、ちょっとハク?スターリアって言ってみなさい?す、た、あ、り、あ!」
「........」
「ハク‼︎」
「...あんた煩い。俺は疲れてるんだ。ゆっくり寝かせろよ。」
その夜は、久々に誰かと長く会話をした。
ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったことを否定はしない。