旅立ち
短編を連載として改めたものです。視点の切り替えなど多少は読みやすくなるかと思います...。9話完結です。
ーーーどうしたの、スターリア、眠れないの?.....え、お母さん?
お母さんはね、お星様を見てるのよ。
ほら、見てごらんなさい。こんなにもたくさんの星が空では瞬いてる。
きっと誰かに見つけて欲しいのね。
え、なにスターリア?
お母さんのことは貴方が見つける?ふふっ、そうね。きっとスターリアならお母さんがどこに行っても、きっと見つけてくれるわね。
さぁ、もうベッドに戻りましょう。
お母さんが唄でも唄いましょうか。ええ、ずっと一緒よ。貴方が眠るまで、ね。
ーーー忘れないで、スターリア。輝く星の光がきっと貴方を導いてくれるわ。
◆
ときどき、自分という存在がこの世になかったら、どう世界が回っていくのか見てみたい衝動に駆られる。そんな時に私が思い出すのは、古いお母さんの記憶だ。
優しくて、温かくて、それでいつもどこか寂しそうな横顔をしていて。
物心ついた時には、私とお母さんの王宮での扱いはそれは酷いものだった。
西の外れにあるリムドという小さい国の踊り子だったお母さんは、今の国を訪れた時に、現国王であるラビルアスに一目惚れされ、この国に留まらざるを得なくなったらしい。
自慢だが、私のお母さんはかなりの、いや、絶世の美女と言ってもおかしくない見た目だった。緩くカーブを巻いたしなやかな金髪に、陶器のように滑らかな白い肌、長い睫毛の下には朝露に濡れる月夜草を思わせる緑色の瞳。
その美しさと、見た人を虜にする優雅な舞で、お母さんの名は小国の出にも関わらず、大陸で知らないものはいなかったと言われている。
踊り子として、一か所に留まるのは嫌だったのかもしれないが、大陸一の国の王が御所望とあればどうしようも無い。お母さんは王宮内に特別に作られた離宮で暮らすようになり、王もその頃は頻繁にお母さんのもとを訪れていたらしい。
一途に愛を表現してくるラビルアスにお母さんも少なからず心を許していただろう。
そして、私が生まれた。
いや、生まれてしまった、と言った方が正しいだろうか。
予想していなかった私の誕生に、ラビルアスはひどく慌てた。
理由は単純、お母さんを妃にするつもりは毛頭なかったからである。離宮を訪れる回数が極端に減り、お母さんに対する女中たちの扱いも雑になった。与えられる食事は一日に一度だけ。王の許可なしに外に出ることは許されなくなり、いわゆる軟禁状態である。まだ赤ん坊だった私に与えるミルクですら、十分ではなかった。
お母さんはお腹が空いたと訴える我が子に、どんな思いを抱いたのだろう。
今となっては知る由もない。
あまりの冷遇に耐えられなくなったお母さんは一度だけ、女中が部屋を出ようとしたタイミングを見計らって部屋を飛び出し、ラビルアスの居る執務室を目指したことがあった。
そして追手を振りきって何週間かぶりに王と対峙したが、そこでかけられた言葉は残酷なものだった。
「まだ、生きていたのか。」
その日を境に、お母さんはいつも何処か遠い場所を見つめるようになった。朝も昼も夜も。ただボーッと窓の側に腰かけ外を眺めていた。幼い私は訪ねたことがある。
「ねぇ、おかあさん。おかあさんはどこかいきたいところがあるの?」
「.....そうね、スターリア。貴方と一緒だったらどんなところにだって、今すぐにとんでいきたいわ。」
「どんなところでもいいの?」
「ええ」
「だったらね、わたしいきたいところがあるの!」
「え....?」
「おかあさんがうまれたところ!わたし、うみがみたい!だいじょうぶ、いまはおかねがないからいけないけど、わたしがおおきくなったら、おかあさんのかわりにいっぱいはたらいて、いっぱいおかねためて、おかあさんのことつれていってあげる!そしたらおかあさんも、もっとえがおになれるでしょ?......おかあさん?どこかいたいの?どうして...ないてるの?」
「違うの、違うのよスターリア。貴方は何にも悪くないのに.....ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。無力なおかあさんを許して頂戴。あぁ、スターリア、愛しい娘よ。」
初めて見る涙に戸惑っていた私をお母さんはギュと強く抱きしめて、何度も何度もごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返していた。お母さんが泣いたのは後にも先にもこの時だけ。だから私はよく覚えている。
どうして泣いたのか当時の私はわからなかったが、もしかしたらお母さんはこの時すでに自分の未来を諦めていたのかもしれない。
長い軟禁生活のあと、お母さんは流行病に倒れ、十分な看病も受けられないまま、去年の秋に私を残して、この世を去った。
◆
お母さんが死ぬまで、ラビルアスは私のことをすっかり忘れていたらしく、成長した我が子を見て、しばらく固まっていた。それもそのはず、私がお母さんの美しさをそのままそっくり受け継いでいたからだ。
少し癖のある豊かな金髪に、白い肌。瞳の色はライトグリーンと王族の持つダークブルーが混ざって、不思議な印象になっていたが、十五歳になり大きくなった私は、若い頃のお母さんとおそらくほとんど変わらないと思う。
死んだはずの女が生き返って自分を呪いにきたのではないかと慌てふためく王はひどく間抜けで、私は思わず鼻で笑った。
我にかえったラビルアスは私の処遇をどうしようか悩みに悩んだ挙句、国外追放という形をとることにしたようだ。なんだか私のことを王宮内に残すなんて案もあったらしいが、たまったものじゃない。これ以上私をどうしようというのだ。お飾りの王女とでもしたいのだろうか?
お母さんを自分の都合で捨てた彼のことは恨んでも恨みきれないが、私一人が歯向かったところでどうしようもない。これ以上関わりたくないというのが本音だ。
こんな人が父親だなんて。
ほんの少しの荷物とお母さんの骨を持って、王宮の裏口からひっそりと出ていく私のことを見送るのは、まだ明るい空に昇る白い月だけだった。