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「私って本当に……最低だわ……」


「し、白雪……元気出して!」

「いつまでも落ち込んで、ほんと面倒くさ……」


人狼の彼の家を訪ねた日から一夜明けても、私は昨日の失敗から立ち直れずにいた。折角のティータイムに、七人に気を遣わせていることは分かっているのだが、どうしても気分が落ち込んでしまう。


「そんなに気にすることないよ」


気にするなと言われても、人狼と人間の凄惨な歴史を、更に言えば正史を知ってしまった今、気にしない方が難しい。

先祖を殺し、迫害し続けた敵対する人間から長い間隠遁生活を強いられてきた彼にとって、好奇心で家まで押しかけるような私は心底厭わしかっただろう。

そう思うとまた自己嫌悪感に襲われ、椅子の上で膝を抱えたまま俯いた。


「つーかさ、お前はヴァスティに会ってどうしたかったんだ?」


チューズデイの問いかけに、顔を少しだけ上げて膝に顎を乗せる。


「……分からない」

「分からない?」


事実、ただあの日見た彼の横顔が忘れられなくて、「会ってみたい」「話してみたい」と思っただけだった。一回目も二回目も彼には逃げられてしまったから、追いかけたかっただけなのかもしれない。


「……浮かれてたのかなぁ」


森の中で七人も友人と呼べる存在が出来て、だからあの人とも、って。

今までにロデリック以外にそういう存在がいなかったから、急に七人も毎日楽しく暮らせる友人に出会えて、きっと浮かれていたのだ。

今となってはそれが彼にとってどれだけ苦しい思いをさせる行為だったのか、後悔は募るばかりだ。


「はぁ……私って本当、なんて考えなしなの」

「……これでも食べて、元気出して」


近寄ってきたフライデイが差し出したのは、ブルーベリーケーキだった。


「いや、それさっき白雪が作ったやつ」

「────それだ!」


サースデイの言葉を遮って突然声を上げたウェンズデイに、七人の視線が集まる。


「なになに? どーしたの?」


マンデイが興味津々といった様子で椅子から身を乗り出してウェンズデイを見つめた。


「白雪が作ったものをヴァスティにあげるのはどうかな!」


きっと喜ぶと思うよ、と私を慰めるように微笑んでくれるウェンズデイ。しかし、今は何を言われても良い案には思えないくらいには私は落ち込んでいた。


「嫌ってる相手の手作りなんて貰っても、嬉しくないんじゃ……」

「じゃあ白雪が作ったって言わずに、街で買って来たってことにすれば良いよ! あいつ甘いもの大好きだし、受け取ると思うな」

「そう、かしら……」


渋る私の背中を押すように、ウェンズデイは優しい言葉を掛けてくれた。


「いつまでもうじうじされてたら、こっちまで気が滅入るんだよ!」

「サースデイ、言い過ぎだよ」

「ふんっ」


鼻を鳴らして顔を背けるサースデイだが、ここ数日で彼の性格も大分分かってきた。きつい言い方をする怒りん坊の彼だが、ああ見えて私の事を心配してくれているのだ。


「……そうね。サースデイの言う通りだわ。いつまでもうじうじしててもどうしようもない。気持ちだけでも伝えなくちゃ!」


よし、と自分に気合を入れて、私は早速キッチンに向かった。







「お願いしても良い? サタデイ」

「ま、任せて!」


サタデイは強く頷いて私からバスケットを受け取った。


好き嫌いもあるだろうし、と無難なスイーツのクッキーとマフィンをいくつか作ったは良いけど、私が直接渡すわけにもいかない。

そこで七人の誰かに持って行ってもらう事になったのだが、七人中六人の推薦を受けてサタデイが行ってくれることになった。

サタデイを推薦した理由に関しては、六人全員一致で「ヴァスティはサタデイに弱い」だった。

話によると、彼はサタデイの内気な性格や潤んだ瞳が苦手らしく、受け取ってもらう確率は高いだろうという事らしい。

そう言われると、「あぁ」と納得してしまう自分がいる。

サタデイは七人の中で一番照れ屋で、内気だ。あの純粋無垢な瞳といつも困ったような下がり眉。あの表情で見つめられれば求められるものすべてを差し出してしまいそうだ。


「もし要らないって突き返されたら……悪いんだけど、無理に押し付けないで持ち帰ってきてくれる?」

「分かった!」


寧ろその可能性の方が高いのでは、とは思っても口に出せなかった。折角行ってくれるのだから受け取ってもらえると信じたい。


「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「頑張れよー」






* * * *


チッチチッ


インクブルーの美しい羽根をパタパタと羽ばたかせながら、小鳥たちはとある家にやってくる。

青空に向かって伸びる細長い指に器用に止まると、小首を傾げてその主を見つめた。


窓枠に腰掛け、外に手を伸ばしている男────ヴァスティは蜂蜜色の瞳を細め、手に乗った小鳥を優しく見守る。ポケットからパンの欠片を取り出すと、それを小鳥が止まっている方の手のひらに乗せる。

小鳥は嬉々としてそれを啄むと、また「チチッ」と鳴いた。

ふっと、ヴァスティの頰が緩んだ時。三角形の耳がピクリと揺れる。


遠く、足音が聞こえる。誰かが草を踏み分け、こちらに向かってくる音が。

その距離、約百五十メートルほどだろうか。人間にとっては遠い距離でも、人狼族である彼にとってはそう遠くはない距離の範囲であった。

ヴァスティは小鳥が啄んでいたパンを外に放って小鳥を指から離すと、窓とカーテンを閉める。


「……」


足音の正体は大方見当がついている。その軽やかさは独特だ。あの七人の見た目詐欺少年団──これはヴァスティが心の中で呼んでいる彼らの総称である──の誰かだ。

普段ならこんな風に隠れるような真似はしないが、昨日の今日だ。またあの人間が来ないとも限らない。

ヴァスティは昨日家を訪ねてきた人間の女の言葉を全く信じていなかった。

「ごめんなさい」「もう二度と来ない」「誰にも言わない」。口先だけでは何とでも言えるし、そうして裏切ってきたのが人間だ。


足音はもう玄関先まで迫っていた。

ヴァスティは念の為に外套を目深に被って気配を消す。


コンコン、と控えめなノック音が家に響く。


「ヴァスティさん。ぼ、僕です。サタデイです。その……お届け物があって来ました!」


その弱々しい声に、ヴァスティはぎくりとした。

サタデイ。ヴァスティは決して彼の事が嫌いではなかった。寧ろ七人の中で一番好感が持てた。

しかしながら、どうしても彼の内気でシャイな感じが苦手だった。彼の中身が百歳を超える老人だと頭では分かっていても、見た目が少年なだけあって余計に心にクるものがあるのだ。


「ヴァスティさん、いません……か?」


少し残念そうな声に、ヴァスティは耐えられずにドアを開けた。

見下ろすと、サタデイが嬉しそうに微笑み自分を見つめている。


「良かった、いたんですね」


サタデイは何故かヴァスティに敬語を使う癖がある。昔は気安い口調で話してくれていたのに、ヴァスティの身長がサタデイの頭二つ分抜いた辺りから敬語に切り替わっていたのだ。一度理由を聞いた事があったが、本人もあまり意識した事がないらしい。


「何か用か?」


ヴァスティの口調は、昨日サンデイを相手にした時より数段優しく、穏やかだ。

照れ臭そうに差し出されたのはバスケットで、首を傾げながらも受け取る。


「これは?」

「白雪が、昨日のお詫びにって。街で買って来たもので、クッキーとマフィンです」


白雪、昨日サンデイの口からも出た名前だ。あの人間の事だろう。

ヴァスティは無意識に眉を顰めた。

例え中身が大好きな甘いものだとしても、今はそれすらも受け取るか受け取らないかの判断材料にはならない。

そして受け取ったバスケットをサタデイに押し返すと、ドアノブに手をかけ口を開く。


「ここまで来てもらって悪いが、持って帰ってくれ」

「そ、そう……ですか」


閉めかけたドアの隙間からあからさまにしゅんと萎んだサタデイが目に入ってしまい、ヴァスティは手を止めた。

俯きがちに、哀しそうにバスケットを見つめるサタデイに、ぐっと呻き声をあげる。

まるで小動物を虐めているような罪悪感がヴァスティを襲った。

暫くの葛藤の末、ヴァスティはやはりサタデイに弱い事を認めざるを得なかった。


「……食べ物に罪はないから、な」


奪い取るようにバスケットを掴むと、サタデイは花が咲いたように笑顔を咲かせた。


「とっても美味しいと思うので、是非食べてください!」

「……あぁ、分かったよ」


今度こそドアを閉めようとすると、待ってくださいとサタデイから声が掛けられる。

そして、サタデイはモジモジと両手の指を弄びながら口をぱくぱくさせ、最後には真剣な表情でヴァスティを見据えた。


「白雪のこと、嫌わないでください」


ヴァスティは黙ったまま、言葉の続きを待った。


「……これは、勝手な僕の推測なんですけど……多分白雪はお友達になりたかっただけ、だと思うから……だから、その……」

「悪い、用がそれだけならもういいか」


ヴァスティはそれ以上聞いていたくなかった。

バスケットを握り締める手に力が篭る。


「ご、ごめんなさい。そ、それじゃあ僕はこれで」


そそくさと去っていくサタデイの背中を見つめながら、ヴァスティは自身の白銀の髪を掴んだ。完全に八つ当たりだ。彼はただ届け物をしてくれただけなのに、帰ってくれなんて言い方はないだろうと己を詰る。


家の中に入り、バスケットをテーブルの上に置いて蓋を開く。

中にはマフィンが五つとクッキーが何枚も入っていた。マフィンを一つ取り、おもむろに口に運ぶ。

ふわっとレモンの香りが鼻を抜け、口の中にはほどよい甘みが広がった。

ふと、バスケットの底に小さな紙が折り畳まれて入っていることに気づき、マフィンを置いて紙を手に取る。

紙を開くと、そこには綺麗な字で短くこう書かれていた。


『昨日は本当にごめんなさい。ほんの気持ちです。白雪』


ヴァスティは少しの間その紙を眺めた後、それをバスケットに戻してベッドに倒れ込んだ。

陽の光は閉め切られた厚手のカーテンに阻まれている。

薄暗い室内で、蜂蜜色だけが静かに揺らめいていた。


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