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夜の帳が下りるころ、妃は城の地下室にて大きな鏡の前に立っていた。

その美しい顔は喜びを隠そうともせず、口元には笑みが携えられていた。いっそ不気味なほどに妖艶な美しさである。


「鏡よ、鏡。この国で一番美しい女性は誰だ?」


その声は自信に満ち溢れていた。

そう、世界で最も憎むべき女が死んだのだ。妃にとってこれ以上に嬉しいことなど無かった。

あの忌々しい白雪が死んだ。

あのファンブルトンとかいう騎士が肺と肝臓を持ち帰った日には溢れ出す笑いを抑えられなかった。

こんなに愉快なことが未だ嘗てあっただろうか。


妃は鏡に映る美しい自分をうっとりと眺めながら鏡の返答を待った。

分かりきった答えでも、やはり言われると嬉しいものだ。

さあ、早く言うがいい。

この国で一番美しいのはこの──────


「それは勿論、白雪姫です!」



「…………は?」


「この国で一番美しいのは、白雪姫様です!」


その瞬間、妃は身体中を駆け巡る血液が沸騰しているのかと思うほどの怒りを感じていた。ぶるぶると身体が震え、叫び出しそうになるのを必死で耐える。


「どういうこと? 白雪は死んだはずよ!」

「いいえ。白雪姫は今もなお、森で生きながらえております!」


鏡の言葉を聞くや否や、妃は地下室を飛び出していた。






────城内、妃の寝室。


寝室の前には、緊張した面持ちで二人の護衛騎士が立っていた。

正面から歩いてくる妃の恐ろしく歪んだ顔に、騎士達はゾクゾクと背筋を走るものを感じた。

妃が横を通り過ぎる際にはびくっと肩が跳ね上がるのを抑えられなかった。

寝室に入った妃は、いつもならぴったりとドアを閉めるところ、かなり動揺していたのかドアを半開きにしたまま中に入った。

珍しい様子の妃に、騎士達は互いの顔を見合わせる。

騎士二人がアイコンタクトの後気を利かせてドアを静かに閉めようとした時、妃の呟きが二人の耳に入った。


「……てなの? 白雪が死んでないなんて」


その言葉に、二人の騎士はピタリと動きを止めた。


────白雪姫様が死んでない?


二人の騎士は白雪を殺すよう命じられたロデリックと一緒に森へ出向いた騎士達だった。


騎士二人は後悔していた。国の宝である白雪姫に不遇を強いていることを。そして、妃に怯えて何も出来ない自分達の情けなさを憎んだ。

ロデリック騎士長は何度もお妃様に進言なさっていた。それに姫と会わせないようにスケジュールを調整したり、出来るだけ姫のお側にいて話し相手になったり。

城内で孤立していた姫に最後まで寄り添っていたのは騎士長ただ一人だった。


そして、あの日。お妃様からの命で姫様を殺すよう仰せつかった騎士長についていったあの日。

騎士長が布袋を持ち沈痛な面持ちで馬車に戻ってきたのを見て────失望した。


騎士長が、姫を殺した。

傍からみても二人は本当の兄妹のようだった。一番姫の事を想っていた騎士長が、姫を手に掛けたのだ。

自分達には騎士長を責める権利などないと言うのに、胸の内には騎士長を責め立てる言葉が溢れていた。溢れて溢れて溢れて、そしてぽろぽろと何処かへ消えていったのだ。

残ったのは、どうしようもない虚無感だけだった。



姫は死んだ。その筈だった。

しかし、妃は今しがた言ったのだ。

「白雪が生きている」と。

心臓が早鐘のように鼓動を鳴らす。

二人はじっと、妃の声に耳を傾けた。


「どうしてどうしてどうしてどうして……! 白雪が死んでない……あの小娘が、まだ生きている? そんなこと認めない……白雪は確かに死んだと………………」


ふっと妃の声が止まる。

騎士達はゴクリと唾を飲み込んだ。



「そうか、あの男…………あの男があの子を逃した! そしてこの私を騙した……!」


額から汗が吹き出てこめかみを伝う。心臓の音がどくどくと煩いくらいに響いている。


「ロデリック、ファンブルトン……! あの男……! 殺してやる……殺してやる!」


妃の独り言はもはや叫び声に近かった。激しい怒り、憎しみが妃を支配しているのだ。

二人の騎士は、互いの顔をもう一度見合った。顔色は悪く、とてもじゃないが一端の騎士とは言えない情けない顔だ。

しかし二人の心は同じだった。


────騎士長を、守らねば。


頷き合い、ゆっくりとドアから離れた二人は騎士長室へと急いだ。






* * * *


棚の上にある本を手に取り、パラパラとページをめくった。

すると自然ととあるページで止まる。何度もこのページを開いている証拠だ。

そこには小さな白い花の押し花があった。壊れ物に触るように、出来るだけ優しい手つきでそれを手に取る。


『ロデリック! これ貴方にあげるわ! 白いからね、私とお揃いの花なの』


照れ臭そうにそう言って、差し出された花。

小さな姫が無邪気な笑顔を俺に向けていた日が、まるで昨日のことのように思い出される。


姫と別れたあの日から数日。俺は明日、隣国へと行く算段をつけていた。

姫の無事を確認したい。今の俺の胸中を占めるのはその思いだけだった。

騎士長という立場にある手前、隣国への訪問は適当な理由を書いた申請を出さなければならず手間取ったが、漸くその書類も手に入った。

パタリと本を閉じ、荷造りを始める。

数日は向こうに滞在できることになっている為、その間になんとか姫を探し出したい。


「……待っていてください、姫」


────ドンドンドンドンッ


けたたましくドアが叩かれる。慌ただしげな様子の訪問者に、急いでドアを開ける。

雪崩れ込むように入ってきた二人の騎士の顔からは血の気が引いていて、真っ青を通り越して紙のように真っ白だ。

尋常では無い様子の二人に俺も眉を顰める。


「お前ら、どうしたんだ?」

「姫が……生きていると、お妃様に気づかれました」

「なっ……」


戸惑う俺に口を挟む暇なく二人は続ける。


「お妃様は騎士長の事を殺すおつもりです! どうか早くここからお逃げください!」

「ここは私たちがなんとかしますから、騎士長はどうか!」


どうしてお前たちが姫が生きている事を知っているのか、何故今になってバレたのか、疑問は次々に沸き上がってくるが、今それを問答している時間はない。意外にも冷静な判断が出来ている自分に笑えてくる。


「……いや、俺はお前達まで巻き込むつもりはない。それに、騎士長である俺が逃げるなど、」

「今はそんな事を言っている場合ではありません!」


二人は口を揃えて声を張り上げた。部下達が上司である俺に声を荒げる事など、そうそうある事じゃない。

しかし彼らの真剣な表情を見ればそんな事を咎める気にもならなかった。


「……ロデリック騎士長。俺は、俺たちは騎士長が姫様を……手に掛けたと思っていました。あんなに、お互い思い合っていたのに、どうして……どうしてあの姫を手にかけるなんて出来るんだろうって、失望しました」

「姫の為に何も出来なかった俺達には、騎士責める権利なんてないのに……勝手に失望して、勝手に、憎んでた」


苦しそうに、吐き出される心のうち。

初めて聞く部下の気持ちを、俺は必死に受け止める。


「でも! ……さっきお妃様が、姫様が生きていると聞いて……嬉しかった。虫いい話なのは百も承知だけど、それでも嬉しかった。姫様が生きている事は勿論、騎士長が姫を最後までお守りしていたことが」

「俺たちは今まで、本当に……何もできなかった。騎士失格なんです。お妃様に怯えるだけで姫をお守り出来なかった」


悔しそうにぐっと唇を噛んだ二人は、覚悟を決めたように俺を真っ直ぐに見つめた。

そこにはもう、怯えるだけの騎士はいない。


「だから、今度は守らせてください。俺たちの大事な姫を、騎士長を」

「騎士長にしか姫は守れない。その騎士長がいなければ、意味がないんです!」


お願いします、と深く頭を下げた二人。

……俺は良い部下に恵まれたものだ。ふっと笑みが零れる。

二人の肩を叩き顔を上げさせると、そのまま背中に手を回し二人まとめて強く抱き締めた。


「……分かった。お前らが姫を想ってくれていたことだけでも、姫も救われるだろう。姫に会ったら必ず伝えておく」


お前らは立派な騎士だよ。

二人の鼻を啜る音が聞こえ、手を離す。つけるんじゃねーよ、と軽口を叩いて笑いかければ更に涙と鼻水を垂らす二人。

荷物を纏め、明日の為にと用意していた金だけでなく、出来る限りの財産を袋に詰めて窓枠に足をかけた。


「騎士長っ……」


振り返ると、顔中を涙と鼻水まみれにさせた二人が俺を見つめていた。

折角かっこよく俺を送り出してくれたのにみっともない顔しやがって、と思わず吹き出す。


「汚ねぇツラすんな。そんなんじゃすぐにお前らがおかしいってバレるだろうが」

「……っはい!」


ごしごしと顔を拭いて敬礼する二人に、片手を上げて背を向ける。


「ありがとな」











ロデリック騎士長が闇夜に消えても、二人の騎士は暫し敬礼を続けた。


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