遅れてきた初恋②
アレクシスからヴィンスがソルドラに移ってきた経緯を聞いていたロータスは、ヴィンスに金子を渡しぞんざいに言った。
「シルヴィアはまだエルネに来たばかりで、こちらのことがよくわからないだろう。食事にでも誘ってやれ」
元々そのつもりだったヴィンスは気を回された事が不愉快ではあったが、今までの自分の態度を省みると納得するより仕方がない。
そして自分が未婚で適齢期の女性に対しこんな態度をとったのは物凄く久しぶりであることに気付いた。
むしろ自分の考えでそうしたのは初めてかもしれない。
珍しいこともあるものだ、とまるで他人事のようにボンヤリと思いながら、少し離れて歩くシルヴィアを眺めた。
シルヴィアはというと、馬の方ばかり見ている。
最初ヴィンスは彼女があまりにもこちらを見ようともしないので、もしかしたら自分と同じような人間なのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
シルヴィアが馬を眺めている様は、なんとなく楽しそうに見える。
「……馬が好きなのか?」
「あっ!いえ……」
その質問に何故か彼女は動揺をみせ、気まずそうに耳たぶを触った。
「……ラス地区ではアイベックスやアクリスなどの鹿に乗るのが主で……あまり馬には馴染みがないものですから……」
シルヴィアのその仕草が今までとまるで違い、まるで教科書にコッソリ描いた落書きを見られてしまった子供のようにあどけなかったので、ヴィンスはおもわず微笑んだ。
「乗ってみるか?」
「えっ……いえ、そんなつもりでは」
「別に大したことじゃない。ただもうすぐ市街地だし荷物もある……今日でなくとも暇なときなら構わない。いつでも言ってくれ」
多分鹿よりは乗りやすい、と加えてヴィンスが笑ったので、シルヴィアは彼が田舎者の自分をからかっているのだろうと思ったものの、悪い気はしなかった。
ただこの男性が『真面目で堅物』というなら、他の男性はどれだけ軽いのか……と少し不安にはなったけれど。
シルヴィアはそこでようやくちゃんとヴィンスを見た。
エルネはまあ都会と言えないこともないが、もっとこう、洗練された都会の雰囲気を持ち合わせているような印象を受けた。
今でこそ『朴吶』とも言われるほどソルドラの地に馴染んだヴィンスだが、当時は若さもあり、今より大分華やかな空気を醸していた。勿論本人は望んでいないが。
…………モテそう。
それがシルヴィアのヴィンスへの最初の印象だ。
市街地に入り、賑やかな商店街を抜けた住宅街の一角にあるアパートの一室が、 シルヴィアの新居だと地図に記されていた。
彼女の家に着く直前で、ヴィンスは「そちらに行く前に食事をしよう」と商店街を抜ける前にシルヴィアを誘わなかったことを後悔した。
家に着き荷物を置いたら、シルヴィアは食事の誘いもまた固辞するような気がしたからだ。
それが遠慮からであったとしても、断る女性を誘い出すのはあまりスマートではない。
ロータスから金子を渡された事を理由に、多少強引にでも連れ出すか、「シルヴィアの生活が落ち着いた頃に改めて誘う」と約束だけでも取り付けるかと悩んでいるうちに、新居に着いてしまった。
ソルドラ南東部は削石で有名な地であり、その為石造りの建物が多い。
シルヴィアのアパートもそうだ。
管理人の住む一階の角部屋へ鍵を貰いに赴き、名を名乗ると管理人は酷く申し訳無さそうな顔をした。
「……二重契約?」
「ええ、そうなんです。仲介の部屋貸しがヘマをしたみたいで……ご契約頂いた代理人のフリクスさんのお宅に訪ねたのですがご不在だとのことで……私共と致しましてもシルヴィアさんをお待ちするよりなく……」
二重契約のもう片方の相手が先に来てしまったため、気付かず部屋を渡してしまったらしい。
暫く待たされた後、仲介の男が父親に連れられてやってきた。
どうやら仕事に携わったばかりの息子が失敗した様子で、息子が黙って頭を下げるなか、恰幅のいい父親の方が汗をふきふき、これからの説明をした。
全額返金か、近くの似たような部屋の契約に差し替えるか。
どちらにしても一週間分の宿代は出してくれると言う。
「まあ……こうしてても仕方ないですし……とりあえず一週間の間に考えます。それでもよろしいですね?」
商人のショーン・フリクスに嫁いだ、親類のミラはしっかり者だ。
彼女が頼んだのだから悪どい仲介人というわけではなく、ただのミスだろう。
ならばむしろ一週間分の宿代はオイシイ。
ただ一応は彼女に相談したいのと、簡単に許して今後舐められても困るので、シルヴィアはそう答えた。
一連の流れを見ていたヴィンスは、仲介人の代わりに宿屋への案内を買って出た。
今度は食事に誘うのも忘れない。
「……なんだかエルネに来た早々変なことになってしまったようだが」
「ええ、全く。でもそう悪くもありません」
シルヴィアの表情は言葉通りサッパリしており、特に困った様には感じられなかった。
そんな彼女を眺めているうちに、ヴィンスは自分でも思いもよらぬ台詞を吐いていた。
「もし住居を決めかねるようであれば、俺の家にこないか?」
「………………は?」
訝しげなシルヴィアの返事に我に返ったヴィンスは、慌てて訂正と注釈を入れる。
「あ、いや!違う!そういう意味ではなく…………家を支給されたのだがもて余しているんだ!管理をしてくれる人を、いま丁度……」
「………………」
「だからシルヴィアが困っているなら……いやっ、それにつけこもうというのではなくっ……!」
「………………」
「ああもうっ……こんなタイミングでは誤解されても」
仕方がないと思うが、と言っている途中で漏れた「ふっ」という声に、ヴィンスは狼狽し紅潮した顔をそちらに向けた。
見るとシルヴィアが肩を震わせて堪えるように笑っている。
後のヴィンス曰く、「その瞬間世界は動きを止め、真っ白な光が彼女と俺の周囲を包んだ」などとのたまっているが、まあ、現実にはヴィンスの動きが止まっただけだ。
ただ彼の心臓は一旦停止した……様な感覚に襲われた。
「……大丈夫、よくわかりました」
顔を上げたシルヴィアが、ヴィンスに初めて微笑んだことで、止まったかのような鼓動が大きく弾けるように音を立てる。
こうして彼は恋に落ちた。
22歳にしてようやく訪れた初恋だ。
……ただその時点では、家の管理の話は当然あっさり断られ、「あんまり女性に誤解を受けるような事を言ってはいけませんよ」とのお叱りをやんわりと受けたうえ、その後半年ほどは『女馴れした無自覚チャラ男』というレッテルをシルヴィアに貼られてしまい、どんなに誘ってもすげなく断られることとなった。
閲覧ありがとうございます。
アイベックスは存在しますが、アクリスは存在しません。
神話に出てくる鹿らしいです。名前だけ貰いました。
アイベックスの設定も実際とは違うかもしれません。
★蛇足的設定★
気性が荒く、あまり懐かないので家畜には向かない中型(馬くらい)の鹿がアイベックス。
気性はアイベックスに比べると穏やかだがその分臆病で神経質。やはり家畜には向かない中型(アイベックスよりは大分小さくロバくらい)の鹿がアクリス。
どちらも懐きにくいが、懐くと忠誠心は強い。