騎士団長と嫁
「…………」
シルヴィアは黙ったまま差し出された箱を受け取った。だが開けることはしない。いや、出来なかったのだ。
手が震えてしまって、開けることが。
「ヴィンスさんは……何故そんなところにいるんです?」
責めるような口調でシルヴィアはヴィンスに尋ねる。手が震えていることを悟られないように、箱を握り締めながら。
詳細はわからないが、本当は答えを知っていた。
「ヴィンスさんは、何故いきなり危険な討伐に行ったんです?」
ヴィンスが一方的に自分の想いを綴った様に、シルヴィアもまたヴィンスの返事を待たずに喋り続ける。
「ヴィンスさんは何故、形や順番にこだわるんです?」
シルヴィアは徐々に強い口調になっていく。
部屋のランプの薄く黄色味がかった灯りを背にしているシルヴィアの表情は見えづらかったが、ヴィンスは彼女の顔を見続けていた。
灯りで金色に輝く珠が、窓より下に位置するヴィンスの頬を掠めた。
責められている様な口調なのに、もっとそれを近くで見たいという欲望が強く頭をもたげる。ヴィンスは窓枠に手をかけ、不安定な梯子の二番目のところまで脚をかけた。シルヴィアの顔と自身の身の丈が合う位置だ。
「シルヴィア……」
落ちていく雫を惜しむように、ヴィンスはシルヴィアの頬に遠慮がちに手を伸ばした。
シルヴィアの上げていない長い睫毛。
俯いて、閉じているかのような瞳。
こんな時なのに、見惚れて胸が詰まる。指先だけが、耳の下あたりにそっと触れた。
「……私は何一つ貴方の妻に相応しくない」
好意に気付いても深く考えようとしなかった。
結婚をしてからも自分からは好意を示さなかった。
貰った指輪もなくしてしまった。
危険な討伐なんて行かないで欲しかった。
不安だった。
どれだけ好意を示されても。
『ヴィンセント・スタンフォードは騎士団長であり、自分には相応しくない』
それはもう努力やなにかで片付けられない……シルヴィアにとってそういうものだった。
「…………いですか?」
息を漏らすような、ごくごく小さな声でシルヴィアはヴィンスに尋ねた。ヴィンスは聞き取れなかったが、彼女の下を向いていた深い鳶色の瞳が自分に向けられて、その意味がわかった気がした。
シルヴィアは微笑んでもう一度その言葉を口にする。
「それでも、いいですか?」
「…………っ!!」
感極まったヴィンスは梯子の一番上に勢いよく足を掛けようとした。
……が、踏み外す。
「ヴィンスさん!?」
梯子がゆっくりと倒れ、ヴィンスの身体は重力とともに下に下がる。素早く反応し、辛うじて窓枠にぶら下がった。腕の力で身体を上げ、上半身を窓枠にもたれさせる。
最初の質問の漠然とした答えはわかっていた。
意味のわからないヴィンスの行動の数々は、いつだってシルヴィアを想ってしたことだったから。
————だけど……
なんで窓から来る必要があったんだろうか……
そう思いながらもシルヴィアはヴィンスに声を掛けた。
いつしかのように、「本当に締まらない人だ」と、今回は少し可笑しくなりながら。
「……大丈夫です?」
「……シルヴィア……」
窓枠に片足を掛けたヴィンスはシルヴィアと目が合うと顔を赤くして俯いた。
「その……入っても、いいだろうか」
「いや、入ってくれないと困りますが」
梯子もないのにどうやって降りる気だ。
もっとも彼の身体能力はわかっている。降りる位造作のないことかもしれないが、ここで「入っていいか」もないもんだ。
……そう思いながら、シルヴィアはいつものように冷静に突っ込んだ。
「いくら私の自室とは言え、この状況で“嫌です”もありませんよ」
「…………すまない。だが……」
窓際に立ち止まったまま微動だにしないヴィンスに、シルヴィアはいつもと違うものを感じ、顔を赤らめて言葉を続ける。
本当に素直になれない。
ヴィンスさんはあんなに惜しげもなく気持ちを吐露してくれたのに。
「次からは、その…………窓からじゃなくて、…………階段から、いらしてください」
恥じらいながらそう言うシルヴィアに、ヴィンスは衝動的に腕を引いて抱きしめた。ヴィンスの厚い胸にシルヴィアの顔が埋まる。
耳を支配するような激しい鼓動。熱い体温。
太くて逞しい腕は少し苦しいほど強くシルヴィアを捕らえていて、その力に緊張が窺えた。
「ヴィンスさ」
シルヴィアの声を奪ったのは、今度はヴィンスの言葉ではない。
長く深い口付けの後で、シルヴィアがちょっと不満げにヴィンスを見て言った。
「……そこは、聞かないんですね」
「…………すまない」
ばつの悪そうな顔を逸らしたあと一言謝ってから、ヴィンスはシルヴィアの髪を纏めている櫛を取ると、柔らかく頭を撫で、梳くように髪を解す。
指の間に残った髪先に愛おしげに唇を落とすと、それがサラサラと流れるのを切ない瞳で見届けた。
切なさの残る瞳の中に熱いものを湛え、シルヴィアに改めて向き合ったヴィンスは、宝物に触れるようにそっと彼女の頬に手を添えた。
「……好きだ」
今度は先程と違ってゆっくりと、優しく唇が重なる。
確かめるように何度もそうした後、ランプの灯りと共にふたりは闇に溶けた。
メイベルが気を利かせてくれたおかげで、ふたりは翌日も休暇だった。
ちなみにメイベルもまだ休暇中であるので隊舎の方におり、必要な時は団長代理として出勤もしてくれていたようだ。
翌々日の朝、休暇の礼を言いにふたりは揃って少し早く騎士舎に向かった。
「……いや、別に礼には及ばんが……」
挨拶に来た二人を見てメイベルは少し瞠目した。
明らかにヴィンスの傷が増えている。
しかも左頬にはハッキリと紅葉のような手のひらで叩かれた跡。
なのに何故かヴィンスは非常に血色のいい顔をしており、肌は艶ッつやに輝いていた。
……とても良い笑顔をしている。
逆にシルヴィアは平均女性より少し高い身長を縮こまらせ、ぐったりとしていた。
そんなふたりを見てメイベルはなんとなく状況を察したが、突っ込むことはしなかった。馬に蹴られる……そう思って。
ただ「今回は大変だったな」と労いの言葉を一言だけかけてやった。
————無論、シルヴィアに向けての言葉である。
ヴィンスが渡した箱にはネックレスと指輪とピアスが入っていた。
取り出せた『竜の胆石』は女王のものだけあって大きかったのだ。
研磨師は分割することを躊躇してヴィンスに相談したが、もともとシルヴィアの為だけのものであることを説明し、こうなった。
シルヴィアにはピアスの穴が空いていなかったが、ヴィンスに魔術でピアスを付けてもらった。
「これなら無くす心配もありませんね」
そう言って朝、鏡の前で笑うシルヴィアの耳にはピアスがキラキラと輝いていたが、ヴィンスの目にはシルヴィアの方がよっぽどキラキラして映った。まぁ、いつものことである。
指輪とネックレスは大事にしまってある。
なくすのが怖いのだ。というか、もしなくしてしまった時のヴィンスの行動が怖い。
ちなみに件の下着も大事にしまってある。
まだ身につけることができていないままだが、ベッドに広げて置いてしまっていたためちょっと色々あった。
ヴィンスの頬の紅葉はその際のゴタゴタでできたものだ。
まだ王都のスタンフォード家には挨拶に赴いていない。
これからも上手くいかないことはあるだろうと思う。
ヴィンスはシルヴィアが好きすぎて、わかりにくい愛情表現を続けるだろうし、シルヴィアだって今も自分が彼に相応しいなどとは思っていない。
それでもふたりはふたりなりの夫婦の形を模索しながら、共に歩いていくことを改めて誓ったのだった。
閲覧ありがとうございます!
とりあえずですが、本編完結です!
やった~!エタらず終えた!!
途中もうエタるかと…………!
また気が向いたら書きます!暫くそんな気起きなさそうだけど!
ルルゥとロベルトの話はいずれ別でUPします。
読んでくださってた方には申し訳ないです……!




