嫁の責務
それからヴィンスは言われた通りに湯浴みをした。その間にシルヴィアはいつものように手際よく家事をこなし、夕食の下拵えをする。
夕飯までまだ大分時間がある。
湯浴みを終えたヴィンスはそわそわと落ち着かないままシルヴィアに話し掛けるきっかけを何度も探したが、タイミングがないままで……たまにあってもその度上手くかわされた。まるでとりつくしまがない。
そうこうしているうちに夕飯の時間になった。
「……シルヴィア?何故席に着かない……?」
「私なぞが団長殿と御一緒するのは烏滸がましく存じます」
「…………まだ怒っているのか?」
「団長殿、御食事が冷めてしまいます」
「……シルヴィア!」
ガタン、と大きな音をたてて席を立ったヴィンスに、おもわずシルヴィアも身体をびくりと震わせた。
「あ…………すまない、大きな声を。……どうか座ってくれないか、シルヴィア。弁解の余地位は与えてほしい」
「……何を仰っているか解りかねます」
「心配をかけるつもりはなかったんだ。ただ、あのときは……その、興奮してしまって、つい説明が疎かに」
「……いつものことではありませんか」
「いや……今後気を付け……「団長殿」」
シルヴィアはヴィンスの言葉を遮って相も変わらず役職名で彼を呼ぶと、相も変わらず無表情のまま、彼を見据えた。
「申し訳ありません。……今日は疲れてしまったので、早いですが下がらせて頂きます」
ぺこりとお辞儀をすると、スッとシルヴィアはヴィンスの横を音もなく通り抜ける。
ヴィンスは金縛りにあったようにその場を動くことができず、シルヴィアが階段を上がり、扉の開閉音が聞こえるとそのまま膝から崩れた。
(…………何が悪かったんだろうか)
いや、色々悪いだろ……と突っ込みたくなるところだが、流石にヴィンスもそれは解っている。だがシルヴィアは言い訳をさせてもくれないのだ。
騎士服の中から徐に宝石の入った箱を取り出す。
(…………なにをやってんだ、俺は)
自身の情けなさに溜め息しか出ない。
どんなに活躍しようと出世しようと、シルヴィアを怒らせた後のヴィンスは常に情けない。それは結婚して翼竜の胆石を手にした今も変わらなかった。
どんなに高価な宝石でも、シルヴィアに渡せなければただの石ころだ。
5年前の指輪の事もある。今度こそちゃんと渡したいが……タイミングをはかってばかりのヴィンスはなかなかそれができない。
(シルヴィアが湯浴みを終えたタイミングで渡そう。軽く寝酒でも用意して……)
今回本気でシルヴィアを怒らせてしまった為、ヴィンスには既に甘い妄想などできる余裕は残っていなかった。湯浴み後のシルヴィアも寝酒を嗜んだシルヴィアも、宝石を渡すハードルを自ら上げているということに全く気付かない程テンパっている。
(…………いつまでも怒っていても仕方無いけれど)
自室に戻り、溜め息をひとつ吐いたシルヴィアは自身の態度を反省しつつも憤りを止めることができなかった。
話し合うべきだろう、ということは解っている。もともとこういうとき、ヴィンスはただ謝るだけなのは経験上予測がつく。最終的にほだされるか、ある程度冷静になったシルヴィアが事の経緯やヴィンスの感情を少しずつ聞き出してやるのが常だ。だが今回、優しい気持ちにはなれそうにもない。ひたすら謝られるのがきっと余計に頭にくるに違いなかった。
一連のヴィンスの行動は勿論だが、許せないのはそれだけではない。
ヴィンスの想いに気付いてあげられなかった自分に。
自分の気持ちに気付かないようにした自分に。
気付いた今でも素直になれない自分に。
謝られては逆に、いつまでたっても自分の気持ちを言えないような気がした。
自身が素直になればいいのだが、その一方で怒りは止まない。
フレッドが言ったように、『騎士団長の嫁』としては泰然としていなければならなかったのにそれができなかった事に。
そもそもヴィンスがああいう人だと解っていながら、サポートどころか、なにひとつマトモに聞き出す事すらできないまま危険な任務へ送り出してしまった事に。
任務から無事帰還した彼の仲間達に慰労の言葉をかけることすら出来ず、逆に気を遣われてしまった事に。
(私は『騎士団長の嫁』として失格だわ)
そしてそれらの怒りをヴィンスにぶつけてしまっているシルヴィア……まぁ、大概ヴィンスのせいなのだが。
真面目なシルヴィアはそんな自分を自制できないことも許せず、それは更に彼女自身を頑なにしていた。
溜め息をもうひとつ、先程より深く吐いた。
本当はヴィンスを真っ先に労ってあげるべきだし、そうしたいのに、上手くできない自分がもどかしい。
彼女は何気無くクロゼットを見て、そっと……少しだけ覗き込むように扉を開ける。ここには件の下着が入っているが……
(……いや!やっぱりアレは無理!!私にはまだ敷居が高いわ!!)
首を激しく横に振りながら扉を閉める。
だが、閉めた扉に手はかけたままだ。羞恥に俯いた顔で、目線を少しだけ上げ観音開きの扉の隙間に注ぐ。
(でも……私が素直な気持ちを表現できるとしたら…………それに、男性ってああいうの、好きらしいし……妻が『労う』っていったら…………)
シルヴィアはゴクリ、と嚥下し、扉を再び開け、禁断の袋からそれらをゆっくりと取りだし、ベッドの上に広げる。
……スッケスケである。しかも、面積がとにかく少ない。やたらとフリフリでヒラヒラしたベビードールもやっぱりスッケスケだ。
(………………やっぱり無理!!!)
シルヴィアはベッドの前の床に崩れ落ち、膝をついた。
その後、暫くベッドの前をウロウロしてはそれを眺めること数回……シルヴィアは覚悟を決め……られなかったが、湯浴み後とりあえず一旦着用してみる、というところまでは覚悟を決めた。
(何事も慣れだわ!多分!何度か着てみて慣れたところで……慣れたところで?!)
その先を想像し、シルヴィアは倒れそうになった。だが、ふたりは紛れもなく夫婦である。しかも新婚。
そもそも何もないのがおかしいのだ。
(ヴィンスさんが私にやたらと気を遣うのも……私が嫁として至らないからだわ……!)
そう、これは嫁としての責務なのだ。
つまりは仕事。そう思えばできないことなどない。
そう強く自分に言い聞かせ、シルヴィアはエロ下着を手に取った。
閲覧ありがとうございます。
……R18じゃないんですよね……(ボソリ)
逆にちょっとムッツリ感が凄いっていうね!




