5年前の指輪⑥
「シルヴィア……」
シルヴィアはヴィンスに声を掛けられるまで真っ赤になったまま、また色々悩んでしまっていた。
多少強引にでも指輪を返してもらえば良かった……後悔しても、もう遅い。
(……っていうか指輪!『返してもらえば良かった』じゃないわよ!)
我に返ってヴィンスの方を向き、急いでふたりを追いかけてくると告げようとしたシルヴィアを、ヴィンスは抱き締めて阻んだ。
「いいんだ、指輪なんて。それよりも君がそんなに必死に探してくれた事の方がよっぽど価値がある」
「ヴィンスさん……」
その言葉でシルヴィアは気付いた。自分が埃まみれで薄汚れていることに。
「離して、汚れてしまうわ……きゃっ」
シルヴィアの言葉を気にも留めず、ヴィンスは彼女を横抱きにして馬の方へむかった。
「今日は帰ってゆっくり休もう。指輪ならまた後日買いにいけばいい」
おろして、歩けるからと上擦った声でヴィンスを咎めるも、ヴィンスは聞く気配すらない。結局馬のところまで運ばれてしまった。
馬に乗っても、指輪を無くした(最終的には奪われた)というのにヴィンスはことのほか上機嫌で、シルヴィアが謝るタイミングを見失う程。
夕飯も自分が作ると言ってきかないので、シルヴィアはありがたく先に湯あみをさせてもらう事にした。
湯あみをしながらシルヴィアは考えていた。
少し軽くなったような指を眺めながら。
(……あんなにむきになって探さなくても良かったのに)
きっとヴィンスはすぐ帰って指輪を無くしたことを謝罪しても、許してくれただろう。ヴィンスに申し訳ないというよりも、きっと自分があれを必要としてたのだ……そんな風に思う。
あれはヴィンスの妻である証なのだから。
『指輪なんてまた買えばいい』と彼は言った。
装飾品にさしたるこだわりはない。
新しい指輪も別に欲しいわけではないが、『ヴィンスは自分を妻に望んでくれている』……そう感じられてシルヴィアは素直に嬉しかった。
ヴィンスが作れる『料理』と言える料理は1つしかない。
野営の際散々作らされた、野菜と少量の肉を適当に切って煮込んだ『スープ的なもの』。後はせいぜい目玉焼きとか、焼いただけの肉とか、生で食べれる野菜を切っただけのサラダくらいしか作れない。
なるべく早く食事にできるように、少し小さめに野菜を切って煮込む。
風呂から戻ったシルヴィアが不安そうに壁の横から覗き込むのに、軽い冗談を交えて対応する程にヴィンスは浮かれていた。
「……あっ、ヴィンスさん!お鍋!!」
「はっ…………熱ッ!」
しかし浮かれ過ぎて鍋が吹き溢れたことに慌てて、火傷をしてしまう。
「大丈夫ですか?!」
急いでシルヴィアはヴィンスの手をとり水で冷やした。
「!!」
そこでヴィンスは気付いてしまった。
無防備にもシルヴィアが滅多に見れない湯上がり姿であるということに。
基本的にはとても貞淑な妻であるシルヴィアは、ヴィンスより先に風呂に入る事などはほぼない。
彼女が湯あみをするのは大概、やることが全て終わった寝る直前。ヴィンスは情欲を催して大変な事にならないよう、そのあたりのシルヴィアとの接触を意図的に避けていたのだ。
シルヴィアの身体から立ち上がる柔らかな香り。まだしっとりと水気を帯びた髪。触れている手。
ヴィンスの鼓動は俄に動きを止め、再開したときには物凄い激しさで鳴った。
慌ててヴィンスは跳ぶようにシルヴィアから遠ざかる。
「すすすすすまないもうだいじょうぶだしょくじもすぐよういするしっ」
上手く回らない舌で捲し立てながら、ヴィンスは食事の用意をするも、皿を数枚割りながらであまり大丈夫そうではない。
シルヴィアは手伝おうかと思ったが、皿がもっと割れそうな予感がしたので大人しく席に座って待つことにした。
(ああ、この人は私の事が好きなんだわ)
今更ながらそれを確信できたシルヴィアは、本当ならば指輪がある筈の指をそっと撫でる。
(私もこの人が好きなのね)
それは今までとは違う……もっとも、気付かなかっただけかもしれないけれど。
食事を楽しみながら、シルヴィアはヴィンスの何気ない仕草に改めてどきどきした。
『ヴィンスさんが好き』
ジワジワとその自覚が頭をもたげ、最初こそ楽しく会話を行えていたのが、緊張と気恥ずかしさからできなくなっていく。
(今更?!既に夫婦になったのに!大体っ……)
――――二人は一線を越えている。
シルヴィアはそれを思い出して頭がパンクしそうになった。
彼女は自分の貞操などどうでも良かったが、貞操観念が低いわけでも、まして相手が誰でも良かったわけでもない。
ヴィンスだから許したのだが……今まではそこまで行為自体に意味があるとは感じていなかった。
媚薬の事とは関係なく、『大人の男女がひとつ屋根の下にいるのだから、そういうことになることもあるだろう』『ヴィンスなら別にいい』、それだけだ。
『別にいいから抱かれた』のと、『好きな人に抱かれた』のでは全く違う。
シルヴィアにとってあの時の行為が、ここにきて特別なものと化した。
「……シルヴィア?…………顔が赤い、もしかして風邪をひいたのか?!」
日が暮れても指輪を探していたシルヴィアの体調を心配し、ヴィンスは席を立ち額に手を当てた。節くれだった、大きな手。
(この手が…………私に触れたんだわ……!)
その感触を思いだしそうになったシルヴィアは咄嗟に手を払いのけた。
唖然とするヴィンスに、真っ赤になりながら言い訳をする。
「……あっ?!違うのッ!これは、その」
バサッ
椅子の上を若干後ずさる様な形で動いた為、シルヴィアが腰の後ろにとりあえず置いておいた袋が、音を立てて床に落ちた。
「ん?なにか落ちたが……」
勿論件のエロ下着である。
焦っていた上、袋に背をむけて座っているシルヴィアより、ヴィンスの方が対応が早かった。
しかも残念なことに袋は封を下にして落ちてしまい、中味が飛び出ている。
「…………ッ!!!!」
シルヴィアが「違うの!」とひたすら連呼しながら隠すも、時既に遅し。
ヴィンスはバッチリ見たのだ。
青紫にキラキラと透ける、黒のサテン地で縁取られた……それを。
姉を持つヴィンスはそれが何であるか、すぐ理解した。
シルヴィアも一瞬で自分よりも顔を赤くしたヴィンスに、彼にそれが何かわかられてしまった事を理解した。
(いやあぁぁぁぁぁ何でよりによって今あぁぁぁぁっ?!)
さっさと片付けなかった自分が悪いのだが、何故片付けなかった……その袋を後ろ手に抱え、シルヴィアはそう後悔しながら羞恥のあまり目をきつく瞑った。
壁際まで後ずさって佇むシルヴィアの耳は、自身の心音に支配されていたが、激しくドアが開かれた音を拾い、機能を取り戻した。
それと共に目を開けると……ヴィンスはいない。
直後、外から馬の軽いいななき。
走り去る蹄音。
「………………え?」
独り部屋に取り残されたシルヴィアは、状況が飲み込めずただ、「え」と数回繰り返し、この状況を自分なりに理解した時には叫んでいた。
「えええぇぇええぇぇぇぇえぇ?!!」
放置された?!……放置された!!
なにそれそれは拒否ってこと?!キモいってこと?!なんて厭らしい女だって引かれた?!!
「………………ッ!!」
羞恥と後悔といたたまれなさ、そしてヴィンスを好きだと自覚した故の不安と胸の痛みに、シルヴィアは子供の様に床をゴロゴロと転げ、のたうちまわった。
むしろ子供の頃ですらこんなことしたことはない。
暫くそれを続けていたが、やがて起き上がって食事を片し、茶を入れる事にした。
(………………一旦落ち着こう)
そう思って彼女が熱いカップに口をつけた、丁度その瞬間
「シルヴィアァァァッ!!」
ヴィンスが勢いよく玄関扉を開け、乗り込む位の感じで入ってきた。シルヴィアがそれに驚いて茶を盛大に吹いてしまう程、突然で唐突な帰還。
馬屋は居間の裏手にあるので、帰ってきたらすぐわかると思っていた為油断していた。ヴィンスの愛馬ロックは、何故か玄関先に繋がれていた。
「俺の想いを君に捧げるためにしばし留守にする!心配しないでくれ!!」
「…………はい?!」
なんだこれ、なにが始まった?!
また意味がわからなくなって戸惑うシルヴィアを顧みず、ヴィンスはそう宣言するとキラキラした瞳で彼女を少しだけ見つめてから忙しなく自室に戻った。
シルヴィアが呆気にとられている間に、素早く討伐用の騎士服に身を包み出てきた彼は、背中に大剣を携えている。
我に返り、疑問を投げ掛けようと駆け寄ると、何故か彼は頬を染めてはにかんだ。
少し前に触れたシルヴィアの額に優しく手を伸ばして前髪を掻き分けると、そこに唇を落とす。
「…………行ってくる」
その姿や仕草があまりにスマートであり、騎士ならではの格好よさが溢れるヴィンスに、シルヴィアはうっかり胸をときめかせてしまった。
しかしこれは本当に致命的なうっかりである。
「ヴィンスさ…………っ」
もともとこうなると誰の言葉も耳に届かないヴィンスは、シルヴィアが呼び止めた時にはさっさと馬に乗って行ってしまった。
あれ?!まだ終わらないんですが?!orz




