5年前の指輪⑤
シルヴィアは焦っていた。
何度探しても指輪は何処にもない。ミラと会った最初の店で指輪の話になったことから、その時は確かにはめていた筈だ。
このところなにかと忙しかった彼女は少しだけ痩せており、指輪が貰ったときより若干緩くなった気はしなくもなかったが……まさか落とすなんて思いも寄らなかった。
必死で走った事などここ数年でなかったこととはいえ、全く気が付かなかった自分にひたすら呆れる。
縦横無尽に走り回ったのでどこで落としたのかも見当すらつかない。ただひたすら走った道を往復してはそれらしきものを探す。もしかしたら、と思い、店にも戻って聞いたが『届いていない』との返答。店の主人に訳を話して探させてもらうも見つからず、丁寧に詫びた後、またひたすら道を探した。
気付いたら日が暮れている。
暗くなると指輪の様な小さなものを探すのは困難だが、幸いここはエルネの商店街。店の灯りで探せない事はないし、昼間より歩いている人間の数は減る。
シルヴィアはどんどん焦りの募る気持ちを押さえて、一旦深呼吸した。
(……もうヴィンスさんが帰ってきてしまう……)
だがまだ指輪は見つかっていない。
どうしようか悩んだ末、シルヴィアはもう閉まりかけの文具店に急いだ。
シルヴィアの思った通り、そこには店番の少年、トールがいた。よく手紙を書くシルヴィアはトールとは顔馴染みだ。
「シルヴィアさん?もう店閉めるんだけど……なんか必要?」
「ええ、コレを頂戴。あとペンを借りたいのと、お使いをお願い」
お釣りはお使いのお礼、と言って銀貨を1枚渡すと、トールは喜んでペンを差し出し、快くお使いを引き受けた。
購入したのは1枚の葉書。
そこに『ミラと会ったので少し遅くなるが心配しないで』『申し訳ないけれど、夕食は騎舎でとってほしい』と書いて、トールへ渡す。
指輪をなくした後ろめたさと申し訳なさから、せめて嘘にならない様な内容にした。あまりにも下らない自分の言い訳じみた行為に、シルヴィアは嘲るように口角を少しだけ上げたが、直ぐに切り替えて指輪の捜索を再開しようとした。
(でもこれじゃ埒があかないわね……)
建ち並ぶ店の灯りで照らされるとはいえ、外はどんどん暗くなるうえ、影もできる。昼間ですら見つけられなかったのだ、これは厳しい。
(………………そうだわ!)
騎舎へ向かおうとするトールをシルヴィアは急いで呼び止めた。
「……いつまでここにいるつもりよ?お嬢」
まだローザンヌとバルトの二人は店にいた。店側に迷惑がかからないように、と理由をつけてバルトは夕飯もちゃっかり頼んでいる。
「うっさいわね。帰ればいいでしょ、あんた一人で」
「そーゆー訳にはイカンのよ、なんせ俺はアンタの世話役だ。俺が飯食ったら一緒に帰るからね、紐つけてでも。……流石に怒られちまう」
大概の事はローザンヌの暴挙なので許されてきたが、日が暮れても尚街をふらふらさせたとあっては責任を問われてしまうことは必至。今はギリギリの時刻だ。
なんだかんだ文句を言いながらも、ゆるっと自由にさせてくれるバルトを手放す事になるのはローザンヌも困る。
「……わかったわよ」
渋々ながらローザンヌも了承した。
「騎士団長~。コレ、シルヴィアさんから~」
トールはヴィンスが仕事を終えるのとほぼ同じタイミングで騎舎に着いた。シルヴィアの判断は危ういところでセーフだった。
ヴィンスはトールが多目のお小遣いを得たことなど知らないので、頼み事の時によく使う菓子を渡し労ってやると、トールは益々上機嫌で帰っていった。
(ミラさんのところか……なら邪魔しちゃ悪いか?しかし……)
そういえばフリクスにはちゃんと挨拶をしに行っていなかったことをヴィンスは思い出した。「私とミラの仲だから大丈夫」というシルヴィアの言葉を鵜呑みにし、任せてしまったものの……ミラはシルヴィアの親族であり、姉のような存在だ。
(俺としたことが浮かれたままで、礼を失するところだった)
ヴィンスは思い直し、手土産を持って挨拶がてら、ミラの所へシルヴィアを迎えに行くことにした。
帰り支度を整え馬に跨がると、まずは手土産を購入する為商店街へと足を運ぶ。
馬を預けて商店が建ち並んだ石畳を暫し歩くと、ヴィンスは瞠目した。
シルヴィアが道を掃除していたからである。
それよりほんの少し前、ローザンヌの前に食事を終え、騎舎に向かったバルトが戻ってきた。
ローザンヌは『ヴィンスを然り気無くこちらに呼び寄せろ』とバルトに指示したのだ。バルトが騎舎に向かう道すがら、既にトールから伝言を受けて商店街へと向かっているヴィンスとばったり会ってしまった。
「おっと、団長殿……お疲れ様です。これからどちらへ?」
「ちょっと……妻の親戚に挨拶がてら迎えにね」
ごほん、とひとつ、咳払いをしてから『妻』の部分をやや強調し、ヴィンスは言った。平然を装っているが嬉しさが滲み出ている。
「君はひとりでどうした」というヴィンスの質問を適当に誤魔化し、バルトは先回りしてローザンヌのいる店に戻った。
「多分、団長殿の仕事が終わるのを懸念して、シルヴィアさんが手を打ったつもりが裏目に出たってトコ?……で、どーすんのよお嬢」
ふん、と鼻を鳴らしてローザンヌは答える。
「ここまできたら見届けるわ。……いいでしょ?それくらい」
御随意に、とバルトは珍しく恭しく傅くと淑女に行うような仕草でローザンヌをエスコートした。
道を掃除しているかのようなシルヴィアだったが、暫く見ていると違っていた。箒で集めたごみを明るいところに寄せるとそれを漁る……そしてまた箒で集めて……という行為を繰り返している。
暗いので解りにくいが、しっかりと編み込まれ纏めてある彼女の髪は乱れ、服は薄汚れている。
その真剣な眼差しに声を掛けるのが憚られ、少しの間、ヴィンスはただ眺めていた。我にかえった彼は
(なにがあったのかわからないが、自分が何か力になれることがあるかもしれない……)
そう思ってシルヴィアの元へ駆け寄る。
「シルヴィア?どうしたんだ?」
ヴィンスに声を掛けられるまでその気配に気付けない程、シルヴィアはゴミの中から指輪を探すのに集中していた。
彼の声にはっと息を飲んで振り向く。
「ヴィンスさん……」
もうこの季節になると、夜はそれなりに気温が下がる。シルヴィアの血の気の引いた白い顔を見たヴィンスはおもわず彼女の手を握った。
「……こんなに手を冷たくして」
「あ…………」
シルヴィアの手を温める様に自分の両手で彼女の両手を包み込み、優しく撫でる。にも関わらず、指輪が無いことになど全く気が付かないヴィンスに、シルヴィアは目に熱いものが込み上げてくるのを抑えきれなかった。
「……シルヴィアっ?!」
ヴィンスはそれに気付いて驚いて手を緩め、シルヴィアの顔をオロオロと覗き込む。
「……ごめんなさい、わっ私……ゆ、ゆびわ、を……」
声が上擦る。
(……指輪を無くしたのか)
ヴィンスはそんなシルヴィアには申し訳ない傍らで、その事実にどうしようもなく胸がときめいていた。
泣くことなど滅多にないシルヴィアが、指輪を無くした事で泣いてしまっている。しかもこんな往来で。
ヴィンスは包んでいる手を開こうとはせず、そのまま自身の体躯で彼女を隠すように、路地へと入った。
(シルヴィアのこの涙は俺だけのものだ)
誰かに見せるなんて勿体ない。
「指輪なんて、また買えばいい」
ヴィンスが優しくそう言うと、涙を溢しながらシルヴィアは返した。
「だって……あれは特別なものだわ」
「……君の涙以上に美しく、特別なものではないさ」
ヴィンスはさらりと、砂を吐く程に臭い台詞を言ってのけた。なんでコレで告白が出来ないのか解せぬところだが、もしかしたら一周回って平気なのかもしれない。
しかしやはり砂を吐く様な気持ちになっている者はいた。
「……どうするお嬢」
「どうするって……返さないわけにもいかないでしょう……」
今行くのは気が引ける……だが二人にもそんなに時間があるわけではない。
ローザンヌが仕方なく声を掛ける。
「シルヴィア……あんたの探し物はコレじゃなくて?」
「……あっ!?……ローザンヌ様……もしかして探してくださったのですか?」
「なわけないでしょう!バルトが拾ったのよ!!」
何故私がシルヴィアの指輪なんぞ探さなければない……そう毒突くローザンヌをバルトは生暖かい目で見た。
「なによ!こんな流行遅れの指輪いつまでも探して!」
ふぐっと鈍い声を発し、ヴィンスがダメージを受ける。彼が「最新デザイン」と乗せられて買ったのは確かに5年前である。
「流行遅れ?……そうなのですか?」
装飾品に疎いシルヴィアがそんなことなど知る由もない。きょとんとした目でローザンヌを眺める。
「これだから田舎者は……コレは私が頂いておくわ。あんたにはコレよ!!」
そう言うとシルヴィアにツカツカと近付いて、ローザンヌは下着の入った袋をシルヴィアの胸に押し付け耳打ちした。
「……せいぜいその贅肉を活かして新しい指輪でも買って貰いなさい。それができたらコレも返してやるわ」
「!!」
シルヴィアが真っ赤になってローザンヌに何か言おうとする前に、ローザンヌはヴィンスに「それではヴィンス様、ご機嫌よう」とお辞儀してバルトを引き連れて行ってしまった。
次でようやく終わる予定。
……終われ!
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