5年前の指輪③
「あらこれは……ローザンヌ様じゃございませんこと」
シルヴィアの名を呼ばれたにも関わらず真っ先にミラがそう返すと、ローザンヌはわかりやすく嫌そうな表情をした。
ローザンヌはミラが嫌いである。
何故ならミラはあからさまにローザンヌを小馬鹿にしているからだ。
ミラはにこやかな微笑みを彼女に向け、スカートを摘まんでお辞儀をするとこう続けた。
「オリオリテ家のやんごとなきご令嬢様の鈴の音の様な美声を、かような下町の往来で周囲に届けてくださるなんて……皆感激してローザンヌ様に釘付けですわ」
(※意訳……令嬢のくせに道のど真ん中で大声なんぞあげるから皆が注目してるぞ、馬鹿)
ローザンヌ・オリオリテはまだ17歳の美しく……そしてとても残念なご令嬢である。一言で片付けるならお馬鹿ちゃん。
更に残念なことに身体能力は高いので、良く脱走をする。特に家庭教師が来ている時……彼女は勉強が嫌いなのだ。よって馬鹿はいつまで経っても馬鹿のままである。
今彼女の後ろで爆笑しているバルトとの追いかけっこは既にエルネの名物とも言えた。彼はオリオリテ家私兵兼、ローザンヌの『世話役』である。皆彼を従者とは呼ばずこの言い方をするのは、この表現の方がしっくりくるからだ。
「っとに嫌な女ねミラ・フリクス!あんたになんか用はないのよ!!バルト!あんたもいつまで笑ってんの?!」
面倒臭いのに捕まった……
シルヴィアはそう思った。
このお嬢様はヴィンスにお熱なのだ。
……用件など解りきっている。
ミラは笑いを堪えながらシルヴィアに耳打ちした。
「ホラ、シルヴィア。彼女ならさっきの条件にピッタリじゃないの」
「いえ……流石にちょっと……」
確かにパワフルでヴィンスに首ったけのローザンヌだが、猪突猛進の馬鹿を妻にするヴィンスの気苦労を思うと……流石に彼女は遠慮したい。
実際ヴィンスはローザンヌが領主の娘ということもあり、彼女の扱いには非常に困っている。こないだローザンヌが騎士舎まで菓子を持って押しかけて来たときには「俺はいない!」と一言皆に向けて述べると、でかい図体を縮こまらせて机の下に隠れていた。
ちなみにローザンヌはバルトに宥められて仕方なくその場を後にした。バルトは机の下のヴィンスに気付いており、肩を震わせ笑いを堪えていたが、アホの子ローザンヌを宥めるのはお手の物である。止めるのは苦手なようだが。
「ちょっと!なにコソコソ話しているの?!」
「……いえ。ローザンヌ様は今日もご機嫌麗しく……」
「『ご機嫌麗しく』?!はっ!言ってくれるわねこの女狐が!あんたあれ程『団長殿とは仕事上の関係です』とかのたまってたくせに、よく私にそんな挨拶ができたものね?泥棒猫!」
狐なのか猫なのかはっきりしないわね……
シルヴィアは面倒臭さのあまり意味のない突っ込みを心の中でいれた。
面倒臭いがシルヴィアはローザンヌが嫌いではない。もっとも彼女は自分の事を目の敵にしているけれど。
「私の用件は1つよ!ヴィンス様と離婚しなさい!!」
わぁ、きたきた。
しかし『離婚しろ』とはまたわかりやすい。……もう少し他に言い方なかったのかしら。
残念なご令嬢ローザンヌは残念ではあるが表裏がなくていっそ清々しい。シルヴィアは立場上ヴィンスに気がある女から今まで悉く絡まれているが、ローザンヌの様にストレートなアホは他にいない。
懐かない犬みたいでむしろ可愛らしい……と思いながらシルヴィアはいつもローザンヌが言ったような台詞でお帰り頂いていた。お菓子とかを与えながら。
「こんなもので私を懐柔するつもり?馬鹿にしないで頂戴!」等と言いながらもしっかり食べるあたりがまた可愛らしい。なので、『よく懐柔なんて難しい言葉知ってたなぁ』等と近所の子供の成長を見るような感慨深さを噛み締めつつ、必要以上にお菓子をあげてしまうのだ。
とはいえ今回はそれでご納得はいただけない模様。
勿論現段階では離婚する気などない。
「申し訳ありません。……まぁ、色々事情がございまして。私もローザンヌ様のご成長をお待ちしていたのですが……」
とりあえずローザンヌ自身のせいにしてみる。
事実、同居する事への申し訳なさから彼女はヴィンスに相応しい相手を何度か探した。押し付けがましくならないように前団長を通したりして釣書を渡したりもしたのだが、当然ながら全てヴィンスは見ずに拒否するだけだった。
ソルドラ領主の娘であるローザンヌに対しても、年齢と共に落ち着きが出ることを期待していたのだが……ご覧の有り様だ。
「私が悪いって言うの?成長?してるじゃない!ホラ!!」
鼻息荒くそう言いながらローザンヌは一歩踏み出し、それなりに育った胸をシルヴィアに突き出した。
「……そういうところです。ローザンヌ様……」
「なによ!なによ!ちょっと私より胸が大きいからって調子に乗って!!……それを武器に迫ったのね?なんて厭らしい女!……はっ!」
言葉は通じるが、話が通じない……そんなところが若干ヴィンスに似ている。
何かに気付いたローザンヌは凍り付いたように動きを止めた。彼女の視線の先には……先程のランジェリーショップ。そして視線は移動し……シルヴィアの持つ紙袋に注がれる。
やがてその目は何か恐ろしいものでも見たかの様に驚愕したあと、わかりやすく炎を燃やした。悋気の炎である。
「やはりその胸を武器に……?!……なんて……なんて恐ろしい女……!!」
ふぐっ!往来でなんてことを言ってくれるの?!あぁ、移動を勧めるべきだったわ……!!
思いの外精神的ダメージを食らうシルヴィアをローザンヌはキッと睨み付け、次の瞬間シルヴィアの袋目掛けて飛びかかった。
「こんなものこうしてくれるわー!」
しかしシルヴィアは素早い身のこなしでそれを避け、とりあえず逃げた。
こんなものが周囲に露呈したら羞恥で死ねる。
逃げるシルヴィア、追いかけるローザンヌ。
二人とも、ロング丈のスカートと多少ヒールのある靴を履いているのをものともしない、物凄い速さだ。
あっという間に二人は雑踏に消えていった。
「シルヴィアさんって……足速いんすね……」
残されたミラに、やはり残されたバルトは小さくそう言った。
基本的に残念な人しかいない『騎士団長と嫁』。
やっぱり一話が短いような気がするものの、まとめようにもストックがないから困っています。




