5年前の指輪①
シルヴィアは手際よく朝食の支度をしてヴィンスを送り出すと、部屋の掃除をいつもより念入りに行った。
今日、彼女はお休みなのだ。
一息ついてから自身の身仕度を整える。ヴィンスが自ら『小遣い制』を言い出した(厳密に言えば少し違う)ことで、シルヴィアの給料は丸々シルヴィアの懐に入ることとなった。その分副業のお金は入ってこなくなったが、この先ヴィンスが結婚し、住むところと副業を一気に無くすことを懸念して慎重に使用し貯めていた事を考えると、それを気にする必要がなくなったことは思った以上に気が楽だった。
勿論無駄遣いなどする気はないし、貯金は継続する気でいるが、必要があるときに必要分は遣えるというのはとても有り難い。
これから先訪れる冬に向けて、彼女はラス地区に衣料品や布団類を購入し、送りたかった。
しかも此度の『渡り竜』の件は、シルヴィアの実家とラス地区にそれなりのダメージを与えていた。場合によっては冬を越すための食糧品も送らねばならないかもしれない。
身仕度を整えたシルヴィアはエルネの街へと足を運んだ。
『場合によっては挨拶に行く際に、冬に向けての備蓄を用意して向かうから、状況を報告してほしい』と書いた手紙を添えて、とりあえずは衣料品等を購入し、『村』の集会所へと送る。
買い物で迷うタイプではないシルヴィアの用事は済むのが兎に角早い。昼前に終わってしまった。
軽く食事と休憩でもとってから夕飯の材料を買って帰ろう。
そう思って入った店で、親類のミラとバッタリ出くわした。
ミラはシルヴィアに気付くと手招きし、シルヴィアを夫であるショーンの隣の席へと促す。
シルヴィアはフリクスの家に結婚の報告には行ったが、単身だったうえに家の主人であるショーンは買付で不在だった。
シルヴィアは丁寧にその非礼を侘び、改めて報告をしようとしたが、ショーンはさして気にしてはおらず、シルヴィアの肩を叩いて「相変わらずだなぁ」と笑って言うと席を立った。
「近いうちにふたりで食事でもしにおいで」
ショーンはひらひらと手を振ると、大きな荷物を持って行ってしまった。
「いいの?ミラ」
「気を利かせてくれたのよ。シルヴィアったらあんまり顔を見せに来ないんだから」
「相変わらずって言ったけど……ショーンさんも相変わらずスマートだわ」
実のところショーンは恋愛に疎いシルヴィアが唯一好きだった、初恋の相手である。ラス地区で採れる諸々の取引先がフリクスであり、ショーンがラス地区に訪れるようになったのはもう20年近く昔の事だ。ミラに気があった彼はなにかと理由をつけて村に足を運ぶようになり、シルヴィアも勉強を見てもらったりした。
ショーンに対する想いは甘酸っぱく、淡かった。
姉のように自分を可愛がってくれるミラとショーンがくっつくのを、シルヴィアはさして悲しいとは思わなかった。
何処か安堵にも似た感情をもって終わりを遂げた初恋に、漠然と『自分は恋愛事に向いていないようだ』と悟ってから誰にもそんな気持ちを抱くことはなかった。
シルヴィアはショーンの背中を見送りながら、ほんの少しの間、霧がけぶる様に美しくぼやけた初恋の残滓に浸る。
ヴィンスに対する感情はショーンの時よりも生々しい割に、はっきりしない。
ときめきを抱くこともあったがシルヴィアにとって、彼は友人であり、時に兄や父のようでもあり、年上なのにほっとけない弟のようでもあった。
しかも7年も一緒に住んでいるのだ、情も湧く。
自分の気持ちを些かはかりかねているところのあるシルヴィアだったが、それは彼女にとってさしたる問題でもなかった。愛情はあるのだから、それでいい。
現実に届けを出してしまったのだし、わざわざ覆す気になどならなかった。
なし崩し的ではあるが、このまま時が経てば夫婦らしくなっていくに違いない。
ただ、不安はないわけではなかった。
「まだ閨を共にしてない~?!」
「しっ……声が大きいわ!ミラ…………」
昨夜も少しいい雰囲気になったというのに、ヴィンスはシルヴィアにそれ以上の事はしてこなかった。
「色々ご機嫌とりみたいな事はしてくるのだけど……結局何もないままなの。責任感の強い人だから……」
自分はもしかしたら女性として好かれている訳ではないのかもしれない。
シルヴィアのその意見をミラは即座に否定した。ヴィンスのヘタレぶりは騎士団員に限らず多くの人間が知っている。
しかしミラはシルヴィアの性格を熟知していた。彼女を納得させるには明確な事実を突きつけなければならない。
「ホラその指輪!シルヴィアの指にピッタリなのがなによりの証拠じゃない。それに騎士団長は真面目な男よ?他の女にやる予定の指輪をあげる訳がないわ」
「確かにその通りだけれど……結果として7年も囲ってしまった……とか感じて責任をとろうとしているのかも」
シルヴィアは鈍感ではないので、彼が自分に並々ならぬ愛情を向けてくれている事は解っていたが、残念な事に恋愛オンチではあった。
自分がヴィンスに対してそうであるように、彼も自分に対しての気持ちがよくわかっていないんじゃないかとシルヴィアは思っている。
ミラはシルヴィアが恋愛オンチであり、合理性を重んじる気質から、時に訳のわからないことを言い出すことをよくわかっており、それを危惧していた。
そして案の定言い出した。
「私はそれでも構わないけれど、ヴィンスさんはご長男だから子供は必要だわ……ねぇミラ、どなたか『ヴィンスさんなら愛妾でも!』って言ってくださるパワフルな女性、知らないかしら?あ、勿論折を見て私は退場……「無茶苦茶だわシルヴィア」」
できれば健康で子供好きで、家事をしっかりやってくれる愛情深いひと……という注文を省いたにも関わらずアッサリ却下されてしまい、シルヴィアは肩を落とした。
「いいアイディアだと思ったのに……」
「団長は貴女が好きなのよ?!間違いないわ!!端から見てても!」
この手の説得は彼女に効かない事は重々解ってはいるが、ミラはおもわずそう強く発していた。
シルヴィアも残念の回。




