シルヴィアの誤算
馬の制御自体も鹿と大差なく、乗れてしまえばこっちのものだった。しかも乗りやすい。
シルヴィアはすっかり御満悦だが、ヴィンスはまるで出番がなかった。
肩透かしを食らいまくっているヴィンスだったが、残念な一方で、いつもより楽しそうなシルヴィアを見ているだけで満たされるものがあった。
(俺は単純なんだろうか……でもまあ、いい)
シルヴィアを乗せた馬を横に、歩く。
楽しそうな彼女を時折眺め、何気ない、実のない会話をする。
ヴィンスにとって、それはとても幸せな時間だった。
(やはり無理に何かを変えようとするのはよそう。俺には向いてない)
ただし告白はすべきだ。
いい流れ自体は今あるし、これからへの不安もある。
シルヴィアの笑顔ににわかに癒された彼は、本来の自分を取り戻し、そう決意した。
煩悩がないわけではないが、ギラギラしていないのが彼の良いところであり、同時にヘタレなところでもあるのだ。
(……それに…………今夜は手料理!!シルヴィアの!)
事実を知らないのは、ある意味幸せな事だと言える。
そんなわけで、二人ともご機嫌だ。
ヴィンスが支給された家は、騎士舎から歩いても通える距離だ。
それでも彼が馬を使っているのは突然の有事に備える為である。
シルヴィアは時折馬を走らせては往復をする。ヴィンスがそれを褒めると少し恥ずかしそうにはにかんだ。
シルヴィアの手料理(仮)というご褒美と、家に彼女が入るというチャンスへの期待はあったものの、 ヴィンスはこの幸せな時間が終わるのが惜しくて、気付かれない程度に極力ゆっくり歩き、二人(と一頭)の時間を楽しんだ。
それでもやはりたいした距離ではないので、すぐ家に着いてしまった。
ロックを馬屋に繋いで荷物を下ろす。
シルヴィアは本来の目的を忘れそうになるほど名残惜しく、ロックを優しく撫でたが、それを機にすぐに切り替えた。
「ヴィンスさん、そちらの袋を貸していただけますか?スープが入ってるんです。少し仕上げをしたいので」
『仕上げ』とは温めるだけだが、敢えてそうは言わない。
ここに来て「大丈夫、自分でできる」等と言われてしまっては元も子もないのだ。
家に入る理由であるスープの鍋をしっかりと確保し、シルヴィアはヴィンスの後に続いて母屋へと向かう。
ヴィンスの家は石造りで、さして大きくはない。一世帯が住むには (ちなみにこの国の一世帯平均は4人程度) 少し手狭なものの、彼一人なら充分以上の大きさだ。
(さぁ……どんな状態かしら?)
少しだけ目的から逸れたワクワクを抱きながらも、今度はしっかり目的を意識しつつ、家へと足を踏み入れた。
部屋は……
ガッカリするほど綺麗だった。
実際ガッカリした。
(そうよね……急に家に来て、入れてくれる時点で少し想像はついてたわ……)
そう思いながらもシルヴィアは肩を落とす。
ヴィンスはシルヴィアの来訪にドキドキと胸を高鳴らせながら、彼女が中に入るとなるべく自然な感じで玄関扉を閉めた。
紳士でヘタレな 本来のヴィンスに戻ってしまった為、施錠はしない。
石壁で覆われたリビングダイニング 中央には、今はもう使われていないので穴が塞がれている暖炉。板張りの床の上に、 右寄りに置かれた小さな木製のダイニングテーブル。
その更に右奥に見える、煉瓦の壁で仕切られたキッチンへ、ヴィンスはシルヴィアを案内した。
「汚い部屋で申し訳ないが……」
「いえ、綺麗すぎて驚いていたくら、い……で……」
(…………ん?)
どことなく、違和感を感じた。
違和感、というか『綺麗な部屋』という言葉との齟齬のようなもの。
良く良く目を凝らして見ると、一部を除き、全体にうっすら埃が積っている。
その埃の積もり具合から、おそらくヴィンスは自分が生活するのに必要な部分しか使用しておらず、その部分の掃除のみ行っているようだ。
キッチンの流し台の隣には大小2枚の皿、フォーク、ナイフ、スプーンがそれぞれ1本づつとコップがひとつ洗って置いてあった。
棚を開けると食器類がそれなりに入っているが、使われた形跡はない。
ヴィンスは散らかるのが嫌いなタイプのズボラだったのだ。
(成る程…………)
「どうした?シルヴィア」
「……いえ、ヴィンスさん、お疲れでしょうから食事前にどうぞ湯あみを。まだ仕上げに時間がかかりますので」
「!!」
この世界にシャワーはない。
替わりに炉で熱したお湯を巻き上げる、という方法で上部から湯が出てくる『打たせ湯』みたいなものが一般に普及している。
しかしヴィンスは
(いやいやただ気遣ってくれただけだ誤解をしてはいけない冷静になれ)
呪文……とうかお経を唱えるようにそんな言葉を繰り返し、敢えて冷水を浴びた。
ヴィンスが冷水を浴びている間、シルヴィアは鍋に火をかけながら軽く拭き掃除を行った。
物が少なく、定位置であるためすぐ終わる。
(ヴィンスさんがそれなりにズボラなのはわかったけど……)
拭き掃除程度では、これまでヴィンスにしてもらっているあれこれを考えると『お給金』どころか『お小遣い』を貰うのすら憚られる。
(…………これでは言えないわね)
そう思ったシルヴィアは、テーブルにパンと、温めたスープを用意すると、「送る」とヴィンスに言われないうちに今日の礼を書いた手紙を置いて、そっと家を出た。
告白のイメトレ、妄想・煩悩との戦い、僅かな期待と不安……と色々脳内がいそがしかったヴィンスはそれに気付かず、冷たくなった身体で一人温かいスープを食べることとなった。
具沢山の、マーサ特製スープである。
「…………ま、いいか」
目論見は互いに外れてしまったが二人とも楽しかった。
ヴィンスは食卓を前に、シルヴィアは帰り道で、軽い溜め息と共にそう呟いていた。
それより少し前、ヴィンスが家の扉を引き、シルヴィアを招き入れるところを見ていた男がいた。
彼の名はアイザック・マクブライド。
新たにソルドラに駐留する第九騎士団の団員である。
閲覧ありがとうございます!
★蛇足・シャワーがない理由★
この国の風呂場では炉の熱を利用し温めると共に水を吸い上げるこの打たせ湯システムが早くから普及しており、特に不便を感じなかったからです。
道具は不便さの実感と共に良くなっていくものですから!
……という緩い設定。
別にあってもいいんだけど、なんかそう書いちゃったんだもん。(本音)




