最終話 バタフライ・エフェクト 終
『虚実重なる王の逸話』
副次的に生まれたエステルの攻撃用スキルが、化物の巨躯をいとも簡単に吹き飛ばした。
周囲の空間それ自体を破損させ、その衝撃に対象を巻き込む。
エステル・キングランドが自由に引き起こす破壊的現象。
真っ白い破壊の光が広場の後方に満ちて、砂塵が巻き上がる。
指向性を有した白光の大爆発によって、地面に隙間なく並べられた敷石が砕け散り、軽石のように引き剥がされて周囲に飛び散った。
天界から降りた神が、その巨大な鉄槌を力任せに振り下ろしたかのような光景。
その非現実的な威力に、群衆は沸き立った。
「うおぉおおっ!?」
「なんだアレ!?」
「すっげえええっ!」
処刑台に嵌められていた町民たちを急いで助け出していた騎士団員たちは、そのあまりの光景を目の前にして、みな固まってしまっていた。
高レベルの賢者が操るような魔法には、広範囲攻撃というのがたしかに存在する。
しかしエステル姫が発生させた破壊の規模は、その常識を遥かに超えるものだった。
彼らは、これでもエステルが相当な加減をして撃ったことを知らない。
慎重に、その力のほんの一部だけを解放して、試してみたにすぎないことを知らない。
ちょうど首枷から外されていた馬車屋の親父は、未だに痛んでいる太ももをさすりながら、疲れたように笑った。
「やったなあ……エステルちゃん」
金の神輿から生えていた巨大な腕が空中で千切れ、ズタズタに引き裂かれた足が周囲に四散する。
レオノールが『偽王たちの顕現』によって変化していた化物は、吹き飛んだ先で王城にぶち当たった。
その途方もない巨体で王城の右半分を薙ぎ倒し、粉々に叩き崩す。
あまりに甚大なダメージを喰らい、醜悪な怪物は腕も足も千切れ飛んでいた。
歴代の王たちの欲望と闇の歴史が作り出した怪物は、変化状態を維持することができず、その姿を崩壊させていく。金輿に寄生するように顕現していた力の塊が剥がれて、液状化し、ドロリとした黒い水銀のように滴り、汚臭を放つ黒濁した水たまりを作った。
半壊した王城の中央付近に残されたのは、人間の姿に戻ったレオノールだった。
「がぁっ……! ひぐ、ぐはぁ……っ!」
彼は身体に浸食していた『王の偽剣』のスキルによって、虫の息となっている。
自然災害にも似た破壊の衝撃によって巻き上げられた砂塵。
それが晴れようとしたとき、そこに立っていたのは一人の少女だった。
小ぶりな剣を握った、たった一人の少女。
桃色の髪をした、小柄な体躯の姫。
その全てを見ていた民衆たちの中に、一体何が起きていたのかを理解できた者はいない。
しかし彼らは、一つの共通認識として、あることを理解していた。
あそこに立っている少女が、今まさに即位した本物の王なのだと。
これからあの少女が、みなの国王として、この王国に君臨するのだと。
「ぁー……」
広場の民衆の視線を一心に受けているエステルは、そんな掠れ声を上げた。
なんだか眠い。
とっても疲れた……。
ふらり、とその小さな身体が倒れようとして、
民衆は、思わず声を上げた。
「――おっとぉ」
砂塵の中から伸ばされた腕が、その場に倒れようとしていたエステルの手を握る。
その手はエステルの身体を抱き寄せると、気絶した彼女が倒れぬように支えてやった。
その姿を見て、処刑台の下で捕まっていたヘンリエッタが声を上げる。
「大将ーっ! やったぁ!」
「いや、ヘンリエッタさん!」
近くにいたビビアが叫んだ。
「違う! あれは……デニスさんじゃない!」
多くの民衆は、エステル姫が倒れなかったことに安堵していた。
砂塵の中から現れて、咄嗟に彼女の手を掴んで抱き寄せた男に感謝していた。
事態に気付いたのは、ほんの少数だった。
「エステル姫……よくぞやってくれました。貴方ならできると思っていた……貴方でないと駄目だった……」
気絶したエステルを抱き寄せたのは、ボロボロの黒色礼服を着た、背の高い男。
砕けて腫れあがった顔面と、血まみれの口元。
その目元には、度の強そうな丸眼鏡がかけられている。
「僕はあまり他人を尊重する人間じゃあないんだが……貴方には敬意を表しましょう。貴方こそが真の国王だ……前人未踏を成し遂げてくれた……っ!」
ヒースはそう言って、抱き寄せたエステルの頭を掴んだ。
「『ガラクタ集め』……っ!」
強奪スキルを発動させたヒースは、エステルの頭からお目当てのスキルを抜き取る。
それは、彼が今まで想像したことすらないほど巨大なスキルだった。
溜め込んでいた強奪済スキルが、その巨大なスキルによって圧し潰され、場所を空けるために消滅していくのがわかる。
入りきらない……! とヒースは感じた。
なるほど、これは――!
「がっ! ガァッ!」
大きな物体が喉に詰まったように、ヒースは呼吸が出来なくなる。
その場で倒れそうになり、彼は足を踏ん張った。
袖から覗く手首には、紋章のような幾何学模様が焼け付くように走り始める。
入りきらないので、体外にまで現れ始めたか――!
ヒースは歯を食いしばり、エステルの巨大なスキルを何とか強奪しきろうと奮闘する。
その時、遠目から、
凄まじい速度で疾走してくる、王国騎士団長の姿が見えた。
「ヒィィィイス!」
事態に気付いたジョヴァン団長が、疾走スキルで一瞬にして距離を詰める。
その手に握られた剣は、すでに抜剣されて振り上げられていた。
「っちぃ!」
ヒースはエステルを手放し、咄嗟に防御姿勢を取る。
防御スキルが間に合わない。
というより、すでに強奪済スキルの全てが、エステルの極大スキルに圧迫されて消滅してしまっている――!
ジョヴァンの高速の剣が、斜め上から斬り下げるようにヒースを襲った。
その首を落すために振り下ろされる一撃。
ジョヴァンの剣はヒースの首を側面から薙ぎ、その頸椎に到達する。
しかし、その骨を叩き折る直前で剣刃が止められた。
防御するために挙げられたヒースの両腕が、剣に食い込んでいる。
その腕の肉は絶たれ、骨も肘と手先から真っ二つに切断されている。
しかし、犠牲にされた三本の太骨が、
首の骨を叩き斬られる直前で、
ジョヴァン団長の剣撃を押し止めていた。
「ガボッ! ガバァッ!」
首を半分切断され、そこから大量の血を噴出させながら、
ヒースはニヤリと笑った。
「お、お義父上……ッ!」
ヒースはそれ以上首に剣が食い込まないように、ジョヴァンの剣を握って、さらに腕へと深く刺し込む。
「ヒース……! 貴様……!」
「躊躇ったな……! がぼっ、最後のチャンスだっだのに……! 貴方ば、僕を殺ぜだのに……!」
「これが……! 貴様の狙いだったのか!」
「剣を振り切れながっだな……! 嬉しいよ、義父さん……!」
ヒースは剣刃を首にめり込ませながら、ジョヴァンに向かって微笑む。
「血が繋がっていなぐとも、僕のごどを、愛しでくれでいだんだな……っ! 知っていたさ……っ! 僕も、小ざい頃がら! 貴方のごどが大好きだ……っ!」
「――――っ!」
ヒースを前蹴りにして、ジョヴァンは剣を引き抜いた。
「ギャァッ!」
両腕と首に食い込んでいた剣が抜かれて、さらにおびただしい量の血が噴き出す。
鮮血をバタバタと垂れ流しながら、腕も首も千切れかけているヒースは、その場に倒れ込みそうになっている。
ジョヴァンは素早く剣を振り上げた。
今度こそ、全力で――っ!
その瞬間。
砂塵の中から近づくもう一人の敵影を感じて、ジョヴァンは咄嗟に防御の構えを取った。
砂煙を掻き分けて、細剣の高速連撃がジョヴァンを襲う。
「――ちぃっ!」
その攻撃を全て凌ぎ切ったジョヴァンは、反射的に背後に跳び退った。
見てみると、瀕死のヒースの身体が誰かに抱きかかえられている。
白色の幹部礼服。ショートカットの銀髪。
恐ろしく綺麗で、鋭利な冷たい顔立ち。
それは、彼の腹心であるフィオレンツァだった。
フィオレンツァの手の中でお姫様のように抱きかかえられたヒースは、彼女の顔を見て、嬉しそうに笑う。
「ハハハハハガババァ! フィオレンツァア! 遅かっだじゃないがぁ!」
「ヒース様、あまり大きな声を出さないでください。首が千切れますよ」
「やはりお前が一番だ! 僕ば! お前はやってくれると信じでいだぞ!」
「首を支えておいてください。跳びますので」
フィオレンツァが、その脚に強化スキルを装填した。
それを見て、ジョヴァンは歯ぎしりする。
「……ヒース。お前の目的は、一体何なんだ……?」
ジョヴァンが聞くと、ヒースは千切れかけた腕で自分の頭を支えながら、微笑んだ。
「鍵は揃ったよ、義父さん。『世界の終わり』はもうすぐだ。僕は、この世界の救世主になるぞ」
ヒースはそう言った。
フィオレンツァがスキルを用いて跳躍する。
周囲に漂っていた砂塵を吹き飛ばす勢いで跳んだフィオレンツァは、ヒースを抱きかかえたまま、後方の王城の屋根まで一跳びで到達する。
屋根に着地すると、フィオレンツァは再び両足を曲げて、強化スキルを再装填した。
そのスラリと長い脚に補助の筋肉がブーストされて、太腿とふくらはぎがはち切れんばかりに膨張する。そのブーストを用いて、フィオレンツァはもう一度跳んだ。
王城の最上部から、二人の姿がその背後へと消えていく。
ジョヴァンは二人の姿が見えなくなったのを確認すると、倒れていたエステルに駆け寄った。
「エステル姫……いえ、女王陛下!」
エステルを抱き上げて、ジョヴァンはそう声をかけた。
彼女は薄っすらと瞳を開くと、眠そうな眼で、ジョヴァンのことを見る。
「……ぁー……どうしたのだ?」
「だ、大丈夫ですか? お怪我は? 体調は?」
「あまり大きな声を出すな……眠いわ……腹も空いた……」
エステルはジョヴァンの腕の中で、怠そうに呟く。
「カツ丼が食べたいなぁ……半熟の……卵がな……美味しいのだ……」
次回『第三部エピローグ』




