36話 追放姫とイツワリの王権 その7
『反転予知』
王剣に触れることで取得した新規スキル……『反射神経SSS+』がランクアップした、デニスの新規レベル100ユニークスキル。
それが発動した瞬間、デニスの目に映ったのは奇妙な光景だった。
閃光の如き加速で真正面から襲い来る、致命スキルを多重発動させたヒース。
その背後から遅れてやって来る、同じく致命スキルであろう鮮やかな翠色を帯びた魔力の槍。
肉眼では追いきれない超速度の多重攻撃。
その全ての攻撃が辿る未来の動きが、デニスには見えた。
それは実体と重なり合いながら伸びる、青色の影としてデニスの目に映る。
その青い影がどこに命中し、突き刺さり、身体を破壊し、
デニスにどのような痛みとダメージを与えるのか。
デニスは一瞬の内に、その全てを感じ取った。
その攻撃が、実際に命中する一瞬前に。
「っヅぐぁアっ!?」
知覚した激痛を避けるため、デニスは目を瞑ってがむしゃらに、肉切り包丁と拳を振り回す。
訪れる一瞬の静寂。
デニスが恐る恐るに目を開けると、
周囲には、デニスの身体を綺麗に掠めて避けていき、足元に突き刺さった翠色の槍の数々。
接触破壊のスキルを叩き落し、崩壊していく肉切り包丁。
空ぶって、デニスの頬横を掠めたヒースの拳。
がむしゃらに突き出したデニスの拳は、ヒースの顔面にめり込み、その頬骨を粉砕していた。
「……えっ?」
「がっ? はぁ……っ!?」
デニスの目の前で、ヒースがよろめく。
しかしその一瞬後、ヒースはキッと眼を見開き、幅を取って開いた両足に力を込めた。
「グッアラァッ!」
獣のような雄叫びと共に、ヒースは雷光のような瞬発力で拳を繰り出す。
デニスにはその拳の軌道が、ヒースの未来の動きの全てが見えた。
それは青い影の形となって、デニスの瞳に映る。
その青い拳の影がデニスの鎖骨を粉砕し、軌道上の筋肉を軒並み切り裂き、乗せられた致命スキルによって周囲の臓器を不可逆的に破壊する恐ろしい激痛も、全て当たる前に知覚できる。
知覚してしまう。
「いっ! ヅッ! ぐぁああっ!」
デニスは実際にはまだ受けていない苦痛に顔を歪めながら、その青い影を躱して、ヒースの顔面にもう一撃叩き込んだ。
カウンターの形で拳が交差し、衝撃でヒースの目玉が飛び出る寸前までその顔を歪める。
「ギァッ!? ヅッ、グラァアッ!」
再度、それでも怯まぬヒースの爆発的な拳撃。
結果は同じ。
青い影となって見える未来の動きと、実際には受傷していない予知激痛。
「いってえんだよっ! この野郎がぁっ!」
「ゴバぁッ!」
今度は鳩尾に突き刺さるようなカウンターを喰らったヒースは、今度こそ背後によろめいて、腰を折った。
屈みながら後ろへ数歩後退し、その口から大量の血反吐を吐く。
「おっ、オガァッ! ゴェッ! オェエッ!」
デニスの全力の拳を腹部にもろに喰らって、内臓が破裂していた。
吐血が嘔吐のように溢れ続ける。
「がっ! がばっ! あ、アンバる、ガオェッ、ァ、『ガラクタ趣味』……ッ!」
高名な治癒師から強奪した緊急回復スキルを発動させて、ヒースはかろうじて致命的な損傷を治癒する。
彼はなおも腰を折って吐血しながら、片膝を震わせ、痛々しい内出血の赤青に染まったグシャグシャの顔で、デニスのことを睨みつけた。
「な、なにを、した……ッ! ゲェっ! きさま……ッ!?」
「はぁっ……はぁ……っ!」
混乱する両者。
しかし、本当に混乱しているのはデニスの方だ。
な、なんだ。
なんなんだ、このユニークスキルは。
『反転予知』……?
未来の動きが見えた。動きの全てが。
それが自分にどう影響し、どこに命中し、どんな苦痛を与えるのかも。
全て、予知できた。
「王剣が……っ!」
礼服の袖で血まみれの口元を拭いながら、ヒースが掠れた声で呟く。
「引き出したというわけだな……そのスキル……!」
「悪いがこっちも……わけがわかってないもんでね……」
「僕も触ったんだがなぁ……僕では駄目だったのか……クソッ……何が違うんだ、貴様と僕は……っ!」
ヒースは折っていた背中を伸ばすと、歯ぎしりをしながら首を鳴らす。
「しかし、悪いだけの知らせではない……お前がそういうスキルを引き出されたということは、『王剣』のスキルもまた! 同系統のスキルということ!」
乱れた礼服の襟を正しながら、ヒースは革靴の先端をカツカツと叩き鳴らした。
「『未来予知』か! 貴様の新規レベル100スキル! そうとしか思えない動き! そうでないと辻褄の合わない超反応!」
「どうやらそうみたいだぜ! 俺も驚きだがなあ!」
「貴様の高すぎる身体能力! 並み外れて高度な反射神経が限界点を突破し、事象の前後を貫通して未来の動きに反応することを許したわけだ! 『強制退店の一撃』が貴様の料理人としてのユニークスキルなら! その『未来予知』こそが! 貴様が持って生まれた本来のユニークスキルというわけか!」
「良い子にしてればプレゼント貰えるもんだ! 土壇場でなぁっ!」
◆◆◆◆◆◆
王城前の広場。
先陣を切るジョヴァン団長は、剣を振りかざして声を張り上げる。
「近衛兵たちは極力、非殺傷で無力化! 同じ国民同士で殺し合うな! 狙うは国王だ!」
その背後では、騎士団と近衛兵の正面衝突が巻き起こっていた。
処刑台に立っていた騎士団の斬首部隊は、壇上に駆け上って来る近衛兵たちを蹴り飛ばし、その処刑人の剣の丸先で押して舞台から突き落とす。
広場を俯瞰して見れば、剣を捨てて組み合いで敵を制圧しようとする者、致命傷とならないようにためらいながら剣を振る者。
真正面からぶつかっているとはいえ、騎士団と近衛兵は同じ旗本の国民同士、とつぜん斬り合うのに躊躇があるのはお互い様だった。
「うおおっ! 王国騎士団万歳!」
「こ、国王陛下を守れ! くそぉっ!」
その微妙な突発的状況が明らかに有利に働いたのは、王国騎士団の方だ。
騎士団員が身に着けているのは、儀礼用とはいえ金属製の全身甲冑。
対して近衛兵が着用しているのは、布製なうえに動きやすいとはいえない儀礼用制服。
誰も戦闘を予期していなかった中でぶつかり合う青黄の甲冑騎士団員と、赤黒の制服近衛兵。
取っ組み合いの混戦の中で、その装備の差が明確に現れようとしていた。
その騒乱の中で、群がる近衛兵たちを弾き飛ばして引き回す、一人の小柄な全身銀甲冑。
「おおおっ! ぴ、ピアポイント副長が!」
「離れろ! 巻き込まれるぞ! ピアポイント警騎副長の『流体装甲』だ!」
「ヒィィィッ! ハァァァァアッ! 誰かオレを止めてみろォ! 死にたい奴からかかってきてくれェェっ!」
高いハイソプラノ音域の悲鳴にも似た叫声を上げながら暴れ回っているのは、身に纏った銀甲冑を液体のように自在に形状変化させているピアポイント副長だ。
近衛兵が接近した瞬間に、液状化した甲冑を身体から引き剥がし、叩き付け、金属流体の装甲を触手のように伸ばして足を狩り、絡みついて引きずり回し、圧し潰して装甲攻撃を加えている。
「あれマジ何なんすか!? どういうスキルなんすか!?」
王国騎士団の一人がそう叫んだ。
「『錬金』の応用らしいぞ! とにかく近づくな! あの人はああなったら止められない!」
「あの人、大剣担いでる意味あんの!?」
「よく見ろ! 剣も液状化してるだろ!」
「質量が欲しいだけかー! なるほどー!」
“彼女”の周りは、敵味方問わず阿鼻叫喚の渦となっていた。
合戦状態の広場は、青黄の甲冑姿の王国騎士団が優勢に見える。
レオノール王はその様子を金輿の上から眺めながら、奥歯が砕け散ろうとするほどの歯ぎしりを立てていた。
「こ、この……! クソどもがァ……っ!」
王剣を握りしめ、絞り出すような声を漏らすレオノール。
輿に上っていた側近の役人が、彼の肩を掴んだ。
「こ、国王陛下! こちらへ! 退避してください!」
「尻尾を巻いて逃げろというのか! この俺様にぃ!」
「陛下! どうか落ち着いて! ここは……」
「どけぃ!」
レオノールは役人の手を振り払うと、その手に握り込んだ王剣を掲げた。
「この俺が、王の力を見せてくれる! 国王直々に! 奴らを地獄に叩き落してくれる!」
「陛下! 危険です! そのスキルは……!」
「『王の偽剣』! その力を解放せよ!」
七色に瞬く王剣。
それを掲げて、レオノールは力の限りに叫ぶ。
「脈々と受け継がれし、王家の闇の歴史よ! 光の裏に影あり! 浴びる光が大きいほど影は大きく! 影とはすなわち光なり! 光とはすなわち影なり! この俺に、今こそ力を貸せ! 王家の闇のスキルよ!」
バキンッ、という音が響いた。
七色に発光していた王剣が、突然ひび割れたのだ。
レオノールの目下に立ち、今まさに跳躍してその首を取ろうとしていたジョヴァン団長は、その光景を目撃していた。
太陽の下で掲げられた王剣から、どす黒い煙が噴出している。
それは首を斬られて勢いよく噴き出す、鮮血のようにも見えた。
「なんだ……?」
ジョヴァンは呟いた。
その漆黒の煙は気体であると同時に、血液のような液体でもあり、吐き出した痰のような粘性も有している。
それは真実を覆い隠す濃霧のようでもあり、
王国の歴史の闇で流れてきた粛清の血のようでもあり、
斬首されようとする咎人が、死に際の悲鳴と共にまき散らす怨嗟の唾のようでもある。
それはつまり、その全てであった。
「ガバァっ! ゴバッ ブバァッ!」
レオノールは発作を起こして痙攣し、その場で全身の筋肉を攣らせたように硬直する。
ピクピクと震えて白目を剥きながらも、その手に握って掲げた王剣を手放す気配はない。
否、手放すことができない。
『王の偽剣』は、ひび割れから噴出したどす黒い何かによってレオノールの手と癒着し、血管の中へと滑り込み、その身体の奥深くへと侵入していく。
首の血管が浮き上がり、どす黒い血液の網が葉脈のように広がっていく。
「ゴヴァッ、ガッ、ギィッ……!」
突然、竜巻のような激しい魔力の渦が、彼の足元から立ち上った。
その漆黒の渦巻きは、金輿の頂点から天高くまで貫くように発生し、レオノールの身体を覆いつくす。
広場で取っ組み合っていた王国騎士団と近衛兵たちは、その異様な光景に気付くと、思わず足を止めた。
「なんだあれ……」
「えっ、と……?」
広場の誰もが、その異常な現象に釘付けとなっている中で。
黒い竜巻から獣のような二本の太い腕が伸び、そのゴツゴツとした指が巨大な金輿を左右から鷲掴みにした。
群衆の悲鳴が上がる。
金輿を担いでいた者たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
竜巻はなおも勢いを増して金輿を飲み込み、そこから伸びる巨大な獣の腕が、苦しんで呻くように周囲の地面を滅多やたらに叩いた。
「きゃあああっ!」
「うわあ! 化物だ! 逃げろ!」
周囲の地面が次々と割れて、広場を悲鳴と戦慄が支配する。
四角錘の形状をした黄金の神輿は、竜巻に巻き込まれて逆さまになりながらその一部と化して、その下部から太く巨大な獣の足を伸ばした。四角錘の一面からは、レオノールに似たおぞましい化物の顔が浮かび上がろうとしている。
その竜巻が収束した時に現れたのは、
黄金の神輿に寄生するように発生した、何もかもがこの世の物とは思えぬほど歪で醜い、そのどれもが巨大で不揃いな黒い獣の腕と足を有した、とてつもなく大きい化物の姿だった。
『王の偽剣』に隠されたスキル。
王家の長い偽りの歴史。
これと常に共にあった偽りの王剣に発現した、その歪んだ権力の歴史を体現するようなスキル。
歴代の王たちが追い求め渇望した、偽りの力と権力への欲望。
その蓄積の発露。
強制変化スキル『偽王たちの顕現』
金輿の面から出現した化物の顔。レオノールの面影を残した、醜く、おぞましい悪魔の顔。
その口が裂けるように大きく開いて、悲鳴とも呻き声とも、怒声とも似つかない鳴き声を上げる。
「ギャッ! ギャァァアアアァッ! ギャァァアアァァアアァァアアッ!」
目の前でその巨大な化け物の顕現を見ていたジョヴァン団長は、しばし呆気に取られながらも、何とか正常な判断能力を取り戻した。
「た、退却! 総員退却! 民衆を避難させろ!」
ジョヴァンが叫ぶと、衝突していた騎士団と近衛兵たちが、恐怖に顔を引きつらせながら駆けだした。
恐怖に支配された群衆は、発狂したように我先にと広場から逃げ出そうとする。
「お、落ち着いて! 国民の皆さん、落ち着いて避難――」
「誰か! た、助けてくれ! うわあ!」
「化物だ! 逃げろ! 逃げるんだ!」
「どけ! 俺が先だ! どけえっ!」
恐ろしい混乱状態だった。
ジョヴァンも身を翻して駆け出し、避難の指揮に当たろうとする。
その途中で、広場の中央に跪くエステルの姿が見えた。
彼女は、呆気に取られたように、その化け物の姿を眺めている。
ジョヴァンは彼女の肩を掴むと、悲鳴の渦にかき消されないように叫んだ。
「エステル姫! ここは危険です! お逃げください!」
ジョヴァンに怒鳴りつけられるようにそう言われて、エステルはビクリとしながら正気を取り戻す。
「あ、ああ! に、逃げなくては! 民衆の避難は可能か、ジョヴァン!」
「わかりません! やれるだけやるだけです!」
ジョヴァンと一緒に駆け出そうとしたところで、エステルは何かに気付く。
「町民たちは!? 拘束されている! 自力で避難できない!」
エステルにそう言われて、ジョヴァンは処刑台の周りに集められている町民たちを見やった。
公開処刑される予定だった町民たちは、全員が手枷と足枷をかけられ、鎖でつながれている。
いまだ処刑台の上で、断頭台に嵌め込まれている者もいる。
「くっ……! か、彼らを避難させるのは困難です! 動ける者を優先的に避難させるしかない!」
「ならぬ!」
エステルが叫んだ。
「ギャァアッ! ギャアアァァアッ!」
化物へと変化したレオノールが背後で動き出し、激しい地鳴りが響く。
揺れの中でよろめきながら、エステルは足元の、本物の王剣スキルグラムを拾った。
「もう誰も死んではならぬ! 死んではならぬのだぁっ!」
「エステル姫!」
エステルはジョヴァンの手を振り払い、
その手には大きすぎる本物の王剣を握って、巨大な醜い化物と対峙する。
町民の拘束を解いている時間は無い!
誰もあの化物を止められない!
みんな死んでしまう!
また死んでしまう!
余のせいで!
エステルは王剣スキルグラムを両手で握り、瞳に涙を溜めながら叫ぶ。
「もう、嫌なのじゃあ! 誰も死んでほしくない! 生きてるだけでいいのに! 生きててくれるだけでいいのに! なんでそんな簡単なことが! なんでそんなことすら、みんなできないのだあっ!」
王剣を握り、握り直し、震える手で王剣を握りしめる。
「このっ! 何か発動しろぉ! 『本物の王剣』! 何か言わぬかぁっ!」
ボロボロと泣きながら、王剣に向かって喚くエステルを見て、
ジョヴァンは彼女を殴りつけて気絶させてでも、ここから連れ去ろうか逡巡した。
「余が守らないと! みんな死んでしまうのだ! 嫌なのじゃぁ! もうそんなのは嫌なのだあ! 何でも良いから発動しろ! 発動しろぉ!」
緊張と恐怖で王剣の握りを手汗まみれにしながら、エステルが叫ぶ。
力の限り祈る。心の底から請う。切に命令する。
「余がみんなを守るからぁっ! 余に力を貸せ! どうにかしろ! このガラクタぁっ!」
その瞬間、
エステルが震える手で握りしめていた王剣が、
本物の王剣スキルグラムが、突然眩い光を放った。
「……へっ?」
剣に向かって怒鳴りつけていた当の本人が、その光を見て間の抜けた声を上げる。
瞬くような、激しい七色の発光。
至近距離で見ていれば目が潰れるほど眩しい光の爆発。
『王剣スキルグラム』は発動した。
初代王ユングフレイ以来、王家の歴史の中で初めて、
エステルは、その剣の発動条件を満たした。




