34話 追放姫とイツワリの王権 その5
「世界を救う鍵だと?」
デニスがそう聞いた。
王城の通路。
互いに差し出した前腕を交差させる鍔迫り合いの中。
「そうだ。僕たちは『世界の終わり』に到達する。全人類を救済する。全ての追放者たちを救い出す。そしてこの世界の終わりの扉は、二錠建てになっているのだ」
ヒースがそう言った。
デニスは眉をひそめる。
「教祖様でもやった方がいいんじゃねえのか?」
「救世主のつもりではあるんだが」
「それは大したもん、だなぁっ!」
次の瞬間、先手を打ったのはデニスの方。
交錯した左腕を滑らせるように打ち込む、デニスの予備動作無しの突き。
ヒースはその突きを、元々かけていた押圧から最小の力で逸らす。
しかし、そこまではお互いに想定内。
至近格闘の予定調和。
本手は、続けざまに繰り出す右の拳――をほんの僅かに引く予備動作を陽動として、
「シッ!」
次の瞬間に爆発の如き勢いで繰り出される、コンパクトな軌道の左ミドルの蹴り。
回避、防御共に不可能な速度と軌道。
脳筋のデニスの蹴りを受けるのはヒースといえども危険。
ヒースの選択は霧状化。
無形化して物理攻撃を無効化し、そもそも避けないという選択。
それも想定内。
本当の本手は、左ミドルによって引かれた右の手に瞬時に錬金した、肉切り包丁。
「『強制退店の一撃』!」
異常なほど発達したデニスの体幹が可能にする、滅茶苦茶な連撃。
無形の敵を無理やり実体化させて強制発動させる、デニスの凶悪スキル。
ヒースの選択は実体化。右から襲い薙ぐ致命スキルを帯びた肉切り包丁。これを手首から叩き落すように受け流すと同時に、デニスの胸へと突き刺すような掌底。
脅威の排除と制圧を同時に行う、警騎部隊仕込みの護身格闘術。
「ヅァッ!」
命中。
デニスは背後に背負った壁へと叩きつけられる。
流れるように繰り出す、ヒースの連撃の左。
最小の弧を描いて視界の外側から襲う、真横から顎と脳震盪を狙う軌道の殴打。
――――『反射神経SSS+』!
ヒースの左フックが顎を狩る直前、デニスは頭を先に振って衝撃を逃がした。
同時に肉切り包丁を手放し、デニスは右の掌底を当てずっぽうに素早く突く。
手のひらの固い部分が、骨を砕く手応えがあった。
その瞬間、ヒースは素早いバックステップで距離を取る。
息が詰まるような一瞬の攻防。
「ぐはっ……はぁ……はぁ……!」
デニスは壁を背中にしながら、肩で呼吸をする。
距離を取ったヒースは、
自分の顔からダラリと流れる血に気付いて、
「鼻血だ」
と呟いた。
「喰らわしてやったぞ……! 黒ずくめ説教野郎……!」
デニスがやや興奮した様子でそう呟き、
ヒースは微妙に状況がわかっていなさそうな表情で、自分の鼻からボタボタと垂れる血を手で受け止める。
「鼻血……? いつ以来だ? 当たったのか……?」
「現実を受け止めな……鼻を砕いてやったぜ。お揃いだなあ?」
「そうだ。雑な掌底を喰らったんだな……鼻が砕けたのか……僕が……?」
ヒースは砕けてズレた鼻骨を正しい形に直しながら、礼服の胸ポケットから白いハンカチを取り出した。
鼻孔からとめどなく溢れる血を受け止めながら、ヒースは不思議そうに呟く。
「……やはりおかしいな。以前に戦った時と違うぞ」
「こちとら年中成長期なもんでね。人間、人様に説教するようになったら終わりだぜ」
「…………」
ヒースはハンカチを鼻に当てながら、デニスのことを見つめる。
上等そうなシルクの布地が、徐々に血の色へと染まっていく。
「まさか……『王剣』に、何かスキルを引き出されたのか?」
「あ……?」
「反応速度を上昇させる強化スキルか? そうだろうな。それはつまり……やれやれ……」
ヒースは真っ赤に染まったハンカチで鼻を覆いながら、デニスを睨みつけた。
「つまりはそういうことか……! とてつもなく良い知らせであり、とてつもなく悪い知らせでもあるな……! どうやらお前は、ここで全力を以って殺さなければならくなったわけだ……その強化スキルが、本当の意味で目覚めてしまう前に……!」
「いいか、能書き救世主野郎! 実は今まで本気じゃなかったみたいなことを言うのはなあ! この世で一番格好悪いことだってわからせてやるぜ!」
◆◆◆◆◆◆
エステルはジュエルから受け取った王剣を掲げて、その小さな声帯から声を張り上げる。
「これが本物の『王剣スキルグラム』である! 誰か、鑑定スキルを持っている者はおらぬか! スキルを通せばわかるはず!」
金輿の上。
落下傘の巻き込み事故から立ち上がったレオノールは、目下で掲げられた黄金の剣を見て、眉をひそめた。
「なんだと……? なぜ『宝物庫』にあるはずの『本物』が……?」
群衆の中で、賢者風の男が鑑定スキルを発動させている。
彼は上級の鑑定スキルの結果に、思わずアッと声を上げた。
「ほ、本物だ! 鑑定スキルの結果は本物だぞ! あれは本物の王剣だ!」
「本当だ! でも、国王陛下が握っている剣も本物って出てるぞ!」
「他に鑑定スキルが使える奴は!? どうなってる!? 『本物』が『二本』あるぞ! どっちも鑑定結果は『神話級』、『王剣スキルグラム』だ!」
群衆のどよめきと混乱を眺めるエステルは、その高い声で民衆に宣言する。
「これこそが王家の秘密! 『王剣』は『二本』存在する! そして、あのレオノールが持つ王剣こそが偽物! 代々に渡って継承されてきた、王の偽剣である!」
「何を勝手なことを!」
レオノールは額に青筋を立てて叫ぶと、エステルに向かって七色に光る王剣の輝きを見せつける。
「この輝きこそが本物の証! 鑑定スキルを撹乱する、改竄スキルを使用しているに違いない! それ以上王家を侮辱するか!」
「ならば見せてみろ! レオノール!」
『王剣』を握るエステルは、『王剣』を握るレオノールに向かって叫ぶ。
「そのような子供騙しの輝きではなく……国王が継承するという伝説のスキルを! 王剣に封じられし、『この世界の全てのスキルを支配し、無効化する力』! それをこの場で発動してみろ!」
「ぐっ……! お、王家の神聖なスキルを何と心得る! このような場で安易に使用するような、安っぽい代物ではないわ! 口を慎め! この薄汚い追放者め!」
「なるほど! それは失敬…… 国王陛下!」
エステルはふっと身を引くと、『王剣』の切っ先を足元に突き刺し、周囲を見回す。
「しかし……果たして! それで民衆は納得するか! 甚だ疑問であるな!」
断固たる確信の声色。
威風堂々たるその小さな姿。
論戦の趨勢は、確実にこの小さな反逆者の方へと傾きつつあることを、その場の誰もが感じていた。
「ちっ……この、小娘が……っ」
レオノール……レオノール・キングランド王は、
自分の握る王剣をふと眺めると、目下に立つ小さなエステルと、それを見比べた。
「国王陛下」
レオノールの背後から、輿に登ってきた側近の役人が囁きかける。
「どうか、ご乱心なさらぬように……!」
「……わかっておる」
「王の『偽剣』には、確かに国王の専用スキルが発現しております……。幾年にも渡る王家の歴史の中で、その存在は確認されています、しかし……」
「くどい。わかっておる。完全に未知のスキルゆえ、危険であるということだろう。王家の歪んだ歴史と思念の中で生まれた、『王の偽剣』の神話級スキル……」
「はい。そして恐らく、そのスキルとは……国王や民衆が期待するような形ではございません……!」
「…………」
レオノールはもう一度、エステルのことを見つめる。
「……一体、何が望みなのだ? エステルよ」
レオノールはふと、そう聞いた。
「我々が明らかにしたいのは、お主の王権の不当性! それに伴い遡って審議されるべき、王令の無効化である! 不当な王の勅命によって成された暴虐の数々! 改めてもらうぞ、レオノール!」
エステルが声を張り上げる。
「それにより、公開処刑は無論中止! 捕らえている町民たちは解放し、そして……!」
エステルは拳を握りこむと、
力の限りに叫んだ。
「我が従者であるデラニーに、エピゾンド! 余を命がけで逃した召使いたち! 彼らを一人残らず、囚われの身から解放するのだ!」
「デラニーに、エピゾンド? 召使いたち……?」
「そうだ! 彼らに恩赦を与えよ! 無罪放免とし、即刻牢獄から解放するのだ! そもそもが誤った王権の勅命! それが道理である!」
レオノールはそれを聞くと、
可笑しそうに破顔し、
苦しそうに笑った。
「あーはっははは! ひぃ! な、何を言い出すかと思えば!」
「な、なんだ? 何がおかしい……!」
「これが笑わずにいられるか! 何も知らないのか!? まさか、何もわかっていないのか!?」
レオノールは腹を抱えて笑いながら、困惑した様子のエステルを指さす。
「お前の逃亡を助けた従者に、召使い達だと!? そんなもの、捕らえてはいないわ!」
「えっ。そ、それでは……?」
エステルは僅かに顔を綻ばせると、たどたどしい調子で尋ねる。
「げ、元気にしておるのか? 今、みんな、どこにおるのだ? なるほど。禁固刑ではなく、追放刑に処されたというわけか。よ、余はてっきり……」
「一人残らず、処刑したに決まっているだろう! 誰一人として、もうこの世には存在せぬわ!」
「えっ?」
エステルは理解が追いついていない表情を浮かべた。
処刑?
えっと?
「処刑って、えっ。ど、どうして」
「国王の勅命に逆らい、生きていると本当に思っていたのか? 流石はエステル姫! 何の苦労も知らずに、温室で純真無垢に育てられただけはあるなあ! グハハハ! いや可笑しい! 傑作だ! そんな考えすらないとは! どこまで世間知らずなんだ!」
レオノールの愉快そうな、嘲笑の声が響く。
エステルは段々と、言葉の意味を理解し始めている。
彼女は震える声で、誰にも届かない声で、
喉から言葉を絞り出す。
「だ、だって、なにも、殺すこと……ない……」
「安心しろ! お前への恨み言を吐いて死んでいった者は、一人としていなかったと聞いているぞ! 愛されているなあ! そのためにどれだけ死んだか! 奴らが最後の瞬間に、どんな表情で首を刎ねられたか想像もつくまい!」
小さな身体が、その場に崩れ落ちた。
地面に二つの幼い膝が付き、その膝頭を汚す。
彼女は口をパクパクとさせながら、その白い顔を、さらに青白くしていく。
「みんな、死んだのか?」
瞬きの間隔が早くなる。
呼吸が上手くできなくなり、息が苦しくなって、
血の気が引いていくように、視界が色を失くしていく。
「デラニーも、エピゾンドも、みんな……処刑……とっくの昔に? じゃあ、余は、余は、なんのために……」
「エステル! しっかりなさい!」
ポワゾンがエステルの肩を掴み、揺さぶって、立たせようとする。
幼い追放姫は、決壊したように眼から涙を溢れさせて、泣きじゃくり始めた。
「なんで、どうじで……! ぞんな、むごいことができるのだぁ……っ!」
エステルはその場で泣き喚く。
先ほどまでの威風堂々とした佇まいは、面影も無い。
心の支えをポッキリと折られたエステルは、年相応の泣き顔を浮かべて、錯乱して叫ぶ。
「こ、この、悪魔ぁ! 人殺しぃ! なんで、どうじで! なんでぞんなごとができるのだぁ! なにも、なにも殺すことないのに! なぜだぁ!」
「エステル!」
「なんで、なんでみんな死んでじまうのだぁ! なんで余だけが生きてるのだぁ! ひぃっ! ひぃぃっ!」
過呼吸の症状が現れ始めている。
ポワゾンは、彼女をひっぱたいても正気に戻そうとするが……。
「近衛兵!」
レオノールが叫んだ。
その瞬間、タイミングを窺っていた赤黒の近衛兵から放たれた矢が、エステルを襲う。
小さな身体めがけて飛ぶ矢は、一瞬前に気付いて庇ったポワゾンの肩に突き刺さった。
「づっぐぁ!」
ポワゾンは衝撃でその場に倒れて、周囲に展開していた病毒魔法の結合が解除される。
「ポワゾンさん!」
「ぐぅあっ! くそ! この、畜生がぁっ!」
周囲にもう一度病毒魔法を展開するために、ポワゾンは肩の矢を引き抜きながら立ち上がる。
しかし……
「遊びはここまでだ」
一段トーンの低い、冷たい調子の声が響いた。
周囲を見ると、混乱の中で近づいた近衛兵たちが、剣と矢を構えてエステル達を完全に包囲している。
ホバリングしながら砲身を向けるオリヴィアは、恐る恐る呟く。
「ど、どうスレバ、良いデショウカ……」
「……くそっ……」
ポワゾンは負傷した肩に手をやりながら、舌打ちする。
その様子を見て、レオノールは笑った。
「やれやれ。くだらん茶番に付き合ってやるのもここまでだ……ジョヴァン団長!」
名前を呼ばれて、ジョヴァンは自分で自分のことを指さした。
「私ですか?」
「そうだ、お前だ」
レオノールはジョヴァンを指さすと、冷酷に微笑む。
「お前が、あの小さな国賊の首を落してやれ。最初の斬首と同時にな」
「……私が?」
「そうだ、ジョヴァン団長……俺様への忠誠を示してみろ。それで、これまでの不敬の数々は許してやる……。お前は他ならぬ、王政府の剣であるはずだろう。狂言で民衆を動揺させ、公衆の面前で王権を侮辱した国賊の首を刎ねるのだ……できるだろう、ジョヴァン」
おまけ
スキル『強制退店の一撃』
必要レベル:100(ユニークスキル)
使用者:デニス
斬撃により、位置座標の強制移動効果を付与するスキル。
命中と同時に対象と周囲の空間を固定し、強制移動状態を付与するための一瞬のタイムラグが存在する。
(無形状態の対象に関しては、このタイムラグ中に実体化を強制する)
移動状態の付与後、対象は使用者の指定した方向への移動を強制される。
障害となる建造物は全て破壊して進むことを余儀なくされるため、上級位の身体保護・強化スキルが無い者にとっては即死攻撃となりうる。
また空間操作スキルの一種であり、多くのスキル・魔法効果よりも上位の概念として発動するため、基本的に防御不能。




