32話 追放姫とイツワリの王権 その3
「ここはどこなんだ」
デニスがそう聞いた。
ユングフレイと名乗るぼんやりとした人影は、デニスを誘うように歩き始める。
「ここはスキルの内部だ」
「スキルの内部?」
「そう。この剣に封じている私のスキルだ」
靄がかった声で、ユングフレイの影は言った。
「厳密にいえば空間ではないが、ほとんど無限に近しいほど大きいので、空間として認識できる。君たちが宇宙を空として認識しているのと同じだ。本当はそうではないが、そう認識できる。私は肉体と精神こそ朽ち果てたが、その残滓だけがこの剣に封じられたスキルの中に存在している。普段は存在していない。だけど君が訪れたことによって、君が私を引き出したのだ」
「よくわからねえよ」
「わかる必要はない。大事なことではないから」
デニスはユングフレイの影と共に、しばらく霧の中を歩いた。
無数に広がる歯車の山は、二人に道を開けるように左右へと退いていく。
カチカチ
ガチガチ
ガチャン
チチチチチチチ……
「イニスの血が目覚めているのに」
歯車が回転する音の洪水の中で、ユングフレイの声が不意に響いた。
「君は囚われていないんだね」
「意味がわかるように言ってくれないか」
「興味深いな。どうやって育ったんだろう。君は普段、何をしてるんだい?」
「食堂を経営してる」
「食堂を? どういうことだ?」
「料理人なんだ」
「料理人」
ユングフレイはその響きを噛み締めるように、もう一度呟いた。
「料理人。そんな手があったのか」
「なあ、勝手に一人で納得するのはよしてくれ。これは一体どういう状況なんだ」
「イニスの血は」
ユングフレイは立ち止まると、デニスに向き合う。
「大きすぎる、手に負えない運命を呼び寄せてしまうものだが。君はそうやって自分の運命を制御しているわけだな。君を育てた者が良かったんだろう。君を正しい道に導いたのだ。それが君を、イニスの血族の中でも稀有な存在にした。料理人という生業が、君を残酷な運命から遠ざけて守ったのだ」
「なあ、あんたは……」
「これは君に返そう。元々君のものだから」
人の形をした影。
その頭部から、何かがポトポトと落ちた。
彼はそれを両の掌の上に乗せると、デニスに差し出す。
「イニス。思い出せ。君は前を見る者だった」
手のひらに乗せられていたのは、二つの目玉だった。
青い虹彩を有した二つの目。
それがデニスに差し出されている。
「君はみんなの前を歩いて、いつも前を見るのだ。私はそんな君が好きだった。私は君の頭を叩き潰し、その首を斬り落としたが、今でも君のことが大好きだ。君にまた会えてよかった。あの頃の君に、また会えてよかった」
◆◆◆◆◆◆
「くそっ! くそおっ!」
とある部屋の中で、ビビアが扉を蹴りつけている。
ひとしきり扉を蹴飛ばしたり、肩からぶつかったりしても、扉はビクともしない。
一枚の薄い扉にしか見えないのに。魔法がかけられているのか。
「どうなってるんだ、ほんとに……」
ビビアは肩で息をしながら、最後にもう一度だけ体当たりをすることに決めた。
扉の反対側の壁に背中をくっつけて、可能な限り最大の助走をつける。
「い、いくぞ……!」
ビビアは息を吸い込むと、意を決して思いきり駆け出した。
肩から思い切りタックルを食らわせる算段だ。
いくら魔法で固定されている扉といえども、ダメージの限界は存在するはず。
しかしこれで駄目だったら、どうしようもない。
「うっおおおっ!」
ビビアが渾身のタックルをかまそうとして、扉に全速力の加速で駆けて行く。
その衝突の直前、突然扉がガチャリと開いた。
「……えっ」
ビビアはそのまま部屋の外へと飛び出すと、扉を開いた張本人の身体へとダイブする。
細くて柔らかいが、これまた大木のようにビクともしない身体。
それはフィオレンツァだった。
「……何をされているんですか?」
「えっ。そ、その」
ビビアはフィオレンツァの腰に抱き着きながら、冷や汗を垂れ流す。
「い、いや。僕はその、だ、脱走とかをしようとしていたわけではなくて……」
「外に出ようとしていたのでしょう。どうぞ」
フィオレンツァはそう言うと、ビビアを自分の身体から剥がして、
扉をカチャリと静かに閉めた。
とつぜん部屋から出る形になったビビアは、わけがわかっていない様子で目を白黒させる。
「えっ? あ、あの? これは、どういう……」
「今回は、私の個人的な都合で貴方を軟禁してしまい、大変申し訳ありませんでした」
フィオレンツァはそう言って、ビビアに一度頭を下げる。
「もう自由です。どこへでもどうぞ」
「ど、どうして、とつぜん……」
「私がいなくなると、貴方が干からびてしまう可能性がありますからね」
フィオレンツァはそう言うと、ビビアの目の前で腰を落とし、目線を合わせた。
「最後にひとつだけ、良いですか?」
「な、なんでしょう……」
「笑ってみてもらえませんか?」
フィオレンツァはそう言った。
ビビアは一瞬何を言われているかわからず、瞼をパチパチとさせながら、
なんとか、ギクシャクとした笑顔を作ってみる。
それを見て、フィオレンツァは微笑んだ。
「やっぱり似ている。それではさよなら。どうか『世界の終わり』まで健やかに」
◆◆◆◆◆◆
「大将! 大将!?」
「ぁ、あ?」
デニスが目を覚ますと、眼前にヘンリエッタの顔があった。
どうやら仰向けのまま、『王家の宝物庫』で気絶していたようだ。
デニスは状況を察すると、すぐに飛び起きる。
「よかった! 大将、大丈夫ですか!?」
「気を失ってたのか。どれくらい経った!?」
「え、す、数分かな……?」
ジュエルが自信無さげに、そう答えた。
数分だと?
広場の方はどうなってる?
「すぐに広場に行くぞ! エステルたちが待ってるはずだ!」
そう言って立ち上がると、デニスは奇妙なことに気付いた。
「あ……? 何だこりゃ」
「どうしたんですか?」
「いや、新しいスキルを取得したみたいだ。『反射神経SSS+』……?」
「えっ。大将、まだ強くなるんですか?」
ヘンリエッタがそう聞いた。
不思議がるデニスを眺めるジュエルは、もう一つ気付くことがあった。
「ん? 今……」
「なんだ、ジュエル」
「いや、見間違いかな。一瞬、店長の目が、青色になったような気が……」
「目? 俺の目がどうかしたのか?」
「今は……元に戻ってる。なんだろう、呪術系のトラップか何かかな……気を付けてね」
デニスは王剣スキルグラムを握ったまま部屋から出ながら、軽く自分の身体を確認する。
なんだ? 身体に異常は無さそうだが。
それに、この新規スキルは?
『反射神経SSS+』? 強化スキルの一種か?
「お目当ての物は手に入れられたかな? 侵入者諸君」
王家の宝物庫から出た瞬間、
そんな声が通路から投げかけられた。
三人は声の方向を見る。
宝物庫から左右に伸びる通路。
右手側は奥の階段、左手側はデニス達が走って来た通路。
その左手側の通路に、黒色礼服の背の高い男が立っている。
漆黒の布地。細かく施された金色の刺繍。
オールバックに撫で付けられた黒髪。
デニスと同じ顔。
「てめえは……っ!」
「やあ、僕の弟。人の物を勝手に盗っちゃいけないだろう? 泥棒って言うんだぜ、そういうのはよお」
不敵な笑みを浮かべるヒースが、革靴の底をカツカツと言わせながら歩み寄る。
デニスは背後のジュエルに王剣を押し付けた。
「これを持って、階段を下りて走れ! エステル達に届けてやるんだ!」
「ひ、ヒース一等護官!? 大将!? 弟!? 兄弟!?」
混乱している様子のヘンリエッタを、ジュエルが引っ張って奥の階段まで連れて行く。
「食堂の店長! 任せて大丈夫かい!?」
「任せておけ……こいつとは、決着付けなくちゃならねえと思っていたんだ」
デニスは床に手をつけると、いつものように肉切り包丁を二振り錬金しようとする。
しかし……
「…………」
デニスは錬金を中断すると、空手のままで背筋を伸ばした。
両の拳を上げて、拳闘士がやるように体前で構える。
脇を締めて、右拳を顎の横に。腰をほんの少しひねり、左拳は少しだけ前方に。
「ほう、学習したな」
それを見て、ヒースは嬉しそうに笑った。
「それでいい。武器の使用はかえって戦術の幅を狭める。特に同レベルか、自分よりも上級の相手との至近戦闘においては! お前の得物である肉切り包丁のような、攻撃が弧を描く軌道の武器は避けるべきだ!」
「来やがれ、説教野郎……!」
「苦戦が予想される戦いにおいて、自分の類まれな膂力と運動神経を活かした敢えての素手! 悪くない選択だぞ、デニス!」
ヒースは両手をぶらりと垂らしたまま、リラックスした様子でデニスに歩み寄る。
靴の革底が、カツンと床を踏み鳴らした。
ヒースがデニスの目の前に迫る。手を伸ばせば届く距離。
デニスはまだ動かない。
「まあ、悪くないだけで良くもないがな」
周囲の空気がピン、と張りつめた。
「――ヅッ!」
一瞬前に攻撃を予期したデニスが、床を砕きながら瞬間にバックステップで距離を取る。
それとほぼ同時に、ヒースの目の前――デニスがそれまで立っていた空間に、無数の旋風が巻き起こった。風が起こすとは考えづらい、ギャリギャリッという恐ろしい音が響く。
右手に並ぶ窓が一瞬にして砕け散った。
「よく避けたな。別に死んでしまっても構わんと思って打ったんだが」
「っちぃ! あの手この手で来やがるな……!」
「どうした、前と同じように拳闘で来ると思ったか? 戦いは多様性だと言っただろう」
ヒースは微笑むと、両手を広げてみせる。
「しかし。ここまでよくやってくれたな、デニス。お前の役目は本当に終わりだ。もう邪魔なだけだから、ここで死ぬといい」
「口を開けば勝手なことしか言わねえな、てめえはよ」
「冥途の土産に、答え合わせくらいはしてやるよ」
「答え合わせだと? 試験を受けた覚えはないね」
「わからないことはあるはずさ。どうしてあの町の人間は、あれだけ勇敢なのか。これから何が起きるのか」
ヒースはデニスに語り掛けながら、再び距離を詰めようと歩み寄る。
「なぜお前の食堂に、追放者たちが集まるのか。知りたくはないかい?」
オリヴィア「重大発表デス!」
ビビア「『追放者食堂へようこそ!』、みなさまの応援のおかげで!」
デニス「えーと、書籍化決定だ!」
アトリエ「イエーイ!」
バチェル「あ、アトリエちゃん!? そんな声出せたんか!?」
ヘンリエッタ「あーっと! 詳細は……」
デニス「続報、詳細は後日! 近日中!」
ビビア「引き続き、よろしくお願いしまーす!」




