24話 史上最大の危機はクライマックスの前に その3
「兄貴だか何だか知らないが――」
「や、やっちまえ! デニス!」
町民たちの声援は、場を支配していたはずの近衛騎馬中隊を一転して圧倒するほどの声量となり、街の広場に轟いた。
全員がデニスの勝利を確信している。
この男が登場したのなら、誰が相手であろうと全ての問題は解決するはずだと信じて疑わない。
つまり、この食堂の店長への信頼というのは、そういう類のものだった。
デニスは踏み込みと同時に、肉切り包丁を横薙ぎに払う。
「『強制退店の一撃』!」
防御不能。
直接間接関係なく、“接触”という概念によって起動する、効果強制発動型のユニークスキル。
その凶悪極まりないスキルが、躱すことを許さぬ爆発の如き速度でヒースを襲う。
その手に握った剣で受けても、丈の長い衣服に引っ掛けても終わり。
そして、この間合いとこの速度。
物理的に身体を躱す術は存在しない。
「おおらァっ!」
爆裂する竜巻のような横一閃の斬撃が、ヒースの体上を確かに通過した。
手応えは皆無。
その肉切り包丁の一閃はただ軌道上を通過して、空気を横一文字に切り裂いただけだった。
「あ――?」
横薙ぎを空ぶったデニスは、たしかにヒースが目の前に居ることを確認した。
その場から一歩も動かずに、身もよじらずに、
ただ身体を一瞬だけ紫色の霧状に状態変化させ、軌道上で分離させていたヒースが、可笑しそうな笑みを浮かべる。
「おいおい――強スキル振っとけば良いってもんじゃ――」
剣を握るヒースの右手に、力が籠められるのをデニスは見た。
攻撃の起点。
デニスは空ぶって崩れた構えのまま、それでも迎撃を準備する。
「無いだろうが、弟よ!」
踏み込み。
予想される剣による一撃必殺。
デニスは当然これを迎撃しようとして、
意識のがら空きに、拳骨を二発叩き込まれた。
「づぁっ――!?」
剣を握った右手ではなく、無刀で脱力されていた左手による打撃。
古典的なフェイント。
しかし最短の弧を描いて顎と肝臓を的確に捉えた打撃は、威力こそ脆弱ながら、デニスの構えを更に打ち崩す。
「『ガラクタ趣味』」
ヒースのスキルが発動し、その手に握られた何の変哲も無い両刃剣が、眩い蒼色の閃光を放った。
デニスはそのスキルに見覚えがある。
『銀翼』の大隊長ヴィゴーの……『蒼色の破剣』……?
なぜこいつが?
打撃を繰り出した左手が、引き戻されると同時に右手に握られた剣の柄へと収まり、両手持ちの構えに移行する。
デニスは腹筋と背筋の力を頼りに崩された構えを何とか維持しながら、逡巡する。
ヴィゴーと同じスキルだとしたら、あれを喰らうとまずい。
しかし、またフェイントか?
フェイントと見せかけて本丸か――?
デニスとヒースという両者の間には、凝縮され引き延ばされた時間の駆け引きが存在した。
しかしそれを眺めるギャラリーにとっては、
デニスが最初に先手を繰り出してから、
次にデニスが横方向へと吹き飛ばされるまで、
瞬きで見逃すような一瞬の出来事でしかなかった。
「お、おおい!」
「デニス!?」
「店長!」
衝撃で吹き飛ばされ、デニスは周囲を囲んだ群衆の中へと突っ込んでいく。
その肩と頭で地面を削りながら、デニスは防御した右腕が半ば麻痺していることに気付いた。
やっぱ、フェイント……蹴りか、くっそ……
デニスは吹き飛ばされた力を利用して転がり、膝と足で勢いを殺しながら態勢を立て直す。
そのデニスに向かって、ヒースは大きな声を上げながら歩み出す。
「おいおいおいおい。弟よ。一体どうした?」
ヒースは手元の蒼光を放つ剣を肩にかけると、呆れたように言う。
「おおかた、才能にかまけて雑魚ばかり相手にしてきたんじゃあないのか? 思考停止のごり押しで勝てるような奴ばかりとよ」
「うっせえな……ここからだろうが」
「実際に手を合わせてみてわかったぞ。お前の『力』はしょせん、強者が弱者に振るう『暴力』にすぎん。それじゃあ相手にもならん」
ヒースは淀みなくカツカツと歩み寄りながら、蒼色に発光する剣を構え直した。
「レベル差のある強敵と戦ったことはあるのか? 自分と仲間の命をかけて、レベルで30以上の差がある敵と殺し合った経験は? 敵国で、レベル90台を複数人相手取った経験は? 相手の妻子を人質に取っても勝ちをもぎ取った経験は? 各レベル帯で、きちんと死にかけながらレベルアップしてきたのかあ?」
「あるわけねえだろうが、俺はただの食堂の店長だぞ……」
血の混じった唾を吐くと、周りの町民がデニスに心配そうな声をかける。
「で、デニス! 大丈夫か?」
「つ、強いんじゃないのか? 何か、できることはあるか!?」
「あるわけねえだろうが! 任せておけ、くそっ……!」
デニスが立ち上がり、再度肉切り包丁を構える。
それを見て、ヒースはため息をついた。
「またそれだ。戦いは攻撃手段と防御手段の多様性だってことがわからないのか。壊れスキル一つに頼ってちゃあ、進歩もクソも無い」
「ガタガタとうるせえんだよ! 黙って闘えねえのか、この黒服野郎!」
「お喋りしてないと耐えられないくらい退屈だってことだ」
デニスとヒースが再び、お互いの射程圏内に足を踏み入れる。
周囲のギャラリーは下がり、また二人を中心とした円形を形成した。
「最後に、お兄ちゃんが大事なことを教えてあげよう」
「それは嬉しいね。何を教えてくれるんだ?」
「勝ち負けに拘っている内は三流だ」
ヒースは再度、剣を右手だけで構えた。
「必ず勝てるようになって二流」
デニスも肉切り包丁を構える。
先手を打てば返される。
今度は後の先を取る。
「勝利とは、あらゆる手段を使って『強奪』するものだと理解して、ようやく一流だな」
「勉強になったぜ。学校の先生に向いてるんじゃねえのか?」
デニスがそう返した瞬間、
ヒースは蒼色の輝きを放つ剣を、片手で振りかぶった。
こいつの剣のスキルがヴィゴーと同じ性質の物なら、包丁を一本犠牲にして受け切れる。
先ほどの紫霧化のスキルがロストチャイルと同じ物なら、すでに攻略済みだ。
デニスは包丁で斬撃を受ける構えを取り、同時に錬金を発動させる。
周囲に粒子を撒き散らし、霧状化の制御を鈍らせる準備。
そこに再度、『強制退店の一撃』を叩き込む。
ヒースの一撃必殺の剣戟が、デニスを襲う。
その蒼色の剣が肉切り包丁と接触する瞬間、
ヒースはその剣を、手放した。
「――?」
剣を握っていた手が開かれ、柄から完全に手が離れた瞬間からまた閉じられ、流れるように打撃へと移行する。
デニスはその軌跡を、しっかりと目で捉えていた。
剣による斬撃攻撃が、攻撃の途中で拳による点攻撃に移り変わる。
しかし見えていたからといって、対応できるわけではない。
ヒースの拳が、斬撃に対応しようとしていたデニスの防御姿勢の間隙を、いとも簡単に突き崩す。
頬にめり込む拳骨は、デニスの上体を後方へと仰け反らせた。
打撃によるコンビネーションに素早く移行したヒースは、デニスに対応する間も与えずに、突きの引き戻しによって続けざまに掌底を繰り出し、再度顔面を捉える。
デニスの身体が、そのまま後方へと倒れる形になるまで押し込まれた。
ヒースは掌底を引き戻した形から再度、今度は素早く踏み込み、上から叩き付ける軌道の張り手を振り下ろす。
今度は、直接にダメージを与えるための攻撃ではない。
下方向へと叩き落すための、雷のような撃ち下ろしだった。
頭部が地面と接触する鈍い音は、地面が叩き割れる壮絶な破壊の音にかき消される。
後頭部で地面を深く抉ったデニスは、一瞬身体をビクリと痙攣させて、
空中に投げ出された脚を、力なく地面に落した。
その一瞬の光景を見て、町民たちは青ざめる。
攻撃の連携を視認できた者はいなかった。
彼らにとっては、またデニスが、いつの間にか頭から地面に突き刺さったかのように見えている。
「お、おい……あれ、どうなってるんだ」
「て、店長が負けるわけねえだろ。こ、ここからだよ……」
「でも、か、かなり一方的に見えるんだが……」
「だ、大丈夫だって……デニスだ、ぜ……」
ヒースはその場にしゃがみ込むと、打撃の接続によって揺さぶられ、地面まで割って頭部に甚大なダメージを受けたデニスのことを見下ろした。
「がっかりだなあ……弟よ。一体どうした……? お前は僕と“同じ”はずなのに、その体たらくは何なんだ」
「がっ……ぐぁ……」
「お前は最終段階まで残るものと思っていたが、どうやら見込み違いみたいだな。一応は“血を分けている”から、ちょいと特別扱いしちまったよ」
ヒースは心底がっかりしたような口調でそう言うと、デニスの顔面を手のひらで包み込んだ。
「ぐぁ……て、めえ……っ!」
「レアスキルだけ貰って仕舞だな。まあ、色々とよくやってくれたよ」
デニスの顔面を包み込む指に、頭蓋骨が割られんばかりの握力が込められる。
「『ガラクタ集め』」
ヒースのスキルが発動した瞬間、
デニスは頭から、脳みそが搾り取られるような錯覚を覚えた。
「ぐっ、おっ、おぉっ……!?」
頭の中から、全てが抜き取られるような感覚。
その言いようのない嫌悪感に、口からうめき声が漏れる。
「がぁっ!? ぐぁあ……っ!? ぐぁあぁぁっ!?」
その悲痛な叫びを聞きながら、ヒースは何の感慨も無さそうな表情を浮かべた。
「お前の役目は終わりだ。お疲れ様。それじゃあな、僕の弟」




