21話 王都 終
王都。
昼のランチを摂りにいつもの喫茶店へと足を運んでいるヒースは、隣を歩く銀髪のショートカットの女性に、なにやら話し掛けている。
「だからさ、フィオレンツァ。お前も食べてみろよ。あそこのランチは本当に最高なんだぜ」
「いいえ。ご遠慮しておきます」
「たまには昼飯くらい付き合えよ」
「食事中のヒース様をお守りするのは、私の役目ですので」
フィオレンツァと呼ばれた女性はそう言って、背筋をピンと伸ばしてヒースの横を歩いている。
とても顔立ちの整った銀髪の女性で、年のころは20歳ほどといったところだろうか。
その瑞々しい唇は常に固く閉じられており、普通に歩いているように見えても、その右腕は瞬時に腰の細剣を抜けるように意識されている。
「お前は生真面目すぎるんだよなあ。昔から忠犬みたいな奴だ。この僕を誰が襲撃できるっていうんだよ。これでもレベル100なんだぜ」
「万が一はありますので。食事中は、人が最も無防備になる時間の一つです」
「わかったわかった。好きにしろよ」
そうしていると、前から何やら焦った様子の男が走ってきて、ヒース達に向かって怒鳴り声を上げた。
「どけ、どけ!」
何やら大きなカバンを抱えた男は、そう叫びながらヒース達に向かってくる。
フィオレンツァが剣を抜こうとした瞬間、ヒースは彼女の首根っこを掴まえた。
「どいてやれ。急いでるんだ」
「バラしてやれば、ヒース様が道を譲らなくて済みます。肉片を避ける必要はありますが」
「どうしてそうなる。何でも叩き斬って解決しようとするな」
道を譲ってやると、男は何かに追われている様子で、脱兎のごとく道を駆けて行った。
すれ違う瞬間に、ほのかに血の香りがして、ヒースは少し顔をしかめる。
窃盗犯か何かだったのかもしれない。
「お前ももうちょっと、人間的な倫理観を身に付けろよ」
「申し訳ございません」
「行動に一貫性がありすぎるのも問題だな」
ヒースは呆れたようにそう言うと、王城の前で新聞を配っている少年に声をかけた。
「よう、小僧。一つくれるかい?」
「おっ。いつもの兄ちゃんじゃん。どうぞ。一つで金貨一枚だぜ」
「この商売上手め。値上げしてやがるな?」
「だって、兄ちゃんったら毎日新聞買いに来るんだもんな。金貨一枚でも買うだろ? 良い服着てるもんなあ」
「買うか馬鹿。せいぜい銀貨五枚だな」
「やりい! よっ、太っ腹!」
「残りはチップだ。美味いもんでも食えよ」
ヒースは新聞売りの少年に手を振ると、受け取った新聞を脇に抱えた。
それを見ていたフィオレンツァが、剣に手を伸ばしながら呟く。
「あの少年、日に日に調子に乗ってますね。ヒース様をなんだと思っているんですか。お灸を据えてやりましょうか」
「やめろ馬鹿。平和で良いことじゃねえか」
ヒースは苦々しい顔を浮かべながら、フィオレンツァにそう返す。
フィオレンツァは剣から手を離すと、ふと呟く。
「平和なことですね。この平和を守るために、何があったかも知らずに」
「それが一番なのさ。あんまり首を突っ込みすぎると、割を食うことになる」
「私たちみたいにですか?」
「それ以上その話はするな」
ヒースが静かに凄んだので、フィオレンツァはそれ以上言葉を続けなかった。
代わりに、フィオレンツァは話題を変える。
「そういえば。エステル姫の捜索指揮権が、ヒース様に移譲されるようですね」
「そうだな。僕たちもそろそろ動くか。頃合いだろう」
「居場所はわかっているのですか?」
「最初からわかってるよ。あの少女が居る限り『追放者』はそうなるし、実際にそうなった。最後の一押しは、僕が出張ってやらないとな」
ヒースはそう言うと、フィオレンツァに微笑みかける。
「そして、その『上澄み』は僕たちが手に入れる。この世界のためにな」
「ヒース様」
「どうした。ランチでも食う気になったか?」
「正面を」
◆◆◆◆◆◆
行きつけの喫茶店の前に、人だかりが出来ていた。
人々が何やら言い合っている中に、ヒースとフィオレンツァが割って入っていく。
「誰か! 治癒魔法が使える奴はいないのか」
「ありゃもう駄目だよ。出血が激しすぎる」
「どけ。僕が使える」
ヒースが人だかりの間を通って中へと入ると、喫茶店は騒然とした様子だった。
テーブルや椅子がいくつか倒れて、大量の血が辺りに飛び散っている。
その血だまりの中に、父親である店のマスターの頭を抱え込んだ、ミニョンが座っていた。
ミニョンはヒースの姿を見ると、わなわなと口を震わせる。
仰向けに横たえられた父親は、胸部が炸裂したような外傷を負っている。そこから血がとめどなく溢れ出し、顔色が真っ青になっていた。
「フィオレンツァ。外傷を診ろ」
「わかりました」
「ミニョン。何があった」
ヒースがそう聞くと、しゃがみ込んで父親の頭部を膝の上に乗せたミニョンが、瞳に涙を溜めて、震えながら呟く。
「お、男の人が。お金は渡したんですけど。呼吸できなくて。その」
背後で、人だかりから声が聞こえてくる。
「強盗だってよ。何も殺す必要ねえのにな」
「ひどい話だよ」
「新王になってから、とんでもない重税になったからな」
「切羽詰まった奴がやったんだ」
フィオレンツァが素早く『柔らかい手のひら』を発動し、薄い魔法の膜を風穴が空いた胸に被せた。
彼女はカウンターの上からタオルをひったくると、そのタオルを畳んで厚手にして、上から押し付ける。
「胸壁動揺は処置しました。出血を止められますか?」
「僕が押さえるから、お前は気道を確保しろ。『ガラクタ趣味』」
ヒースは保有している強奪済スキルの一つを発動させると、ミニョンの父親の損傷部を止血にかかる。錬金系の治癒スキルで、破損した血管を突貫工事で繋ぎ合わせる代物だった。
「もうすぐ大きな血管は修復できる。生命兆候はどうだ」
「ヒース様」
フィオレンツァがそう言って、ヒースは彼女のことをチラリと見た。
彼女はヒースと目を合わせると、小さく首を横に振る。
「駄目です。間に合いませんでした」
◆◆◆◆◆◆
駆け付けた王国騎士団に現場を任せたヒースは、通りの向こう側からその様子を眺めている。
「美味い店だったのに」
ヒースはそう呟いた。
「なんてことだ」
「新しいお店を見つけましょう」
隣に立ったフィオレンツァが、後処理にあたっている警察騎士たちの姿を眺めながらそう言った。
「もう外では食わん。昼はこれから、お前が適当に作ってくれ」
「わかりました」
珍しく不機嫌さを露わにするヒースは、深いため息をついた。
そうして歩き出すと、店の近くで若い女性騎士に保護されているミニョンの下へと向かっていく。
泣きじゃくっているミニョンの傍にしゃがみ込んだ女性騎士は、彼女自身いささか戸惑った様子で声掛けしている。
「も、もう大丈夫だからね。怖かったね」
「……ぅぇ……うぇ……」
「大丈夫だよ。うん。落ち着いて……もう心配ないから……」
「きみ」
ヒースがそう声をかけると、ブロンドの長髪をした女性騎士は混乱した様子で立ち上がった。
「た、大将!? いや、違う!? ああっと! あの! 本官に御用でございますか!」
「おや。どこかで会った顔だな」
ヒースがそう言うと、その女性騎士――ヘンリエッタは、目を丸くして見つめ返す。
「ええと……ヒース、騎士官殿?」
「そうだ。覚えていてくれて嬉しいよ。君はヘンリエッタだな」
「は、はい! 現在本官は、被害者の保護にあたっておりまして……」
「そんなもん見ればわかる。昇進したようじゃないか。あれだ。ロストチャイルの件はたしか君だったな」
「ええと、は、はい! ありがとうございます! あの、お話をしたいのは山々なのですが! 本官は、傷ついた被害者の心のケアにあたらなければなりませんのでー!」
ヘンリエッタが焦りながらそう言うと、ヒースは手で落ち着けというジェスチャーをした。
「その子は僕に任せてくれ。知り合いなんだ」
「あ、そ、そうなのですか」
「そう。だから、君は他の手伝いをしてやれ」
「わ、わかりました! それでは、失礼いたします!」
ヘンリエッタが駆けていくと、ヒースはミニョンの隣に座り込んだ。
「災難だったな」
ヒースがそう言うと、ミニョンは泣きじゃくりながら、しゃくりあげて呟く。
「お父さんが……どうして……なにも悪いことしてないのに……」
「そういうものなんだ。仕方ない」
「こんなの、おかしいよ。優しいお父さんだったのに。あんな、あんな……」
「おかしいと思うかい?」
「おかしいよ。変だよ。だって、だって……」
「そうだ。この世界はおかしい」
ヒースはミニョンのことを、横から覗き込んだ。
「イカれてるのさ。みんな不幸だ。幸せな人はみんな不幸になる。優しい人はみんな殺される。人は死に、追放され、虐げられ、間違いは永遠に正されず、後悔して、悲しんだまま、みんな過去に縛られて生きている」
ミニョンはぽかんとした顔を浮かべた。
ヒースは彼女に微笑みかける。
「だから、この世の全ての間違いは正さなければならない。僕は、僕たちはこの世界を救おうと思ってるんだ。君も一緒にやってみるかい?」
「どうやって?」
「頑張るのさ。頑張れば夢は叶う。君も、きっとまたお父さんに会えるよ」
「お父さんに会えるの?」
「世界の終わりでね」
「でも、私、何もできないよ」
「君にもきっと、何かの才能がある。僕がそれを見つけてあげよう。君は料理を運ぶのがとても上手かったね。それが君の才能かもしれない。ここではない別の場所へ、何かを運ぶことが。隔絶された場所と場所を繋ぐことが、君に秘められた力かもしれない」
ヒースは立ち上がると、ミニョンの手を取って、彼女が立ち上がるのを手伝った。
「フィオレンツァ。この子を『家』に連れて行ってやってくれ。『みんな』に会わせてやるんだ。きっとすぐに仲良くなれる」
「わかりました。ヒース様は?」
「僕はちょっとばかし、身支度をしないとな」
ヒースは背筋を伸ばして、黒色礼服の襟を正した。
「久しぶりに、弟の顔でも見に行くか。あのお姫様を追い詰めるついでにね」




