20話 王都 その3
「『柔らかい手のひら』! パーム!」
夜の街の広場で、杖を握ったエステルがへんてこな格闘技のようなポーズを取りながら、何やら声を張り上げている。
「がんばれ。がんば」
噴水の縁に座り込んで応援しているアトリエは、感情が籠っているのか籠っていないのかわからない声援を送っていた。
その傍にはランタンを持ったビビアが立っており、夜の暗がりを照らしている。
「うーん。初歩も初歩の、簡単な魔法のはずなんだけどなあ」
「ぜ、ぜんっぜんできん……」
小一時間気を張っていたエステルは、その場にうなだれる。
ビビアにやり方を教えてもらった、基本の魔法が全く発動できないのだ。
「でも、魔法を教えて欲しいなんて。突然どうしたの?」
ランタンを持って広場の噴水の傍に腰かけていたビビアが、エステルにそう聞いた。
「力が欲しいのじゃ……。強くなりたいのである……!」
「あ、これはあれだな。デニスさんに影響された奴だな」
「しかし、魔法というのは存外難しいものであるなあ……! ビビア殿! 明日からは付きっ切りで教えてもらってもよいか!?」
「いや、僕普通に仕事あるから。一応冒険者だからね」
「えっ!? お主、仕事してたの!? 無職じゃなかったの!?」
「まあ大体の人は忘れてそうではあるね」
ビビアはそう言うと、隣の応援席に着いていたアトリエを見やる。
「アトリエちゃんはどう?」
「こう? 『柔らかい手のひら』」
同じく杖を渡されていたアトリエは、その場で即興の魔法を発動させる。
アトリエが杖を振ると、目の前に薄い半透明の魔法の膜が現れ、それは微かな夜風に当てられてひらひらと揺れた。
「うわあ、一発で出来ちゃったじゃん」
「ええっ……? 余、あんなに頑張っても出来なかったのに……?」
アトリエが出現させた魔法の膜を杖で弄っていると、その身体が一瞬七色に発光する。
「レベル。上がった」
「マジで……? そんな簡単に上がるの……? なんでなの……?」
「これが才能の差かあ。デニスさんみたいに二十台でレベル90とか80行く人って、こうなんだろうなあ」
アトリエは得意気な無表情を見せると、ビビアに言う。
「もっと教えて欲しい。もっとできそう」
「なんか、普通に教えたら一晩で僕とか越えていきそうだよね」
「どうやってるのか、何となくわかる」
アトリエは珍しくウキウキとした様子で、ビビアにそう言った。
「まあ、今日はこれくらいにしておこうか。夜も遅いしさ」
「まだ余はできるぞ!」
「できる」
「僕がもたないよ。明日も朝から、ちょっとダンジョンに潜らないといけないしさ」
「冒険者は大変じゃのう」
「最近はお金を稼ごうと思っててさ。色々請けてるんだ」
そう言って、ビビアはエステルとアトリエを連れて食堂へ向かい始める。
アトリエが歩きながら魔法の膜をひらひらと操っている横で、エステルがビビアに聞く。
「何か、お金が必要なのであるか?」
「ちょっとね。お金を貯めて、王都の魔法学校に通おうと思っててさ。あ、これデニスさんには内緒だよ」
「どうしてであるか? 言えば良かろう。いっつも一緒にいるのだから」
エステルがそう言うと、ビビアは複雑そうに微笑んだ。
「僕がこんなこと言ったら、あの人たぶんお金出そうとするからさ。直接は渡さなくても、伝手を使って高単価のクエストとかを回そうとするよ。顔が広いんだ、あの人」
「なるほど。そういうのは嫌であるか」
「まあ、余計な気は遣って欲しくないし。これは僕の問題だから」
「ビビア殿の問題?」
「うん」
ビビアは夜風にたなびくコートを押さえつけながら、少し遠くの方を見た。
「昔に、強い魔法使いになるって約束した人がいてさ。世界一は無理かもしれないけど、ちょっとずつでも近づこうと思ってるんだ」
「そうであるか。余も頑張らなくてはならない。強くて優しい王様になって、生まれつき身体が弱い国民を助けるような制度を作らなければ。囚われのデラニーやエピゾンドも助けてやらねば! そうしたら必ずや凱旋して、女王としてティアの墓の前に立ってやるのだ!」
「まあ、一緒に頑張ろうか。ちょっとずつね」
「うむ! 頼んだぞ、ビビア殿!」
ビビアとエステルがそんなことを話していると、アトリエがふと、背後を振り返った。
「誰かに見られてる」
不意に立ち止まったアトリエは、そんなことを呟いた。
彼女が手元で操っていた魔法の膜が彼女から離れて、風に吹かれ、その実体を曖昧にしていく。
「え?」
「正確には」
アトリエは、わけがわかっていない様子のビビアに言った。
「たぶん、誰かに描かれてる」
◆◆◆◆◆◆
暗い工房の中で、画材に向かって筆を走らせている少年が居た。
椅子に座り込んで絵を描いていた少年は、何かに気付くと、振り返って誰かのことを見る。
その少年には、左足が存在しなかった。
足が付いているべき部分には、棒切れが伸びたような義足が付けられている。
「ヒース様。感づかれました」
「おやおや。お前の『描画』が? 感知されたのか?」
工房の奥に立ってその様子を見ていたヒースが、画材の前に座る少年に歩み寄る。
「『描画』を切断するんだ。思考を逆探知されるかもしれない」
「もう切りました」
片足が義足の少年は、座っている椅子をずらして、自分の描いた絵がヒースに見えるようにする。
白いキャンバスの中には、黒い鉛筆で、ここではない別の場所の風景が描かれていた。
夜の街を歩く背の低い少年と、その隣を歩く二人の少女。
一人の少女は何やらヒラヒラとした布のような物を空中に遊ばせており、少年ともう一人の少女は話し込んでいるように見える。
「この少年はビビア・ストレンジだな。どれに気付かれた?」
「こっちの、布か膜みたいのを操っている女の子です」
「その子の髪に色を塗るとしたら、お前なら何色に塗る?」
「銀です。白銀に輝く明るい灰色」
「こっちの少女は?」
「桃色の金髪。黄金の芽吹きを感じさせる春の花色」
「よし」
ヒースは満足気にそう言うと、少年の肩を叩いた。
「よくやってくれた。やはりお前の絵の才能は素晴らしい。レベル80相当の遠隔絵画スキルを、これだけ短期間で扱えるようにするとは」
「ヒース様から譲ってもらったスキルです。ぼくの力じゃありません」
「いいや。お前の才能だとも。このスキルはある高名な画家から奪っ……いや貰ったものなんだが、僕には上手く使えなくてね。しかし、お前はすぐに習得してみせた。お前には偉大な画家になるような、輝かしい才能があるということだ」
「でも。ぼくが下手なせいで、感知されてしまいました」
「いいや、それは仕方ない。そっちの銀髪は特殊なんだ。お前のせいじゃないさ」
ヒースはそう言うと、少年の頭をガシガシと撫でた。
少年はくすぐったそうにすると、嬉しそうに笑う。
「ヒース様のお役に立てて、嬉しいです」
「役に立っているとも。お前は最高だ。この国を支配している、能無しの貴族共よりもよっぽど価値のある人間だぞ。今日はよくやった。『家』に帰って、『みんな』で美味しい物を食べると良い」
ヒースはそう言うと、ジャラジャラと大量の貨幣が詰められた小袋を取り出して、少年に渡した。
少年はそれを受け取ると、義足のややギクシャクとした動きで立ち上がる。
「ヒース様に褒めてもらったこと、『他の子』たちに自慢しても良いですか?」
「いいや。そういうのは、お前の心の中に仕舞っておけ。嫉妬されちゃうからな」
「わかりました。内緒にしておきます」
少年は嬉し気に微笑むと、工房を後にしようとする。
「それでは、ヒース様。『世界の終わり』はもうすぐですか?」
「もうすぐだとも。おやすみ。歯磨いて、温かくして寝ろよ」