17話 小さな追放者は 終
墓地には多くの人が集まっていた。
黒色の喪服を着ている者もいれば、そういう類の衣服を持ち合わせていないために、普段と変わらぬ服装で参列している者もいる。
喪主はティアの父親が務めており、その隣には街の司祭が立っていた。
ティアの父親は、上等そうな黒色の喪服を着たポワゾンを見つけると、会釈して礼を言う。
「すみません。色々と、ありがとうございました」
「別に。あのチビが世話になったみたいだからね」
ポワゾンはそっけなくそう答えた。
「お世話になりました」
ティアの父親は、再度深々と頭を下げた。
街には相応のレベルを有した納棺師が居なかったので、一応は白魔導士のポワゾンが遺体の管理や身繕い、化粧をしてやったのだ。
葬儀には、デニスらも参列していた。
彼には珍しく、いつものラフな装いではない。きちんとした黒い礼服に身を包んでいる。
その隣に、アトリエが立っていた。
「どうして最近、ティアの家に行かなかったんだ?」
デニスがそう聞くと、アトリエは俯き気味に答える。
「こうなる気がしたから」
「わかったのか?」
「なんとなく」
アトリエは伏し目がちに、そう言った。
デニスはアトリエから目を離すと、ふと考える。
ワークスタット家の特殊血統……精神感応のスキルという奴だろうか。無意識ながら、すでに発現させているのかもしれない。
それで、何かを感じ取っていたのか。
ティアの父親は参列に来た町民たちに挨拶に回っており、デニスに対しても声をかけた。
「生前は、娘がお世話になりました。ありがとうございます」
「いや、すまない。もっと顔を出していればよかった。こんなに、その、突然だとは」
「いえ。娘は、店長の出前を何より楽しみにしておりまして」
「エステルとも仲が良くなったようだし、近いうちに一度、うちで会食でも開くことができればと思っていたんだが……」
「いえいえ、お気持ちだけで大変有難く……」
デニスとティアの父親がそうやって話し込んでいる傍で、アトリエは棺の方を見やった。
ティアが寝かされた棺の横で、エステルが崩れるように跪いて、嗚咽を漏らしている。
見かねた様子のビビアが、彼女に歩いて近づいていくのが見えた。
「もう、埋葬が始まるよ。参列に並んだ方がいい」
ビビアがそう声をかけると、エステルは顔を上げた。
泣き腫らした赤い目をしていて、口がわなわなと震えていた。
泣きすぎて呼吸が上手く取れず、息が荒くなっている。
「い、いやだ。まだ、余はティアのそばにいる」
「大丈夫だよ。ほら、一緒に来よう」
「いやじゃ。離れたくない。今離れたら、もう二度と会えぬ」
エステルは絞り出すようにそう言った。
か細い指は、ずっと棺の縁を掴んでいる。
「眠っているだけじゃ。ちょっと疲れたから、寝ているのだ」
エステルにそう言われて、ビビアはどう答えてやればいいか、迷った。
彼女は、それを誰かに肯定して欲しいようにも見える。
とにかく、誰でもいいから。
ビビアはふと、墓地の端に立った小さな墓を見た。
ダンジョンの奥深くで震えていた時に、彼の命を助けてくれた少女が眠る墓だ。
あの時もこうだった、とビビアは思った。
泣きじゃくって、誰かに信じて欲しかった。
彼女が確かに自分を助けてくれたことを、誰かに信じて欲しかった。
「そうだね……そうかもしれない」
「ちょっとしたら起きて、また、車椅子に乗って、余が押してやって、お弁当を食べて、それで、それから……」
エステルはボロボロと泣きながら、うわごとのように呟き続けた。
周りの大人たちも集まってきて、エステルの身体をそっと棺から離そうとする。
引き剥がされようとすると、エステルは怯えた様子で棺を掴んで、嗚咽した。
肩を掴んだ町民の一人が、彼女を落ち着けようと声をかける。
「行こう。ずっとこうしているわけにもいかない」
「よ、余はまだ大丈夫じゃ。し、心配するでない」
エステルは抵抗したが、彼女の軽い身体は簡単に引き剥がされて、
少しずつ引きずられるように、棺から遠ざかっていく。
「いやだ、いやじゃ! また起きるかもしれぬ! まだ余は一緒にいたい! ティア! ティア!」
◆◆◆◆◆◆
埋葬が執り行われて、墓地にまた一つ、新しい墓標が立った。
参列していた町民たちは一人ずつ去って行き、ティアの父親も、何かの手続きに向かわなくてはならなかった。
やがて、墓標の前に座り込んだエステルだけが残された。
誰か彼女を、連れて帰ってやるべきではないかと何人かの町民が言った。
そっとしておこうと誰かが言った。
エステルは墓標の前に座り込んで、声も出さずに泣いていた。
どれだけ泣いても、目から涙が零れ落ちるのが止みそうになかった。
「そろそろ帰るぞ」
不意に、そんな声が後ろから響いた。
後から戻って来た、デニスだった。
エステルは背後に立つデニスには振り向かずに、真新しい墓標を見つめながら返す。
「いやじゃ」
「ずっと縋り付いてたってしかたねえ」
「いやじゃ」
エステルは膝を抱えて座り込み、腫らした目を膝頭に擦りつけている。
しばらく、デニスはそのまま待っていた。
すると不意に、エステルが口を開く。
「何もしてあげられなかった。余は、なにも」
「十分してやったじゃねえか。車椅子作ってやったりよ」
「何にもならん。死んでしまっては、なんにもならん……」
エステルはすっかり掠れてしまった声で、呟く。
「治してやるなんて言って、ぬか喜びさせて、これじゃ。余はなにをしたんだろう。なにをしてたんだろう……」
「悔やむことじゃねえ」
エステルは服の袖で目を擦りながら、咳き込むように声を上げる。
「余は優しくなんてない……ティア……余は、優しくなんてないのだ……すまぬ……すまない……」
デニスはエステルの隣に座り込むと、何んとなしに芝生をむしって、風に吹かせた。
「優しくなるためには、なにが必要だと思う?」
デニスが聞いた。
エステルは涙目を浮かべながら、少しだけ考える。
「わからぬ」
「教えてやる。筋肉だ」
「こんな時に、ふざけるでない」
エステルがそう言った。
「いーや。本当だぜ。優しくなりてえなら、筋トレすることだ。そしたら強くなるからな。強くなれば優しくなれる」
「それはお主だけじゃ」
「逆に言うと、強くねえと優しくなれねえ。大抵の奴はてめえのことで精いっぱいで、他人なんか構ってられねえ。むしろ足を引っ張り合う」
「…………」
「強いと余裕が出来る。自分のことを何とかしたうえで、他人のことも助けてやれる。優しいってのはそういうことだ」
「お主の言ってることは極論じゃ」
エステルはそう言った。
デニスは座り込みながら、ふと空を見上げる。
「その点お前は弱い。一人じゃ何にもできねえしな。てめえのことだって満足に助けてやれてない」
「うるさいわ……」
「でもな」
デニスは、不意にエステルの頭をガシガシと撫でた。
エステルはその手を払う。
「お前は優しい。弱くて自分のことすら守れないのに、この娘のために街中駆け回って、遊びに連れて行ってやって、助けてやろうとしていた。この世界で一番凄いのはそういう奴だ」
デニスはそう言った。
エステルの瞳から、また涙が溢れようとしている。
「強い奴が優しいのは当たり前だ。弱い奴が優しくなるのは難しい。だからお前は凄い。お前は本当にえらい奴だ。きっと王様になれる」
「……ひぃっ……ぐっ……うえ……ぐえ……」
エステルはボロボロと泣き出すと、苦しそうに声を絞り出す。
「胸が、苦しい。どうしてよいかわからぬ」
「そうだな」
「まだ、一緒に居たかったのに。たくさん話したかったのに」
「そうだよな」
「なんで死んでしまうんじゃ。馬鹿者。生きていてくれるだけでいいのに。なんでそんな簡単なことが、できないのだ」
「そうだな……」
「馬鹿者め。この、馬鹿者め……」
エステルは泣きじゃくりながら、ティアの墓標に向かって、ずっと呟き続ける。
デニスは彼女の気が済むまで、一緒に居てやることにした。
今日は臨時休業だ。
仕方ない。
◆◆◆◆◆◆
数日前。
重い車椅子を押すのは、とても大変だった。
エステルの足はもうパンパンに張って、身体中のか細い筋肉が悲鳴を上げていた。
もう日は沈みかけて、空は朱色の混じった暗い紺色から、真っ黒な夜空へと変わろうとしている。
ティアの家の前までやっとのことで車椅子を押してやると、エステルは疲れ切った様子で、しかし元気に笑う。
「ふ、ふははは! それでは、また明後日であるぞ! ティア! 明日は大事な作戦会議があるのでな!」
「うん。また明後日ね」
ティアがそう言うと、エステルは疲れた様子で手を振って、家路に着こうとした。
ティアは父親のことを呼んで、家に入れてもらおうとする前に、
振り返って、エステルの後ろ姿を見た。
「エステル!」
ティアがそう呼ぶと、ぎくしゃくとした足取りで帰ろうとしていたエステルが、振り向いた。
「なんであるかー?」
遠くからエステルが、よく通る声でそう聞いた。
ティアは口元に手を添えると、エステルに呼びかける。
「今日は、ありがとう!」
ティアがそう叫ぶと、エステルは笑って、手を振った。
「よい! 余も存分に楽しんだ!」
「もしも、明後日に私が居なくても!」
ティアはそこで言葉を区切ると、もう一度肺に空気を溜めて、
叫ぶ。
「気にしないで! 元気でね! 気を付けてね!」
「なんじゃ? 明後日は、用事があるのであるかー?」
「そうじゃないけどー!」
「なら、変なことを言うでないー!」
「もしもあなたが! 困ったときには! 危ないときには!」
ティアはもう一度息を吸い込むと、エステルに向かって言う。
「私がきっと、助けてあげるから! きっと!」
「ふはは! 楽しみにしておるぞ! それではな、ティア!」
エステルはそう言って手を振ると、ティアに背中を向けて、食堂への道を歩いて行った。
ティアはその小さな背中を見つめていた。
日は沈み、暗闇が空を覆いつくし、輝く無数の星々は輝きだし、その光が街に降り注ごうとしている。
人生は長かったり、短かったりする。
夜空に輝く星の光は、強かったり、弱かったりする。
でも、輝いたことに変わりはない。




