16話 小さな追放者は その5
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むかしむかし。
まだ王国が存在する前のこと。
戦い始めてから七日目に、ユングフレイはイニスを下しました。
それはそれは激しい戦いでした。
大地は切り裂かれ、二人の力によって花々は枯れてまた咲くことを繰り返し、木々は種子まで戻り、また成長して大木となりました。
ユングフレイはイニスを斬首すると、親友の遺体を手厚く葬りました。
イニスが支配していた多くの部族はユングフレイの軍門に下り、ユングフレイは全ての部族を統一することになりました。
ユングフレイはそれよりキングランドと名乗り、この土地に彼の国を作りました。
優しく正しい心を持ったユングフレイによって王国は繁栄し、ユングフレイの大いなる力を恐れた外側の者たちは、この王国へ攻め入ろうとは決して思いませんでした。
ユングフレイの死後も、彼の大いなる力が封印された王剣スキルグラムはその子供たちに受け継がれ、王国を守り給う守護者としての力を子孫たちに与えます。
イニスは大きな力を持って生まれたがゆえに、その力を正しく使うことができず、悪しき心に支配されてしまいました。
しかしユングフレイは、力を持たずとも正しい心を持ち、努力のすえに守る力を手にしました。
王国はユングフレイの子孫によって統治され、末永い平和を享受しました。
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「とまあ。ここまでがいわゆる、国造りの神話っていう奴ですね」
食堂のテーブルで、ビビアが一冊の薄い絵本を朗読し終えた。
夕方の営業が終わった後の食堂には、ジュエルやポワゾンらも集まり、エステルとアトリエは適当に用意した丸椅子に座っている。
その隣で朗読を聞いていたデニスは、ビビアを肘で小突く。
「おい。六日間も戦えるわけないだろ。どうなってんだ」
「神話ですから。そういうとこ突っ込まないでくださいよ」
ビビアは面倒そうにデニスをあしらうと、絵本をパタンと閉じる。
「それ以来、ユングフレイの子孫であるキングランド家……つまりエステルさんの一族は、邪の者イニスを葬った王剣スキルグラムを受け継いで、王国を統治したわけです」
ビビアはそこまで言うと、茶を一口飲んだ。
「原初の大いなるスキルが封じられていると言われる王剣スキルグラムは、ユングフレイの直系子孫にしか扱うことができない。だからこそ、キングランド家の統治権が正当化されている」
壁際に立ったポワゾンが補足して、そう付け加えた。
「でも実は、その話には続きがあるの」
カウンターの席に座るジュエルがそう言って、話を真剣に聞いているエステルのことをちらりと見た。
「初代王ユングフレイが使った王剣スキルグラムは、その子孫……つまり王家の誰も、発動させることができなかったのさ」
「できなかった? そんなわけないじゃろう」
エステルは顔を上げると、ジュエルの方を向く。
「王剣の発動と所有権の移譲は、代々『王剣の儀』において為されてきたのだ」
エステルがそう言うと、ジュエルは軽く首を振った。
「もちろんこれは、私がお父さんから聞いた話だから。どこまで本当かはわからない。でもお父さんは、おそらく王剣は誰も発動させることができなかったと確信してたわ」
ジュエルはそこまで言うと、一息ついて、また話し始める。
「ユングフレイの子供たちは、結局王剣を発動させることができなかったの。でも、最初の頃はそれでも良かった。ユングフレイの子供であるということは誰もが知っていたから、その王位継承に異論を唱える者は存在しなかった」
「しかし、代を重ねる毎に『王剣』による血統証明の必要に駆られたというわけね」
ポワゾンがそう言うと、ジュエルはグラスの水を一口舐めて、人差し指をピンと立てる。
「そう。初代王の時代から時を経ると、果たして現在の王家は本当に、ユングフレイの血族なのかということを疑問に思う諸侯も現れた。当時は血縁証明の魔法も発達していなかったから、唯一王剣の神話だけが頼りだった」
ジュエルはそう言って、また続ける。
「しかし歴代の王の誰も、王剣を実際に発動させた者はいない。そこで王家は、私たちの先祖に協力を仰いだのさ。『複製』という特別なスキルを持った一族にね」
「つまり王家が今使用しているのは、あんたらの先祖が『複製』して鋳造した、王剣の紛い物だと」
「おそらく複製された王剣の方には、王族が握ると何かわかりやすい現象が起動するような細工が仕掛けられたの。血縁に反応してピカピカ光るような、子供だましの小細工。それでも当時は鑑定スキルなんて存在しなかったから、それで十分だった。そして、それから何百年もそうやって誤魔化すうちに、『偽物』と『本物』の区別が無くなってしまった」
「何百年、いや千年に渡って王家で代々受け継がれる内に、どんどんアイテムのレベルが上がっていったわけか」
感心した様子でそう言ったのは、デニスだった。
「そう。だから今では『偽物』の王剣に鑑定スキルを使っても、『神代級』のマジックアイテムとして扱われる。複製された『偽物』であるにも関わらず、それくらいの由来と伝統が生まれてしまったのさ」
ジュエルはそこまで一気に話すと、やや口が疲れたようだった。
それを聞いて、ポワゾンは腕を組みながら口を開く。
「そこまでいくと、『偽物』だろうと何らかの特殊スキルが生まれている可能性が高いわね。むしろ、ずっと埃を被っていた『本物』よりも、『偽物』の方が強いなんてことがありえるかも」
「そうですね。そもそも本当に、『本物』に特別なスキルが内蔵されているかもわからないわけですから」
そう返したのはビビアだった。
彼らが話し合っている様子を見つめながら、エステルは腕を組んで、押し黙っている。
その肩がポンと叩かれて、エステルは不意に、我に返ったように顔を上げた。
肩を叩いたのはアトリエだった。アトリエはエステルの瞳を真っすぐ見つめると、小さく口を開く。
「大丈夫?」
「あ、ああ。余は大丈夫である。大丈夫……」
エステルはそう返しながら、頭がクラクラとするのを感じていた。
それが本当なら、王家の統治は全て偽りだったのだろうか。
なぜ王族なるものが、この王国を統治しているのだ?
余は何者だ?
「どちらにしろ」
一瞬の静寂を切り裂くように、声を上げたのはポワゾンだった。
「もしもそれを証明して公然の事実とすることができれば、王政府に対して大きな打撃になることは間違いないわね」
「すごく難しいだろうけどね」
ジュエルがそう言うと、ポワゾンは腕を組みながら、ニヤリを笑う。
「ふふん。火の無いところに煙は立たないのよ」
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ジュエルやポワゾン、そしてビビアが帰ったあとで、
エステルは塞ぎ込んだ様子で、テーブル席に座っていた。
見かねたデニスがお茶を一杯出してやると、エステルはどう言っていいかわからない表情を浮かべて、とにかく一口だけ、茶を舐めるように口を付ける。
「材料は揃ってきた感じがあるよな」
デニスがそう言うと、エステルは何か、戸惑った様子で口を開いた。
「もしも、ジュエルらが言っていたことが本当なら……王族とは何なのだろう?」
「王様には変わりねえだろ」
「父上も知っていたんだろうか。知った上で、王座に座っていたんだろうか……偽物の剣を腰に提げて」
「わからねえことを考えても仕方ねえよ」
デニスがぶっきらぼうにそう言うと、エステルは何か、どうしていいかわからない風に頭を抱えた。
そしてパッと顔を上げると、丸椅子に座り込むアトリエに向かって、口を開く。
「アトリエ殿……余はどうすればよい? そもそも、余って何なのだ?」
「関係ない。とアトリエは思う」
アトリエはそう言うと、エステルのことを見つめた。
「問題は、あなたがどうするか。どうしたいか」
◆◆◆◆◆◆
次の日、エステルはティアの家に向かっていた。
いつもはウキウキの足取りだったエステルも、どこか上の空の様子で、その道を歩いている。
ティアにも聞いてみよう……。エステルはそう思っていた。
全てを打ち明けるわけにもいかない。だけどティアは、自分よりずっと大変な人生を送ってるのだ。
彼女なら、何か答えてくれるかもしれない。これからどう歩けばいいか、わかるようなことを。
エステルはすっかり歩き慣れた道を辿ると、ティアの家の前に立って、その扉を叩いた。
しばらく返事の音が聞こえなかったので、エステルは待った。
しかしいつまでも返事が返って来ないので、エステルはもう一度ノックして、大きな声で家人を呼んだ。
「ティアの父上殿ー? 余であるぞー」
エステルがそう呼ぶと、どこか不揃いな雰囲気のある足音が聞こえて来て、扉がそっと開かれた。
薄く開いた扉から、ティアの父親の髭顔が覗いた。
「ティア殿はどうしておる? 今日も外に連れて行ってよいかの?」
エステルがそう聞くと、父親は何か、言いたいことを口にできないような、複雑な表情を浮かべた。
父親の目が赤く腫れていることに、エステルは気付いた。
◆◆◆◆◆◆
部屋の中で、ティアは静かに寝入っていた。
ベッドの上で綺麗に布団を被ったティアは、何か静謐な雰囲気の中で、横になっている。
エステルが彼女の頬に触れてみると、その肌はとても冷たかった。
ひんやりとした、色の無い青白い肌。
口元は薄く開かれていたが、エステルがいくら覗き込んでも、その瞳は開こうとしなかった。
「ありがとうね。うちの娘と、よく遊んでくれて」
ティアの父親は掠れた声でそう言った。
その声はどこか、心の奥底の、深い洞穴から響いているようだった。
「いつも楽しそうだった。あんなに毎日楽しそうにしているティアは、初めてだった。本当に、本当にありがとう」
「どうしたのじゃ?」
エステルは振り向いて、ティアの父親に聞いた。
「今日はまだ、寝ておるのか?」
エステルが聞くと、父親は呼吸の仕方がわからなくなったような様子で、どこかちぐはぐな息を吐いた。
「朝起きたら、冷たくなってたんだ。布団から半分だけ身体を出して、床に手がついてた。たぶん、強い発作が来たんだと思う」
「なんじゃ? どういうことかわからぬ」
「もう長くないって言われてたんだ。いつかこうなることはわかっていた。きっと、最後に君と出会えて、娘は幸せだったよ。本当にありがとう。ありがとうね……」
「何を言っているのか、わからぬ。まだお礼を言われる筋合いはない」
エステルはぼんやりとした表情を浮かべて、父親にそう言った。
気温が下がっていくような感覚があった。
世界の時間が止まって、全ての物が遠ざかっていき、そこにポツンと一人だけ残されたようだ。
エステルの思考は理解を拒んでおり、身体が錆び付いてしまったように、動かすのが億劫だった。
不安になって、エステルはティアのことを見た。
彼女は寝息も立てずに、深い眠りについている。
「ティアの病気を治してやるまで、礼を言われるようなことはない」
エステルはティアの肩を抱くと、彼女の白い顔をじっと見つめた。
ひどく細い身体だ。冷たくて、綿みたいに軽い。
何も入っていないように感じる。
「ティアよ、目を覚ますのだ」
エステルはそう呼びかけた。
その声はどこにも響かず、暗闇の中に沈み込んでいくような感覚があった。
「外で遊ぶぞ。余が車椅子を押してあげるから。弁当も持ってきたぞ」
エステルはティアの肩をゆすりながら、そう語り掛けた。
目を開けてくれるだけでいいのに。
どうしてそれができないのだろう。
「何か返事をせんかい。ティア。余であるぞ。遊びに来たぞ……遊びに……何か言わないか、この……」
その背後で、父親は崩れ落ちるようにしてしゃがみ込み、壁に背中を預けた。
エステルは呼び続けたが、いくら声をかけてもティアが起きてくれないので、だんだん身体が震えて来て、涙がたくさん溢れて、前が見えなくなって、床に膝をついて、呼吸ができなくなって、彼女の服を掴みながら、たくさん泣いた。
乗る者が居なくなってしまった、不格好な形の車椅子は、部屋の隅で静かに置かれている。




