3話 無礼者! 余をどの追放姫と心得る! 終
「くっ……なぜ、なぜ余がこんなことを……」
エステルがぶつくさと文句を呟きながら、泡立てた皿を流水で流している。
その傍に立っていたアトリエは、エステルのすすいだ皿の腹を指でなぞった。
「ここ。油が取れてない。やり直し」
「な、なに!? 余はきちんと洗ったぞ!」
「やり直しはやり直し」
その様子を眺めながら、デニスはテーブルに座り込んでいる。
「……アトリエ、ああいうのちゃんと教えられるんだな」
「わりとレアな光景ですね……というか、アトリエちゃんってわりと何でもできますよね」
何となく帰っていなかったビビアが、そう答えた。
「そういえば俺、あいつに二回物を教えたことねえな……なんでも一度で理解するから……基本教えなくてもできるし」
「もしかして、かなり才能あるんじゃないです? ワークスタット家ですしね。何事もなければ、王国中の魔法使いや賢者たちの頭領だった子ですよ」
「あいつ、レベル7なんだけどな……魔法とか教え始めたら、知らん間にレベル30とかいってそうだよな……」
「デニスさんより成長早かったりするかもしれないですね。いいなあ才能って。すごいなあ」
「お前、アトリエに魔法教えてみねえか?」
「えっ。なんか圧倒的な才能の差を見せつけられて、心折られる未来しか見えないんですけど」
「……拭き方が雑。やり直し」
「ぐわーっ! なぜだ! なぜだあ! デラニー! エピゾンドォ!」
「やり直しはやり直し」
◆◆◆◆◆◆
ということで。
カツ丼分の皿洗いや雑務を終えたエステルは、水でやや赤切れした指を眺めながら、カウンターでわなわなと震えていた。
「ぐぅっ……このような、このような辛い試練が待っているとは……余は負けぬぞ、決して負けぬぞ……」
「試練というより、お前が不器用なだけの気もするが」
デニスはそう言うと、エステルに小袋を手渡した。
「なんじゃ? これは」
「たっぷり三時間くらいは働いてもらったからな。カツ丼以上の給料は発生してるぜ。ま、その差額というこった」
エステルが小袋を開けてみると、中には銀貨や銅貨が十数枚入っていた。
エステルには正直、その銀貨や銅貨の価値というのはピンと来ない部分があったのだが、
おそらくそれが、この労働の対価としては多いだろうということは察する。
「……よいのか?」
「まあ、これでお前は食い逃げ犯でもねえし、騎士団に突き出す必要はなくなったわけだ」
「……う、うむ……」
「お姫様だか何だか本当のところはわからねえが、それ持ってどこかに消えちまいな」
デニスがそう言って手を振るような仕草をすると、エステルは顔をあげた。
「…………感謝するぞ、食堂の主よ。余が王座に返り咲いた時には、王城に召し仕えてくれよう」
「王城で働く気はねえが。その時はうちの設備でも、一新してくれることを期待してるぜ」
「ふん。期待して待っておれ」
エステルはそう言うと、小袋を握って、食堂から出て行った。
それを見届けてから、デニスがアトリエに聞く。
「どうだ? ちょっとは楽しかったか?」
「新鮮。楽しかった」
「アトリエちゃん、ちょっと魔法覚えてみる?」
ビビアがそう聞くと、アトリエは首を縦に振った。
「うん。覚える」
「よーし! それじゃあ、僕が師匠になっちゃおうかなあ! まず最初は、簡単な『柔らかい手のひら』の魔法から覚えてみようか!」
「がはは。ビビア、それ得意だもんなあ」
「ぶっちゃけ、僕って使い慣れてるのこれしかないですからね!」
ビビアがそう言うと、アトリエが首を振った。
「それはいい。別のがいい」
「えっ。でも、基本の魔法だし……」
「使えるからいい。別のがいい」
「えっ」
「マジで?」
デニスとビビアがそう言うと、
ガラガラと食堂の扉が開いた。
見てみると、そこには出て行ったはずのエステルの姿。
エステルは両腕を組むと、仰々しい調子で言う。
「……ふ、ふはは! よく考えてみたら、余、行く当てとか特に無かったわ! もう寒い夜に草むらで寝るの嫌だわ! そういうことで、高貴なる余を宿泊させる名誉をやろう! あと、王座を取り戻すまで余を雇う栄誉もやろう! 光栄に思うがいい、食堂の主よ!」
エステルがそう言って、デニスとビビアが顔を見合わせる。
「えっ」
「マジで?」
◆◆◆◆◆◆
独房の中は冷えていた。
一面剥き出しの石造りの独房は、昼は暑く、夜は冷える。
ロストチャイルはその独房の中で、じっとしていた。
彼のレベルは80を超えている。
スキルや魔法を封じられたとしても、思考まで制御することは難しい。彼は頭の中で、かつて自分が所有していた収集物を一つ一つ手に取って眺めたり、その特徴を思い出して楽しんでいた。レベル70以上に至る人間というのは、一般的に思考回路からして常人とは異なるという話があるが、彼はその典型だった。
「ロストチャイル」
檻の外から、そう声をかけた人物がいる。
ロストチャイルが見ると、そこには髪をオールバックに撫でつけた、黒い服の青年。
「ヒース……一体何の用だ?」
「裁判所の法官に何か話したのかい?」
ヒースは鉄格子に指を絡ませながら、そう聞いた。
「別に。何も話していないさ」
「そうか。まあ実際のところ、君が何を話したって関係は無いんだ。もう『お話』は動き始めたところだからね。誰にも止めることはできない」
「私を嗤いに来たのか?」
「いいや? 僕がそんな悪趣味な奴に見えるかい」
ヒースは唇を横に目いっぱい引いて、硬質な雰囲気の笑顔を作った。
「ちょっと、欲しいものがあって」
「私はもう、何も持ってなどいない。そこの、夕飯の器でも持って行ってくれ。看守がなかなか下げてくれないんだ」
「いいや。君は持ってるさ。とても良い物を持っている」
ヒースは鍵の大量にかかった金属輪をかちゃかちゃといじりながら、ロストチャイルに語り掛ける。
「君の霧の魔法……あれ、面白い魔法だよな。ああいう『移動』と『回避』に特化したようなスキルは持っていなかったんだ……前から、欲しいとは思ってたんだけど」
「何を言っている?」
「ちょっと、貸してくれるかい? いつか返すから。どうせもう、使わないだろう?」
ヒースは独房の鍵を鍵穴に差し入れると、鉄格子の扉を開いた。
独房に入って来たヒースを見て、ロストチャイルは顔を青ざめる。
「まさか貴様の、レベル100のユニークスキルというのは……」
台詞の途中で、ヒースはロストチャイルの頭を片手で鷲掴みにする。
「君の才能を一つ貸してくれ。なに、元々これはこの世界にあったものだから。君だけのものじゃあない」
「や、やめろ、ヒース、貴様……」
ロストチャイルが手枷を嵌められた両手で、伸ばされた手を振りほどこうとする。
ヒースは彼の縮れた赤髪を掴み上げて、スキルを発動させた。
「『ガラクタ集め』」




