2話 無礼者! 余をどの追放姫と心得る! その2
デニスが食堂から慌てて飛び出す頃には、ローブを羽織った少女は、すでに通りの向こうへと一目散に走り去ろうとしていた。
「ま、待ちやがれ! 食い逃げ野郎!」
そんな叫び声が、背後から聞こえてくる。
少女は数日ぶりにお腹いっぱいになった重い身体を抱えながら、とにかく全力で走っていた。
「ふーっ! は、はあっ! お、追いつけまい! 余に追いつけるものか! 余は、これでも駆けっこで負けたことがないのだ!」
少女……エステルは全力で走りながら、王城での日々を思い出していた。
エステルが駆けっこをしようと言ったら、メイドのデラニーや従者のエピゾンドは、すぐに捕まってくれたものだ。
エステルがそんなことを考えながら走っていると、次の瞬間には背後から首根っこを掴まれて、いつの間にかパタパタと空中で脚をばたつかせていた。
「はっ!? な、なぜ!?」
「捕まえたぞ、この食い逃げ犯!」
エステルが掴まれながら振り返ると、そこにはエステルの小さい身体を片手で掴んで持ち上げたデニスが立っていた。
「は、速すぎる! ありえない! 俊足の余が捕まるなんて!」
「いや、普通に遅かったからな! スキル使おうかと思ったけど、普通に追いついたわ! 追いついていいのか逆に迷ったわ!」
「な、なんじゃと!? 余は、余はあの風よりも早いデラニーよりもずっと足が速いのに! 駆けっこで負けたことなんてないのに!」
「そのデラニーとやらは足が遅すぎたんだな! 井の中の蛙は何とやらだ!」
「貴様、デラニーを馬鹿にするな! 馬鹿にするなあ! 余のメイドは、余のデラニーはレベル70であるぞ! 王都のどこに居ようとも、余が呼べば一分以内に駆け付ける俊足の忠臣であるぞ!」
「それは手加減されすぎだなあ!」
◆◆◆◆◆◆
デニスに捕まって食堂に連れ戻されたエステルは、頬っぺたを膨らませながら不満そうにしていた。
「……お嬢さんよ、名前は?」
「エステル……余の名前はエステルである」
「親御さんは?」
「いない」
「いねえってこたねえだろ。母親は?」
「いない。余を産んで、すぐに死なれたと聞いている」
「そいつは悪いことを聞いたな。父親は?」
「もういない。先日崩御された」
「ほうぎょってなんだ。難しい言葉使うんじゃねえ」
デニスとエステルのそんな会話を聞いていたビビアは、恐る恐るエステルに尋ねる。
「あの……エステルさんって……ファミリーネームはなんていうんですか?」
「キングランド。エステル・キングランドである」
「…………」
ビビアはそれを聞いたきり、一度黙りこくる。
「なんだビビア、聞き覚えでもあるのか?」
「逆に……本当に聞き覚えないんですか? デニスさん」
「ねえなあ。有名人なのか?」
「この人の、極端な知識の偏りはどういうことなんだ……?」
「興味ねえことは頭に入れない性質でね」
「レベル70以上に到達する人って、ちょっと頭おかしいって言うからなあ……これくらい極端じゃないと駄目なのかなあ……」
ビビアがそう言って頭を抱えていると、デニスの横に立っていたアトリエが、デニスの前掛けを引っ張った。
「どうした、アトリエ」
「キングランド。キングランド王家」
「おうけ?」
「この国の、王様の家」
アトリエがそう言って、デニスはエステルのことを見た。
「その……王位継承するはずだったエステル姫が、継承権を放棄して失踪したとは聞いてたんですけど……」
「なんだ。じゃあこいつ……お姫様なのか?」
「えっ。いや……わかんないですけど。たぶん、狂言の類だと……でも、淡紅金髪って……」
ビビアはそう言いながら、恐る恐るエステルのことを見た。
「ああ……どうする? とりあえずこういう場合、騎士団に引き渡した方がいいのか? それか、セスタピッチか?」
デニスがそう言うと、エステルはパッと顔を上げる。
「い、嫌じゃ! 騎士団は駄目じゃ!」
「いや、だってよ。お前が姫だろうとなかろうと、食い逃げには変わらんし、親もいないなら……」
「な、何でもするから! 頼む! 見つかったら、殺されるのだ! 余は、余はこのまま捕まるわけにはいかないのだ!」
エステルは、カウンターから縋り付くようにデニスに懇願する。
「デラニーが、エピゾンドが! みんなが! きっと捕まってる! 助けてやらないと、余が助けてやらないといけないのだ! 余は、このまま捕まるわけにはいかないのだ!」
「つってもなあ……」
「頼む! 余が、余がこれだけ頼んでいるのだ! 何でもする! 余は何でもするぞ! 命を賭けて余を逃がしてくれた忠臣たちを助け出すためならば、余は泥水を啜ろうとも、どんな苦汁でも飲み干してやる! だから! だから!」
「…………」
デニスは、エステルのことを見つめた。
この少女の話すことを、どこまで鵜呑みにするべきだろうか。
しかし、ともかく、
何か真剣なことがあるだろうことは、間違いない。
「何でもするのか?」
「何でもだ! 余は覚悟を決めているぞ! どんな辛酸を舐めようとも、どれだけの苦難があろうとも、余は必ず、王座に返り咲いてくれる! そして、忠臣たちを救い出す!」
「なら……」
「くっ……余の身体が目当てか!? 好きにするがいい! 汚れなき余の純潔……彼らの忠誠に応えるためならば……っ!」
「……とりあえず、食い逃げ分。皿洗いでもしてもらおうか」
デニスがそう言うと、エステルはポカンとした顔を浮かべた。
「……皿洗いって、なんじゃ?」
「お皿を洗うんだけど、そこからわからない?」
「お皿って、勝手に綺麗になるものじゃ?」
「……なるほど。お姫様には皿洗いという概念は存在しないのか」
デニスはアトリエの方を見た。
「ということで、アトリエ。後輩育成は頼んだぞ」
デニスがそう言うと、アトリエは自信の無表情でピースサインを返した。
◆◆◆◆◆◆
王立裁判所の法官――セスタピッチは、王都の騎士団管轄である特別監獄を訪れていた。
デニスらと初めて出会ったころ、セスタピッチはまだ若手法官の新鋭として、序列最下部から一つ出世しただけの、『二等法官章』を礼服の襟元に付けていたものだ。
しかし、『ワークスタット家』ジョゼフと『銀翼の大隊』ヴィゴー、そして『王立裁判所』最高法官の連立と、ロストチャイルの事件という二つの大事件にデニスを通じて関わったことにより、その階級は二つ上がり……現在のセスタピッチの襟元には、『法官長』の階級章が付いている。
無論、若手法官としては異例の出世速度である。
「セスタピッチ法官長、こちらです」
特別監獄の管理にあたる若い法務騎士がそう言って、セスタピッチを小部屋に通した。
その中では、いくらか痩せた様子のロストチャイルが、囚人服を着て大人しく椅子に座っている。
その両手には金属枠で補強された木板が嵌め込まれており、木板にはスキルや魔法の発動を制限する術式が描かれていた。
セスタピッチがその目の前の椅子に座り込むと、頬のこけたロストチャイルが口を開く。
「出世したようだなあ……セスタピッチ」
ロストチャイルは、口元を緩めながらそう言った。
「つい先日に。聞くところによると、あんたを捕まえた騎士団の新人も、功績で一つ階級が上がったらしい」
「商人組合の代表権は誰に移ったんだ? ここじゃあ新聞も読めん……こんな手枷を付けられてはな」
「気の毒なことだな。しかし、それを知る必要は無い」
セスタピッチはそう言い放つと、両肘を腿に付きながら、ロストチャイルのことを見つめた。
「お前に聞きたいことがある。裏社会の元フィクサーたるお前に」
「さあ、なんだろう」
「国王について。もしかして、“何か知っていたのか”?」
セスタピッチがそう聞くと、ロストチャイルは一瞬表情を固めて、何かを考えるような仕草をした。
そしてにっこりと微笑むと、セスタピッチを挑発するように言う。
「いいや。何も。国王に何があろうと、私は関与していない」
「そうか。一応、聞きに来ただけだ……知らないならいい。何か知っているならば、法取引に応じてやろうと思っていたが……」
「だが」
ロストチャイルはそう言うと、セスタピッチのことを見つめた。
「近いうちにそうなることは知っていた。私は何も知らないが、そうなるであろうことは知っていた」
ロストチャイルがそう言って、セスタピッチは椅子に深く座りなおした。
二人はしばし見つめ合った。
監獄の尋問部屋には、冷たくピリピリとした空気が漂っている。
「もう一つ聞きたいことがある」
「なにかな」
セスタピッチは椅子を引いて、ロストチャイルに近づいた。
「『王剣スキルグラム』についてだ」
「際どいところを聞くものだな。大丈夫かね」
セスタピッチは声を潜めて、囁くようにしてロストチャイルに聞く。
「純血王族と王剣の、『この世界の全てのスキルを支配し、無効化する力』……しかし、実際にそれがどんな力なのか、知る者はいない。ロストチャイル。いや、『収集家』よ。マジック・アイテムに詳しいお前なら、何か知っているか?」
「それを聞くということは、王城で何かが起こっているということだな」
「質問しているのは私だ」
「聞く相手を間違えないことだな。下手につつくと、国家反逆罪でしょっぴかれることになる」
ロストチャイルはそう囁くと、セスタピッチに顔を突き付けるようにした。
「しかし、私に聞いたのは正しい判断だ……そうだ、知っているぞ。しかし、真実とは限らん。真実であることを前提として動いている者はいるがな」
「教えて欲しい」
「教えれば、私の途方もない刑期を減らすために動いてくれるかね」
「考えよう」
「詐欺師の常套句だな」
「再来世紀には出られるようにしてやるさ」
セスタピッチがそう返すと、ロストチャイルはニヤリと笑った。
「誰も本当のところは知らん。しかし、いくつかの推測がある。そのどれもに共通するのは、『王剣』のユニークスキルとは、字面通りの効果ではないということだ」
「どういうことだ?」
「そのままの意味ではない。しかし、結果としてそうなるということだ。説はいくつかあるが、最も有力なのは……」




