貴種流離 前編
ある日の追放者食堂。
デニスは昼の営業を仕舞にしようとして、皿洗いをしながら呼びかける。
「オリヴィア―? 店閉めるから、テーブル拭いといてくれー」
手元の皿を拭きながらそう言った後で、デニスは違和感を覚えて顔を上げた。
見てみると、カウンターに座り込んだアトリエが、不思議そうな無表情を浮かべている。
「オリヴィア。もういない」
「ああー……そうだったそうだった。アトリエ、頼んだわ」
デニスがそう言うと、アトリエは椅子からピョコンと跳んで手際よく店じまいにかかる。
オリヴィアはあの一件以来、王都の魔法学校に引き取られて……研究者たちの調査やら構造の解析やら修復やらに忙しくしているらしい。
なんだかよくわからない新機能が付くとか付かないとかいう話でやや心配な部分もあるのだが、まあ、その辺はバチェルがついてるから大丈夫だろう。
研究者の面々とも仲良くなって、とにかく元気にやっているらしい。
あれからしばらく経ったというのに、デニスはいまだに感覚を取り戻せないでいた。
そんな風にしていると、とつぜん、追放者食堂の扉が勢いよく開かれた。
もはやその光景も、恒例行事然としている感じが無いわけではない。
見てみれば、扉の前には、息を切らせた様子のビビアが立っていた。
「おうビビア。どうした」
「た、大変ですよ! デニスさん! もう聞きましたか!?」
「いや知らん。何がどうした」
ビビアは一呼吸置くと、叫ぶように言う。
「王様が崩御されたんですよ! つい先日!」
「ほうぎょ?」
と首を傾げたアトリエが聞いた。
「ビビア、俺は学校出てねえからよ。あんま難しい言葉を使うな。王様がどうしたって?」
「死なれたってことですよ! 大変なことになりますよー!」
◆◆◆◆◆
王都の中心部に位置する王城。
その中の荘厳な『王の間』に、王国中の有力諸侯たちが緊急で招集されていた。
国王が急死……崩御されたといっても、その王位が空位となったわけではない。
否、国王位が空位となることなど有り得ない。
国王は肉体的に死なれても、その王たる神聖な、抽象的な身体と精神はいまだ生き続け、この王国を変わらず庇護している。
そういう解釈になっている。
しかしそんな歪な状況が、いつまでも続くわけにもいかない。
事態は急を要していた。
つまり、早急な王位継承……正常な国王位の回復は、王政府の最優先事項であった。
「…………」
そのために招集された諸侯たちが待つ『王の間』の目の前に、一人の少女が立っている。
まだ幼い少女。
小さな顔の周りで切りそろえられた、やや癖っ気のある淡紅がかった金髪の少女。
少女はその細い脚を微かに震わせながら、大きな扉の前に立ち尽くしている。
その少女を囲むようにして、二人の従者が声をかけていた。
従者の中でも背の高い、緑色の髪をショートカットに纏めたメイドが、青白い顔で少女の肩を掴みながら言う。
「え、エエエエエエステル姫、ど、どうかお心を落ち着けて、大丈夫です、だ、だだだだだだだだ大丈夫ですよ、落ち着いてくださいね」
「デラニー、だ、大丈夫だ。余はお前よりは落ち着いている」
エステルと呼ばれた少女がそう答えると、後ろから丸々と太った、いやに顔がベタベタとした従者が声をかける。
「つ、ついにエステル姫が王位継承とは……麻呂は前王の死を嘆けばいいのか、姫の即位を喜べばいいのかわからないでおじゃる……」
「エピゾンド、お前も気が早い。余の即位は、『王剣の儀』が終わってからだ。あと、エピゾンドのその喋り方は……もうちょっと何とかならない?」
「麻呂は声帯の作り方がちょっと違うので、この方が喋りやすいのでおじゃるよ」
エピゾンドと呼ばれた背の低い太った従者は、そう言いながらハンカチで額の粘着質な油をぬぐい取る。
「だ、だだだだだ大丈夫です、え、エエエエエエステル姫であれば、必ず! 必ず王剣を発動できます! 前王の娘なのですから! ええ! 絶対できます! ど、どどどどどうか緊張なさらず! どどどどどどどうかおおおおおおおおお落ち着いて!」
「お前が落ち着けデラニー! あと、お前手めっちゃ汗ばんでるから! 滝みたいに汗ばんでるからね! 普通に気持ち悪いから触らないで!」
「そ、そんな、姫! う、うううっ、わたくしは姫の身を案じているだけですのに! あと、即位前のドサクサで姫にベタベタ触れようと思ってただけですのに!」
メイドのデラニーが服の袖で涙を拭うような仕草をすると、エピゾンドが諭すように声をかける。
「姫……デラニーは姫の専属メイドである以前にクレイジーサイコレズレディ……いやレディなのですから。さすがにひどいでおじゃるよ」
「ああもう面倒くさいなお前らはぁ! というかレディの前に何か省略してなかった!? 余にきちんと説明してくれる!? いややっぱ怖いからいいわ!」
エステル姫と、メイドのデラニーに、太った従者のエピゾンド。
その三人が『王の間』の前でそんな会話を交わしていると、
背後から、一人の男が歩いてやって来る。
「エステル殿下」
歩いてきた男にそう呼びかけられて、少女――エステルは、ハッと顔を振り向かせる。
広い廊下の奥からやってきたのは、細かな金色の刺繍が施された黒色礼服を身に纏った、若い男。
艶のある黒髪をオールバックに撫でつけた男は、エステルに優しく微笑みかける。
「緊張しておられますか?」
「……そ、そんなことはない。口を慎め、ヒースよ。余は落ち着いている」
「失礼いたしました」
ヒースと呼ばれた男は顔に微笑を張り付けたままそう言うと、白手袋をした両手の上に、地面と水平になるようにして大事そうに置かれた金色の剣を一瞥して、エステルに言う。
「それでは、諸侯らに顔を見せてあげましょう。みな、この時が一刻も早く訪れることを願っておられます」
「……わ、わかっておる」
エステルが歯切れ悪くそう答えると、そばのデラニーと呼ばれたメイドに耳打ちされる。
「ひ、姫。あのヒースとかいう男、気を付けてくださいね」
「ど、どうしてだ、デラニー。ヒースは騎士団の、王族一等護衛官であるぞ」
エステルは、耳打ちするデラニーにコソコソとそう答えた。
「そ、そうですけど……とにかく! 何考えてるかわからないって有名なんです! 『儀』の慣例とはいえ、あんな奴に姫を任せないといけないとは……わたくしは心配です! あと、もうちょっとこうして顔を寄せていていいですか!?」
「余はお前の方が心配だわ!」
エステルはそう返しながらも、
その実、大量の冷や汗を背中に噴出させていた。
現実感が無い。
脚がすくむ。
いつかこうなることはわかっていた。
しかし、こんなに急に。
父上の死を、十分に嘆く暇もなく。
◆◆◆◆◆◆
王の間の重い扉が開かれると、左右に並んでいた諸侯たちが、一斉に膝を下ろして跪いた。
この王国の貴族社会の頂点に立つ、有力諸侯の当主たち。
このところの一連の事件が無ければ、ワークスタット家とロストチャイル家も当然参列するはずであった面々である。
その中央に敷かれた赤い絨毯の上を真っすぐ通った先に玉座があり、その周辺には、エステルよりも王位継承権の低い王族たちがすでに控えている。
エステルはその赤い道を、背筋を伸ばし、顔を硬直させて、何とか歩く。
足が地面を捉えている感覚が無かった。
緊張で顔色が蒼白となり、今にも倒れそうだ。
しかし、その長い道を何とか歩き切ったエステルは、玉座の前に立ち、跪く諸侯らに振り返る。
その脇に金色の剣を持ったヒースが立ち、諸侯らの背後に立つ王政府の最高役職の面々を一瞥する。
この重要な儀の場に参列しているのはみな、王政府の擁する序列最上級位の臣民たちである。
その中に、王国騎士団の騎士団長の顔もあった。
団長はエステルの横にヒースが立っているのを見て、やや目を細める。
準備が整ったことを確認すると、玉座の傍に立っていた長い髭の老人が口を開いた。
「これより、王位継承に伴う『王剣の儀』を執り行います」
総白髪で豊かなヒゲを蓄えた老人は、威厳のある声色で王の間全体に語り掛ける。
「慣例通り、『儀』の進行は現王政府参謀長、オベスリフ伯爵たるわたくしが。『王剣』の譲渡者は、現王族一等護衛官たるヒース騎士官殿が務めることとします」
老人……オベスリフ伯爵がそう言うと、ヒースはエステルに向かって跪き、頭を垂れて、両手の上に置かれた金色の剣を差し出した。
「初代王ユングフレイ・キングランドより代々継承する、王剣スキルグラム」
オベスリフ伯爵は低くとも、よく響く声でそう言った。
「『スキル』を世界より発見せし初代王の力……『この世界の全てのスキルを支配し、無効化する力』……その王たる証を、継承権第一位たるエステル殿下が継承することにより、『王剣の儀』、および王位継承といたします」
オベスリフ伯爵がそう言って、玉座の前に立つ小さなエステルのことを見やった。
その脇から一人の役人が歩み出て、ヒースの差し出す金色の剣に対して鑑定スキルを発動させる。
「間違いありません。『王剣スキルグラム』、神代級の宝剣でございます」
役人が鑑定スキルの結果を、燃える文字でもって空中に映し出すと、諸侯たちは黙って頷いた。
エステルはその金色の剣を目の前にして、頭が真っ白になっている。
この剣を発動させる。
純血王族として。
前王、父上の一人娘として。
足がすくんでいる様子のエステルに、跪いて頭を垂れたままのヒースが、こっそり声をかける。
「エステル殿下、何も心配はいりません」
「ひ、ヒース……」
「この剣を握り、王たる名乗りを上げればいいのです。国王の娘であるエステル殿下であれば、必ずできます」
ヒースにそう言われて、エステルは自信を取り戻そうとした。
そうだ。
私はエステル。エステル・キングランド。
父上の誇り高き一人娘。
王位を継ぐ者。
エステルはヒースの差し出した剣をそっと握ると……
その重さにいささか驚きつつも、ついにはその剣を両手でしっかりと握りしめて、
並んで跪く諸侯たちに向かって、叫ぶ。
「よ、余は、エステル・キングランド! 前王の娘にして、お前たちの新しい支配者である! 我が名はエステル! 余は国王! 余こそが、エステル・キングランド女王である!」
エステルは、渾身の力でそう叫んだ。
やった。
父上……父上!
余は、エステルは、エステルは父上の後を立派に……
そこで、エステルは不意に、
王の間がざわつき始めたことに気付く。
エステルがその様子を不思議そうにしていると、焦った様子のオベスリフ伯爵が歩み寄ってきて、ヒースに掴みかからんとする勢いで聞いた。
「ひ、ヒース! お前は……いや、それは……『王剣』なのか? たしかに『王剣スキルグラム』なのか!?」
「何を言っておりますか、オベスリフ伯爵」
ヒースは立ち上がって、伯爵に向かって言う。
「逆に、あの剣が『王剣』以外の何だと? 鑑定の結果もご覧になったでしょう」
「そういうことでは、私が聞きたいのは……」
伯爵は言葉に詰まりながら、何かを言いたげにして老顔を歪めた。
エステルには、会話の意味がわからなかった。
王政府の役人たちの囁き声が聞こえてくる。
「……『発動』、してないよな?」
「ど、どうなる? この場合……」
「え、えっと……」
エステルはわけがわかっていない様子で、自分が握っている金色の剣を眺めた。
何も変わっていない。
ええと……『発動』すると、七色に発光して……。
え? それじゃあ、
これって?
ざわつき始めた諸侯たちに向かって、オベスリフ伯爵が叫ぶ。
「お、『王剣の儀』を! 一時中断させていただきます!」
伯爵がそう言うと、王の間は完全に混乱状態に陥った。
その中で蒼白な顔で立ち尽くしているエステルから、ヒースが剣を取り上げる。
「ひ、ヒース、余は、余は……」
泣きそうな顔を浮かべるエステルに向かって、ヒースが微笑みかける。
「ご心配なく、エステル殿下」
「よ、余は、その、父上の……」
「こういうこともありますよ。こういうこともね」
ヒースは剣を体側に寄せながら、そう言った。
エステルは涙目になりながら、錯乱状態に陥った。
視界が涙でぼやけて、目の前に立つヒースの手元の王剣が一瞬、二本に分かれたようにさえ見える。
「この後、すぐに正式な『儀』を再開いたします! 諸侯の皆様は……」
「待て、伯爵よ」
そう言って立ち上がったのは、王族の席に座っていた金髪の男。
「れ、レオノール殿下……」
「神聖なる『王剣の儀』を汚すわけにはいかない……貸してみろ、ヒース」
レオノールと呼ばれた金髪の王族……継承権二位のレオノール・キングランドは、ヒースに向かってそう言った。
ヒースは一瞬笑いかけたような顔をして、レオノールに聞き返す。
「貸すっていうのは……どれを?」
「意地悪を言うな、ヒース」
レオノールは諸侯たちに背を向けながら、ヒースに向かって微笑んだ。
ヒースが金色の剣をレオノールに渡すと、
彼の手の中で、剣が七色に輝きだす。
その眩い光を見て、ざわついて混乱していた様子の諸侯たちが、一斉に静まり返る。
その様子を、エステルは茫然として眺めていた。
レオノールはしばし、剣が発する七色の光にうっとりするように見入る。
そして、唇を歪ませて、一瞬だけエステルのことを一瞥すると、
その七色に発光する金色の剣を掲げて、王の間に叫び声をあげる。
「俺はレオノール! レオノール・キングランド! お前たちの新しい支配者! 俺こそが国王! レオノール王である!」
次回『貴種流離(後編)』
明日18時 予約投稿済み