5話 冒険者食堂へようこそ! (前編)
アトリエを奴隷商から買い取ってから、しばらくが経った昼時。
「よーし! ついに開店だ!」
デニスはそう叫んで、店の前に暖簾を提げた。
『冒険者食堂! 本日開店!』
店名については、デニスがこういうものを考えるのが苦手なので、ほとんど何も考えずに付けた名前だった。
アトリエにも意見を聞いたのだが、反対されるはずもなかった。
時は昼時。
腹を空かせた冒険者たちが、その辺りを歩き回っている。
デニスは食堂の中に速足で戻ると、白とピンク色の前掛けをかけたアトリエに声をかける。
「アトリエ! お前がウチの看板娘だ! 頼んだぞ!」
「わかりました、様」
「そのネタまだ引っ張る!? もう面倒くさいから呼びやすいように呼んで!?」
デニスは頭にバンダナを巻いてカウンターの奥で腕を組むと、最初の客を今か今かと待ちわびた。
メニュー良し、水良し、椅子良し、テーブル良し、食材良し、調理器具良し、
看板娘……まあ未知数だが多分良し。
とりあえず死角はない。
来てみろ、最初のお客様!
一発で俺の料理の虜にして、三食ここで食わないと気が済まない中毒状態にしてくれる!
そして金を払え! もうぶっちゃけ金が無いんだ! たらふく食ってたくさん金を使うがいい!
デニスが貧乏ゆすりをしながらそんな風に心の中で高笑いをしていると、
ガシャガシャと金属の擦れる騒々しい音をさせながら、全身甲冑姿の冒険者がそろーりと入ってきた。
「へいらっしゃい!」
「いらっしゃいませ」
デニスとアトリエにそう声をかけられた甲冑姿の冒険者は、少しドキリとした様子で固まった。
兜をすっぽりと被っているので顔色は伺えないが、ちょっと面食らったのかもしれない。
しまった、『マニュアル』の68頁だ! とデニスは思った。
『27.お客さんの中には、放っておいて欲しい人もいるよ! 距離感も大事にして、過ごしやすい店内にしよう!』
バイブルの教えを思い出したデニスは、何も言わずににっこりと微笑んだ。
表情筋を緊張させた、やや恐い微笑み方だった。
甲冑冒険者はそろそろとカウンターに座ると、メニューをじっと見つめる。
「あ、アトリエ! み、水だ! 水をお出ししなさい!」
「わかりました」
アトリエに水を用意させながら、デニスは冒険者をじっと見つめていた。
さあ、何を頼む!?
全身甲冑で兜すらも脱がないからどんな奴か全くわからないが、まあそんなのは些細なことだ!
ご飯ものでも麺類でも何でも来い! どうせ俺は全部レジェンダリークラスだ! レジェンダリーヴリトラカツ丼がいいか!? レジェンダリー蕎麦がいいか!?
なんでも来い! 最初のお客様よぉ!
目の前に立ったデニスに凝視されて、甲冑冒険者はやや居心地が悪そうだった。
デニスは体格こそそこまで大きくないものの、かなり筋肉質なため、腕を組むと前腕に凝縮された細やかな筋肉と血管が浮き出る。
かなりの威圧感だった。
甲冑姿の冒険者は、メニューをデニスにも見えるようにすると、
何も言わずに、指でメニューを指さした。
『小ライス』を指さしていた。
「はいよ! 小ライスね! …………小ライス?」
冒険者は次に、一番安い『梅干し』を指さした。
デニスが一応、好きな人もいるかと思ってメニューに載せておいたものだった。
「……小ライスと、梅干し? 他には?」
冒険者は一言も発さずに、手で『ありません』というジェスチャーをした。
「……小ライスと、梅干しでいいのかな?」
冒険者は兜を被ったままの頭を、二回縦に振った。
「…………」
「…………」
デニスと冒険者は、数秒見つめ合った。
「お水です」
アトリエがお盆に水のコップを載せてやってきて、冒険者は軽く会釈して受け取った。
「お客さん、小食?」
デニスがそう聞いた。
冒険者は迷ったような素振りを見せて、首を横に振った。
「もしかして、あんまりお金ない?」
冒険者は、申し訳なさそうに頷いた。
大きな甲冑を全身に身に纏っているのに、その姿は異様に小さく見えた。
「……お客さん、ヴリトラカツ丼好きかい?」
冒険者は二回頷いた。
「くっそお! カツ丼だ! カツ丼にしてやる! カツ丼入りまーす!」
「え、ま、待ってください! わたし、そんなにお金ありません!」
「うるせえ! 最初の客にそんなちんけな食い方されてたまるか! お代はいらねえからカツ丼食えこの野郎! …………って、お前」
デニスは甲冑姿の冒険者を見て、言った。
「今の声……お前、女か」
甲冑姿の冒険者は、ハッとしたような素振りを見せて、
一回だけコクリ、と頷いた。
「ははあ、それで? 女だからってパーティーを追い出されたの?」
「そうなんですよぉ……本当、ひどいと思いませんか?」
デニスは卵が良い具合の半熟具合になるのを待ちながら、ヘンリエッタという名前の女冒険者の話を聞いていた。
ヘンリエッタはカウンターの脇に兜を外して置くと、デニスに愚痴をこぼす。
「女剣士は軟弱だし色々と面倒だから、うちのパーティーには要らないって。わけわからなくないです? スキルに男女は関係なくないですか!?」
「まあ、そうだなあ」
「あの最強パーティー『銀翼の大隊』の副隊長も、女性剣士っていう話じゃないですか! 『深紅の速剣』ですよ! 知ってます!? 全ての剣戟が先手必中クリティカルになるっていう、伝説の女剣士!」
「知ってる知ってる。マジでヤバいからな、あいつ」
「あいつ?」
「いや、なんでもねえや」
デニスは揚げたカツと卵と玉ねぎを合わせたものを白飯の上に乗せると、手早くスープと付け合わせを用意した。
「はぁ……だからこうして、今は性別を隠して入れるパーティーを探してるんですよ。でも、無言でやっていけるパーティーってなかなか無くて……そうこうしてる間にお金も無くなるし……」
「まあ、そりゃそうだろうなあ。はいよ、お待ち」
デニスがカツ丼のセットをお盆に乗せて、ヘンリエッタの前に置いた。
「あの、本当に良いんですか? お金払えないんですけど……」
「冷めねえうちに食え。金はいつか持ってこい」
ヘンリエッタは申し訳なさげにお辞儀すると、箸でカツを一口頬張った。
「————っ!?」
そのまま、ヘンリエッタは丼を持ち上げると、カツをご飯と一緒に掻き込む。
「————っ!! おいひぃ!? ほれ、めっちゃおいひいです! ほんなの、はべたことない!」
「がはは、美味えだろ。あと汚いから、食いながらしゃべるな」
ぺろりとカツ丼を一杯平らげたヘンリエッタは、丼に残った米粒を箸で集めていた。
「いや、ほんと、こんな美味しいの食べたことなかったです!」
「そりゃよかった。ぜひ常連になってくれ」
「あ、そ、そうですね……ハハ……パーティーが見つかって、依頼をこなしてお金が入ったら……」
「俺が聞いてみてやるか? 食いに来た客に、女剣士が欲しいパーティーはいないかってさ」
「えっ!? い、いいんですか?」
ヘンリエッタはパッと顔を輝かせて、そう聞いた。
「お前のスキルとか条件を紙に書いてくれれば、それで聞いておいてやるよ。見つかるかは知らんけどな」
「あ、な、何から何まですいません! こ、このお礼は絶対に! いつか絶対に!」
「わかったわかった。じゃあ連絡するのも面倒だから、パーティーが決まるまで飯食いに来ていいから。あと甲冑に米粒ついてるぞ」
それからも、客はちらほらとではあるが入ってきた。
その中の一団が、美味そうに飯をがっついている。
「う、うめえ! なんだこの炒飯! 美味すぎて涙が出てきそうだ!」
「こ、こっちのガーゴイルナポリタンも死ぬほどうめえぞ! お前絶対これ食わなかったこと後悔するぞ!」
「なんだこの店!? ウェイトレスは可愛いし飯はめちゃくちゃ美味いし!?」
「大将! めっちゃ美味いっす! ほんとうめえ!」
どうやら、若い冒険者パーティーでまとまって飯を食いに来ているようだった。
「がはは、そいつはどうも。アトリエ、お前可愛いってよ。よかったな」
「…………」
デニスは軽口を言ったつもりだったが、アトリエに華麗に無視される。
わりと経ったはずなのに、デニスはアトリエとの距離感が微妙にわからなかった。
何というか、猫みたいなものだった。
無表情で感情を表に出さないし無駄なことは喋らないが、機嫌が良さそうな時は自然に寄ってくる。普通の時はその辺で好きにしている。
アトリエは最初の方こそ遠慮がちだったものの、慣れてからは大体そんな風に過ごしていた。ただ、ご飯はよく喉に詰まらせていた。癖になったのかもしれなかった。
「そういえば、お客さんは冒険者パーティーだろ?」
「そうっすよ?」
緑色のローブを羽織った青年が、そう答えた。
「剣士を募集してるパーティーがあれば、教えて欲しいんだよな。女なんだけどよ。スキルもそこそこ揃えてるし、なかなか面白い奴だぞ」
「女剣士か……」
彼らは、テーブルを囲んで顔を突き合わせた。
しばしアイコンタクトを取ってから、パーティーのリーダー風の男が言う。
「うち、良いっすよ? その人、興味あるっす」
「おや?」
予想外の反応に、デニスは驚いた。
「早くていいなら、明日からでも入ってもらいたいっすね」
「本当か。こいつは……予想外に早く決まったもんだな」
「ははは、女剣士って珍しいっすもんね。ウチは全然いいっすよ。火力不足で困ってたところなんすよ」
「それなら心配ねえな。どちらかといえば、火力重視の重剣士タイプだ」
「それなら、決まりっすね!」
若い冒険者パーティーの一団は食べ終わるとお代を払い、デニスにお礼を言って出て行った。
あんまりにも早く決まったので、デニスは面食らい気味だった。
その後も何組かお客が入ってきて、デニスはとりあえず昼はこれで仕舞かな、と思った。
アトリエに外の暖簾を外して、入り口に『準備中』の掛札をかけてもらう。
最後のお客が、テーブルを囲んで予想だにしない絶品に舌鼓を打ちながら、話をしていた。
魔法使いの女の子同士だった。
「なにここ!? おいしー!」
「めっちゃ当たりじゃん! よかったね!」
ツインテールの魔法使いとポニーテールの魔法使いは、それぞれ頼んだ料理にうっとりした様子だった。
するとツインテールの魔法使いがふと、こんなことを言った。
「そういえばさ、聞いた?」
「なになに?」
「冒険者パーティーで、ソロの女の子を加入させては、ダンジョンの奥で乱暴する奴らがいるんだって」
「げーっ。捕まらないの? そういう奴らさ」
「うまーいことやってるらしいよ。ソロで帰ってこれないところまで連れ込んで、好き勝手した後にそのまま放置したりさ。そうやって二回くらいやったら、全然別の場所に移っちゃうんだって」
「最悪。気を付けないとね、うちらだって他人事じゃないから」
「えーっ! もう決まったんですか!?」
デニスが作った簡単な夕飯を食べながら、ヘンリエッタは驚いてそう聞いた。
「うーん……そうだな。明日からでも来て欲しいって」
「うわあ! ほ、本当に、ありがとうございます! 最初の報酬で、絶対にお礼をしますから!」
「うーん……でもなあ」
デニスは腕を組みながら、難しい顔をした。
「どうか、したんですか?」
「いや、なんだろう。もうちょっと慎重に決めてもいいんじゃねえかと思ってよ。ほら、ちゃんと信頼できるところに加入した方がいいだろ? やっぱり男とはその辺違うし、結局は女一人なんだからさ」
「大将までそんなこと言うんですかー?」
そういう扱いにはもううんざり、という調子で、ヘンリエッタは流し目を向ける。
「大丈夫ですよ! それに、わたしなんて後衛じゃなくて前衛職種なんですから! 元々そういうのを気にしないために、一人でも戦える剣士を選択したんですし!」
「一人で戦うつったって、限度があるだろ」
デニスは約一名、一人で戦うことに限度の存在しない赤い女剣士を知っているが、この娘はそうではない。
「まあま、そうですけども。何でもかんでも心配してたら、なーんにもできませんよ!」
「うーむ……まあ、最終的にはお前の判断に任せるけどよ。最近は暴行魔まがいのパーティーも居るって話だし、やっぱり慎重にだな……」
「大丈夫ですってー! それに、そんな選り好みしてたら冒険者なんてやってられませんよ! しっかり稼いで、大将にお代も払わないといけませんしね!」
ヘンリエッタは美味しそうに飯を掻き込みながら、そう言った。
能天気な奴だなあ、とデニスは思う。
しかしヘンリエッタの言う通り、冒険者で食ってく以上、ある程度のリスクは覚悟の上だ。
もちろん慎重になる部分は慎重にならなければならないが、そんなことばかりも言っていられないのが冒険者である。
というよりも、それが冒険者のサガと言うべきなのかもしれない。
まあ、そうそうそんな極悪パーティーに出くわすこともあるまい。
……ない……よな?