最終話 追放メイドは壊せない (終)
街の中央部。
中央広場付近。
背後で繰り広げられる、突如現れた神狼たちによる幻獣の掃討戦によって、大量の幻獣が我を忘れて逃げ惑い、今まで破竹の勢いで侵攻してきた中央通りを逆走して街から脱出しようとしている。
その喧騒の中で、ケイティは双剣を地面に垂らしながら両ひざをついて、ぼうっとしていた。
何がなんだかわからないが、とにかく状況は一転した。
よかった。
もう、剣を持ち上げる力すら残ってはいないのだから。
大量の幻獣たちがケイティのことなど構わずに逃走していく中で、屋根を飛び移って来たデニスが、ケイティに声をかける。
「ケイティー! 大丈夫か! 大丈夫じゃなさそうだな! とにかく無事でよかった!」
屋根の上からそんな声をかけるデニスに、ケイティは苦し紛れの苦笑で返した。
「はっ……遅ぇっつーの……」
ケイティはデニスに届かない声でそう言って、そのまま地面に倒れ込んだ。
そして、最後の戦いが始まろうとしている街の東部。
オリヴィアとハームが、街中に響き渡る幻獣たちの悲鳴の中で対峙している。
オリヴィアの作戦は単純だった。
絶対に倒れない。
それだけだ。
自分の身体構造は人間とは違う。
全身の重要器官をひとつ破壊されるだけで行動不能に陥る生身の人間とは異なり、オリヴィアは胸部中央に鎮座する核宝石さえ破壊されなければ、たとえ腹を貫かれようと首を折られようとも、身体の半分以上を失うまで活動を続けることができる。
どれだけ苛烈に攻められようと、絶対に倒れはしない。
必ず、一撃を叩き込む。
ハームは軽いステップを踏みながら、しかし一切の隙の無い動作でオリヴィアとの距離を詰めていく。
二人の拳の射程距離が接触しようとしていた。
ハームが数歩だけそのリーチの接触ラインのギリギリのところでフェイント気味にステップすると、一瞬タイミングを遅らせるようにして、その中に迷わずステップインする。
「ヅァアッ!」
拳の射程距離に入った瞬間、オリヴィアは叫んで右の突きを真っすぐ繰り出した。
ハームはオリヴィアのストレートを左手で素早くパリィして軌道を逸らすと、カウンター気味に右の拳を刺し込むように交差させる。
カウンターで入った右のストレートがオリヴィアの頬を抉って、その綺麗な顔面を捉えた。
「ンゴァッ」
打撃の衝撃で口腔内の部品が外れて顎関節が砕け、オリヴィアは短いうめき声をあげた。
突きを繰り出すために前方に預けていた体重と、後方への衝撃を受けた頭部とのギャップが生じて、頸部の部品が砕けて外れる音が響いた。首関節部の記憶鉱石にヒビが入り、そこに保存されていた記憶が損傷したのを感じる。
何かの記憶が消えた。大切な記憶が。
なんの記憶だったかすら、もはやわからない。
しかし、関係ない。
オリヴィアは顔面に拳をめり込ませながらも仰け反りはせず、ハームをなおも睨みつけてもう一歩踏み込む。
金属の身体の耐久性と過重量を活かした、ダメージ無視の再接近。
破壊された顔面部を無視して身体を捻り、オリヴィアはさらに左のフックを繰り出す。
しかしその打撃は、ハームにとっては無駄な予備動作の大きすぎる緩慢な攻撃にすぎなかった。
その顎を捉えようとした左フックを、ハームは高速のステップだけで回避し、再度、カウンターの左フックを打ち込む。
「ヅァッ」
鼻頭に、ハームの左のカウンターが突き刺さる。
鼻を構成するパーツが粉々に砕けて、衝撃により頭蓋を覆う金属板にヒビが入った。渾身の力で繰り出した拳が空ぶったおかげで、腰部から背中にかけての部品が無理な力でしなって砕けて弾ける。
記憶鉱石がまたいくつか砕けた音がした。
保存していた記憶がまた、いくつか消失した。
オリヴィアはまだ倒れなかった。
首関節が完全に破損し、オリヴィアは頭を持ち上げることができなくなっていた。
鼻が潰れて、顎の関節も壊れて左の唇がだらりと垂れていた。
顔を覆う人工皮膚が剥がれかけて、顔に大きなヒビが走っていた。
しかしその目は、目の前のハームから一度も視線を外してはいない。
オリヴィアはまだ立っていた。
オリヴィアは殴られ続けながらも、反撃のために畳み込んで腹部に沿わせていた右の拳を、ハームになおも繰り出す。
「無駄だ、魔法人形!」
ハームはその攻撃をパリィしようとはせず、ダッキングで頭を前に振りながら顔の傍で逸らせて、もう一歩踏み込む。
「これで終わりだ!」
ハームの繰り出した渾身のカウンターが、オリヴィアの胸部に突き刺さる。
打撃スキルを付与した、渾身のカウンターの一撃。
体重を預けてきたオリヴィアの動きも利用した、最大ダメージの右ストレートだ。
破壊的な威力の右ストレートがオリヴィアの胸の真ん中に突き刺さり、その威力でオリヴィアの細い身体を突き破る。
ハームの一撃は、オリヴィアの身体の中枢であり致命点でもある、核宝石まで届いていた。
オリヴィアはそれを感じていた。
自分の命の核が破壊される音を聞いていた。
ハームの鍛え上げられた右の拳が、オリヴィアの核宝石に触れて、真っ二つに粉砕しながら胸から背中までを貫通する。
そこからの一瞬の出来事は、オリヴィアとハームという二人の個人が同時に体験した事象だった。
オリヴィアの破壊された核宝石は、真っ二つに粉砕された瞬間、その中に内臓し封印していた、彼女の最後の記憶を解放した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その視点は、木造りの小さな家の中にいる。
とても綺麗に整理されて、掃除が行き届いており、埃の一つさえも見つけることは難しそうに見える。
窓の外からは、明るい満月の光が差し込んでいる。
その家の中は、どことなく寂しい雰囲気が漂っている。
それはゆったりとした死の中にいるような雰囲気を感じさせる。
かつてこの家で絶えなかった笑顔や、他愛もない喧嘩の日々や、たくさんの幸せな時間は全て過ぎ去って、もう取り戻せないように感じる。
そういった種類の時間は、永遠ではないと思わせる。
その視点は、暗く静かな部屋の中でコップに温かいお茶を注いで、お盆に載せて部屋を移動している。
居間と思われる部屋から別の部屋に入ると、そこは大きなベッドがある寝室のようで、その柔らかそうな布団の中に、一人の老人が横になっている。
視点の主は、ベッドの傍のテーブルにお盆を置くと、その老人に話しかける。
「ユヅト様、ユヅト様」
視点の主が優し気な声色で話しかけると、老人はその視点と目を合わせる。
総白髪の老人だった。
しかしその白髪は、不思議に透き通った蒼色を基調としているように見える。
老人は寝ていたわけではなく、その視点の人物を待っていたようだった。
老人は咳をしながら布団から上体を起こすと、辛そうに背中を後ろに預けて、視点の主を見た。
「オリヴィア。ぼくはもう長くない」
「何を言っておられマスカ。ユヅト様は、偉大な魔法使いではアリマセンカ」
「そうだとしても、死ぬときは死ぬんだ。わかるんだ」
「そんなことを仰らないでクダサイ、らしくアリマセンヨ」
「ナチュラも、遠い昔に死んだ。みんな死んだんだ。ぼくだけ、長く生きすぎた……」
老人はそう言って、窓の外の満月を眺める。
老人はいくらか黙りこくってから、口を開く。
「オリヴィア。お前の任を解こう。君をこの家から、ぼくから追放する」
「……言われている意味が、ワカリマセン」
「お前を作った時に、自壊を禁止する行動規則を組み込まなかったのは失敗だった……」
老人は窓の外から目を離すと、視点の主のことを眺めた。
「ぼくが死んだら、お前も死ぬつもりだろう。オリヴィア」
「何を言っておりマスカ、ソンナコトハ、ソンナコトハ……アリ、アリマ……」
「お前はウソを付けない。そうだろう」
「ソンアコトハ、アリマ……ア、アリマセ……」
視点の主はそれを最後まで言おうとして、どうしても言えないことに気付く。
視点の主は、人間にウソをつくことができない。
「ずっとユヅト様にお仕えしてオリマシタ……ユヅト様が居なくなられたら、ワタシはどうすればいいかワカリマセン。死なせてクダサイ。このオリヴィアも一緒に付いていかせてクダサイ……ワタシを置いていかないでクダサイ……ユヅト様」
「駄目だ、オリヴィア。お前にはまだ、やるべきことが残っている」
「そんな残酷なコトをおっしゃらないでクダサイ。ワタシはユヅト様と共にアリマス、ワタシは……」
「お前は自由だ、オリヴィア。今までありがとう。ずっと、ありがとう」
老人は視点の主の手を握って、語り掛けた。
「君はもう、要らないんだ。ここでお別れだ」
「ソンナ、ユヅト様」
「ぼくにはもう必要ない。ぼくはもう死ぬだけだから。でも、きっと、君のことを必要としてくれる人がいる。君が居て喜んでくれる人がきっと居るよ。君は自由に生きるんだ。これから人間がどうなっていくか、見守るんだ。君はここから追放されて、これからの世界で新しい役目を見つけるんだ。これから、人間がどう歩んでいくか見届けるんだ。人は間違い続けるのか? それとも、少しずつ世界を良くしていくことができるのか?」
「ワタシが何をしたと言われマスカ、ユヅト様」
視点の主は縋り付くように、老人に言った。
「これが長年の忠誠の結果であるナラバ、こんなにひどい仕打ちはゴザイマセン。オリヴィアはユヅト様と共にあり、ユヅト様と共に死にマス」
「ぼくとの記憶を封印して、君は新しい人生を生きるんだ。ぼくのことを覚えていたら、お前はきっと辛いだろうから。君のことは記録にも残さない。ぼくと君のことは、この世界のどこにも残さない。君を悪用しようとする奴が、きっといるから」
「ユヅト様」
視点の主は老人の手を愛おしそうに握り返して、頭を垂れる。
「このオリヴィアは、あなたが作り、あなたと共に生きました。あなたが死ぬときに、ワタシも死ぬつもりデシタ。どうかそうさせてクダサイ。共に死ぬことを許してクダサイ」
「それは駄目だ、オリヴィア。お前は追放する。ぼくとの全ての記憶を封印し、お前は生きるんだ。歩き続けてくれ……お願いだ」
「……ナラバ、それがあなたの最後の命令だと言うのナラバ。そんな残酷なことを命ぜられると言うナラバ」
視点の主は老人のことを見つめ返す。
「ワタシは追放者となりまショウ。あなたの居ないこの世界を永遠にさすらいマショウ。あなたの命令に従いマショウ。それがオリヴィアの務めデスカラ」
オリヴィアは老人の手を握りながら、つぶやき続ける。
「たとえ幾千年の時がかかろうとも、あなたをこの世界から見つけ出しマス。そして、必ず、必ずあなたを思い出しマス。残酷なあなたのことを絶対に許しマセン。そして、永遠にあなたのことを愛してイマス……」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それはどういう現象だったんだろう。
きっとそれは、この世界でまだ名前を付けられていない現象だった。
一瞬のタイムラグだった。
核宝石を破壊したハームと、
破壊されたオリヴィア。
二人の時間が一瞬だけ止まった。
核宝石に封印されていた記憶が、崩壊の瞬間、これに接触していた二人に同時に流れ込んだのだった。
そしてその状態から一瞬だけ早く復帰したのは、
記憶の保存と再生に慣れていた、オリヴィアの方だった。
オリヴィアは胸にハームの腕を突き刺しながら、彼の身体を両手で掴んだ。
その一瞬後に我を取り戻したハームは、その状態に気付いて、しがみ付くオリヴィアを離そうとする。
しかし右腕がオリヴィアの胸に突き刺さったままで、左手しか動かせない。
「なんだ、今のは……くそっ! 離せ! 離せ、魔法人形!」
「捕まえたぞ、悪い人間! ワタシは全てを思い出シタ! この最後の瞬間に、あの人のことを思い出シタゾ!」
「やめろ! 離せ! くそっ!」
「お前は離さナイ! ようやく捕マエタ!」
オリヴィアはハームに抱き着くと、その身体を万力のような力で締め上げる。
筋力ではない。それは機械的な力だ。
身体中のぜんまいの力をすべて使い切りながら、オリヴィアはハームの身体をきつく抱きしめる。
「ぐぉおっ! ぐぁあああっ!? やめ、やめろぉっ!?」
オリヴィアの両腕に抱きしめられるハームには、自分の身体の骨が次々と粉砕されていく音が聞こえていた。
「ヅァッ! ヅァアアアッ!」
「ぐぁ、がぁあああっ………ぁ……あっ……」
オリヴィアが最後の力を出し尽くし、ハームから両腕を離したとき、
ハームは泡を吹いて、失神していた。
気絶したハームが力なく倒れ、オリヴィアに突き刺さっていた右腕もズルリと抜け落ちる。
オリヴィアはそのあとで、その場にドサリと倒れた。
「オリヴィア!」
アトリエが駆け寄ると、オリヴィアは目だけを動かして、アトリエのことを見た。
「ヨカッタ……お守りできマシタ……どうでシタカ、アトリエ様……」
その場に駆け付けたのは、アトリエだけではない。
ちょうどその瞬間にデニスも、屋根の上を飛ぶようにして駆け付けていた。
「おいおい! これは一体どうした!」
「デニス様! オリヴィアが!」
アトリエが叫んで、デニスは一緒に倒れるハームを一瞥すると、状況を察してオリヴィアに駆け寄る。
「オリヴィア! 大丈夫か!」
「ワタシは……よくやれマシタカ……お役に立てマシタカ……」
「よくやった! よくやった、オリヴィア! すごいぞ!」
「……ヨカッタ……街の人は……」
「ポチが、神狼を引き連れて助けに来てくれてな! 街の人もみんな無事だ! もう何も心配ない!」
デニスの言葉を聞くと、オリヴィアは破損した顔のパーツをギクシャクと動かした。
「今助けてやるからな! お前は丈夫だからな! きっと大丈夫だ、しっかりしろ!」
「デニス様、アトリエ様…………」
オリヴィアはうわごとを呟くように、口を開いた。
「ワタシはわかりマシタ……この世界をずっと彷徨ってきて、ようやくワカリマシタ……」
「余計な力を使うな! 助けてやるからな! 頑張れ! そのまま目を閉じるなよ! また元気にドジをやらかしてくれよ! なあ!」
デニスが重いオリヴィアの身体を抱きかかえると、避難所である冒険者ギルドの方へと駆け出す。
オリヴィアはその腕の中で、うわごとを呟いていた。
「その時点デハ……間違いとしか思えないことがアリマス……もうどうしようもナクテ、全てが終わりだとしか思えないコトガ……」
オリヴィアは自分の機能が少しずつ停止していくのを感じながら、嬉しそうに呟いた。
「デモ……それは、最後までワカラナイ……本当に間違ってイタノカ? もうダメなのか? それは、最後の瞬間までワカラナイ……だから、最後まで生きないと。辛くテモ、歩き続けないと……それを確かめナイト……」
オリヴィアは瞼を閉じながら、安らかに呟いていた。
身体中のぜんまいの一つ一つが、少しずつ動くことをやめようとしている。
この世界から離れていくようだった。
自分とこの世界の距離がだんだんと遠くなっていく。
自分が遠ざかっているのか、それとも世界の方が離れようとしているのか。
やがて世界のすべてが閉じて、自分の物語が終わるような感覚があった。
「ワタシはよかった……間違いではナカッタ……歩き続けて、ヨカッタ……ユヅト様……あなたは酷いことをシマシタケド、ケド、それは良いコトダッタ……アリガトウ……ワタシはあの時に終わらなくてヨカッタ……ワタシは歩き続けて、この街に来ることができて、みんなと会えて、たくさん、たくさん……ヨカッタ……」
次回『エピローグ 追放メイドとイニシエの食卓』




