24話 追放メイドは壊せない (前編)
街の正面門付近には、すでに凶暴な幻獣たちが殺到し始めている。
意図的に腹を空かされていた彼らは、獲物を求めて我先にと四肢を駆り、人間の匂いが充満した街に向かって、大挙して押し寄せている。
その獣たちの瞳には、長らく人間の手によって狭い檻の中に閉じ込められ、虐待されてきた計り知れぬ本能的な憎悪が籠っているようにも見えた。
街は塀で囲まれてはいるが、それは主に野盗や動物が入り込まないようにするための、いくらか背の低いものだ。人や鹿が飛び越えることはできないし、だからといって登って越えるのにも難儀な代物ではあるが、この辺りに生息するはずもないどう猛な幻獣たちには無力同然の代物である。
足の速い鹿のような、しかし鹿というにはあまりに禍々しい角と体色をした赤い瞳の幻獣が、その異常に筋肉の張りつめた両脚で塀を飛び越えようとして、高く跳躍した。
そして塀をちょうど飛び越えた先に、遠目の屋根の上から跳躍してきた一人の店長と行き当たった。
「『強制退店』」
デニスが肉切り包丁を振ると、塀を飛び越えようとしていた鹿型の幻獣が弾かれて、その後方に続いて塀を超えようとしていた幻獣たちを巻き込みながら、後方へと吹き飛んでいく。
デニスはいったん塀の上に立ち、そこから状況を確認すると、そのあまりの光景に息を飲む。
闇夜の中で、無数の幻獣たちがうごめいている。
数は一体どれくらいだ? 数十、いや、百以上か?
「……ったくよぉ。マジでヤバそうだぞ、こいつは!」
「その通り。宣言通りやって来てあげたぞ、デニス君」
真横から不意にそう声をかけられて、デニスは脊髄反射で肉切り包丁を振るった。
デニスの横薙ぎを躱すようにして、真横に出現しかけていた紫色の霧が霧散し、デニスの周囲を蝙蝠の群れが滑空するようにグルリと移動すると、デニスから距離を離した位置で霧が集合して、ロストチャイルの上半身を形作った。
「外見が気味悪けりゃあ、魔法も気味悪いなあてめえ!」
「美醜は大した問題じゃあない。問題は、ここで厄介な君をどれくらい足止めできるかだ」
「焦ってるもんでねえ! 瞬殺で終わらせてもらう!」
「ちょいちょいちょーい! なーにやってるのよデニスの馬鹿はぁ! まるで足止めできてないじゃなーい! というか数が多すぎるー!」
中央広場付近。
後衛組を率いて避難所までの防衛線を築いていたケイティが、夜の月明かりの中で遠目に蠢く無数の影を見て、そう叫んだ。
「ど、どうすればいい!? ケイティのお嬢さん!?」
「こりゃ駄目だわ。防衛線どころじゃあないわ。後衛組! 密集形態を維持したまま全力後退! 私はここで止めるだけ止めるわ! バチェルちゃんにツインテールとポニーテール、その他腕に覚えありの冒険者連中!」
「はーい!」
「は、はーい!」
「お、おお!」
「後衛組を護衛しながら、全力で後退! そのまま避難場所の護衛に付いているジーンさんに合流! 必要であれば、各人が道中に留まって侵攻を押しとどめること! その場合は決死覚悟!」
ケイティがそう叫ぶと、震えながら剣を握っていた冒険者風の男が声を上げる。
「で、でも、避難先にも押し寄せてきたら……」
「その場合は、残念ながら全滅必至! そうなる前にどうにかするしかないわ!」
「そ、そんなあ!」
「ほら、さっさと行くぞ! 『深紅の速剣』! 頼んだぞ!」
後衛組が走って街の奥へと逃げていくのを確認すると、赤い甲冑姿のケイティは二振りの剣を抜いて、大挙して押し寄せてくる幻獣たちの群れを遠目に眺めた。
「はあーっ……ヤになるわ、マジで……スキル『自動回避』『先手必勝』『確定二連』『二撃決殺』と……バフ積むだけ積んでおきましょうか」
避難先である街の最北の冒険者ギルドでは、いまだ避難行動が続いていた。
そのギルドの建物の真ん前で、折り畳み式の椅子を広げて座り込んだジーン料理長が、ポットに容れていたお茶をカップに注いで、少しずつ飲みながら中央通りの様子を眺めている。
「……状況は良くなさそうだねえ」
「アノ……我々も、加勢した方がいいのでショウカ……」
傍で心配そうに眺めていたオリヴィアが、ジーンにそう聞いた。
ジーンはちらりとオリヴィアのことを見ると、ため息をつく。
「加勢したからどうなるってわけじゃないわねえ。当初の予定通り、私はここから下手には動かないよ」
ジーンが長い脚を組みながらそう言うと、各地区の避難誘導を担当していた町民たちの焦ったような声が聞こえてきた。
「てめえら! 東の担当だろうが! 一目散に逃げて来やがって!」
「だ、だってよぉ……俺らだって……」
「お前らが誘導しねえと、どの避難場所に逃げればいいのかわからねえだろうが!」
「ど、どうかなされマシタカ!?」
オリヴィアが駆けていくと、怯えた様子の男の胸倉を掴んでいた避難誘導班の長が、焦り切った様子で言う。
「東の地区の避難誘導が終わってない! まだ残ってる人がいるぞ!」
「ど、どれくらいデスカ……!?」
「わからねえ! まだ、名簿と照らし合わせられてねえんだ! ビビアくん! あとどれくらいで終わりそうだ!?」
避難誘導班の長がそう声をかけると、ギルドの待合室の中で大勢の町民の中をリスト片手に駆け回っているビビアが、叫ぶように声をあげた。
「まーだ全然ですよ! 鍛冶屋夫妻―!? 鍛冶屋のおじいちゃんとおばあちゃんいますかー!? ちゃんといますかー!? いた! 次、宝石屋の息子さーん!?」
ビビア以外にも、複数の誘導班がリストを持ってぎゅうぎゅう詰めの待合室の中を駆けまわっているのが見える。
非戦闘民が押し込められている待合室の中は混沌としており、ギルドの中に入れていない者も大勢いた。
「くそっ! 滅茶苦茶だ!」
避難誘導の長が、そう悪態をついた。
オリヴィアはそれを聞くと、ジーンの方に振り返る。
「ワタシ、行ってキマス!」
「行くって、東にかい」
「ハイ! このオリヴィアなら、いくらかは戦えマス!」
「あんた、ちゃんと土地勘はあるのかい。まだここに来て、日が浅いんじゃないのかい?」
「お……おそらく大丈夫デス! オソラク! キット!」
オリヴィアが自信なさげにそう言うと、いつの間にかその横に立っていたアトリエが、オリヴィアのメイド服のミニスカートを引っ張った。
「アトリエ様?」
「アトリエが付いてく」
「シカシ……」
「これ以上人員は割けない。ここで現状仕事の無い人が動くべき。動いても構わない動く意思のある者が今動くべき。議論の余地無し。迷ってる暇無し。行動あるのみ。毎日散歩してた。土地勘は完璧。行こう、オリヴィア」
アトリエが短い文節を重ねて、そうまくしたてた。
オリヴィアが困ったようにジーンを見ると、ジーンは目を細めて、折り畳みの椅子に背中を預ける。
「好きにするといいわ。別に、ここが一番安全だと決まったわけでもないからね」
「そ、それでは! オリヴィアとアトリエ様で、東地区の逃げ遅れた人を探しに行ってキマス!」
オリヴィアがそう叫んだ時には、すでにアトリエが軽い身のこなしで、オリヴィアのメイド服を掴んでその背中に抱き着いていた。
「ええと次は……アトリエちゃーん!? あれ! いない!? 今までいたのに!? やばい目離した隙に! アトリエちゃーん!? オリヴィアさんもいない!?」
ギルドの待合室の中で、何も知らないビビアがそう叫んだ。
中央通りを北上する後衛班は、町民たちの中でも戦える者たち……つまりは冒険者家業を引退してそのままこの街に定着した元冒険者や、もしくはこの街を拠点として活動している現役の冒険者たちで構成されている。
ケイティが率いて避難場所までの防衛線を築く予定であった彼らは、現在は彼女の命令によって、襲撃から早々にして防衛線から離れ、街の最北の避難場所を目指して中央通りをまっすぐに、全力で北上している。
バチェルやツインテールとポニーテールの魔法使いもこれに加わっており、背後に迫っている幻獣たちの群れに顔を引きつらせていた。
「マジ予想外なんですけどー! こんなんマジ聞いてないんですけどー!」
「やばくない!? ねえ想像以上にやばくなーい!?」
「悲鳴上げてる暇あったら走れ! そこの魔法使いギャル二人!」
「走るしかないでほんま! 気ぃ張りやー!」
年長の体格の良い冒険者とバチェルがそう叫んだところで、ツインテールは頭上に輝く月が、一瞬だけ何かに遮られたことに気づいた。
「――――? あ! アレ! あいつだ! 屋根の上を走ってる!」
「な、なんだ!? おいどうした――」
「ポニーテール!」
「なんだいツインテール!」
「飛ぼう! あいつだ! すみません! ウチらちょっと離脱しまーす!」
「は!?」
「ちょい待ちや二人―! ああもうウチも付いていきまーす!」
屋根の上をひょいひょいと駆けていた茶色いツイードコートに茶色帽子の少女――キャンディは、元夜の霧団の本部があった背の高い建物の上に駆け上ると、その屋上の縁にちょこんと座り込んで、街の北側を眺めた。
「うーん? 向こうが避難所っぽいかなぁー」
キャンディはぺろりと出した舌のうえに親指を置きながら、少しだけ考える。
「ええほー、あっひはハームが殺るからぁー、わらひはあの後衛連中か、避難所にちょっかいはへるはほうひようっははー?」
キャンディが親指を舐めながらそんな風に考えていると、背後で物音がして、振り返る。
そこには、ツインテールとポニーテールの魔法使い……それに付いてきたバチェルが三人一緒に魔法を使って屋根に上ってきて、キャンディに接敵していた。
「見つけたぞ、この性悪茶色女!」
「見つけたぞー! どうするつもりだー!」
「ええと、この人は……」
「こいつがオリヴィアちゃんの仇だよ、バチェル氏! あと私の恋敵!」
キャンディはゆっくりと立ち上がると、三人のことを見つめた。
「あらぁ? もしかしてやる気? 私と……」
「とっちめてやるぞ泥棒猫! あとオリヴィアちゃんの仇! やっちゃおうポニーテール! バチェル氏!」
「やっちゃおうぜツインテール! 三人に勝てるわけないぞ!」
「雑魚冒険者が三人……私、一応は騎士団の元情報幹部なんだけどぉ……ま、どうしようか迷ってたところだしぃー……とりあえずはこのアホっぽい奴ら、サクッと殺っちゃおうっと。この追放探偵キャンディ、売られた喧嘩は即購入、殺して爽快ストレスフリーがモットーですからぁ」
「え、ええと……ウチ後衛で! 後衛なんでー!」
アトリエを背負ったオリヴィアは、街の東側の地区にやって来ていた。
「オリヴィア、そこを左」
「コチラですね! 誰か! 誰か、まだ逃げ遅れている人はイマセンカー!?」
中央通りの喧騒はよそに、東の地区には幻獣たちの気配はまだ無い。
幻獣たちは、今のところケイティら後衛組が引きつけていた中央通りから街の中央部に集結し、大量の人間が待っている街の最北をまっすぐに目指して殺到しているようだ。
道案内のアトリエを背負ったオリヴィアが呼びかけながら東の地区を駆けていると、家の中に籠っていた街の人たちが、ちらほらと顔を見せ始めた。
「お、オリヴィアちゃん! 一体どうなってるんだ!? 避難の連絡が来るはずなんだが……」
「北の冒険者ギルド。すでに集まっている」
「避難班は……」
「東の地区はスデに、避難班モロトモ逃げています! 逃げ遅れた方は、最北の冒険者ギルドを目指してクダサイ!」
オリヴィアとアトリエの呼びかけにより、逃げ遅れていた東地区の住民が纏まり始めた。
「このオリヴィアが護衛してお送りシマス! 逃げ遅れた方は――」
東の通りでオリヴィアがそう叫んでいると――
いつのまにか通りの向こう側に、背の高い、黒い礼装姿の男が立っていた。
「――――オリヴィア!」
先にその違和感に気づいたのは、アトリエだった。
アトリエが叫ぶと同時に、遠目に立っていた背の高い男が、オリヴィアに向かって駆け出す。
「え、エエト、アトリエ様!?」
「敵。アトリエの街にあんな人はいない」
「どうスレバ!?」
「倒してから考えよう」
「ワカリマシタ!」
オリヴィアがそう叫ぶなり、アトリエはオリヴィアの背中からパッと離れて、後方に転がった。
それと同時に、オリヴィアがメイド服の紐を両手で下に引っ張り、肩の細工を解いて、両肩の武装を展開する。
オリヴィアは肩部の砲身を展開しながら、向かってくる男に砲口を定め、地面に片膝と片手を付いた。
両肩から伸びる二連砲口が、轟音を鳴らして連続で発光する。
向かってくる男は、自身の目の前で両腕を交差させる構えを見せると、何らかのスキルでオリヴィアの砲撃を何発か凌ぎながら尚も直進した。
砲撃が効かないことを察すると、オリヴィアは砲撃の衝撃に耐えるために付いていた膝を離して立ち上がり、両腕をコンパクトに身体に密着させるようにして構えを取る。
発見から数秒もしないうちに背の高い男とオリヴィアが接敵し、助走を十分に付けた男の躊躇の無い拳骨の突きがオリヴィアを襲った。
オリヴィアはその突きを避けようと身体を逸らしたが、躱そうとした男の打撃が不可思議な軌道を見せると、その腕が一瞬だけ伸びたような錯覚と共に、オリヴィアは鎖骨部に衝撃を感じる。
「――ヅァ!」
首から胸部にかけての何かが破壊される音が身体に響いた。
オリヴィアは衝撃で後方に倒れ込みながら、間髪入れずに追撃を加えに来る男に向かって、両肩の二砲をがむしゃらに打ち込む。
砲撃を見て、男は追撃の手を止めて後方に回避行動を取った。
オリヴィアは肩と首を地面に押し付けながら後転し、砲身を男に向けながら態勢を立て直す。
「不思議なことだが、お前には親近感を感じる」
背の高い男――ハームは、オリヴィアの砲口がいつ火を噴いてもいいように両腕を体前で交差し、傾けた歪な十字を作るような独特の戦闘態勢を構えながら、そう言った。
「お前からは、高い忠誠心を感じる。主人のためならば、命を投げ出すことも厭わぬ上質な忠誠心。私と同質のものだ」
「言われている意味がわかりマセンネ……」
「この封建の腐った世界で、お前のような私と同質の者と相対するのは貴重なことだ。しかし残念ながら、ロストチャイル様の命である。お前はここで破壊するか、それに準ずる状態にして回収させてもらう」
「このオリヴィアには、わからないコトガ多い……ワタシは頭が良くないノデ、本当にわからないコトだらけデス……シカシナガラ!」
「お前に仕える理由があるのと同じように、この私にも仕える理由がある。それを果たさせてもらう」
「これはワタシにもわかるぞ! つまりアナタは悪い人デスネ! このオリヴィア、デニス様のレッスン通り、全身全霊全幅の信頼をモッテ、ぶっ飛ばさせてイタダキマス!」




