22話 仲直りは最終決戦の前に (前編)
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とても、とても昔のこと。
遠い昔のこと。
王都の中央通りに面した場所に、一軒の品の良さげな、小さな家が建っていました。
決して広くはないものの、家人がよほど几帳面なのか、家の中はいつも綺麗に整理されています。
どこを見たって掃除が行き届いており、埃一つだって見つけるのは難しいほど。
そんな家の中で、一人の青みがかった金髪をした少年が、慌てた様子で何かと叫んでいます。
「ぐわあーっ!? 無いー! なんで無いー!?」
光に照らされると不思議と透き通った青色に光る、宝石のような髪をした少年でした。
少年はなにやら慌てた様子で、きちんと整理されている家の中をひっ繰り返しています。
少年がそんな風に家中の引き出しを開けて回っていると、一人のメイド服を着た金髪の女性が、奥の部屋から羽箒を持って出てきました。
「ユヅト様ー? どうされマシター?」
「オリヴィア! この辺に置いてあった紙切れを見なかったか!?」
「アア、あの紙デスカ!」
オリヴィアは形の良い胸を張ると、不思議と固い表情のまま、エッヘンという調子で細い腰に手をやりました。
「あの紙ならば、このオリヴィアがきちんと捨てておきマシタ! ドウでしょう、ご主人サマ!」
オリヴィアが自信満々にそう言うと、ユヅトは震えながら、口を大きく開きます。
「こ、この、馬鹿メイドー! あれはぼくの研究メモだーっ!」
「オヤ、不味かったデショウカ。てっきり、ゴミかと思いマシテ……」
「ぐわー! うわー! ぼくの昨晩の天才的な発想がー! 水分の核要素を魔法で抽出衝突させて、熱反応によって大爆発を引き起こすというぼくの天才的悪魔的閃きがー! 術式をメモっておいたのにー!」
「アララ……スミマセン、ユヅト様……」
ユヅトは涙目になりながらオリヴィアを指さすと、家中に響き渡る声で叫びます。
「こ、このバカ魔法人形! ぼくが作ってやったのに! お前なんて追放だ! 追放だーっ!」
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「ということで、店長! はるばるやって来たで!」
追放者食堂に入って来たバチェルがそう言うと、入り口に向き合うテーブル席に座っていたデニスは口を半開きにして、バチェルの後ろの二人を見た。
「待て」
「うん? 店長、どうしたんや?」
「バチェルはわかるが、後ろの二人はどうした」
「ああ、このお二人は……」
「私がバチェルちゃんを馬に乗っけて連れてきてあげたのよ」
赤い甲冑姿のケイティがそう言った。
「私はヘズモッチの様子を見に来た。この二人とは途中で会ったから、一緒に来ただけ」
ジーン料理長がそう言った。
「……鬼と悪魔が一緒にやって来たような気分だ」
デニスはそう言って、頭を抱えた。
「ええと店長、例の魔法人形の……オリヴィアさん? を見せてもらいたいんやけど、いいかな?」
「ああ、そのつもりだ。オリヴィアー? 降りてこーい」
「デニス! あんた、厨房の整理整頓はどうしたの! 私はこんな雑多に調理器具を並べろって教えたかい!?」
「う、うるせえババア! 勝手に厨房に入るんじゃねえ! 使いやすけりゃいいんだよ!」
「デニスー。とりあえずハンバーグ定食食べたーい」
「後で作ってやるから! そのマイフォークとマイナイフを仕舞え、ケイティ! お前ら人の店で勝手に動き回るんじゃねえこの野郎!」
「お呼びデショウカ!? お客様デスカ!?」
「ちがう! オリヴィア! とりあえずそこ座れ!」
騒々しい食堂の片隅で、ヘズモッチが頭を抱えながら、小さくなって隠れていた。
「な、なぜジーン料理長が……なぜ……」
「ヘズモッチー?」
ジーン料理長に名前を呼ばれて、ヘズモッチがビクリとする。
ヘズモッチが振り返ると、ジーン料理長がニコニコ顔を張り付けて、いつの間にか背後に立っていた。
「失敗したんだってえ? あれだけ言ったのにねえ?」
「は、は……い」
「ちょっとこっち来なさい、ヘズモッチ」
「副料理長! 助けて! 助けてくださいー!」
ヘズモッチがジーン料理長に何処かへと連れて行かれてから。
何が何だかわかっていない様子でキョトンと座るオリヴィアを、バチェルとケイティが興味津々な様子で眺めていた。
「ええと……これが? この人が? 本当に魔法人形……?」
「ハイ。ワタクシ、メイド型ぜんまい式魔法人形のオリヴィアと申しマス」
「めっちゃ肌綺麗ー。うらやまー」
「お褒めイタダキ、光栄デス! ありがとうゴザイマス!」
バチェルとケイティがそれぞれそう言うと、横でその様子を眺めていたデニスが言う。
「オリヴィア、ちょっと展開してやれ」
「“展開”デスカ? かしこまりマシタ」
オリヴィアはそう言うと、自分の左腕の仕掛けをカチリ、と作動させた。
すると、ガチャンッという音が腕から響いて、オリヴィアの左手が一回転すると、手の甲と指の背のパーツが、それぞれガチャガチャガチャリと開いていく。
オリヴィアの手の内部には、肉の代わりに、複雑に噛み合わさる大小無数のぜんまいが内蔵されていた。
無数のぜんまいは、それぞれ全てが噛み合ってガチガチと回転しながら、さながら生き物かのように蠢いている。
人間の骨に相当する部分には、金属製の支柱が何本も組み込まれており、その骨格支柱は各関節部にて怪しげな光を放つ鉱石によって接続されている。
「お、おおー……すっごいですねこれ……ほんまに……関節のこれは、記憶鉱石かな……」
「こんなのは流石に初めて見たわね……」
「お褒めイタダキ、光栄デス! ありがとうゴザイマス!」
オリヴィアが嬉しそうにそう言うと、何かに気付いたケイティが、一つ聞いた。
「これ……手の甲に入ってる……指輪? これは何だろうね」
ケイティがそう言うと、バチェルとデニスはオリヴィアの展開した左手をのぞき込む。
オリヴィアの開いた左手の甲の、薬指を接続する中手骨に相当する細い金属支柱に、
透き通った蒼色に光る指輪が一つだけ通されている。
他の部位には無いものだった。
「本当や。どうして、こんなところに指輪が?」
「ナンデショウ……ワタシにも……」
オリヴィア自身も、それを不思議そうに眺めた。
「店長、結論から言うとやな。このオリヴィアちゅう魔法人形は、奇械王ユヅトの作ったもので間違いないと思うんや。わりと伝説級……いや神代級のマジック・アイテムが目の前でなんだか実感わかないけれど、間違いないと思うで。こんなもん作れんのは、あの奇械王以外におらへん。伝承にある、奇械王が作ったという幻の欠番、『限りなく人に近い魔法人形』やと思う」
「俺はその……奇械王ユヅトってえのは名前しか知らないんだが、そんなに凄い奴なのか?」
「凄いも何も」
バチェルはそう言うと、両手を広げて仰々しいジェスチャーをした。
「まだ魔法っちゅうもんの構造が全然わかっていなかった時代に、ほとんど一人で基礎体系を作っちゃった人やで。『魔法学』の祖とされる、歴史上もっとも偉大な魔法使いの一人。『スキル』の祖である王国の初代王や、神狼を連れて各地のダンジョンを発見、踏破した、『冒険者』の祖である冒険王ナチュラ……その他『王』と呼ばれる者たちと並んで列王される、偉人中の偉人なんや」
「そんなにか」
「列王の中でも業績がヤバすぎて、研究者によっては実在すら疑われるんやけどね。同時代の大賢者たちの逸話が一人の個人として語り継がれたとされる説とか、色々あるんや。近年では、奇械王ユヅト自身は実在したと認めるのが主流やな。業績の真偽については諸説あれど、金属や鉱石に関わる魔法や、モノに行動命令を組み込む魔法に関する業績は、ほぼ間違いなく彼のものだとされとる。ゆえに『からくり使い』。ゆえに『奇械王』や」
「……だってよ、オリヴィア。そうなのか?」
「ナンダカ懐かしい響きの名前デスガ、全く記憶ニ……」
「その娘が伝説級だ神話級だどうだっていうのは、今のところはそこまで重要ではないんじゃあないのかい?」
そう言ったのは、店に一人で帰って来たジーン料理長だった。
「ヘズモッチは?」
デニスがそう聞いた。
「軽くお灸を据えてやって、今日のところは帰したよ。説教の本番は明日だね」
「私もジーンさんに賛成。その伝説機械娘がどうだっていうのは、とりあえず後回しでいいと思うわ」
ケイティがそう言って、デニスに語りかける。
「問題は、あのロストチャイルが何を仕掛けてくるかだよ。デニス? あいつは確かに、この街を更地に変えてやるって言ったんだよね?」
「確かにそう言った。オリヴィアは必ず手に入れる、この街を更地にしてやるってな。大勢の死人を出してやるって話だ」
「もしもそれがハッタリじゃないなら、一体何を仕掛けてくるかが問題ね。そしてきっと、それはハッタリじゃない。ロストチャイルがそう言うなら、それは恐らく可能だってことなのよ。多少の誇張はあれど、それに類することがね」
「そんなに危険な奴なのか?」
「超をいくつ付けてもお釣りが貰える危険人物でもって異常者よ。界隈じゃ有名なの。王国のブラックマーケットを取り仕切るフィクサーの一人で、特に希少幻獣の闇取引を独占してる。逆に言えば、奴に頼んで手に入らない幻獣は存在しないと言われるほど」
ケイティがそう言って、ジーンが苦い顔をする。
「これは私の失策ね。うちのヘズモッチに接触してきた時点で、もっときちんと対抗するべきだったわ。何かあっても、ヘズモッチの勉強料だと思っていくらか払ってやるつもりだったけれど……そのためにここまで来たんだし」
「どっちにしろだと思うわ、ジーンさん。ヘズモッチの取り込みに失敗しても、他の姦計を練ったに違いない。むしろ今ここに、私だけではなくジーンさんも集結できたことを考えると、大局的に見ればむしろ良かったと言えるかもしれない」
「戦闘は苦手なんだけれどねえ……」
「奴は、お抱えの私設兵団でも持ってるのか?」
デニスがそう聞くと、ケイティが首を振った。
「奴がどれだけの大貴族だとしても、街一つを焼き尽くすような兵力は持ってないわよ。辺境伯じゃあるまいし。それに、田舎とはいえ王政領地を私設兵でもって侵攻するって、王国に対して個人でクーデターか戦争でもおっ始めるようなものよ。いくらあいつが狂ってるといっても、そういう意味で狂ってるわけじゃないわ」
「何か別の方法があるってことだね」
「おそらくは。しかも、奴の関与を立証することが難しいような手段で」
「おいおい。そりゃあ……いったいどんな“手段”だ?」
デニスが両手を広げてそう言うと、食堂の扉がガラガラと開いた。
入って来たのはグリーンとポルボで、二人を見ると、デニスが立ち上がる。
「どうだ?」
「フフフ……外を見りゃわかるさ……フフフ……」
「ンドゥルフフフ……みんな、“やる気”ネ」
デニスらが外に出ると、そこにはみな思い思いの得物を持って武装した、街の皆様方が集結していた。
「よお大将! 貴族と戦争おっ始めるんだってえ!?」
「王都で青空レストランやった時以来だなあ!」
「ワン! ワン!」
「困ったときはねえ! お互い様に決まってるよねえ!」
「ええと、馬車屋のオヤジに宝石屋のお父さんにポルボに預けたオリヴィアの犬に、鍛冶屋のおばあちゃん! ……おばあちゃん!? そしてみんな! 集まったな!」
「ええと……ということだ。俺たちのせいで、みんなは今非常に危険な状態にあるよう、です……本当に、その……」
デニスが経緯を説明すると、戦闘モードの街のみなさまが次々に声をかける。
「気にすんな、店長! うちの街のセクシーウェイトレスを貴族野郎に奪われてたまるか!」
「そうだ! 俺たちの街の食堂の、俺たちのセクシーメイドは誰にも渡さねえ!」
「この前みたいに、悪い貴族なんてみんなで団結してやっつけちまおうぜ、大将! セクシー店員のために!」
「……だってよ、オリヴィア。セクシーで良かったなお前」
「皆様、この不肖オリヴィアのタメニ……ありがとうゴザイマス! ありがとうゴザイマス!」
その様子を眺めていたケイティとジーン料理長が、店先で苦い顔をしていた。
「前みたいに、って言ってもねえ……」
「あの高慢ジョゼフとは、わけが違うんだよねえ……」
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とても、とても昔のこと。
遠い昔のこと。
王都の離れの森の近くに、一軒の小さな木造りの家が、ぽつりと建っていました。
「ユヅトー。まーたオリヴィアちゃんと喧嘩したのかい?」
「うるさい、ナチュラ。お前には関係ないだろ」
「関係ないって、ユヅトの方から訪ねて来たんだけどね!」
ムスっとした様子のユヅトは、木のテーブル椅子に座り込んで、ナチュラと呼ばれた女の子が煎れた緑草茶を飲んでいます。
ナチュラは自分の分を緑草茶を煎れると、テーブルに座り込みました。
「それで? まーた仲直りしたいのかい?」
「うるさい。ぼくは悪くないんだから、あいつから謝って来ればいいんだ」
「オリヴィアちゃんなんて、すーぐに謝るに決まってるじゃん! それじゃ納得できないんじゃないのかい? 言い過ぎたなーって思ってるんじゃないかい?」
「うるさい。そんなことない」
「どう謝ろうかなーって悩んでるんでしょ?」
「悩んでない」
「はーあ、ポチ? 君はどう思うー?」
ナチュラは振り返って、部屋の奥で丸くなっている、壁を覆いつくすほど大きな灰色の狼にそう聞きました。
『“知らぬ。相変わらず人間というのは、くだらぬことで思い悩むものだな。”』
「くだらないだとこの犬っころめ! ぼくがこんなに悩んでるのに!」
「やっぱ悩んでるじゃーん……」
『“騒々しい。午睡の邪魔だ。頭から喰ってやるぞ、小さい人間。”』
「だれがチビだ上等だこの犬公! この圧倒的天才的なぼくに敵うと思ってるのかこの野郎!」
「あーあー、また始まったー」
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ロストチャイルの邸宅に、一人の銀髪の少女が足を踏み入れていた。
綺麗な光沢を放つ銀髪はショートに切りそろえられており、騎士団の白い幹部礼服を身に纏って腰に剣を差したその姿は、どこを取っても厳しい鋭利な雰囲気を醸し出している。
ロストチャイル家の執事に連れられた銀髪の少女は、ロストチャイルの私室に足を踏み入れると、檻の中から奇声を放つ幻獣たちにいささか眉をひそめる。
奥の椅子に座っていたロストチャイルは、その銀髪の少女を目にすると、額に細かな皺を寄せて微笑んだ。
「フィオレンツァ……よく来てくれたな」
ロストチャイルがそう言うと、フィオレンツァと呼ばれた銀髪の少女は剣を差した方の体側をロストチャイルから隠すようにして、やや半身になって対峙した。
それは彼女の癖であるようだった。
「ヒース様の代理です」
「何と言っていた?」
「『好きにしなさい』と」
「それはいい。これで、一応は王政府にも義理立てしたわけだ」
「ヒース様から、もう一つ伝えるように言われています」
「なんだい?」
フィオレンツァは一瞬間を置いて、ロストチャイルに言う。
「『どうせ馬鹿をやるなら徹底的に。計画通りにしてあげるから。別件があって地獄を見に行けないのは残念だけれど、結果を楽しみにしているよ』と」
「ヒースらしい。本当なら彼にも立ち会ってもらいたかったが、彼は彼で忙しそうだからな……今は王位継承にちょっかいを出してるんだって?」
「知る必要はありません。ところで、“街を更地にする”とは言いますが……たかが収集趣味のために、そんなことをする必要が?」
フィオレンツァがそう聞いた。
ロストチャイルは椅子の背もたれに体重を預けながら、フィオレンツァのことを見つめた。
「いくらか刺客を仕掛けたところで、あの人形が手に入るとは思えない。あのデニスという男は、そういう奴のように思える。チマチマと仕掛けたところで、いずれあの男を本格的に怒らせて、逆に打ち倒される可能性がある。来歴を見るに、あのデニスというのは、そういう星の下に生まれてきたように見えるね」
「ヒース様が言われていましたね。この世界にはそういう存在が居ると」
「その通り」
ロストチャイルは、楽しそうに笑った。
「ヒースも言っていたが、不思議なことにそういう奴がいるのだ。この世界にはね。この世の悪徳の天敵のような存在が。すべての悪を打ち滅ぼす特攻のような特性を持つ者が。そういう者は歴史上、たびたび現れてきた。彼らは英雄と呼ばれたり、その業績から列王されたりする。ステータスには現れないユニークスキルのようなものかもしれない……今までの来歴を見るに、あれもそういう存在の一種のように見える。王族にも一人、いるんだろう?」
フィオレンツァは、それについては何も答えなかった。
ロストチャイルは一呼吸おいて、続ける。
「だから、宣言通り一気呵成に行く。不必要なほど徹底的に。荒唐無稽なほど過剰に。私は約束を守るし、馬鹿な悪役のような真似はしない。全力で一瞬にして潰してやろう。もしあの男がそうであるなら、今のうちに全力をもって潰しておいた方がいい。獅子は兎を狩るにもなんとやら。なんだってやるときは、圧倒撃滅に限る」
「お任せしましょう」
「それに、これは私の個人的な精神衛生の問題にも関わっている。私は馬鹿にされるのは嫌いなんだ。馬鹿にされること自体は良い。だが、馬鹿にされたなら、根絶やしにしてやらないと気が済まない」
「準備のほどは?」
「すでに済ませている。こういうことになってもいいように、途中であの街に寄ったときにね」
「それでは、どうぞお好きに。私としましては、ヒース様が愉快に思ってくださればそれで構いません」
「君の忠誠には目を見張るものがあるね」
「私からは以上です。それでは」
フィオレンツァがそう言って、踵を返して部屋から出て行った。
美しい歩き方だった。
どこから見ても美麗だ。どこから見ても隙が無い。
流石はあのヒースの懐刀といったところ。
ロストチャイルは一息つくと、椅子に深く座り込んだ。
「さあ、根絶やしになるぞ」