21話 前哨戦
「デニス・ブラックス……君には、以前から興味を惹かれていたんだ。ようやく会えたな……」
ロストチャイルはそう言うと、外套の下に羽織っていたジャケットから小さな赤色の櫛を取り出して、出し抜けに髪に櫛を通し始めた。
ロストチャイルは地毛の縮れた髪に櫛を引っかけながら、挑発的にデニスのことを見つめる。
「出会って早々ストーカー宣言とはたまげたぜ」
デニスは様子を窺いながら、そう言った。
デニスはレストランの入り口を背にしてロストチャイルと向き合うと、ポケットに両手を突っ込みながら、ホールの中央付近に立つロストチャイルのことを睨みつける。
その様子を、先ほどまで盛り上がっていた客たちが、息を呑んで見守っていた。
両手をポケットに突っ込みながらも、デニスは臨戦態勢に入っている。
ロストチャイルの背後に控えている、顔色の白い背の高い男……従業員の話によると、ハームと言ったか。
ただの召使いではないな。
明らかに戦える奴だ。背後でロストチャイルの影みたいにボサッと立っているように振舞ってはいるが、デニス相手にはその雰囲気を隠しきれていない。
相応の実力があるということ。
それにこの皺くちゃ顔本人も、かなりレベルが高そうに見える。
ベースの職業とスキル構成がどうなっているかはわからないが……二人いっぺんに相手することになると面倒そうだ。デニスはそう思った。
「誤解してもらうと困るが……」
ロストチャイルは胸ポケットに櫛を仕舞いながら、デニスに言った。
「私は彼女の借財についての話をしていたんだ。別に非合法なことではない」
「わかってるよ。しかもそれについては、そっちのヘズモッチが完全に悪そうだ」
「その通り。私は彼女に融資してやって、経営上の判断から、このたびそれを打ち切るだけ。別に悪いことをしてるわけじゃあない」
ロストチャイルがそう言うと、店の客たちの野次が爆発した。
「なんだとこの野郎ぉ―!」
「最初から嵌めるつもりじゃねえかあ!」
「お高く纏まってるなよ貴族野郎ー!」
ロストチャイルはその低レベルな野次を無視していたが、ほんの少しだけ、眉がピクピクとひくついているように見えた。
平民からいくらか野次られたくらいで、態勢を崩す奴ではないか。
デニスはそう思った。
もっとも、神経レベルではいささか気に障っているようにも見えるが。
「……まあ、そうみてえだな」
「それで? 格好良く登場してきて、どうするつもりだい?」
「そいつは俺の妹分なんだ」
デニスはそう言うと、ヘズモッチのことをちらりとだけ見た。
「だから、返済については俺も援助させてもらう。心配しないでくれ」
「莫大な額になっているよ? 君のようなちっぽけな食堂の店長じゃあ、とても払いきれん」
「ジーン料理長にも頭を下げに行く。それで足りなかったら、昔から良くしてくれてる王都の伯爵にも金の無心に行くぜ。それでも足りなかったら、この街でいくらでも頭を下げてやる。それで金を集めて、お前にはすぐに耳揃えて返してやるよ。そのために借りた人たちには、一生かけて返していけばいい」
「ふん……美しい師弟愛じゃあないか、ヘズモッチ。良い兄貴分を持ったものだなあ?」
「……ふ、副料理長、私は……」
ヘズモッチが、身体を震わせながら、消え入るような声で呟いた。
「わ、わかりません。どうすればいいのか、私は……」
「ヘズモッチ」
デニスはヘズモッチの方は見ずに、ロストチャイルから警戒を解かないまま言う。
「人は誰でも失敗する。シクらない奴なんていねえんだ。大なり小なり、みんな間違いながら生きてるんだぜ」
「その責任を果たすのが……大人だと思っていました」
「違う。ヘズモッチ。本当の失敗というのは別にある。やっちゃあいけない本当の失敗ってえのは……」
デニスは一呼吸置くと、言葉を選びながら口を開いた。
「その失敗を、誰にも相談しないことだ。誰の手も借りずに、一人でどうにかしようとすることだ。てめえが傷ついて傷つく人たちのことも考えず、てめえの失敗がてめえだけのものだと思い込むことだ! 傷ついてどうにも動けねえときは、黙っておんぶされりゃあいいんだ。それが、俺がこの街で学んだことだぜ」
「副料理長も、学ぶことが?」
「毎日そんなことばっかりさ」
デニスはそう言って、ヘズモッチの方をちらりと見ると、困ったように微笑みかけた。
その様子を見て、店の客たちがわっと沸き立った。
「いいぞー大将ー! 良いこと言うじゃねえかー!」
「そうだぞ店長ー! 気にすんな―!」
ロストチャイルらを取り囲んでいる町民たちが声援を送っている中で、
パチパチ、とロストチャイルが拍手した。
「素晴らしい、素晴らしい。こんなに美しい光景は、滅多にお目にかかれるものじゃあない。希少で貴重な体験だ。これだけでも、大金をかけた価値があるというもの」
「見世物じゃあないんだぜ、てめえよお」
「そこで提案があるんだ、デニス君」
ロストチャイルはそう言って、デニスに微笑みかけた。
「我々みんなが幸せになれる提案がある。それを受け入れてくれれば、彼女の借財をチャラにしてやっていい。むしろ、謝礼を払ってもいいんだ……」
「どうせろくな話じゃあねえだろうが、聞いておこうか」
デニスがそう答えると、ロストチャイルは何かを見抜くような瞳を向けた。
「君の店に、珍しい魔法人形がいるはずだ。認知はされていないようだが……ある探偵から、私はその情報を掴んでいる」
「…………」
デニスはそれには答えず、代わりにポケットから手を出すと、黙って腕を組んだ。
「その魔法人形を、少しだけでいいから私に貸して欲しいんだ。ほんの少しだけでいい。それで、融資の件は完全にチャラにしてやる。重ねて、このレストランが向こう何年かは経営できるだけの額を追加で贈与しよう。返済の必要の無い金だ」
「却下だ。そもそも貸す貸さねえって話が間違ってる。あいつはちゃんと考えて、生きているうちの従業員だ」
「君はあの魔法人形に、どれだけの価値があるかわかっていない。下手をすれば、あれは魔法の歴史を揺るがすほどの宝物なのだよ」
「価値があるねえってのもそもそも意味がねえ話だ。たしかにあいつはちょっと間の抜けたところはあるが、真面目で、仕事熱心で、客の人気も高い。うちの大事な従業員だ」
「どうあっても譲る気はないと?」
「ヘッドハンティングしてえなら本人に直接言ってみな」
デニスがそう言うと、ロストチャイルは「チッチッ」、と舌を鳴らした。
「あれはそういう性質の物じゃあないんだ。一度これと主人を決めれば、絶対に裏切ることはない。今の主人はきっと君だ。だから、君の命令が必要なんだ」
「わからねえ野郎だな。俺はあいつの意思を尊重してる。それがすべてだ」
「とことん珍しい男だ。まったく期待通りの男だよ、デニス君。できれば君も、ウチに欲しいところだがね」
「物欲の塊かてめえは。足るを知らねえと破滅するぜ」
「いいかい、デニス君。私がこれほど回り道をした理由がわかるかね」
ロストチャイルは首を少しだけ傾けると、片手で何かを掴むような仕草をした。
「私は、その気になれば君から力づくであれを奪い取っても良かったんだ」
「できるものならな」
「私はこれだけの準備をして、君が最大限譲歩しうる状況を作り出してあげたのだ。君の顔を立ててあげるために、わざわざね。ただ譲ってほしいと言ってるわけじゃあない。妹分のため、多額の借金のために、妹分の出店したレストランのために、あれを譲る気はないかね。たった数日貸してくれるだけでいいのだ」
「しつこい奴だぜ」
デニスは一息つくと、ロストチャイルに言い切る。
「却下だ。うちの従業員を借金のカタにする気はない。そして借りた金はきちんと返す。それで終わりだ」
「君は私のことを過小評価している。私は、君が以前に打ち倒したジョゼフ・ワークスタットのような能無しではない」
「確かにあいつよりは、いくらか頭が回るみてえだな」
「私がその気になれば、こんなちっぽけな街は更地に変えることもできる」
ロストチャイルはそう言うと、鼻の穴を膨らませて大きく息を吸い込んだ。
「そうやって奪い取ることもできる。片意地を張って、街の人々を危険に晒すかね? 君が思っている以上に酷いことになるぞ。私はたくさんの死人を出すことができる。たくさんの家を焼くことができるんだ」
「大した自信家なこったな。うちの街にも前までそういう奴がいたんだが、今は牢屋に入ってるぜ」
「後悔することになるぞ、デニス君。私は何事もキッチリ済ませる性格なのだ。欲しい物は必ず手に入れる。私を虚仮にしたこの街には、必ず地獄を見せてくれる」
デニスは何も言い返さず、ロストチャイルの様子を窺っていた。
「寛大にも、今なら許してやってもいいのだ。このユパスウェル・ロストチャイルへの非礼の数々をな……。これはもう、君だけの問題ではないのだ。この街の人々の安全に関わる話だ。それを、君の一存で決めてしまっていいのかね? 町民たちに許可は取ったのか? 『すまないが、俺のプライドのために、お宅の主人に死んでもらってもいいかな』と聞いて回ったかい? 聞きに行きたいなら、ここで待っていよう。この街の全ての家の玄関をノックしてくるといい」
「…………」
デニスは腕を組んで、ロストチャイルのことを見つめた。
次の瞬間、デニスは垂らした手の先に、床から空中へと一瞬で肉切り包丁を錬金すると、それを目にも止まらぬ速さで握り、滑るように踏み込んで、そのままロストチャイルに向けて振り下ろす。
ガキンッ、という音が響いて、大振りの肉切り包丁が止められた。
ロストチャイルの背後に控えていたハームという男が瞬時に反応し、その右の拳骨で包丁の刃を受け止めている。
じりじりと、デニスとハームは静かに力比べに移行していた。
拳……スキル構成のベースは格闘家か。
『衝撃』を付与していたというのに、何らかのアンチスキルで無効化されている。
スキルの特性上、周囲の客を巻き込むのを恐れて付与しなかったが……『強制退店』で振り直すか?
「危ない危ない、デニス君。とっても危ないじゃあないか……」
「喧嘩売ってきたのはてめえの方だぜ」
デニスとロストチャイルが対峙していると、周囲の客たちが、沸き立ち始める。
「いいぞ、食堂の店長! やっちまえ!」
「俺っちたちの街ででかい面ぁしやがって! 何様のつもりだ!」
「俺たちは夜の霧団だって追っ払ったんだ! てめえなんかの脅しに乗らねえぞ!」
「そうだ! ここは俺たちの街だ! オリヴィアちゃんは渡さねえぞ!」
「食堂のセクシーウェイトレスは渡さねえ!」
「たまにパンツ見せてくれるしな!」
デニスに乗っかった街の人たちが、ロストチャイルに向かって怒声を上げ始めた。
その様子を見て、ロストチャイルは眉間に皺を寄せる。
「やれやれこうなるのか……予想外だ。こんな馬鹿どもは初めて見たよ。本当に馬鹿なんだな……」
「予想外だろうが何だろうが、気にすることはないぜ。てめえはここで再起不能にしてやる。借金は返してやっから、老後の貯えについては安心しな」
「交渉は決裂ということだな。戦争になるぞ、デニス君」
「そんなことより、特注の車椅子をどこで作ってもらうか考えてな」
デニスはもう片方の手に肉切り包丁を錬金すると、『強制退店の一撃』を発動させながら振りかぶる。
それはデニスの最高速度ではなかった。
周囲の客を巻き込んで吹き飛ばさないように、『強制退店』の移動先を調整するため、ほんの僅かではあるが振りに迷いがあった。
ハームがそれを見て素早く後ろに飛び退き、ロストチャイルが彼の身体を受け止めた。
一撃目が空ぶった先に、二撃目をぶつけようとして――
デニスは、奇妙な光景を見た。
「後悔することになるぞ、デニス君。私は欲しい物は必ず手に入れる主義なのだ。必ずあの魔法人形は手に入れる。私に歯向かったこの愚かな街は、必ず地獄に変えてくれる」
ロストチャイルはそう言いながら、ハームを抱えて、その背後に突如展開した暗い紫色の渦の中に沈み込んでいく。
空間転移――?
そんな高等魔法を?
デニスがもう一歩踏み込んで包丁を繰り出すと、それを避けるようにして、ロストチャイルの身体が渦の中にチュルリと吸い込まれる。
「必ずだ……私は約束を守る……必ず……許さん、ぞ……この、街……は……」
ロストチャイルの声が遠くなっていき、空中の渦は小さくなると共に高速で回転していき、じきに消滅した。
デニスはそれより早く店の外に飛び出して周囲を見回したが、周りに彼らの姿は無かった。
短距離の移動ならまだしも、もっと遠くへ移動できるのか。
レベル90相当……その後半か?
デニスは店に戻ると、客たちの歓声に迎えられた。
「さすが食堂の店長だ! あの野郎、しっぽ巻いて逃げてったぞ!」
「俺っちらの街にちょっかいかけやがって、あの野郎!」
その騒々しい歓声には応えずに、デニスは考えた。
この街を更地に変えてやるだって?
ハッタリじゃないとしたら、どうやって?
少し考えたところで答えは出ない。
デニスはこの疑問をとりあえずは持ち帰ることに決めると、ヘズモッチの下に駆け寄る。
「ヘズモッチ。とりあえず、店は閉店だ。一緒に戻るぜ」
「……どこへですか」
「……とりあえずはウチの食堂だな。街のみんなを集めて、作戦会議しなくちゃならねえ」
「どうして……私は……」
「てめえはヘズモッチだ。ヘズモッチ・ペベレル。頭が良くて手先が器用で、真面目で、プライドが高くて、不器用な奴で、そして俺の後輩だな」
「私は……」
ヘズモッチが何か言いかけると、デニスがヘズモッチの頬っぺたを両側からつまんで、横に引っ張った。
「うぇ? な、なにするんですか!」
「ぐはは、よくお前にこれやって怒られたな」
「こ、こんなときにふざけないでください……」
「いいかヘズモッチ。みんなつまづいて転ぶんだ。問題は、そこからとにかく立ち上がってやって、どう格好つけて歩き始めるかだぜ」
「…………」
「とりあえず、自分で立ち上がるか、俺に無理やり抱っこされるかどっちがいい?」
「……立ちます」
「その意気だ。さあて、大変なことになってきやがったぜ」
数年前。
王都。
夕方の街道にて。
「……ったくよお。手のかかる後輩なことだぜ」
「降ろしてください」
「誰が降ろすかバーカ」
夕方の王都を、デニスがヘズモッチをおんぶしながら歩いていた。
「性質の悪い連中に喧嘩売りやがって。俺が通りかからなかったらどうするつもりだったんだ」
「……別にどうもしません。ただ、あの連中がご婦人を困らせていたので、注意しただけです」
「もうちょっとお前はシニカルってえか、クールな奴だと思ってたけどな。意外とそういうとこもあんだなあ?」
「……別に。困ってる人を助けようとするのは当然です」
「ぬはは、そりゃいい心掛けだぜ。帰って賄いでも食うかな。お前も食うだろ?」
「……食べます」
ヘズモッチはデニスにおんぶされながら、額の擦り傷をさすった。
言えない。
この人みたいになりたくて、柄にもないことをしてしまったなんて、
絶対に言えない。
そして現在。
夜の街の正面門付近に、一台の馬車が到着していた。
「……ご婦人、着きましたよ。こちらです」
王都から馬車を走らせていた男はそう言って、丁重に馬車の扉を開けた。
「ありがとう。お金は事前に払ったわね?」
馬車から降りたのは、長い黒髪の女性だった。
青いコートを着た長髪の女性は、馬車から降りてみるといくぶん背が高く、鉄芯でも入っているように背筋がピンと伸びているのがわかる。
「ええ、申し分なく。しかし、こんな田舎の街に何の用ですか?」
「聞き分けの無い弟子たちを抱えるとね、色々あるものなんだよ」
「これ以上詮索するのはよしておきましょうか。この街には私も知っている馬車屋のオヤジさんが居ますから、帰りはその男に頼むといいでしょう」
「何から何までどうも。それじゃあ、気を付けて」
男は空になった馬車を引く馬に飛び乗ると、最後に言う。
「それでは、私はこれで。幸運を祈っていますよ。ジーン・ブラックス婦人」
ジーン――ジーン・ブラックス料理長は、王都へと去って行く馬車をしばし見送ると、街の外周を一瞥した。
正面門だけはそこそこだが、街を取り囲む塀は低くて古く、必要最低限のものだ。
この街はダンジョン街のはずだから、夜に動物や野盗が入り込んでこなければ十分ということか。
そこでジーンは、王都の方角から、もう一馬がこの街の方角へと走って来ていることに気付いた。
「おやおや。こんな夜に、どんな奴かしらね」
ジーンは二人が乗っているらしき馬を遠目に見ながら、呟いた。
「こんな時は、あまり良い予感はしないものだけれど」
ジーンが視線を向けていた馬には、二人の女性が乗っていた。
手綱を握っていた赤い甲冑姿の女性は、月明かりに照らされる街を見つけると、手綱をグイと引いて馬を一度停止させる。
「さーてと、久しぶりに来たなあ! あたしのデニスは元気かなあ?」
赤い甲冑の女性がそう言うと、その後ろから腰に手を回していたコート姿の少女が、おずおずと声をかけた。
「あの、ケイティさん」
「なーに? バチェルちゃん」
「たびたび言われる『あたしのデニス』って……あの、お二人ってそういう関係だったんですか?」
「あーれー? バレちゃったー? そうなの! 実はそういう感じだったのー!」
「は、はえー……そうやったんやあ」
「まあ、大体そんな感じみたいなー? 実質そういう関係みたいなー?」
「店長もそういう所あるんやなあ……すっごーい……」
「ふははは! 深紅の速剣ケイティことあたし、バチェル講師を引き連れて参上! とりあえずは、ハンバーグ定食をご所望しましょうか!」




