18話 追放料理人は二人いる!? (前編)
数年前。
ブラックス・レストラン。
「はい、みんな」
ジーン料理長はそう言って、手をパチンと叩き鳴らした。
それはジーン料理長が何かを話し始める時の合図で、彼女の癖でもある。
レストランのホールには、ブラックス・レストランの従業員、そのほとんど全員が並んで立っていた。
コックからホール・スタッフに至るまで、みなそれぞれの分野で一流の従業員たちだ。
その全員の統括と料理の最終責任を取る立場である『料理長』……ジーン・ブラックスは、長い黒髪の美しい容姿をした女性で、その年齢を感じさせないピリッとした艶の雰囲気がある。
ジーン料理長は隣に立つ少女を顎で指し示すと、全員に向かって言う。
「こいつが、うちで新しくコックとして入る娘だよ。ほら、自己紹介の一つでもしてやりな」
真新しいコック服を着た桃色髪の少女は一歩前に出ると、別段緊張した様子もなく、自信に満ち溢れる様子で話し始めた。
「みなさん初めまして。ヘズモッチ、ヘズモッチ・ペベレルです」
ヘズモッチはそう言ってにっこりと微笑むと、全員の顔を確認するようにゆっくりと視線を動かす。
「新入りだからといって甘く見ないこと。この娘、王都の料理学校を首席で卒業してるから。ま、次期『副料理長』候補といったところかい?」
ジーン料理長がそう言うと、ヘズモッチは強い意志を感じさせる瞳でそれに答える。
「ありがとうございます、ジーン料理長。しかし私としましては、次期『料理長』候補、と紹介して頂きたかったですね」
「ははは。まあ、こういう威勢の良い奴だから。可愛がってやりな」
ジーン料理長がそう言うと、従業員たちがコソコソ声で話し始めた。
「首席で卒業だってよ、すげえな……」
「ちっこくて可愛らしい女の子にしか見えねえのにな」
小さく聞こえてくるその囁き声に、ヘズモッチはいくらか気分を良くしていた。
生まれてからこのかたひた走ってきた、才能と努力によって彩られた料理人としての一流の道。
その熟成されたプライドをくすぐられるようだ。
「……でも、うちの副料理長には敵わねえだろうな」
「ああ、デニス副料理長は色々とな。あれ規格外だからな」
「人間じゃない説あるもんな」
「…………?」
コソコソ話の雲行きが怪しくなったのを感じて、ヘズモッチはほんの少しだけ首を傾げた。
顔合わせが終わって、ヘズモッチはジーン料理長に聞く。
「デニス副料理長という方は……ここにはいらしていないのですか?」
「ああ、あの子なら厨房に居ると思うよ。常に厨房に居る子だから、なっかなか出てこないのさ。挨拶しておくかい」
「はい。この店のナンバー2に、失礼があるといけませんので」
「まあそういうことを気にする子じゃないけどね。こっちに来な」
ジーン料理長はそう言うと、ヘズモッチを厨房に案内した。
デニス……デニス副料理長という男。
ヘズモッチはその名前を頭の中で反芻しながら、思考を巡らせる。
従業員には大層評価されているようだけれど、その天下も今日で終わりといったところか。
猛者たちがひしめく料理学校を首席で卒業した、この私との格の違いというものを、早めに見せてあげましょうかね……。
「そのデニス副料理長という方は、どの料理学校を卒業されたのですか?」
歩きながら、ヘズモッチがそう聞いた。
「いんや、あの子は料理学校は出てないんだよ。入ってもないし」
「? では、魔法学校の出でしょうか」
「いや、学校自体通ったことがないんだよね。通わせようと思ったこともあったけれど、喧嘩っ早くて、他の生徒が危険だから。いじめっ子とか居たら勢いあまって殺しかねないし……まあ無いとは思うけど。いや、どうかしら。自信がないわ。一応の保護者として、殺人事件で学校に呼び出されたくはなかったからね」
「?」
ヘズモッチが頭上に?を浮かべていると、ジーン料理長が厨房の扉を開いた。
厨房には、頭にコック帽ではなく青いバンダナを巻いた一人の青年が居た。
青年は、まな板の上に置いた大きな丸キャベツに、握った包丁の刃先でコツンと触れると、絡まった紐を一気に解くように、ガラスを粉々に割るように、一撃で千切りにしてみせる。
「……あ? 誰だてめえ」
青年が振り返ってそう聞くと、ジーン料理長がヘズモッチの背中を叩いた。
「新入りだよ。あんたが責任を持って色々と教えてやりな」
ジーン料理長がそう言って、ヘズモッチは二人を交互に見た。
えっ。
何この人。
筋肉質なチンピラにしか見えないのですが。
というか今の一撃千切りどうやったの。
「おおー! お前か! 聞いてるぞ、名前は何だっけ!? たしかヘルストライクとかそういう名前だったよなあ!」
「へ、ヘズモッチです……」
「ヘズモッチな! よーし覚えたぞ! 俺はデニスだ。よろしくな!」
「は、はい……よろしく……」
大きな手で握手を交わされて、ヘズモッチは固まっていた。
えっ。
なんかこの人、怖いんですけど。
こういうのは予想外なんですが。
むやみやたらに強そうなんですが。
そして現在。
昼の追放者食堂。
「お客様、少ない」
「アトリエ、お前もそう思うか」
カウンターに立つアトリエとデニスがそう言った。
ここ数日、追放者食堂は客足が伸び悩んでいた。
今日も昼だというのに、何組かの常連がいつも通りに食べて行ったあとは、早々に客足が引けてしまった。
開店以来忙しない日々を送っていた追放者食堂としては、何か特別な時期でもないのにこう何日も閑散としているのは初めてのことだ。
「どうされたんデショウカ。自炊に目覚めましタカ。みなさん、自炊とお弁当に目覚められたのかもシレマセン。街をあげての空前の自炊ブームなのかもしれマセン」
手持ち無沙汰な様子のオリヴィアが、そう言った。
「もしそうだとしたら、歓迎すべきかどうか微妙な事態だな」
「うちもお弁当、作る?」
「そういうのもありかな、アトリエ? 鶏のから揚げと炒飯弁当とかな。色々考えてみっかあ?」
「店の前で販売すると良いと思う」
「なるほど。それはアリだな。さすがアトリエ」
「その際ニハ、このオリヴィアが矢面に立ってお弁当の販売をいたしまショウ! 全身全幅の信頼をモッテ太鼓判を押してお任せクダサイ!」
「言葉の用法やら何やらには目を瞑るとして、それは却下で。お前は目の見える所に居てくれないと不安でしゃあない」
「アトリエが売る」
「店先販売の際にはそうしよう」
「ガーン! このオリヴィアの信頼ガ! 信用が不足シテイマス!」
客のいない追放者食堂で三人がそんなことを話していると、ガラガラッと勢いよく扉が開かれる。
扉を開いたのは息を切らした様子のビビアで、走って来たのか膝に手をついて息を整えると、パッと顔をあげる。
「どうした、ビビア。ランニングに目覚めたのか? 日頃の運動不足を顧みたか?」
「で、デニスさん! 大変ですよ! 大変です!」
「何が?」
「なんか凄いお店が出来てるんですよ! ヤバいですよ!」
「はい?」
「『追放者レストラン』ですよ! もう大盛況ですよー!」
追放者食堂から少し離れた街の大通りに、見慣れない店がオープンしていた。
大きく掲げられた看板には、『追放者レストラン』と記されている。
開店間もない綺麗で清潔な雰囲気があり、なによりその店には長蛇の列が並んでいた。
「……ここの空き家、なにか出来る感じだとは思って眺めてたけど……なんだこりゃあ」
デニスはそう呟くと、店先に掲げられた張り紙を眺める。
『追放者レストラン ~ 王都の一流の味を、手頃な価格で。一流の食材で一流のシェフが作る一流の料理が、驚きの低価格で実現。 参考:追放者食堂より安くて美味しい!』
デニスが列を作る入り口から顔を覗かせると、中は王都の一流レストランよろしく綺麗かつ上品な内装で、そこかしこにやたら金をかけたような雰囲気が漂っていた。
「……な、なにこれえ。すっごーい……うちの数十倍すごい……」
「感心してる場合じゃないですよ、デニスさん! ここにお客さん、みんな取られてるんですよ! 特にスパゲティがもう絶品で!」
「てめえビビア! ここ数日顔を見ねえと思ったらここで食ってたのか!」
「まずい! ついさっき発見したみたいな感じを装ってたのがバレた!」
デニスとビビアが店内を覗きながらそんなことを言い合っていると、
店の奥から、一人の小さなシェフが歩いてきた。
「お久しぶりですね、デニス“副料理長”」
白いコック姿の少女はそう言って、デニスたちの前で立ち止まる。
デニスはその姿を見て、目を見開いた。
「お、お前……」
「えっ? なんですか? どうしたんですか、デニスさん」
「ヘズモッチ……? 何やってんだ、こんなところで」
デニスがそう聞くと、ヘズモッチは微笑んだ。
「デニスさんと同じく、私もついに独立したんですよ。今では私も、ブラックス・レストラン“元”副料理長です」
「独立……? しかし、なんだってこんなところに。しかもこの金のかけ方、尋常じゃなさそうだぞ……お前、こんなに持ってたのか?」
「援助してくださる方がいたんですよ。私の実力を見込んで、大金を融資してくださる大貴族の方がね……」
「……ジーン料理長は? なんて言ってたんだ」
「反対されましたよ。そりゃもう強く反対されました……ですから、ほとんど追放されるような形で飛び出して来たんです。すべては……」
ヘズモッチはかぶりを振ると、デニスを指さした。
「デニス“副料理長”! あなたと直接対決するために! これからあなたは、私の兄弟子でもなければ先輩でもありません! 商売敵です! 勝負しようではありませんか! どちらが本当のジーン料理長の一番弟子か! 店長として料理人として、どちらが上なのかね!」




