16話 追放作家のブックマーク (中編)
「先日貸していただいた原稿! すっっっごく面白かったです! いやもう! めちゃくちゃ面白かったです!」
「あら、本当? 嬉しいわあ」
「売れること間違いなしですよ! いや、舞台化待ったなしですね!」
「あはは、気が早いわよー、もー」
エントモリは機嫌が良さそうに笑って手を振ると、茶を一口飲んだ。
興奮した様子のビビアは、喫茶の丸テーブルにつんのめるような形で言う。
「もう、すっごい新作ですよこれ! 特に、序盤も序盤でヒロインたちがゴブリン達に蹂躙される所とか、そこに現れる謎のゴブリンキラーとか、わっくわくして読みました!」
「ま、楽しんでくれたなら良かったわあ」
「あ、お礼といっては何なんですけど! 読書感想文みたいなのを書いてみたので、良かったら読んでください! はい!」
「ええっ!? 本当にー? そーこまでしなくても良かったのにー」
エントモリは困ったように笑うと、嬉しそうにビビアから読書感想文を受け取った。
ビビアは珍しく、昼食を追放者食堂ではなく、別の喫茶店でエントモリと一緒に食べていた。
エントモリが、お昼は追放者食堂にたくさん人が居る時間帯なので、もう少し静かな場所で感想を聞きたいと言ったのだ。
「いやーしかし、『奇械王』シリーズとは全然違う方向性で来ましたね! こんなに色んな作品を書けるって凄いです!」
「あ、あはは……ま、まあね……うん……」
エントモリはそう言ってお茶を一口飲むと、鞄から別の原稿を取り出す。
「それじゃあ、もしよかったらなんだけど……こっちも読んでみる?」
「ん? それは……それも新作ですか?」
「新作とはまた違うんだけど……まあ、未発表の習作っていう感じかなあ。よかったら、こっちの方も意見を聞きたいんだけど」
「ええー!? そんな貴重なものを! いいんですか!?」
「あはは、いいのよいいのよー。減るもんじゃないしー」
エントモリは笑って、そう言った。
夕方の追放者食堂では、カウンターに座ったビビアがニコニコ顔で海老炒飯を頬張っていた。
「なんだか上機嫌のようデスネ、ビビア様」
お盆を胸前に立てたオリヴィアが、ビビアにそう言った。
「んふふー。いやあ上機嫌も上機嫌ですよ。なにせ、僕はあの大作家さんのアドバイザーみたいなことになってるんですからあ」
「アドバイザーつったってお前、新作の原稿を友達感覚で読ませてもらっただけだろ」
デニスがそう言うと、ビビアは「チッチッ」と舌を鳴らして指を立てた。
「ふふふ、それがですね。実は未発表の習作まで読ませてもらってるんですよー! 僕の感想に基づいて修正して、出版してみようかなあって! いやあ重要だなあ! 僕の立場めちゃくちゃ重要だなあ! 出版業界を左右する立場で困っちゃうなあ!」
「ほほー。えらく信頼されたもんだな。お前は好奇心の塊みたいなところがあるし、作家とかそういう人にとっては有難いのかもな」
「でしょー! 僕ってもしかして、そういう才能もあるのかもしれないなあ! 魔法使いよりも出版業界なのかなあ! いやでも目指すは世界一の魔法使いですけどね! これは約束なので! 大事な約束なので!」
ビビアがニコニコしながらそう言っていると、アトリエに料理のお代を払っていたツインテールの魔法使いとポニーテールの魔法使いが、興味津々な様子で顔を近づける。
「あれービビアくん? 作家さんってなんのことー?」
「誰のこと―!?」
「ふふふ……それは守秘義務ということですねえ! まあもしかしたら、彼女の次作には『~この作品を、親愛なるビビア・ストレンジに捧ぐ~』みたいな献辞が書かれてるかもしれないですけどねえ! いやあ困っちゃうなあ! ほんと困るなあ!」
「困りすぎだろお前」
その数日後、エントモリの言う『習作』を読んだビビアは、また街の喫茶店に来ていた。
「ええと……どうだったかな? そっちの方は……」
エントモリが遠慮がちにそう聞くと、ビビアは腕を組んで難しい顔をする。
「ううーんと、面白かったんですけどぉ……」
「け、けど?」
「なんていうか、前に読ませてもらった『新作』よりは、パンチが弱いかなあって……」
「パンチが弱い?」
「は、はい。そのー、なんていうか、あの、面白かったですよ? でも、なんだろう……展開がスローというか、登場人物がおっさんばっかりだったり、主人公があんまり強くなかったり……あ、僕思ったんですけど、やっぱり最後がバッドエンドなのは……」
ビビアがそう言って、お茶を口にしながら読書のメモを取り出すと、エントモリが突然、ガタンと立ち上がった。
「はあ!? なによ! 『新作』は面白いって言ったじゃない! そっちは面白くなかったっていうの!? 私の作品は駄作だっていうの!?」
「うっ、うえっ!?」
突然怒り出したエントモリに、ビビアは吃驚してティーカップを取りこぼした。
陶器のカップが床に落ちて、粉々に砕け散る。
その音を聞いて、エントモリはハッとしたように顔色を青くした。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「あ、あの……いえ、すいません……素人が偉そうに……」
ビビアは少し怯えつつ謝ると、店員を呼んで、割ってしまったカップを片付けた。
割ったカップを弁償するしないという軽い問答があった後、弁償を断られたビビアは新しい茶を頼んで、エントモリのことをチラリと見た。
エントモリはバツの悪そうな顔をしていて、片手を使って巻かれた青色の地毛をぐしゃぐしゃにした。
「ご、ごめんね。せっかく読んでくれたのに。ちょっと興奮しちゃって」
「い、いえ。僕こそ。その、調子に乗ってしまって。苦労して書いたのに、いきなりこんなこと言われたら傷つきますよね。すいません。ほんと……」
「い、いや。違うのよ。こういうのはダメなのよね。ごめんね」
少し気まずい時間が流れて、その間に二人とも何口か茶を飲んだ。
「あの、実は、新作とその習作なんだけど」
「は、はい! な、なんですか?」
「王都じゃなくて、こっちの方で本にしようと思ってるのよね。どう思う?」
エントモリはビビアの様子を窺うように、そう聞いた。
「えっと……どういうことですか? 王都じゃなくて、この街で……製本とか、そういうのをするってことですか?」
「いや、そうじゃなくて……こっちの街の方だけで、小さく出版しようと思ってるの」
「あ……ああー……どうしてですか? だって、エントモリさんは人気作家ですし、王都でもきっと売れますよ。それに、こんな小さい街で出版したって……」
「ははは……たしかにそうなんだけど、その……」
エントモリは目を泳がせると、何か思いついたように手を鳴らす。
「その、そう! 王都で出す前に、こっちの街で反応を見ようと思ってるのよ! そこで改善点を洗い出して、王都に乗り込もうと思って!」
「あ、ああ! なるほど! そういうことですかわかりました! いいですね! 戦略的! ……でも、こっちで出版されちゃったら、王都で出すころにはネタバレとか……」
「いや、その辺は問題ないのよ! うん! 王都とこっちって、正直流行とか何年か遅れてるし……そのあたりは問題ないと思う!」
「な、なるほどー! いいですね! 協力しますよ! 僕にできることであれば、なんでも言ってください!」
「ああ、じゃあ……ビビア君に編集みたいな感じで付いてもらってもいいかな? 私、こっちのことよくわからないから……」
「お、お任せください! もちろんですよ! はい!」
夕方に、ビビアはカウンターでカニ炒飯を食べていた。
先日とは打って変わって浮かない表情をしているビビアに、デニスが聞く。
「どうしたビビア。メランコリックか」
「いやあ……なんていうんでしょう。難しいなあと思って」
「なになにー?」
「もしかして、例の“作家さん”のことー?」
カウンターに座っていたツインテールとポニーテールの二人がそう聞いた。
「あはは……なんていうか……はい……」
「どんなの書いてる作家さんなの?」
「いやあ有名な人ですよ! きっと流行に詳しいツインテールさんとかなら、知ってると思いますねえ!」
「ほんとにー!? すごー!」
「ねえねえどんなの書いてる人なのー? 教えてよビビアくーん!」
「いやあそれは言えないですねえ! でもその人の新作に今携わっていて、それはゴブリンが……おっと、これ以上は言えないですね! 危ない危ない!」
「えー、教えてよービビアくーん」
ポニーテールがそう絡んでいると、ツインテールが何か思い出したような顔をした。
「ゴブリン……あ! わかった! もしかして、『ゴブリンスラッシャー』の続編!? ということは、作家のカギューラ・スパイダだ!」
「カギューラ……? い、いやいや。残念ながらハズレですねえ」
「ええー? でも、ゴブリンといえば『ゴブリンスラッシャー』じゃない? あの……」
ツインテールが『ゴブリンスラッシャー』のあらすじを説明すると、ビビアは混乱した様子で、ツインテールのことを見た。
「えっ、な、なんでツインテールさんが、その話を知ってるんですか?」
「いや、だからそれが『ゴブリンスラッシャー』のあらすじだって。海外の本なんだけど、翻訳されて舞台化もされたんだから。こっちじゃまだ全然話題にもなってないけど、私はよく王都まで行くから詳しいんだ。翻訳本持ってるけど、ビビア君も読む?」
「いや、だってそれ……エントモリさんの新作の……『ゴブリンキラー』とほとんどそのまんまですよ……はは、やだなあ」
ビビアがそう言うと、ツインテールは目を細めた。
「エントモリ? あの、盗作で王都の文壇を追放された?」
「えっ?」
「『奇械王』シリーズのエントモリでしょ? あの人、王都で『奇械王』の次がぜんぜん売れなくって……それで焦ったのか、海外の方でまだ有名じゃなかった『ゴブリンスラッシャー』をほとんどそのまんまパクっちゃったのよ。最初はそれで良かったんだけど、結局バレちゃってね」
「はい? えっと、その、えっ」
「それで、ビビアくん」
ツインテールはカウンターに肘を付くと、ビビアの目を真っすぐ見据えた。
「きみ、そのエントモリっていう人と何してるの?」
街の外れにある宿の、暗い部屋の中で、
青髪のエントモリは一人、机上のランプの明かりを頼りに筆を走らせていた。
「早く新作を書かなくちゃ……私は人気作家なんだもの……」
カリカリと万年筆の先が走っている。
エントモリは口元を緩めていた。
「この片田舎なら……しばらくはバレっこないわ……ここでならまだ、私は人気作家でいられる……」
エントモリはカップに注いだ茶を一口飲むと、休まず筆を走らせる。
「その間に、みんながあっと驚くような傑作を書けばいいのよ。過去が帳消しになるような大傑作を。私なら書けるわ。ビビア君だって、『ゴブリンキラー』は面白いって言ってくれたじゃない。あれは、盗作じゃなくて脚色なのよ。その辺の愚図がパクったってああはいかないわ。やっぱり私には才能があるのよ……」
その目の下には、深く青黒いクマが出ていた。
「だから、また面白いものを書かないと……またみんながチヤホヤしてくれるような物を書かないと……うぅぅうっ……うぅぅうぅうぅぅ……」