14話 黄金メンバー (後編)
姓を名乗らない……?
ははぁ、と赤髪の男は思った。
おおかた、弱小か没落貴族の子息といったところか。
「お初にお目にかかります、先輩」
赤髪の男はサッと礼をすると、頭を軽く下げた所から、ヒースという男に目線を向けた。
「俺は、エントヒッチ家のエシュター・エントヒッチと言います」
エシュターは、このエントヒッチという家柄を聞いて、この先輩風を吹かせている男が大層驚くだろうと予想していた。
場合によっては、慌てふためいてごまでもすり始めるかもしれない。
騎士団は縦社会とはいえ、結局最後に幅を利かせるのは家柄なのだ。
「エントヒッチ、ねえ」
ヒースはそう呟いた。
「なあんだ、どこのボンボンかと思ったら、大した家柄じゃあないな。ま、この王国で大した家柄と言えるのは、あの剣を握ることのできる王族以外にありはしないが」
「…………なっ……?」
「まあ、君。よーわからん家柄であんまり威張り散らすのはよしておきなさい。先輩からの忠告だな。ここはお互いに言いたいことを言い合えたっていうことで、良しとしようじゃあないか。なあヘンリエッタ? それでいいだろ? なははは」
ヒースはそう言って笑うと、ヘンリエッタの背中を叩いた。
「わ、私は……」
ヘンリエッタがどう返せばいいか一瞬迷っていると、
赤髪のエシュターが、顔を真っ赤にして震えていた。
「ひ、ヒース……と言ったか? 貴様……」
「ああ、そうだけど?」
「き、貴様、この俺を、いやこの俺の姓を侮辱して、ただで済むと思うなよ……!」
「おいおい、一応僕は騎士団じゃあ君の先輩なんだぜ。あんまり煩く言いたくはないが、ちょっとくらいは礼儀をわきまえたらどうだ。それに、この娘らを侮辱したのは君の方が先さ」
「いいか! 俺の父上は、王政府の要人なんだ! お前みたいな木っ端幹部なんて、父上に言えばすぐに左遷させてやれるぞ!」
「ん? エントヒッチといえば……」
ヒースはそう呟いてしばし考えるようにすると、思いついたように手を叩く。
「ああ、そうだ! 君の父親は、王政府のガンシュナー・エントヒッチ伯爵か!」
「そ、そうだ! 謝るなら今の内だぞ! 父上に言えば……」
「悪いが、あいつは序列でいえば僕の下の下だ。すまんな」
「えっ?」
「ところで、僕を左遷するって? なかなか大きく出たじゃあないか」
ヒースは白い歯を覗かせて笑みを浮かべると、エシュターに一歩歩み寄った。
その背後から、先ほどの銀髪の少女……フィオレンツァが顔を覗かせる。
「ヒース様。ここは私が」
「いや、お前は下がってていいぞ、フィオレンツァ」
「しかし……」
剣に手をかけたフィオレンツァは一瞬だけヒースに意見を述べかけたが、けっきょく引っ込むことに決めたようだった。
それを見て、エシュターがわなわなと震える。
「は、ハッタリだ。お前みたいなのが、そんな役職にいるわけ……ありえない……」
「あり得るあり得ないってえのは、君が決める問題じゃあない。ところで、君」
ヒースは首をかしげると、エシュターの足元を指さした。
「右手が落っこちているみたいだが……それ、大丈夫かい? 拾ってあげようか?」
エシュターはその意味がわからず、自分の足元を見た。
そこには、手がひとつ落ちていた。
綺麗な切断面をした、手首から切り離された様子の右手だった。
その上には血が滴っており、それは自分の右手から流れているようだった。
すぐに手首から血が噴出し、エシュターはそこで、足元に落ちているのが、手首から切断された自分の右手であることに気付いた。
「う、うわっ、うわあ!? うぎゃぁあああぁっ!?」
エシュターが叫び、大量の血を手首から噴き出す。
取り巻きたちが、青ざめた顔で立ち尽くした。
その様子を見て、ヒースは可笑しそうに笑った。
「あははは。誰か服でも脱いで、止血してやりなよ。なあに。きつく縛ってやれば、死にはしないさ」
笑うヒースの横で、フィオレンツァという銀髪の少女が静かに言う。
「……全く、だから言ったのです。せめて左手にしてさしあげればよかったのに」
「たかが利き手の一本くらい、すぐに慣れるさ。人間は順応する生き物だからな」
ヒースが愉快そうに笑いながら、慌てふためいているエシュターと取り巻きたちを眺めていると、
廊下の奥から教官たちが駆けてきた。
「な、なんだこれは!? 何事だ!?」
幹部候補生の教官と思われる男が素早く駆け寄ると、手首から活動性出血を続けているエシュターの止血にあたる。
一緒に付いてきた数人の教官たちの一人が、ヒースを見て、顔を青くした。
「ひ、ヒース……一等王族護衛官殿……」
「やあ、教官殿。汚してしまってすまなかったね。後輩にちょっとばかし指導が必要でさ」
「来られるとは聞いていましたが、その……」
「今年の候補生たちの名簿とかを見せてくれないかな。そのために来たんだ」
「は、はい、こちらへ……」
幹部候補生の教官の一人が、そう言ってヒースとフィオレンツァを別の場所へと案内していく。
同時に、一緒に来ていたヘンリエッタたちの教官が、ヘンリエッタらをその場から離した。
エシュターの悲鳴を背後にして廊下を歩く途中で、ヘンリエッタが教官に聞く。
「あ、あの、教官……」
「なんだ?」
「あの、ヒースっていう人、何なんですか……?」
「俺も、詳しくは知らん」
教官は小さく首を振った。
「ただ、少しだけ話を聞いたことがある。教育長も、彼が来ると聞いて、何か恐れているようだった。できるだけ関わり合いにならない方がいい。あれは、そういう存在なんだ」
ヘンリエッタや同期たちは、それ以上聞かなかった。
ヘンリエッタはやはり、奇妙な感覚に陥っていた。
やっぱり、似ていた。
大将に、デニスさんにすごく似ていた。
横に立たれた時の奇妙な安心感、
冗談交じりに背中を叩くあの感じ、
笑い方、喋り方、不意に鋭くなる瞳の感じ…………
でもやっぱり、違う。
同じだけど、決定的に違う。
存在としての性質が、同じなのに、まったく違う。




