13話 黄金メンバー (前編)
デニスは荒れていた。
オリヴィアが首を破壊されてから数日が経ったが、依然デニスはピリピリした雰囲気を解除していない。
店自体は開けているのだが、わりと近寄りがたいオーラを漂わせており、常連は気を遣っているようだった。
「オリヴィアさん……いま、どうしてるんですか?」
カウンターに座るビビアが、黙って料理を作っているデニスに、そう聞いた。
「ああ、首がイカレちまってるから、コルセット付けてしばらく休ませてるんだ。本人は勝手に治るから大丈夫だって言ってるが、ウチは首が折れたまま働かせるような店じゃねえ」
「ええと……オリヴィアさんの首って……あのキャンディさん、でしたっけ」
「そうみたいだな」
デニスは料理を皿に盛りつけると、お盆ごとアトリエに渡した。
「知らねえうちに、きな臭いことになってきやがった。もしかしたら、俺たちはすでに新しい敵とぶつかってるのかもしれねえ。こっちが気付いてなかっただけでな」
バチェルの下にデニスからの手紙が届いたのは、晴れた日の午後のことだった。
カットナージュ准教授が行方不明になってからというもの、バチェルは他の教授たちの助力を得ながら、彼が受け持っていた授業や雑務を臨時で引き継ぐことになり、忙しい日々を送っていた。
デニスから届いた手紙の内容は、王立裁判所の法官セスタピッチや銀翼の大隊長ケイティとコンタクトを取って、王都でいくつか調べごとをして欲しいとのことだった。
調査対象はキャンディと名乗る謎の少女や、神狼などの希少幻獣の売買に関わる犯罪組織、また以前デニスと衝突したカットナージュ准教授について。
そして、オリヴィアという名前の魔法人形について。
手紙にはそれぞれデニスが知りうる限りの情報が書かれており、何かわかったら連絡が欲しいとのことだった。
それと、店長の字は読みやすいんだけどやっぱりちょっと汚いなあ、とバチェルは思った。
「このキャンディっていう娘についてはケイティさんに、犯罪組織についてはセスタピッチさんに任せるかんなあ……そんで、由来不明のオーパーツな魔法人形……」
バチェルは授業準備がひと段落ついた後に、学生時代から集めている資料をひっくり返し始めた。
「お前ら、今日までよく頑張った! お前たち王国騎士団一般候補第七十五期生は、俺たち教官全員の誇りだ!」
「あ、ありがとうございますー! きょうかーん!」
ヘンリエッタは涙ぐみながら、同期と一緒に声を張り上げた。
本日は、王国騎士団の入団訓練修了式。
格式ばった修了式を終えて正式に騎士に任官された後に、ヘンリエッタは同期たちと共に訓練施設まで戻ってきて、大部屋で訓練を担当した教官たちの最後の言葉を聞いたところだ。
訓練はわりと血反吐を吐くような内容だったが、ヘンリエッタもこの訓練を通してレベルやスキルが向上し、厳しかった教官たちや同期たちも、最後の最後に涙を見せていた。
「ねえねえ、ヘンリエッタはどこに配属になったの?」
「わたし、王都の機動騎士隊!」
「おおー! わりと花形じゃーん!」
「うん! 物理だけは高いから!」
「ヘンリエッタは完全に物理アタッカー要員だねー」
ヘンリエッタは同期と喋り倒しながら、正式な騎士肩彰を付けて、早く大将に報告したいなあ、と思っていた。
そんなことを考えていると、
おや? とヘンリエッタは思った。
遠目の窓の外に、黒い礼服を着た男性が立っているのが見える。
よくよくヘンリエッタが目を凝らしてみると、背を向けていて顔までは見えないが、デニスと背格好が似ているように見えた。
いや、とヘンリエッタは思う。
大将だ! あの雰囲気は大将だ!
「ヘンリエッタ? どこ行くの?」
「ご、ごめんみんな! ちょっと待ってて!」
ヘンリエッタは大部屋から出ると、嬉しさのあまり胸が躍って、駆け出した。
訓練が忙しくってろくに手紙も出せなかったのに、こっそり修了式に来てくれたんだ!
やったあー! 大将だあ! ひっさしぶりだあー!
ヘンリエッタは施設から飛び出ると、何やら銀髪の少女と話している様子の男に向かって走った。
あれはアトリエちゃんかな? 背伸びた!? 髪切った!? いや、とにかく大将! 大将じゃーん! 大将も髪型変わってるー! 髪伸びてるー!
ヘンリエッタはそのまま、礼服を着た男に、背後から抱き着こうとして……
ピタリと、止まった。
勢いよく抱き着こうとしたヘンリエッタの首筋に、
鋭い剣先が突き付けられていた。
「あ……あっと……」
ヘンリエッタが抱き着こうとする姿勢のまま静止すると、いつの間にか細身の剣を抜いていた銀髪の少女が、冷ややかな声で言う。
「ヒース様に、何かご用件で?」
剣を構える銀髪の少女は、アトリエではなかった。
アトリエをそのまま成長させたような容姿にも一瞬だけ見えたが、よく見れば目つきが全く違う。
鋭く、一切の誤差を許さないような厳しい瞳だった。
少女は銀色の髪をショートに切りそろえており、騎士団の白色幹部礼服を身に纏っている。
「あ……あっと……」
ヘンリエッタが返事に窮していると、
デニスかと思われた男が振り返って、少女の構える剣に手をやった。
「おいおい待て待て、フィオレンツァ。殺気の欠片も無い相手に、何も剣を抜かなくたっていいだろう」
「ですが、ヒース様」
「まあ、下ろしなよ……君は?」
ヒースと呼ばれた男はそう言って、ヘンリエッタのことを見た。
黒髪をオールバックに撫で付けた、騎士団の黒色幹部礼服を着た男。
背格好や年齢は、デニスとほとんど同じに見える。
そして近くで見てみると、やはり、そのヒースという男は、顔立ちまでデニスとよく似ているように見えた。
特に、その瞳が。
「あ、あの……私、訓練生で、すみません……人違いをしてしまって……」
「あはは、そういうことはあるよね。ところで、僕と誰を間違えたんだい? 友達?」
ヒースという男は笑って、そう言った。
デニスに比べれば控えめな笑い方だが、笑顔までそっくりだった。
「あ、あの、友達というか、お世話になった人で……」
「そうかい。忠告だけども、騎士団の幹部にあんまり粗相をしちゃいけないよ。僕はあんまり気にしない性質なんだけども、そうじゃない奴もいるからね。実のところ、騎士団には多いんだよ、そういう器のちっちゃい奴がさ。気を付けなよ」
ヒースという男は面白い内緒話をするように、ヘンリエッタにそう言った。
「は、はい! すいません! 申し訳ありませんでした!」
「あはは、元気な奴だな。こういう奴を探しに来たんだよ。なあフィオレンツァ、お前もちょっとはこういう元気を出してみたらどうだ?」
「……必要ありませんので。体力の無駄です」
フィオレンツァという銀髪の少女が剣を鞘に戻しながらそう返すと、ヒースという男は可笑しそうに笑った。
ヘンリエッタは再度深く頭を下げてその場を後にすると、
奇妙な気分に陥った。
やはり、何かが違う。
すごく同じだけど、全然違う。
不思議な感覚だ。
別人であることはわかりきっているのに、何か違和感がある。
こんなことを思うのは不思議な感じだが、
あの人はデニスさんだけど、デニスさんじゃない。
ヘンリエッタは会合部屋に戻り、同期らと一緒に各々の居室へと向かった。
その途中の廊下で、騎士団の幹部候補生たちが目の前から歩いて来るのが見えて、ヘンリエッタは「ゲッ」という顔をした。
貴族出身であることを鼻にかけて、いつも嫌味なことを言ってくる連中だ。
もちろん全員がそうというわけではないが、目の前から歩いて来るあの赤髪と取り巻きたちは、どこか上流貴族の子息らしく、ヘンリエッタたちのようなヒラの騎士団候補生を何かと見下している奴だった。
ヘンリエッタはなるべく関わり合いにならないように、彼らからなるべく視線を外しながら歩いて、何事もなくすれ違おうとした。
しかし、赤髪の青年はヘンリエッタらのことを見つけると、ヘラヘラとした笑みを浮かべて立ち止まる。
「おっとっと……何かと思ったら、騎士団の下っ端候補生たちじゃないか。あまりにも身分が低すぎて、ここまで近づかないとわからなかったよ」
ヘンリエッタはすでにカチーンときてしまっていたが、一緒に歩く同期たちがヘンリエッタの肩を軽く押さえ付けて、突っかからないように気を遣っていた。
「無視無視、無視だよヘンリエッタ」
「ぐ、ぐぬぬ……」
ヘンリエッタたちとすれ違おうとする中で、赤髪の男は自分の取り巻きたちに語り掛けるように話した。
「一生懸命ご苦労なことだよなあ、みんな。一生頑張ったって、俺たち幹部候補生とは違って出世なんてたかが知れてるのに」
ヘンリエッタは沸騰しそうになりながらも何とか聞き流して、ズカズカと歩いてすれ違うと、彼らに背を向ける。
それを見て、ヘンリエッタの奔放率直な性格を知っている同期たちは、何とか耐えたか、と安心する。
「ははは、せいぜい安給下っ端勤務、頑張ってくれよ。恨むなら、卑しい家系に産んだ自分の親を恨むんだな。はははは!」
ヘンリエッタはそこで、立ち止まった。
それを見て、同期たちがこそこそと声をかける。
「や、やめなって、ヘンリエッタ!」
「言い合っても仕方ないんだから! それに、相手は高級貴族よ!」
ヘンリエッタは立ち止まりながら、こぶしを握り締めて考えた。
たしかにそうだ。
あんな連中と言い合ったって、何にもならない。
最悪、これからの騎士団勤務の不利益になるだろう。
でも。
もしもここに立っているのが大将だったら、デニスさんだったら、
親まで馬鹿にされて、きっと、そのままにしておかないはずだ。
あの人は、自分じゃない誰かを侮辱されたとき、すっっっごく怒るんだ!
私は大将みたいな強い人になりたくて、ここまで訓練を頑張って来たんだ!
ヘンリエッタは勢いよく振り向くと、キッとした鋭い眼差しを赤髪の男に向けた。
それを見た同期たちは「あちゃあ」という顔をして、ヘンリエッタから少しだけ離れる。
「い、いいか! 私たちは! あなたみたいに出世だとか高給だとかが欲しくて、騎士団に入ったわけじゃあないんだ!」
ヘンリエッタがそう啖呵を切ると、赤髪の男はちょっと吃驚したような顔をした。
「お、おっとぉ。まさかこの俺に突っかかってくるとは。俺が、どこの家の出身だか知ってるのか?」
「そ、そんなのは関係ない! 家柄がどうした! 出世がどうしたんだあ! そんなもんなくたって、私たちは騎士として守るべきものを守るんだ! そのために騎士団に入ったんだ! いいか、お前みたいな奴に、馬鹿にされてたまるか!」
ヘンリエッタがそう叫ぶと、赤髪の男は面白そうに笑った。
「くははは、威勢の良いやつだな。だけど、将来の高級幹部である俺たちに喧嘩を売るとは」
「そ、それがどうした……そんなの、関係ない……」
「いいや、関係あるぜ。お前の顔は覚えたからな。それに、名前はヘンリエッタって言ったか? 俺が幹部に任官したら、真っ先にお前を潰してやるよ。上級貴族出身の幹部を敵に回して、騎士団に居場所があると思うなよ? 謝るなら今の内だぜ? その場に土下座して俺の靴を舐めたら、許してやらないこともないが」
「だ、誰が……そんなことするか……! お前なんかに! 許してもらおうと思うか!」
ヘンリエッタは拳を握りしめると、赤髪の男に向かって精一杯叫ぶ。
「ま、負けるもんか……お前なんかに! 絶対に負けないぞ! この私はあ! お前なんかよりもずっと凄くてかっこいい人を知ってるんだ! 私はあの人みたいになるんだあ!」
ヘンリエッタがそう叫んだとき、
背後から、その肩をポンと叩く者がいた。
「その気概や良し。今年の一般候補生の教官たちは、良い仕事をしたみたいだね。立派な騎士の卵が育ってるじゃあないか」
ヘンリエッタの背後から現れてそう呟いたのは、
さきほどヘンリエッタがデニスと間違えた、あのヒースという名前の青年だった。
その後ろには、先ほどフィオレンツァと呼ばれていた銀髪の少女も控えている。
ヒースはヘンリエッタの一歩前に立つと、赤髪の男に向かって言う。
「それに比べて、幹部候補生の教官は一体何を教え込んだのだろう。大方、頭でっかちの無能な貴族出身たちが集まったというところかな。残念なことだぜ。今年のスカウトは、一般候補生から見た方が良さそうかな」
「なんだ、お前……」
赤髪の男はそう言うと、ヒースと呼ばれた男の服装を眺めた。
黒色を基調として、金の刺繍が施された幹部礼服。
普通の幹部礼服は、王国の国色でもある青色と黄色のはずだが……
あれは、一体何の所属を表す色なんだ?
「どうやら……先輩の登場みたいですね」
赤髪の男が様子を伺いながらそう言うと、ヒースは両手を広げて周囲を眺めた。
「そう。君たちの先輩さ。僕はここに居るみんなの先輩ということになる」
「失礼ですが、姓を……お家をお聞きしても?」
赤髪の男がそう聞くと、ヒースは口の端をニヤリと歪めて言う。
「さあな。名はヒースだ。それだけで十分だろう」
彼の一歩後ろに立つヘンリエッタは、
この奇妙な安心感に、覚えがあった。
同じだ。
これは、デニスさんが一緒に立ってくれた時の……
だけど、やはり、何か違う。
何かが決定的に違う。
正体不明の暗い違和感がそこにはあった。
ヘンリエッタはその正体を、つかみ損ねていた。




