12話 追放探偵には、さよならと伝えて (後編)
「キャンディ……キャンディ・キャプラは、騎士団の暗部に存在する、密偵部の要員だったんだよ。当時の密偵部の長は誰だっけね。たしかヒースだったはずだが?」
「そうです」
ロストチャイルが聞くと、傍に控えていたハームという顔色の悪い黒服の男がそう答えた。
ロストチャイルは自身の広い蒐集部屋のソファに座り込んで、先日飽きてしまったので双頭の分け目から半分に両断して防腐剤に漬け込み、ガラス箱に入れた双頭犬を眺めていた。
「優秀な密偵部員だったのだが、いささか惚れっぽい性格でね。その性格で色々と問題を起こして、追放されてしまったんだ。惚れっぽいだけなら良かったのだが、彼女の珍しいところは、その惚れた相手を“所有し尽さないと気が済まない”性質で、厄介なことに“実際にそうする実行力”を備えていたところだな」
ロストチャイルは、防腐剤に漬けられた半分ずつの双頭犬を眺めると、うっとりとした表情を浮かべた。
「あるとき、調査対象の貴族に惚れ込んでしまったキャンディは、調査の片手間に彼の家族や親しい友人を片っ端から始末して孤立させ、そこにつけ込んで相手の心と体を支配したうえに、最後には些細なことで喧嘩した拍子に逆上して、バラバラにしてしまった。あの隠ぺい工作には私も一枚噛んだんだが、大変だったんだ。まあ、あのキャンディは興味深い奴だから協力してやったがね。それにヒースの頼みは断れん。騎士団最凶の男の頼みはね」
ロストチャイルはそこまで語ると、手元に置いていたティーカップの茶を一口舐めた。
「さて。あのキャンディが真っ当に仕事を果たしてくれればそれで良いし、また惚れてしまって暴走するようなことがあっても、それはそれでいい。きっとそうなれば、あの本の正式な所有者もろとも始末してくれるはずだから。ところでハーム、ブラックス・レストランの予約は何時に取っていたかな?」
「本日の十八時からです」
「そうか。それは楽しみだ。あそこの料理は世界一だからね。ぜひ所有したいものだが、あそこの料理長は恐ろしい女だから……下手にちょっかいを出すのはよしておこう。隙を見せるまではね……彼女がどれだけ強力な個人だとしても、その下の人間までそうであるわけではない」
人間を一人始末するなんてわけはない。
キャンディはそう考えていた。
みんなその辺を難しく考えがちだが、要はきちんと計画して、きちんと実行すればいいだけだ。
たとえば追放者食堂の看板娘であるアトリエは、昼の仕事が終わった後は毎日、ほぼ必ず散歩か買い物に出かける。
自由気ままな性格のようで、散歩も買い物も毎日同じコースを辿るわけではない。だけれど、尾行に気付くことのできる人間なんてこの世にほとんど居ない。
素人の尾行でさえ、気付くのはとても難しいことなのだ。それがキャンディのようなプロに尾行されるとなれば、これに感づくのはほとんど不可能に近い。
キャンディは数日間アトリエを遠巻きに尾行して、そのチャンスを伺っていた。
デニスが大事にしているあの少女が不幸な事故で死んでしまった後、あの愛しいデニスがどれだけ悲しんで、心を閉ざすか考えただけで胸が躍った。
その深い悲しみに沈んだ心を開いてやって、自分だけを見るように仕向けて依存させれば、人間一人なんて心も体もすぐに手に入るのだ。
新婚旅行はどこに行こうかな、とキャンディは考えた。
そのチャンスはすぐに訪れた。
アトリエが少し近道をしようとして、街の狭い裏路地を通ろうとした。
はいチャンス、とキャンディは思った。
大事なことは、小さくも確実なチャンスを見逃さないこと。
その時が来たら躊躇せずにヤること。
そんな簡単なことをきちんとデキない人間の、なんて多いことか。
だからこそ、自分のような稼業が成り立つのだが。
キャンディは背後の物陰からすっと身体を見せると、ジャケットの袖から小型のナイフを取り出した。
そしてそのまま、無音のまま早足でアトリエの背後へと迫っていく。
このペースなら問題ない。
路地を抜けるほんの少し前に背後に辿り着いて、喉を掻っ切って闇の中に引きずり込んでしまえる。
キャンディがナイフを握りながら、何も知らずに歩くアトリエに静かに迫っていると、
不意に違和感を感じて立ち止まり、サッと身体を躱して壁に張り付いた。
次の瞬間、キャンディが歩いていくはずだった地面に、連続して三箇所の穴が空く。
キャンディはそれを確認すると、襲撃者に向かってナイフを構えた。
メイド服を着た襲撃者は、上空より襲来した。
「……ポチさんの一件以来、デニス様よりアトリエ様の護衛を頼まれてイマシタガ……」
どこかの建物の屋上から飛来した様子のメイド服姿の女性は、長くスレンダーな二本脚で路地裏に着地すると、ズシンという重量級の着地音を響かせた。
その両肩からは二本の砲身が伸びており、発射の余光で仄かに発光しながら煙を上げている。
「このオリヴィア、お役に立てたようで何よりデス。そのナイフでどうするおつもりデスカ? どうやら、アトリエ様と仲良くなろうというわけではないヨウデスガ」
オリヴィアは砲口をキャンディに向けたまま、そう聞いた。
「……一体どういうわけぇ? その物騒な武装ってぇ、一体どういうカラクリになってる感じなのぉ?」
「答える必要はありマセン。速やかに目的を教えてクダサイ。でなければ、“ぶっ飛ばし”たいと思いマス」
オリヴィアがそう言った。
キャンディは様子を見ながら、ちらりとアトリエの方を見た。
すでに路地から姿を消している。
背後の戦いに気付く前に、路地から出ていったか?
それとも気付いて逃げたか? そこまで確認できなかった。
それよりもこの目の前のメイド女……まったく気配を感じなかった。
肩から伸びる不可思議なカラクリ。
それに、喋り方もどこかおかしい。
もしかして、人間ではない? だとしたらなんだ?
キャンディがオリヴィアの様子を見ていると、オリヴィアは砲口をキャンディにセットし直して、発射準備に入った。
それを見て、キャンディは慌てて両手を上げる。
「はい、タンマタンマぁ。降参ですぅ。武装解除するのでぇ、撃たないでくださーい」
キャンディがそう言ってナイフを地面に放ると、オリヴィアが聞く。
「目的を教えてクダサイ」
「目的? 目的はねぇ……」
キャンディはクスクスと笑った。
「デニスさんを、独り占めしたいなあ、と思って」
「…………? どういう意味でショウカ」
「だーかーらぁー、デニスさんの周りに色々といたら邪魔じゃーん。私とデニスさんのアツアツ新婚生活にぃ、あの娘要らないんだよねえ。でもデニスさんって、あの娘大事にしてるじゃない。だからぁ、死んでもらっちゃえと思ってぇ」
オリヴィアは表情を変えないまま、首を傾げた。
「……意味がわかりマセン」
「知らないの? 恋愛の鉄則ぅー。好きな人は奪っちゃえー! 周りの障害は全部排除して何もかも独り占めして依存させちゃえー! っていうことなんだけどぉ……わかんないぃ…?」
「ええと……恋愛感情ということデショウカ」
「そう! 好きな人は奪わないと! ぜーんぶ奪って精神的にも物理的にも逃げ場を無くさないと! 独占しないと占有しないとぉ!」
「わ、ワタシは……そうは思いマセン。好きな人は、大切な人は、奪うのではなく、独占するのではなく、寄り添うものデス。お仕えするものデス」
「ははぁー、ピュアねぇ。ピュアなことだわぁ。あんたみたいなのが、悪い男に騙されるのよねぇー。きゃは」
キャンディは可笑しそうに笑うと、オリヴィアに自然な調子で一歩だけ歩み寄った。
その瞬間、オリヴィアはキッと身体を緊張させて、砲身を構え直す。
「警告シマス。それ以上近寄らないでクダサイ」
「なぁーにー? いいじゃなぁーい。ガールズトークしようよぅ、ねぇー?」
「“敵”と話すことはこれ以上ありマセン。“ぶっ飛ばし”マス」
「ねえねえ教えて欲しいんだけどぉ、あんたの理論でいくとさぁ?」
キャンディは邪悪な笑みを浮かべて、ピンク色の唇の奥から、歯並びの良い白い歯を覗かせた。
「もしもあんたの大切な人が、あんたを必要としてくれなかったらどうするの? あんたを突き放したらどうするの?」
「? 質問の意図が、わかりマセン……」
「あんたの大切な人にとって、あんたが大切じゃなかったらどうするの? 大切な人の一番にならなくてもいいの? 隣に居られなくてもいいの?」
「質問の意味が不明デス。質問の意味ガ……」
オリヴィアは一歩後ずさった。
そのとき、不意に、
一瞬、オリヴィアの思考回路に、ノイズが走る。
それは損傷した記憶の断片だった。
不可逆的な細工によって封印された、記憶の欠片だった。
「オリヴィア」
その人は言った。
「君はもう、要らないんだ。ここでお別れだ」
その人はもう一言、付け加えた。
「“追放”だ」
その断片の再生によって、オリヴィアの機能が一時的に停止したのは、ほんの一瞬のことだった。
しかしその一瞬の隙を、見逃されることはなかった。
キャンディはその瞬間に、オリヴィアとの距離を一瞬で詰めた。
砲口の射線に入らないゼロ距離。
オリヴィアの懐で、キャンディはその胸に肩を押し付けて、スキルを発動させる。
「『探偵の極意』!」
キャンディの白兵スキルの発動により、オリヴィアの胸部に、まるで巨大な鉄球が叩きつけられたかのような衝撃が走る。
対象と接触してさえいれば、身体のどの部分からでも発動することができる白兵スキル。
接触部分を“点”として捉え、その一点に自身の体重分の質量を衝撃として送り込む。
キャンディの体重は軽い。だから、ただ単にタックルしたところでその衝撃はたかが知れている。
しかし、その衝撃がもし、手のひらや指先などの極小面積にまで集約されて爆発したとしたら。
白兵戦はもとより、背後から筋力で勝る相手に押さえつけられた時や、拘束時に手錠などの枷を破壊するためにも使用されるスキルだ。
オリヴィアは路地の壁まで吹き飛ばされ、ガシャンという音を立てて地面に倒れる。
キャンディは倒れ伏すオリヴィアに躊躇なく飛び掛かると、足先にスキルを準備した。
その細い首につま先で飛び乗ってスキルを発動させれば、運動エネルギーも相まって人一人の首が千切れるくらいの威力にはなる。
「————ッ!?」
オリヴィアは素早く態勢を立て直し、振り向きざまに肩の砲身を向けた。
しかし、飛び掛かろうとしていたはずのキャンディの姿を見失う。
その瞬間、予測外の下方向から、鋭い突き蹴りを首にもらった。
オリヴィアは、キャンディの身体を捻って繰り出された蹴りを下方から首にもらって突き崩され、そのまま壁に首と頭を衝突させた。
「『探偵の極意』」
蹴り出されたつま先からキャンディのスキルが発動し、オリヴィアはその破壊的な衝撃を、首に受けた。
接触した背後の壁にまでヒビが走り、オリヴィアは一瞬身体をビクリとさせると、ダラリと力を失う。
「っふぅー……あっぶなー……」
キャンディはそう言って突き出した脚を引くと、力を失って崩れ落ちたオリヴィアを眺めた。
「いやぁー、危機一髪って感じぃー……? めちゃんこ危なかったんですけどぉ……」
頸部を破壊したオリヴィアの傍でしゃがみ込むと、キャンディは彼女の両肩から伸びる砲身を眺めた。
「なぁにこれぇ……どぉいうからくりになってぇ……」
キャンディがその砲身に触れようと手を伸ばしたとき、
オリヴィアがそっと、その細い腕を掴んだ。
「なぁっ……」
キャンディが驚いて、確実に致命点を破壊したはずのオリヴィアを見る。
「ワタシは……」
オリヴィアは頭をダラリと垂らしたまま、片手で体を起こし、
「要らない存在ではナイ!」
握り込んだ細腕から剛力でもって、キャンディの身体を力任せに投げ飛ばす。
キャンディは右肩を外されそうになりながら背後の壁に叩きつけられると、砲口が向けられたことに気付いて、咄嗟に横方向へと跳んだ。
壁が炸裂していく轟音を背後に、キャンディが叫ぶ。
「『探偵の仕業』!」
キャンディがスキルによって姿を消した後、警戒状態のオリヴィアは周囲から完全に彼女の姿が消えたことを確認して、その場に腰を下ろして壁に背をもたれた。
「頸部損傷大……」
オリヴィアは片手で自分の頭を支えながら、膝を抱え込んで丸くなる。
「ワタシは、ワタシは……」
離脱したキャンディは、その場から十分に離れた位置で別の裏路地に隠れると、あのメイド服を着た追手が見えないことを確認した。
「っぶなぁ……首や頭が致命点じゃなかったってことねぇ。色々と未知数すぎるわぁ。これは、いったんこの街から離れないとダメねぇ……」
宿泊先から資料を全て纏めて、いったん王都に戻ろう。
キャンディはそう決断すると、踵を返して街の路地へと消えていく。
「でもまぁ、仕事はとりあえず完了っとぉ。最後には思わぬ情報も手に入ったしぃ……引き際を考えて、今回はこれで退散といたしますかぁ」
キャンディはツイードの帽子を被りなおすと、一人ケタケタと笑った。
「この追放探偵キャンディ、深追いはせず、引き際はジャストで。さよなら、将来の旦那様。いつか、どっぷりねっとり依存させて独占してあげるわぁ」




