11話 追放探偵には、さよならと伝えて (中編)
「まーったく、いつまで落ち込んでんだお前はよお」
翌日の昼時。
昼の客が引いてきた頃にご飯を食べていたアトリエに向かって、デニスがそう言った。
「…………」
ポチが消えてからというもの、アトリエは何となく気分が塞ぎ込み気味だ。
あれからいくらか経ったというのに、アトリエは今日も気分の優れなさそうな無表情を浮かべて、ホカホカの炒飯にスプーンを通しては、ちょっと食べたり、ただ眺めたりしている。
「ポチ、死んじゃったかもしれない」
アトリエがぽつりとそう呟いた。
「幻獣種があれくらいで死ぬかよ。人間とは構造が違えんだからさあ。おうビビア、お前も何か言ってやれ」
デニスがそう振ると、遠くのテーブル席でツインテールの魔法使いの相談に乗っていたビビアが、どこか焦った様子でアトリエに言う。
「そ、そうですよー。厳密には物理的な生き物じゃないので、失血とかで死ぬことは……まあほとんど無いと思いますよ、はい」
「だってよ。今頃どっかでよろしくやってるだろ。あとお前ら、さっきからそこでコソコソと何を話し合ってるんだ?」
「な、なんでもないっすよー! デニスさーん!」
「なんでもないよー! 店長ー!」
ビビアとツインテールがそう言って、デニスはアトリエの方に向き直る。
「まあ、あいつだってお前を心配して消えたようなもんなんだから、当のお前が元気なくしてたら申し訳が立たねえぞ」
「…………」
「ソノ通りですよ、アトリエ様」
ちょうど階段から降りてきたオリヴィアが、アトリエにそう言った。
「人の出会いは一期一会と言えども、永遠にお別れだと決まったわけではございマセン。互いにこの広い世界を放浪する旅人ナレバ、いつか再会することもあるデショウ……と、いつか誰かがそう言ってイマシタ」
「お前はよく人の台詞を引用するよな。意外と記憶力が良い」
デニスがそう言うと、オリヴィアは指の背で、自分の右肩をコツコツと叩いた。
「ハイ。オリヴィアはたくさんの記憶を保存できるわけではありませんが、正確に保存できます。これは右肩部の記憶鉱石に保存されている台詞デシタ」
「記憶鉱石? どういうこった?」
「ワタシには人間の脳にあたる器官が存在しませんノデ、全身の二百五十六箇所に内蔵された記憶鉱石がその代替器官として機能してイマス。これは人間の関節部位と同じ場所に分散設置されてオリ、その記憶網が全体として思考能力を構成するようにデザインされてイマス。ご理解頂けマシタでしょうか?」
「あ、ああ……うん、なるほど」
デニスは何となくわかったようなわからないような表情で、そう言った。
「デスので胸部の核宝石か過半数以上の記憶鉱石を破壊されない限り、極論を言えば頭部を破壊されようと活動が可能です。それが分散設置のメリットです」
「ああ……よくわからんが、お前を作った奴が大した魔法使いだということはよくわかったよ。本当に、誰が作ったんだろうな」
「例えば、ワタシの右手小指第二関節部の記憶鉱石には、デニス様が先日本屋で手に取ろうとしていた春画の……」
「待て。どうしてそんなものを記憶してる。というかどうして知ってる」
「先日、街でお見掛けした時に。興味がおありかと思いマシテ、購入リストに追加していましタガ……」
「今すぐ消せ。忘れろ。出来心だったんだ」
「で、デニスさん、そういうの興味あったんですか?」
ビビアが信じられないという顔を浮かべた時、
食堂の扉の鈴が鳴って、客が入ってきた。
「おういらっしゃ――っと。おめえは」
「ど、どうもぉ……」
そう言って暖簾をくぐって来たのは、昨日の中央通りでトラブっていたくせ毛の少女だった。
昨日と同じ茶色いチェック柄のジャケットを着た少女は、リボンの付いたツイードの帽子を脱ぎながら入ってくると、デニスの真正面のカウンター席に座った。
「昨日の今日で来店とはな。いらっしゃい」
「えへへ、来ちゃいましたぁ……キャンディって言います。よろしくお願いしますぅ……」
「キャンディか。よろしくな」
デニスがそう言って笑うと、キャンディは気恥ずかしそうにした。
キャンディはメニューを眺めると、日替わり定食を頼む。
そして、ポーチから一冊の本を取り出すと、肘をついてその表紙がデニスによく見えるようにしながら、注文の待ち時間に読み始める。
デニスは料理を作りながらその表紙をちらりと見るなり、
カウンターの奥から、キャンディに飛びかかるような勢いで、食いついた。
「えっ!? それ、『脱冒険者マニュアル』じゃねえか!」
「ぇっ? は、はいぃ……そうですけどぉ……」
「良い本だよな! いやあ、初めて見たぜ! 同じの読んでる人!」
「お、面白い本ですよねぇ! 私も大好きなんですぅ!」
「マジか! 俺なんてその本、何回も読んでるんだぜ! それ、第何版だ? 四版か! 俺なんてついこの前、第五版を手に入れてさあ!」
「えーっ、本当ですかぁー? すごーい!」
「ははは、貸してやろうか?」
「えーっ、いいんですかぁー? うれしぃー! すごいですぅー!」
「いや……普通の人は、版違いの同じ本を読みたいとは思わないでしょ……」
カウンターで盛り上がっている様子のデニスとキャンディを眺めていたビビアが、炒飯を食べながらそう呟いた。
「なーんか、あの女感じ悪いー」
ビビアと一緒にテーブル囲んでいたツインテールの魔法使いが、ムスッとした様子でそう言った。
「まさか飲食店開業マニュアルをバイブルにしている人間がデニスさん以外に、それも女性で存在しているとは思いませんでしたけどね……まあ話が弾むのも仕方ないか……」
「なーにあのぶりっ子女―。初見のくせに、店長とイチャイチャしてさー。気に入らないんですけどー」
「もっと積極的に行けばいいじゃないですか、ツインテールさんも」
「いや、結構行ってるし! わりと露骨に行ってるしー! 欠片も意識されてる感じしないけどー!」
その翌日。
デニスがポルボの店で雑貨を眺めていると、並べられている包丁の中に気になる一品を見つけた。
デニスがその包丁に手を伸ばしてみると、
横からすっと伸ばされた小さい手と、不可抗力で触れ合ってしまう。
「おっと、わりいわりぃ……」
「ご、ごめんなさぃ……」
「って、キャンディじゃねえか」
デニスはそう言って、気恥ずかしそうに笑うキャンディのことを見た。
「包丁なんて見に来て、どうしたんだ?」
「い、いやぁ……私も、料理でも始めようかと思ってぇ……」
「そうか。なら、この包丁なんて良さそうだよな。今取ろうとした奴さ」
「は、はぃ……でもぉ、ちょっと気になっただけなんですけどぉ、何がどう良いんですかぁ?」
キャンディが上目遣いにそう聞くと、デニスが語り始める。
「この包丁は一見普通の包丁に見えるんだけど鋼の種類が他とちげえんだよ紫鋼の中でも一番良い壱号が使われてるな本当は黒紙鋼の壱号が良いんだけどまあコスパでいったら紫鋼だよなあ模様も見てみろよ積層になっててかっこいいよなあでも普通に使うなら紫鋼の弐号が一番扱いやすいからいやでもこれから料理を始めるってことで高来鋼にこだわるなら金紙鋼でもいやまあ高来鋼にこだわらなくてもよお」
「そ、そうなんですかぁー! え、えーと、ならぁ、デニスさんとお揃いのが良いですぅ」
「お揃いつっても、俺が今日見に来たのは刺身包丁だぜ。一本目で刺身包丁はねえだろ」
「な、ならぁ! えっとぉ!」
その様子を、偶然通りかかっていたビビアと偶然ではなく通りかかっていたツインテールの二人が遠巻きに偵察していた。
「あの女、絶対半分聞き流してたでしょー……」
「というか、同じ包丁に手を伸ばして手が触れ合うってどういう状況ですか。図書館で同じ本に手を伸ばすアレですか。デニスさんバージョンだとそうなるのか……」
「でも、あの女もかなりグイグイ付いて行ってるねー……」
「振り落とされ気味ですけどね……しかし攻略難易度高いなデニスさん。料理と戦闘力極振りで、他はわりと駄目な所多いからな、あの人……さすがレジェンダリー炒飯ですね……」
「じゃ、じゃぁ! デニスさんが使い終わったらぁ、貸してくださいよぉ、その包丁!」
「おお、そうしてみるか? …………いや、それはちょっとおかしくねえか?」
「お、おかしくないですよぅ……えへへ……」
「あ、あくまで図書館で手が触れ合うテンプレを踏襲する気か! 読み終わった本借りるみたいなノリで包丁借りに行ったぞ! 気づけデニスさん! 色々と!」
「な、なかなか強者ねー、あの女―……」
その日の夜。
街のはずれの寂れた宿泊施設に、キャンディは戻ってきていた。
「はーぁ、つっかれったたったー……っとぉ……」
キャンディは宿泊先の部屋に戻ると、机上のランプを点ける。
「さーあてとてとーっ、情報も色々集まって来たしぃー、デニスさんもちょっと天然入ってるけどそこが可愛いぃーというか良い感じだしぃー、順調かなぁー?」
キャンディは机の引き出しから大量の資料を取り出すと、情報の整理を始める。
「デニス・ブラックス……王都のストリートチルドレン出身、ジーン・ブラックスの養子かつ一番弟子、元銀翼の大隊“料理番”、元ブラックス・レストラン副料理長、尚、現在のブラックス・レストラン副料理長は自身の弟弟子であるヘズモッチ・ペベレルが後任……レベル100の“料理人”職で現在『追放者食堂』経営。交友関係は広く、街の人間からの信頼も厚い……それに、都立ユヅト魔法学校の食堂監修に名義だけ貸し出し中……あぁー! もう良いぃぃー! 優しくてぇ、でもちょっと不良っぽくてぇ、家庭的でぇ、経営者でぇ、レベル100でぇ! もう良さみあるぅー! 良さみしかなぃー! 私の夫確定! もう確定なんですけどぉー!」
キャンディは他にも収集していた色々な資料を興奮しながら眺めると、ある資料を見て、「おや?」と呟いた。
「もしかして、ヒース様が言ってた“生き別れの、血縁上の弟”って、もしかしてぇー……? たしかに顔立ち似てるし、雰囲気同じだなぁー。雰囲気“同じ”で、性格“真逆”って感じぃー? とゆーことはぁ、デニスさんと私が結婚したら、ヒース様が義兄になるってことぉ? まじぃ? 素敵ぃー! 良さみが深いぃー!」
キャンディはケラケラと笑うと、別の資料を眺める。
「ええっとぉ……このオリヴィアとかいう女は、情報無し……ま、新参っぽいしどうにかできるっしょ。問題はぁ……このアトリエ・ワークスタットぉ……」
そこまで呟いてから、キャンディはカップに注いだ茶を一口飲んだ。
「この娘、邪魔だなあ……キャンディとデニスさんのアツアツ新婚生活に要らないなあ。消しちゃおっかなぁ。ちょうどあの“本”の所有者らしいしぃ、一石二鳥じゃない? この追放探偵キャンディ、仕事は期待を上回るがモットーですからぁ。プロは成果にプラスアルファを、仕事に付加価値を、ってことでぇ……」
カップを置くと、キャンディは邪悪な笑みを浮かべた。
「この女の子、死んでもらっちゃお。そしたらロストチャイル様にとっても一石二鳥だしぃ、傷心のデニスさんを慰めてそのままゴールインで一石三鳥? もう、私ったら仕事に恋愛に有能すぎぃー! きゃは」




