10話 追放探偵には、さよならと伝えて (前編)
折れたろっ骨をさすりながら、カットナージュはある屋敷の廊下を歩いていた。
デニス、あの男め……。
カットナージュは先日のことを思い出すと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
あの意味不明な男に赤っ恥をかかされて、あれから学校を歩くだけでクスクス笑われるようになってしまった。
以前までカットナージュを恐れていた教員や生徒たちの中には、あからさまに態度を変えて暗に馬鹿にしてくる連中までいる始末だ。
その矢先に、学校長に呼ばれて何だと思ったら、戦闘魔法の講師を来期からバチェルに変える予定だと!? それも大勢の教師と生徒の要望で!? ふざけるな!
今に見てろよ、馬鹿どもめ。
私のことを一瞬でもコケにしたことを後悔させてくれる。
なにせ、私には最強の援助者がいるのだ。
いや、最恐と呼んだ方が正しいか……
カットナージュはそう思いながら、屋敷の廊下の突き当りまで辿り着くと、扉をノックした。
「ロストチャイル様。私です」
カットナージュがそう呼びかけると、扉の奥から「入りなさい」という声が聞こえた。
カットナージュが扉をそっと開けると、その奥には広い部屋が広がっていた。
異様な部屋だった。
広い部屋の壁にはびっしりと棚が並べられており、その棚にはまた、カットナージュにはよくわからない蒐集品が所狭しと並べられている。
飾られている品物の統一性は無かった。宝石から本、杖、絵画、彫刻、亜人種の身体の一部、檻の中に入れられた、見たことも聞いたこともない生物……。
その珍品に囲まれる中で、二股頭の奇妙な獣を撫でている男がいた。
不気味な朱色の、不規則に乱れる髪型の男。
牙の間から涎を垂らしている双頭の犬のような珍獣を可愛がっていた様子の男は、カットナージュの方を見ると、嬉しそうに言う。
「おお、カットナージュ。久しぶりじゃあないか」
「ユパスウェル・ロストチャイル様。お久しぶりで……」
「見てみろ、珍しいだろう。双頭犬だ。あはは、こいつは可愛い。三頭犬よりも双頭犬の方が珍しいことを知っていたか? カットナージュよ」
「い、いえ……」
「ははは、こいつめ。ああ珍しい。ああ可愛い。しかし、双頭の犬にはどっちの首に首輪を付ければいいのだろう? とりあえず左の首に付けているのだが、平等に両方の首に付けるべきかな?」
凶暴な表情の双頭犬とじゃれているロストチャイルにそんなことを聞かれて、カットナージュは返答に困った。
ユパスウェル・ロストチャイル……。
王国の金融界を取り仕切る大貴族。
魔法使いと賢者の頭領たるワークスタット家に比べれば伝統と権威の面で格が劣るとはいえ、金融界を支配するその実際の権勢は王国随一といって間違いない。
しかも、ワークスタット家の頭領ジョゼフが失脚し、お家自体が半ば王国政府の管理下に置かれている今となっては、彼こそが王国最大の貴族であることを疑う者はいないだろう。
「ところで、“ユヅト写本”はどうなったろうね?」
カットナージュが返事に窮していると、ロストチャイルが出し抜けにそう言った。
神経を逆なでする、奇妙に高い声色だった。
「は、はい。以前に、ある食堂で焼失したとされるユヅト写本につきましては……現在学校の研究チームが、灰から復元作業を進めています。関係者の一人から話を聞きましたが、完全な形ではないにしろ、復元は恐らく可能であるという話です」
「そうか。それはよかった」
ロストチャイルは双頭犬の二股の首の間に顔を埋めながら、カットナージュのことを見つめた。
朱色の捻じれ毛で覆われた頭部。大きな垂れ目と、まだ若いというのに異様に老けて見える、赤らんだ皺くちゃの顔。
「あの希少本が焼けたと聞いた時には、ジョゼフの奴をどうやって殺してやろうかと思ったものだ。放っておいてもいつか自滅するだろうと思って、あの能なしの馬鹿を早くに始末しておかなかった自分の先見性の無さをよっぽど恥じたものだよ。今では牢屋の中だから、難しいがね。難しいだけで、不可能ではないが。しかし、安心したなあ。奇械王の唯一の著作の写本。あれは人類の宝だ。ぜひ手元に置いておきたい」
「はい。復元された際には、この私にお任せください。必ずや、ロストチャイル様のお手元に」
カットナージュはそう言って、頭を下げた。
ロストチャイルの異名……『収集家』。
芸術作品から珍品、希少品、宝石に至るまで、ありとあらゆる貴重品を収集するコレクター。
表向きは莫大な財産を基に活動し、収集の傍ら多くの芸術家のパトロンを務める文化人のように振舞ってはいるが、その裏では非合法な手段であらゆる希少品をかき集め、売買する闇の商人としての顔も併せ持つ。
しかもその収集というのは、稀少な生物や人体の一部、果ては珍しい病気に感染した病人の遺体にまで及ぶ……王国きっての異常者だった。
「ところで、デニスという男を知っているかね?」
ロストチャイルが突然そう言って、カットナージュは思わず冷や汗をかいた。
「最近、その男の名前を良く聞くのだ。いろんな事件の渦中に要る男でね……例の食堂の店長だという話で、凝ったことをしてジョゼフとヴィゴーを失脚させ、ついこの前は……神狼の捕獲を頼んだ連中からもその名前を聞いた。興味深い男だ。しかし、神狼は残念だったなあ。まあ、今度森林の利権を握ってしまうつもりだから、いつか手に入るだろうが。森から追い出されれば、神狼もいくらかは人里に降りてくるだろうね。おっと話が逸れたな。そのデニスという男が……」
「その、ロストチャイル様、実はその男のことで……」
「そして次はお前だ。そのデニスという男に、よっぽど恥をかかされたようじゃないか」
ロストチャイルは面白そうな顔をして、カットナージュのことを見た。
「そ、そうです。あの男、私の前に現れまして……」
「それ以来、お前の張りぼての権威も失墜したらしいな。つまらん。ちょっとは面白い男かと思って使ってやっていたが……どうやら思い違いだったらしい」
「ろ、ロストチャイル様?」
「つまらんものを手元に置いておくつもりはないのだ。凡庸な奴を使っていると、思わぬ火種になりかねないからな。凡庸さは、この世界をゆっくりと窒息させる害悪だと思わないかね。しかし、この世界に溢れる吐き気を催す凡庸さのおかげで、価値ある貴重さが輝くのもまた事実。ところで、カットナージュよ。なぜ三頭犬よりも、双頭犬の方が珍しいか知っているかな?」
「い、いえ……」
「双頭犬は、何よりも人肉が大好物でね。そのせいで、昔に大規模な狩りが行われて絶滅の縁まで追い込まれたのだ。今ではほんの少ししか残っていない。いずれ絶滅してしまうだろう。悲しいことだ。人間など腐るほどいるというのに。何の価値も無い画一的な人間どもが、ちょっと食われたところで誰が気にするだろう」
ロストチャイルは双頭犬の片首に回された首輪をかちゃりと外すと、カットナージュに向かって微笑んだ。
「さて。最後の仕事を果たしてくれるかい、カットナージュ」
「さてさて。思った以上に散らかってしまったな。綺麗に食べるように躾けないといけない。ハーム?」
ロストチャイルがそうやって呼ぶと、部屋の影から、一人の黒服の男が現れた。
「ハームよ。人を使って、この部屋を片付けておきなさい。それと……以前に、騎士団から追放された頭のおかしい女がいたよな……騎士団の密偵部員だった女だ。名前を覚えているか?」
「キャンディ」
とだけ、ハームと呼ばれた男が答えた。
不気味なほど無機質な声だった。
「そう、キャンディだ。あの女に仕事をやりなさい。デニスという男を調査させるのだ。あれは珍しい女だ。優秀な密偵だったのに、あまりにも頭がおかしくって追放されたのだ。いつか使おうと思っていてね。ははは、面白い」
ロストチャイルがそう言うと、ハームと呼ばれた黒服の男は、無言で頷いた。
「オオ! これは! とても綺麗デス! とっても綺麗! とっても素敵デス!」
オリヴィアはそう言って、リフォームされたメイド服を眺めた。
オリヴィアは人間ではないので、衣服の汗や皮脂汚れとは無縁なのだが、それでもメイド服に長年のダメージで蓄積された解れや汚れを、街の仕立屋ですっかり直してもらった。
そのため、オリヴィアは今、メイド服ではなくデニスのぶかぶかのシャツと、ズボンを着ていた。
一緒についてきていたデニスも、仕立屋のマスターと一緒に、その様子を満足気に眺めていた。
仕立屋のマスターは食堂の常連で、デニスの礼服を用意してくれた店でもある。その伝手でオリヴィアのメイド服を直して欲しいと依頼したら、無償で引き受けてくれると言ってくれたのだ。
これは次の飯代は無料にしなきゃならん、とデニスは思った。
「良かったじゃねえか、オリヴィア」
「ハイ! とっても嬉シイ! ここで着てもいいデスカ!?」
「もちろん。着て帰ろうぜ」
デニスがそう言うと、オリヴィアは間髪入れずにその場でシャツを脱ぎ始める。
「はい待ってー。残念ながら公開着替えはやめようねー。試着室で着替えようねー」
「ワタシはここでも構いまセンガ?」
「もうすっかり脱ぐキャラなの? やっぱり見せたがりなの?」
いつものメイド服に戻ったオリヴィアは、デニスと一緒に食堂までの帰り道を歩いていた。
歩いていると、一人の子供が話しかけてくる。
「デニス店長ー! こんにちはー!」
「おおー、エメラルダさんとこのガキんちょじゃねえか。また飯食いに来いよー。あと、アトリエともよろしくな」
「うん! お父さんに言ってみるー! アトリエちゃんもね!」
そうやって元気に駆けていく子供の姿を眺めて、オリヴィアが言う。
「流石デニス様。街を歩くだけで、お知り合いがひっきりなしではありまセンカ」
「まあ、お前が来る前に色々あったからなあ」
「色々デスカ?」
「ああ、街を上げた大作戦がな。あの時お世話になった人たちには、いくら恩を返しても返しきれん」
「ヨクお話に聞く、ヘンリエッタ様やバチェル様というお方もデスカ?」
「そうだ」
デニスはそう言った。
「うちの黄金メンバーさ。今はそれぞれの場所で、自分の人生を歩んでるがね。ちょっと寂しい感じもするが、そんなもんだよな」
デニスはそう言って、ある夜のことを思い出した。
よく思い出す夜だ。
初めて他人から、マジに説教を食らった夜のこと。
あのときデニスの前に立ちはだかった、大勢の街の人たちと、
その中央に立っていた三人の姿を、デニスはよく思い出す。
デニスとオリヴィアがそうやって歩いていると、中央通りで、なんだかトラブルの様子だった。
背の高い冒険者風の大男と、背の低い少女が道の真ん中で対峙していた。
少女は、困り顔でぼそぼそと呟く。
「ふ、ふええ……ごめんなさいー。ちょーっとぶつかっただけではありませんかぁー。狭量なのですかぁー? 器が小さいのですかぁー? 人としての度量が損なわれているのですかぁー?」
「ぶつかったのは別に良いんだが、お前の態度が気に食わねえんだ! ああ!? なんだお前!? 人のことを馬鹿にしてるのか!?」
「ふええ……馬鹿にしてなんていませんよぅ……ただ、可哀そうに思っているだけなのですぅ……ちょっとぶつかっただけで難癖を付けずにはいられないような性格とぉ、そんな矮小な性格を形成するに至った貧しい人生を不憫に思っているだけなのですぅ……」
「こんの野郎! 馬鹿にしてるだろ! ああお前! そうだろ!」
「おいおい待て待て、どうしたどうした」
トラブルな様子の冒険者風の大男と少女の間に、デニスが割って入った。
大男はデニスのことを見ると、むすっとした様子で言う。
「食堂の店長じゃねえか……俺はただ……」
「まあまあ、落ち着けって。こんな女の子に怒鳴りつけたって、どうしようもねえだろ? 今度、エビ炒飯にエビ一つサービスしてやるからさ。この場は引いてくれよ」
「ま、マジか? いいのか? それより店長、まだ一回しか食べに行ってないのに、俺の好物を覚えて……」
「いいってことよ。また食べに来てくれよ?」
「もちろん! 食べに行くぜ! 考えてみれば、俺もちょっとおかしかったぜ。何をカッカとしてたんだか」
「なはは、そういうことはよくあるよな」
気分を良くした様子の大男が去って行くと、その場を収めたデニスは、オリヴィアを連れてその場を去ろうとした。
「あ、あのぉ……」
少女が、デニスの背中にそう声をかけた。
「ん?」
デニスは振り向くと、改めて少女の姿を見た。
茶色を基調としたチェック柄のジャケットに、黒いズボン。
頭にはリボンの付いたツイードの帽子を被っており、帽子のつばで目元が隠れている。
首元にはカールのかかった髪の毛がくるくると巻かれており、強いくせ毛のようだった。
「あのぉ……あ、ありがとうございますぅ……デニスさん……」
少女は特徴的な声色で、デニスにそう言った。
「あ? ああ、別に。ただ、ちょっと話を聞いてたが、お前もちょっとおかしかったからな。気ぃつけろよ」
「は、はいぃ……気を付けますぅ……」
デニスはそれだけ聞くと、少女に背を向けて、食堂へと戻っていく。
おや? とデニスは思った。
初めて会ったはずだが、どうして自分の名前を知っているのだろう。
街では見かけない奴だが……まあ、どっかから聞いたのかな?
そうやって歩き去って行くデニスの後姿を眺めながら、少女はにやつく口元を手で隠した。
「なにあれぇ、あれが、デニス・ブラックスぅ……?」
少女は独り言を呟くと、ニヤニヤと笑う。
「めっっっっっっちゃタイプなんですけどぉ。男らしくてぇ、顔も男前系でぇ、声もかっこよくてぇ、ドンッピシャなんですけどぉ」
少女はフードで顔を隠しながら、デニスの後姿をいつまでも眺めていた。
「あぁ、手に入れたいなぁ。キャンディの理想の夫、ついに見つかっちゃったなぁ。“仕事”だけど、そんなの関係ないよねぇ。要は情報だけ上げちゃえば、あとはキャンディの好きにしちゃって良いもんねぇ。あぁ、あの声で愛を囁かれたいなぁ。あの目で見つめてもらいたいなぁ。前の“夫”は壊しちゃったけど、あの人なら丈夫そうだしぃ……」
少女はポケットに両手を突っ込むと、小さくなっていくデニスの後姿に呟く。
「この追放探偵キャンディ、仕事はキッチリ、恋愛もシッカリ。さあ、探偵稼業といたしましょうか」




